2020-11-27 理化学研究所
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター創発生体関連ソフトマター研究チームの佐野航季基礎科学特別研究員、石田康博チームリーダーらの共同研究グループは、無機ナノシート[1]と水のみを利用して、生き物のように力学物性を動的に変える「ハイドロゲル[2]」の開発に成功しました。
本研究成果は、これまで高分子材料などの有機物質に頼ってきた刺激応答性ユニット[3]として、無機物質を利用するという新戦略を提示し、次世代スマートマテリアルの新たな設計指針になると期待できます。
サイエンスフィクション(SF)や神話には、無機生命体がしばしば登場します。しかし現実的には、硬くて刺激応答性に乏しい無機物質から、生き物のような動的機能を示す材料を作製するのは極めて困難でした。
今回、共同研究グループは、酸化チタンナノシート[1]と水のみからなるハイドロゲルが、温度や光などの刺激に応答して内部のネットワーク構造を動的に組み換えることで、力学物性を可逆的かつ高速に変化させることを見いだしました。さらに、微量の光熱変換ナノ粒子[4]を添加することで、このハイドロゲルの物性を光刺激によって時空間的に制御することにも成功しました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』(11月27日付)に掲載されます。
無機ナノシートと水のみからなる刺激応答性ハイドロゲルの力学物性の変化
背景
サイエンスフィクション(SF)や神話には、無機生命体がしばしば登場します。これらのストーリーは、科学者に「無機物質のみを用いて、生体のような動的機能を実現できるのか」といった挑戦的テーマを投げかけます。
生体は、水を豊富に含んだ階層構造を持ち、柔軟性や刺激応答性を示す固体です。一方、無機物質は基本的に硬く、刺激応答性に乏しいため、生体のような動的機能の実現は極めて困難でした。事実、従来の刺激応答性を示す生体模倣ソフトマテリアルは概して、ポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)などの有機物質のポリマーを刺激応答性ユニットとして利用しています。もし、このようなソフトマテリアルを無機物質のみで作製できれば、無機物質に由来する優れた機械的特性や耐久性などを兼ね備えることを期待でき、次世代スマートマテリアルの設計戦略を大きく拡大すると考えられます。
そこで、共同研究グループは、無機物質として酸化チタンナノシートに着目し、この無機ナノシート間に働く相互作用を精密に制御することで、この挑戦的テーマの達成を目指しました。
研究手法と成果
酸化チタンナノシートは、厚さ0.75ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)、横幅が数マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)であり、表面に高密度の負電荷を帯びた二次元物質です(図1a)。水中では、ナノシートの間に静電斥力[5]とファンデルワールス引力[6]が働き、これら二つの力が長距離で拮抗する結果、それぞれのナノシートが一定間隔を保ったラメラ構造[7]を形成します(図1b)。
共同研究グループはまず、室温(25℃)でナノシート濃度を徐々に上げていったところ、8wt%以上で柔らかいゲルの性質を示すことが分かりました。これは、ラメラ構造におけるナノシートの動きが強い静電斥力によって制限されたからだと考えられます。すなわち、この酸化チタンナノシートと水のみからなるハイドロゲルは、「斥力支配のゲル」といえます(図1b)。
共同研究グループは過去に、温度変化により、ナノシート間に働く静電斥力を可逆的に制御できることを見いだしています。そこで、得られた斥力支配のゲルの温度を25℃から90℃まで上昇させたところ、55℃付近で柔らかいゲルから硬いゲルへと転移しました。詳しい解析の結果、55℃以上ではナノシート間に働く静電斥力が弱まり、ファンデルワールス引力が支配的になることが分かりました。これによりナノシート間の距離が減少し、ナノシートが互いに積層することで、三次元的に連続したネットワーク構造を形成したと考えられます。すなわち、斥力支配のゲルから「引力支配のゲル」に転移したといえます(図1c)。この引力支配のゲルへの転移は、ナノシートネットワークの大胆な構造変化を伴いますが、高温に達してから2秒以内で完了しました。また、低温にすると元の斥力支配のゲルに戻ることも分かりました。この動的プロセスは何度も繰り返すことができ、高い耐久性を示します。
図1 無機ナノシートとハイドロゲルの温度に対する応答性
(a)酸化チタンナノシートは、厚さ0.75nm、横幅は数μmの二次元物質であり、水中に安定に分散する。ナノシート間には巨大かつ制御可能な静電斥力が働く。
(b)室温(25℃)でナノシート濃度を8wt%以上にすると、ナノシート間に働く強い静電斥力によってナノシートの動きが制限される結果、柔らかいゲルの性質を示す。例えば、ナノシート濃度が14wt%の斥力支配のゲル内部においては、ナノシートは12nmの等間隔で並んだラメラ構造を形成している。
(c)55℃以上に加熱をすると、静電斥力の減少によって、ナノシート間に働くファンデルワールス引力が支配的になる。そのため、ナノシート間距離は3nmにまで減少し、ナノシートが3次元的に連続したネットワーク構造を形成する結果、引力支配のゲルへと転移する。
ところで、海洋生物のナマコは、内部のネットワーク構造を変化させることで、外部の刺激に応答して力学物性を動的に変えています。この動的システムにヒントを得て、今回得られたハイドロゲルも力学物性を動的に変えるのではないかと考えました。そこで、温度を変化させて力学物性の測定を行ったところ、90℃の引力支配のゲルは、25℃の斥力支配のゲルに比べて約23倍も硬くなることが分かり、この動的プロセスも可逆的であることが明らかになりました(図2)。
図2 無機ナノシートハイドロゲルの動的力学特性
上段:粘弾性測定によりハイドロゲルの貯蔵弾性率と損失弾性率を調べた結果、どちらの値も温度を上げると上昇した。90℃のハイドロゲルの貯蔵弾性率は、25℃のときに比べて23倍程度大きくなった。
下段:貯蔵弾性率(青丸)と損失弾性率(白丸)はともに加熱すると上がり、冷却すると元に戻った。これにより、これらの動的プロセスは可逆的であることが明らかになった。
さらに、より生物に近い機能を実現するために、得られた斥力支配のゲルに微量の光熱変換ナノ粒子(直径17nmの金ナノ粒子)を添加することで、時空間的な物性制御を試みました。その結果、光を照射した箇所のみ選択的に引力支配のゲルへと転移させることにも成功しました。この転移プロセスは非常に高速であり、わずか2秒間の光照射によって完了しました。光照射を停止すると、空冷により4秒程度で斥力支配のゲルへと戻ることも明らかになりました。
今後の期待
今回開発した無機ナノシートと水のみからなるハイドロゲルは、温度や光などの刺激に応答して内部のナノシートネットワーク構造を動的に組み換えた結果、生き物のような動的機能を示しました。
従来のハイドロゲルネットワークは、ポリマーやナノファイバーなどの一次元物質で構成されていました。しかし、今回のハイドロゲルネットワークは無機ナノシートという二次元物質で構成されることから、一次元物質で問題となるネットワーク同士の絡み合いを防ぐことができ、高速かつ可逆的な刺激応答性を実現したと考えられます。このような二次元物質のネットワーク構造は、次世代のスマートマテリアルの新たな設計指針となると期待できます。また、長らく有機物質に頼ってきた刺激応答性ソフトマテリアルの設計において、無機物質の利用という新たな選択肢を提示します。
さらに、無機物質と水のみで生き物のような動的機能を実現した本研究は、無機生命体の創成という大きな夢への手がかりになると考えられます。
補足説明
1.無機ナノシート、酸化チタンナノシート
無機ナノシートは、層状酸化物の単結晶を温和な条件にて化学処理し、結晶構造の基本最小単位である層1枚にまで剥離することで得られる二次元ナノ物質のこと。酸化チタンナノシートは、層状チタン酸化合物の単結晶から剥離されるナノシートで、厚さは0.75nm、横幅は数μmと非常に大きい軸比の形状を持つ。その表面に大きな負電荷を帯びており、水中にてナノシート間には巨大かつ制御可能な静電斥力が働く。
2.ハイドロゲル
水に良くなじむ物質がネットワーク構造を形成すると、系全体は流動性を失い、固体状になる。このような物質をハイドロゲルと呼ぶ。身近な例としては、寒天、ゼリー、豆腐、こんにゃくなどが挙げられる。
3.刺激応答性ユニット
さまざまな外部刺激に応答して、その性質を変化させる材料のこと。代表的な刺激応答性ユニットとしては、ポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)が挙げられる。このポリマーは、約32℃以下の低温では水和されて水に溶解するが、それ以上の高温では脱水和して凝集することが知られている。このような刺激応答性ユニットをハイドロゲルに組み込むことで、刺激応答性ソフトマテリアルを作製できる。
4.光熱変換ナノ粒子
光を吸収し、そのエネルギーを熱に変換するナノ粒子のこと。ナノ粒子は、数百ナノメートル(1nm、1nmは10億分の1メートル)以下の非常に小さな粒子である。本研究では、光熱変換ナノ粒子として、直径が約17nmの金ナノ粒子を利用している。
5.静電斥力
同種の電荷を持つ二つの物質の間に働く電気的な斥力のこと。その物質が持つ電荷が大きいほど、また物質間の距離が近いほど、この斥力は大きくなる。
6.ファンデルワールス引力
原子や分子の間に働く力の一種。1対の原子間に働く引力は弱いが、数多くの原子から構成されるコロイド粒子間には比較的強い引力が働く。
7.ラメラ構造
層状の材料が交互に並んだ微細な構造のこと。本研究では、酸化チタンナノシートと水の層が12nm程度の等間隔で交互に並んでいる。
共同研究グループ
理化学研究所
創発物性科学研究センター
創発生体関連ソフトマター研究チーム
基礎科学特別研究員 佐野 航季(さの こうき)
研修生(研究当時) 五十嵐 尚紀(いがらし なおき)
(東京大学大学院 工学系研究科 大学院生(研究当時))
チームリーダー 石田 康博(いしだ やすひろ)
創発ソフトマター機能研究グループ
グループディレクター 相田 卓三(あいだ たくぞう)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
放射光科学研究センター 生命系放射光利用システム開発チーム
研究員 引間 孝明(ひきま たかあき)
物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点
NIMSフェロー 佐々木 高義(ささき たかよし)
主幹研究員 海老名 保男(えびな やすお)
原論文情報
Koki Sano, Naoki Igarashi, Yasuo Ebina, Takayoshi Sasaki, Takaaki Hikima, Takuzo Aida and Yasuhiro Ishida, “A mechanically adaptive hydrogel with a reconfigurable network consisting entirely of inorganic nanosheets and water”, Nature Communications, 10.1038/s41467-020-19905-4
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 創発生体関連ソフトマター研究チーム
基礎科学特別研究員 佐野 航季(さの こうき)
チームリーダー 石田 康博(いしだ やすひろ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当