2021-02-04 東京大学
発表概要
京都大学大学院理学研究科の村山陽奈子 博士課程学生、栗原遼 同修士課程学生(2020年3月卒業)、笠原成 同特定准教授、柳瀬陽一 同教授、松田祐司 同教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科の石田浩祐 博士課程学生、芝内孝禎 同教授らの研究グループは、米国・コロラド大学と共同で、イリジウム元素を含むある種の酸化物においてアナポールと呼ばれる極のないナノ電磁石が形成されていることを発見しました。これは物質中において、ナノメートルスケールの微弱な電流が自然発生し、原子の間を閉じたループ状に流れるという、これまでに確認されたことのない新しい電子状態です。
本研究成果は、2月2日(日本時間)に米国物理学会が発行する科学雑誌「Physical Review X」に掲載されました。
発表内容
1.背景
物質の状態は温度や圧力など、様々な要因によって変化します。我々の世界の最も身近な液体である水は、水分子が自由に動き回っている状態にあり、温度を下げていくと分子間の相互作用によって凍結し、水素と酸素が周期的に配列した固体へと状態を変化させます。水が沸騰して気化する温度や氷へと凝固する温度は、圧力によって変わります。
物質中に多数存在する電子の集団も、温度や様々な要因によって状態を変化させます。電子と電子の間にはクーロン相互作用による反発が存在するため、これが強く働く場合には、電子は動けなくなって周期的に配列し、言うなれば電子の結晶をつくります。この状態はモット絶縁体状態と呼ばれます。凍結した電子は、温度を上げたり、電子の密度を変化させたりすることで、液体状態へと融解します。近年の研究により、物質中において結晶化した電子が溶ける場合には、量子力学的な多体効果によって、氷から水への変化とは比較にならないほど複雑なことが起こり、これまでに知られていなかった新しい電子の状態や、物理現象が現れることが明らかになってきています。例えば、最近の研究では、電子の液体状態と固体状態の中間領域では、電子の集団が特定の方向に揃った液晶のような状態をつくりだす場合があることも見出されてきています。
物質中で実現が期待される未知の電子状態の一つに、アナポール(anapole)秩序があります。この言葉の接頭語であるanaとは「戻す、巻き上げる、巻き戻す、元の状態に仕上げる」という意味をもち、これとpole(極)の組み合わせであるanapoleという言葉は、極性が元に戻って無くなっていることを意味します。例えば、磁石の場合には両端にN極とS極があり、N極からS極へと磁場が回り込んでいます。ところが図1(b)のように磁石をリング状に並べると、これによる磁場は全体としてはN極もS極もない閉じたループをつくります。このようなループ状の磁場は、ドーナツ状のリングの表面を巻きつくように流れる電流によっても発生し、電場にも磁場にも極がないこの電磁石は、原子核物理の分野でアナポールと呼ばれてきました。アナポールはドーナツの表面を流れる電流の向きによって異なる方向性を示し、この方向を特徴づけるベクトルはアナポールモーメントと呼ばれます。
近年の研究では、物質中でも、このようなアナポールが発生し、アナポールモーメントが揃うことで”アナポール秩序”という特殊な電子状態が実現しても良いのではないかとの理論提唱がなされ、実験による探索が行われてきました。しかし、これまでその存在の確証を得た例はありませんでした。
図 1:(a) 棒磁石における磁場。N極から出た磁場がS極へと入る。(b) 棒磁石をリング状に並べるとループ磁場ができ、もはやどこがN極でどこがS極か分からなくなる。 (c)ドーナツ表面を流れるループ電流がつくりだすループ磁場の様子。このような電磁場がもつ方向性はアナポールモーメントによってあらわされる。 (d) Sr2IrO4において原子間を流れるループ電流が磁場を作り、アナポールを発生させる。
2.研究手法・成果・今後の展望
今回研究チームは、イリジウム元素を含んだ酸化物であるSr2Ir1-xRhxO4という物質に着目し、研究を行いました。この物質は、温度を冷やすと電子が結晶化したモット絶縁体になり、イリジウム元素をロジウム元素に置きかえて電子密度を変えることで、電子の結晶化温度をコントロールすることが可能です。最近、この物質において、電子の結晶が融解して流動的な液体へと変わる過程において、電子が局所的に動き出してナノメートルスケールの微弱な電流が自然発生し、原子の間を閉じたループ状に流れだすことでアナポールの秩序状態が発生しているのではないか、という指摘がなされていました。しかし、アナポール秩序では、電流も磁場もループ状に閉じていることから、物質全体では電磁場が無いように見えてしまいます。
(a)
(b)
図2:(a)モット絶縁体の温度-組成相図の概略図。Sr2Ir1-xRhxO4では、モット絶縁体状態で結晶化した電子が、液体状態へと溶ける中間領域において、電子が自然と動きだし、ループ状の微弱な電流が自然発生するアナポール秩序が実現する。(b) Sr2Ir1-xRhxO4におけるアナポール秩序におけるループ電流とアナポールモーメントのイメージ図。
そこで今回、研究チームでは、アナポール秩序を検出するために、アナポールモーメントによって特徴づけられる電子状態の方向性を検出することを考え、磁気トルク測定という超高感度で磁気的性質の方向依存性を調べることができる実験と、弾性抵抗という物質を伸び縮みさせた際にあらわれる電気抵抗の変化を調べる実験を行いました。
その結果、アナポール秩序の出現に伴って発生する電子状態の方向性を検出し、更に、アナポール秩序を創り出すループ電流のパターンを特定することに成功しました。これはアナポール秩序が物質中で実現していることを確かめ、その詳細までを明らかにした初めての実験結果です。今回の発見は、物質中の世界で電子の結晶が融解する際には、我々の日常世界とは異なり、量子力学的な多体効果によって、これまで知られていなかった電子状態が出現することを示したものです。今後、この他にも我々の知らない電子状態とそれに伴う新しい物理現象が物質中で発見されることが期待されます。
3.研究プロジェクトについて
本研究はJSPSS 科学研究費補助金(課題番号:JP18H01177, JP18H01178, JP18H01180, JP18H05227, JP18K13492, JP19H00649, JP20H02600, JP20H05159, JP20K21139)、新学術領域研究「量子液晶」、JST CREST (JPMJCR19T5))、およびNSF Division of Materials Research (DMR 1903888)の支援を受けて行われました。
用語解説
磁気トルク:物質に磁場をかけると生じる回転する力。力の方向や大きさは物質の磁気的性質を反映するので、磁場をかける方向に対する磁気トルクの変化を調べることで、物質の磁気的な異方性を検出できる。
研究者コメント
物質中の電子は、私達が日常で目にする現象とよく似たものを示す一方で、量子多体効果が顕在化することによって、時として私達の世界とは全く異なる様相を見せることにとても驚かされます。今回発見された「アナポール秩序」は、強く相互作用しあう電子が形成する新しい電子状態で、「凍った電子」が溶ける際に、原子の間をループ状に自然と流れ始めるという非常に奇妙な状態です。新しい電子状態の発見は、新しい機能の発現に繋がる可能性を秘めています。今後発見される新しい電子状態の中から、未来の革新的デバイスに繋がるものも現れるかもしれません。私達物理学者の役割は、新しい物理現象の探索と解明により基礎学理の開拓に臨むことですが、そのような中に将来の展開があるかもしれないと思うと少しだけ夢が膨らみます。
(京都大学 村山陽奈子氏、笠原成特定准教授)
発表雑誌
タイトル:Bond directional anapole order in a spin-orbit coupled Mott insulator Sr2(Ir1−xRhx)O4
(スピン-軌道結合型モット絶縁体Sr2(Ir1−xRhx)O4におけるボンド指向性アナポール秩序)
著 者:H. Murayama, K. Ishida, R. Kurihara, T. Ono, Y. Sato, Y. Kasahara, H. Watanabe, Y. Yanase, G. Cao, Y. Mizukami, T. Shibauchi, Y. Matsuda and S. Kasahara
掲載誌:Physical Review X
DOI: 10.1103/PhysRevX.11.011021
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新領域創成科学研究科 広報室