分裂する量子スピン

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分子内で電子の内部自由度が誘起された新スピン秩序を発見

2019-04-13  理化学研究所

理化学研究所(理研)開拓研究本部加藤分子物性研究室の藤山茂樹専任研究員と加藤礼三主任研究員の研究チームは、強い「量子揺らぎ[1]」のために、固体中で電子スピン[2]が動かないにもかかわらず波のような振る舞いを示す「量子スピン液体[3]」相に隣接するスピン秩序相において、電子スピンが分子内で分割された新しいスピン秩序状態を発見しました。

本研究成果は、固体中で秩序化したスピンの大きさはスピン量子数[4]1/2の整数倍になる、という磁性体の基本的な考え方を超えるもので、適切な分子設計と磁性の組み合わせにより、新しい機能性物質を構築できることを示しています。

今回、研究チームは、量子スピン液体となる分子性導体EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2の陽イオンに分子修飾を行ったMe4P[Pd(dmit)2]2の基底状態を、核磁気共鳴法[5]を用いて調べました。Me4P[Pd(dmit)2]2は、化学式あたりスピン量子数1/2のスピンが一つずつあり、それらは極低温では単純に上向き・下向きと反平行に整列すると考えられていました。しかし、観測された核磁気共鳴スペクトルから、この物質のスピン秩序は2種類の大きさと向きが異なる複雑な構造を持つことが分かりました。このためには、通常は一体のものとして振る舞うと考えられる量子数1/2の秩序スピンが、分子内で分裂している必要があり、Pd(dmit)2分子の対称性の異なるニつのフロンティア分子軌道[6]が固体中で混ざり合うことに起因すると考えられます。

本研究は、米国物理学会の科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(4月12日付け:日本時間4月13日)に掲載されます。

※研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究S「分子性強相関電子系における量子液体の探索と理解(研究代表者:加藤礼三)」、同基盤研究C「ニッケルジチオレン錯体を用いた非自明電子相の微視的解明と制御(研究代表者:藤山茂樹)」による支援を受けて行われました。

背景

分子が集合し固体となっている分子性固体には、金属元素のみからできた化合物や金属酸化物などの無機固体にはない特徴があります。分子は多数の原子が集まった集合体であることから、分子性固体中で繰り返されるユニットは非常に大きくなります。固体物質の性質は、電子スピンの運動と電子スピン同士に働く相互作用で決定づけられますが、分子性固体内で一つの電子スピンが占める体積は、無機固体のそれの10倍以上になります。また、分子の持つ柔らかさは、電子スピンの振る舞いにも大きな影響を与えます。

現代の固体物理学の目標の一つは、「量子揺らぎ」をあらわに取り出せるような電子状態を探索し、そうした物質を開発することです。電気抵抗がゼロとなる超伝導状態[7]はその代表的な例といえます。

固体の磁性(磁石としての性質)に着目すると、固体中に電子スピンがある場合、ほとんどの物質の電子スピンは低温になると整列し、安定な磁気秩序状態になります。しかし、互いに上向きと下向きというように反平行に整列しようとする電子スピンが三角形ネットワークを形成するとき、強い量子揺らぎによりスピンの整列は阻害され、固体中で電子スピンが動かないにもかかわらず波のような振る舞いを示す「量子スピン液体」という非自明な磁気状態となる可能性が指摘されています。

これまで40年以上にわたって、量子スピン液体の実現に向け、さまざまな物質が提案され多方面からの実験的検証が行われていますが、近年いくつかの分子性固体が有力な候補として注目されています。そこで、研究チームは、分子性固体において、量子スピン液体とその近傍で期待される強い量子揺らぎが実験的にどのように観測されるのかを調べました。

研究手法と成果

研究チームはまず、金属ジチオレン錯体[8]の一つで、-1/2価に帯電したPd(dmit)2分子(Pd:パラジウム)ニつと、+1価となっている陽イオン分子によるユニットを持つ分子性導体の「<陽イオン>[Pd(dmit)2]2」に着目しました。この<陽イオン>にさまざまな分子修飾を行うことで、物質の磁気的性質が大きく変化することが知られています。

<陽イオン>として、EtMe3Sb(アンチモン[Sb]にエチル基1個[Et]とメチル基3個[Me3]が結合)を選ぶと、強い量子揺らぎが電子スピンの整列を妨害し、量子スピン液体という珍しい磁性状態となります注1)。しかし今回の実験では、この量子スピン液体ではなく、電子スピンの整列が低温で起こるものの、物性制御パラメータとしては近接している<陽イオン>=Me4PまたはMe4Sb(リン[P]またはアンチモンに四つのメチル基[Me4]が結合)の単結晶をそれぞれ合成しました。

<陽イオン>[Pd(dmit)2]2では、2分子がセットとなって二量体を形成しています。物質の磁性は電子が担いますが、この場合、電子は二つのPd(dmit)2分子あたり1個存在するため、二量体あたりに電子スピンが一つずつ存在することになります。特に、今回合成した物質の場合、電子スピン量子数は1/2と特徴づけられ、これ以上分割できません。したがって、40K(-233℃)の極低温において、電子スピンが整列した状態(基底状態)を核磁気共鳴法で測定すれば、+1/2と-1/2の2本の核磁気共鳴スペクトルとして観測されると予想されました。

ところが、実際には4本に分裂したスペクトルが観測されました(図1右)。スペクトルの分裂幅は13C位置の電子スピン密度[9]に比例するため、X線構造解析の結果と併せると、この物質のスピン秩序は2種の異なる大きさと向きのスピンによる複雑な構造を持つことが分かりました。Pd(dmit)2分子内で電子スピンが分裂することで、[Pd(dmit)2]2二量体に1個の割合で存在していた量子数1/2の電子スピンが2種に分裂していること、つまり電子スピンの背景に内部自由度[10]が存在することが示されました(図1左)。この現象は、Pd(dmit)2分子の対称性の異なるフロンティア分子軌道が二量体中で混ざり合うことに起因すると考えられます。

この物理的意味を考えてみましょう。電子スピンはしばしば小さな磁石と形容され、それが同方向に整列したものを強磁性体、反平行に整列したものを反強磁性体と考える人も多いでしょう。しかし、このたとえは正確ではありません。量子力学ではスピンは2×2の行列のセットと扱われ、単純な「小さな磁石」の振る舞いとは異なります。

本研究の<陽イオン>[Pd(dmit)2]2のように、量子揺らぎが強く、極低温までスピン整列が起こらない量子スピン液体とその近傍では、電子スピンを小さな磁石と見なす描像が危うくなってくると考えられます。実際にこれまでに、これ以上分割できないはずであった量子数1/2の電子スピンの励起構造(運動の仕方)が分数化し、複数の異なる粒子であるかのように振る舞うことが理論的に予言されていました。今回の成果である「電子スピンの背後にある内部自由度の発見」は、この理論的予言の範囲に直接入っているものではありません。しかし、現在でも描像が確立しているとはいいがたい量子スピン液体のように、強い量子揺らぎが磁性を決定づける電子状態の解明に向けた重要な成果だと考えられます。

なお、本研究の一部の計算は、理研のスーパーコンピュータ「HOKUSAI」を利用しました。

注1)T. Itou, A. Oyamada, S. Maegawa, M. Tamura, and R. Kato, “Quantum Spin Liquid in the Spin-1/2 Triangular Antiferromagnet EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2“, Phys. Rev. B, 77, 104413 (2008)

今後の期待

本研究は、電子スピンの内部自由度というミクロの世界のできごとのように見えます。しかし、今回見いだされたスピンの分裂は、二量体を形成するニつのPd(dmit)2分子間の距離や分子の中心にある金属元素の選択に強く依存し、さまざまに制御することが可能です。この内部自由度は磁性研究の標準模型では考えられてこなかったものであり、未知の電磁応答を示す機能性物質の開拓につながります。

原論文情報

Shigeki Fujiyama and Reizo Kato, “Fragmented Electronic Spins with Quantum Fluctuations in Organic Mott Insulators Near a Quantum Spin Liquid”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.122.147204

発表者

理化学研究所
主任研究員研究室 加藤分子物性研究室
専任研究員 藤山 茂樹(ふじやま しげき)
主任研究員 加藤 礼三(かとう れいぞう)

お問い合わせ先
報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

補足説明
  1. 量子揺らぎ
    量子力学でいう不確定性原理は、絶対ゼロ度であっても物質の振動が止まらないことを自然に導く。この振動を量子揺らぎという。有限温度では固体の格子振動などのさまざまな揺らぎが優勢であるが、絶対ゼロ度に近づき熱揺らぎを抑制すると、相対的に量子揺らぎの効果が無視できなくなる。
  2. 電子スピン
    電子は、内部にアップとダウンの二つの状態をとるスピン(電子スピン)という自由度を持つ。「電子の自転運動の右回り左回り」とたとえられることがあるが、物体の自転が1回転すると元の状態に戻るのと異なり、2回転して元の状態に戻る。
  3. 量子スピン液体
    固体中で電子スピンが動かず原子位置にとどまる場合、その物質は磁性(磁石としての性質)を持つ。スピン間には平行、または反平行になろうとする作用があるため、ほとんどの物質でスピンは整列し秩序化する。しかし、量子力学の帰結である電子の波・粒子二重性により、スピンの波動性が強調され、スピン秩序が阻害される場合がある。これを量子スピン液体という。
  4. スピン量子数
    粒子に内在するスピン自由度の角運動量の指数のこと。これは1/2の整数倍の値しかとらず、1/2の場合に最も量子揺らぎが大きくなる。
  5. 核磁気共鳴法
    原子核に磁場をかけると歳差(すりこぎ)運動をする。この回転周期と同じ周期の交流電波を与えると原子核の信号を得ることができ、これを核磁気共鳴法という。歳差運動は原子核の周りの電子の影響を強く受けるため、実際には電子の状態を調べていることになる。医療診断に用いられるMRIは核磁気共鳴法である。
  6. フロンティア分子軌道
    分子中で電子が見出される確率が高い領域を分子軌道という。一つの分子の分子軌道は多数あり、エネルギー値と対称性により整理される。これらは、エネルギーの低い順番に電子により占有されていく。分子の性質を決定づけるのは「電子が最後に占有した分子軌道」と「電子に占有されていない分子軌道でエネルギーが最も低いもの」の2つであり、両者の対称性は異なる。この2つをフロンティア分子軌道という。
  7. 超伝導状態
    超伝導は、物質が臨界温度を超えて冷却されたときに起こる、電気抵抗がゼロになる現象。超伝導状態では、電気がエネルギーを失わずに物質中を流れる。
  8. 金属ジチオレン錯体
    下図のように、中心金属イオン(下図の場合はPd)に硫黄原子を含む配位子が結合した錯体。一般に、配位子は孤立電子対を持つ原子の集合体(基)を持っており、今の場合、硫黄の孤立電子対を介して金属と配位結合して、錯体を形成する。

    分裂する量子スピン

  9. 電子スピン密度
    フロンティア分子軌道を作るために各元素が供出している電子の数のこと。
  10. 内部自由度
    物質の運動や電磁波に対する応答を特徴づける量のうち、一般には人為的制御が及ばないとされるもの。

 

Me4P [Pd(dmit)2]2の低温スピン秩序構造と核磁気共鳴スペクトルの図

図1 Me4P[Pd(dmit)2]2の低温スピン秩序構造と核磁気共鳴スペクトル

左:二量体[Pd(dmit)2]2が二つ積み重なった構造の中で、緑色と黄色の矢印が秩序スピンを示す。本来なら二量体で一つずつの電子スピン、つまり上の二量体では右向き、下の二量体では左向きのスピンが存在するはずだった。しかし図のように、スピンがそれぞれ緑色と黄色の2種類に分裂したことが分かった。
右:低温で測定したMe4P[Pd(dmit)2]2の核磁気共鳴スペクトル。本来なら+1/2と-1/2の2本のスペクトルとして観測されると予想されたが、実際には4本に分裂したスペクトルが観測された。左図のそれぞれの電子スピンは、核磁気共鳴スペクトルの色に対応している。

1701物理及び化学
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