2023-05-31 東京大学
発表のポイント
◆スピントランジスタの基本となる強磁性体/半導体/強磁性体構造からなる横型2端子素子を単結晶酸化物を用いて作製することにより、従来の10倍以上の大きな磁気抵抗比を得ることに成功しました。ゲート電圧による電流変調にも成功しました。
◆一般的な半導体と強磁性金属を組み合わせた従来のスピントランジスタ素子では、磁気抵抗比は最大で1~10%にとどまっており、実用上必要な100%には到達していませんでした。
◆本研究では、酸化物を用いることにより高品質の単結晶界面を実現できたことなどが、大きな磁気抵抗比の実現につながったものと考えられます。
研究グループが作製した単結晶酸化物スピントランジスタ素子におけるスピンの流れの模式図。強磁性の酸化物金属電極と半導体領域がすべて格子整合した単結晶の酸化物で構成されており、スピンの散乱や反射を大幅に低減することに成功した。
発表概要
東京大学大学院工学系研究科の遠藤達朗大学院生、小林正起准教授、Le Duc Anh准教授、関宗俊准教授、田畑仁教授、田中雅明教授、大矢忍教授らのグループは、強磁性金属酸化物La0.67Sr0.33MnO3の薄膜を用いて、40 nm程度の幅の領域にアルゴンイオンを照射してその領域を半導体に相転移(注1)させて、強磁性体/半導体/強磁性体の構造からなる単結晶の酸化物の横型2端子素子を作製しました(図1)。本素子において、従来の半導体と強磁性金属を組み合わせた素子で得られていた値の10倍以上の大きな磁気抵抗比(140%)(注2)を実現することに成功しました。さらに、本構造を用いて3端子のスピントランジスタ素子を作製し、ゲート電圧(最初の図に記載されているゲート電極部に印加される電圧)により電流を変調することにも成功しました。
図1:本研究の概要
a)本研究で作製した2端子素子の構造。強磁性金属酸化物La0.67Sr0.33MnO3の40 nm程度の領域をアルゴン照射により半導体に相転移させて用いている(オレンジ色の箇所)。赤色の金属電極領域とオレンジ色の半導体領域のすべての領域が同じ結晶構造をもつ単結晶で形成されているため、スピンの向きを保ったまま高効率に電流を流すことができる。b)従来の研究で使われてきた一般的な半導体と強磁性金属を組み合わせた素子構造の例。強磁性体電極領域(赤部分)と半導体領域(緑部分)の結晶構造や物質パラメータの違いなどにより、強磁性体電極から半導体にスピンを注入する過程などでスピンが散乱され、情報が失われてしまう。c)デバイスの作製に用いたLa0.67Sr0.33MnO3薄膜の断面走査透過型電子顕微鏡による格子像。すべて単結晶で構成されている。
近年、電子のスピン自由度(注3)を用いた新たな機能性デバイスの創出を目指す研究が盛んに行われています。スピントランジスタはそのようなデバイスの1つで、ソースとドレインと呼ばれるトランジスタの2つの電極を、金属の磁石材料(強磁性体)で置き換えたデバイスです。2つの強磁性体の磁化の向き(N極とS極の向き)が平行か反平行かにより0と1の情報を記憶します。電源を切った状態でもデータを維持することができるため、集積回路の消費電力を大幅に低減できるものと期待されています。今まで主として研究が行われてきた横型スピントランジスタ構造では、磁気抵抗比と呼ばれる平行磁化状態と反平行磁化状態間の抵抗の変化率が最大でも1~10%にとどまっており、これを実用上必要とされている100%以上の値まで増大させることが大きな課題となっていました。今回、研究グループは、強磁性金属酸化物La0.67Sr0.33MnO3の10nm程度の薄さの単結晶の膜を、分子線エピタキシー(注4)という高品質の単結晶薄膜を成膜できる手法を用いて作製しました。薄膜上の40 nm程度の幅の領域を半導体に相転移させて横型2端子素子を作製し、従来の研究で得られていた磁気抵抗比を10倍以上上回る140%の値を実現することに成功しました。また、本構造を用いた3端子のスピントランジスタ素子を作製し、電流をゲート電圧で変調することにも成功しました。本結果は、高品質の単結晶酸化物を用いて、相転移とナノ加工技術を組み合わせることにより、半導体では実現の難しい新たな機能性を有するデバイスを実現できる可能性を示しています。将来的には、このようなナノスケール相転移技術をさまざまな酸化物に適用することで酸化物の多様な物性を利用した新しいデバイスの実現が期待されます。本結果は、酸化物を用いたスピントランジスタの実現につながる新たな成果と言えます。
本研究成果は、2023年5月30日に科学誌「Advanced Materials」のオンライン版に掲載されました。
発表内容
〈研究の背景〉
近年の人工知能(AI)やモノのインターネット(IoT)(注5)の高度化により、情報処理技術で扱う情報量は急激に増大しており、より高速かつ高効率の情報処理技術が必要とされるようになっています。これに伴い、トランジスタなどの半導体デバイスの需要が飛躍的に増大しています。このような変化に伴い、情報処理に必要な消費エネルギーも劇的に増大しており、今後、サステイナブルな社会を実現していくためには、トランジスタの消費電力を低減することが極めて重要です。しかし現在のトランジスタは、電源を切るとデータが失われてしまう(揮発性)ため、情報を維持するためだけに常時電力を供給し続ける必要があります。そのためトランジスタの機能と、無給電で長期間記憶を保持できる機能(不揮発性メモリ)をあわせ持つ新機能デバイスの実現が求められています。このようなデバイスを実現できれば、大幅な消費電力の低減につながるものと期待されます。
このようなトランジスタの演算機能と不揮発性メモリ機能をあわせ持つデバイスの実現に向けて、電子のもつ磁石としての性質「スピン自由度」を利用したデバイス、すなわち「スピントロニクスデバイス」の研究開発が進められています。メモリの分野ではすでに磁石の磁化(NS)の向きを電子のスピンを用いて読み書きする不揮発性の磁気抵抗メモリデバイスが商用化されつつあり、ビットの情報を磁化の向きとして記憶して高速に読み取ることができるようになってきました。一方、これを発展させ、従来のトランジスタに電子のスピン自由度を取り込むことにより不揮発性を持たせた「スピントランジスタ」の実現に向けた研究も進んでいます。スピントランジスタにより、トランジスタの増幅機能と不揮発のメモリ機能をデバイスレベルで一体化することができます。中でもスピンMOSFETと呼ばれるデバイスは、通常のトランジスタと同様に微細化により高性能化できるため有望視されています。スピンMOSFETは、非磁性半導体で隔てられた2つの磁石(強磁性体)の電極の磁化の向きが平行か反平行であるかの違いにより、流れる電流の大きさが変わるトランジスタです。平行磁化時と反平行磁化時の抵抗の変化率のことを磁気抵抗比と呼びますが、回路応用の観点から、この値は100%程度以上必要であるとされています。しかし、従来の一般的な半導体を用いた横型のスピントランジスタ素子においては、磁気抵抗比が最大でも1~10%以下の値にとどまっており、大きな問題となっていました。その理由としてはさまざまな点が挙げられていますが、強磁性体と半導体の結晶構造や物質パラメータの違いが大きく、界面でスピンが散乱されたり反射されたりしてしまうことなどが磁気抵抗比が低いことの原因とされています。
一方、酸化物には、同じ結晶構造であっても強磁性、半導体性、絶縁性などのさまざまな異なる特性を示す材料が多数存在します。とりわけ、ペロブスカイト型マンガン酸化物 La0.67Sr0.33MnO3は、ハーフメタルと呼ばれる片方の向きのスピンしか伝導に寄与しないスピントロニクスデバイス応用上魅力的な強磁性材料です。この物質の特色は、わずかに酸素の欠損が形成されるだけで、単結晶の状態を保ったまま、もともとの金属的な性質が半導体に変化する(抵抗率が大幅に上がる)ことです。先行研究の豊富な蓄積があることから、さまざまなデバイスへの応用が期待されています。
〈研究の内容〉
今回、研究グループは、分子線エピタキシーという高純度の単結晶薄膜を形成できる手法を用いて、酸化物SrTiO3基板の上に高品質の単結晶La0.67Sr0.33MnO3薄膜を作製しました。その後、幅40 nm程度の領域にアルゴンイオンを照射して、酸素欠損(注6)を発生させることにより、その部分を局所的に半導体に相転移させて半導体チャネル領域を形成し、すべて単結晶酸化物からなる強磁性体/半導体/強磁性体の横型2端子素子を作製しました(図1)。この素子において、3 Kの低温において最大で140%の高い磁気抵抗比を得ることに成功しました。この値は、横型スピントランジスタの先行研究における磁気抵抗比を大きく上回る値です。さらに、研究グループは同様のプロセスを用いて3端子のスピントランジスタ素子を作製し、ゲート電圧によって電流を変調することにも成功しました。
〈今後の展望〉
本研究の成果は、酸化物を用いて、ナノ加工技術によりナノスケールでの局所的な相転移を引き起こすことによって、半導体では実現が難しい新たな機能性をもつデバイスを実現できる可能性を示しています。将来的には、このようなナノスケールの相転移技術をさまざまな酸化物に適用することで酸化物の多様な物性を利用した新しいデバイスを創出できるものと期待されます。実用に向けては、ゲート変調の増大と動作温度の向上などが今後の課題です。本結果は、酸化物でスピントランジスタを実現できる新たな可能性を切り拓く成果と言えます。
発表者
東京大学大学院工学系研究科
遠藤 達朗(博士課程、日本学術振興会特別研究員)
鶴岡 駿(修士課程:研究当時)
但野 由梨子(博士課程)
髙田(金田) 真悟(博士課程、日本学術振興会特別研究員)
関 祐一(修士課程)
小林 正起(准教授)<電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センター>
Le Duc Anh(准教授)<電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センター>
関 宗俊(准教授)<電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センター>
田畑 仁(教授)<バイオエンジニアリング専攻/電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センター>
田中 雅明(教授)<電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センター>
大矢 忍(教授)<電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センター>
論文情報
〈雑誌〉Advanced Materials
〈題名〉Giant Spin-Valve Effect in Planar Spin Devices Using an Artificially Implemented Nanolength Mott-Insulator Region
〈著者〉Tatsuro Endo, Shun Tsuruoka, Yuriko Tadano, Shingo Kaneta-Takada, Yuichi Seki, Masaki Kobayashi, Le Duc Anh, Munetoshi Seki, Hitoshi Tabata, Masaaki Tanaka, and Shinobu Ohya*
〈DOI〉10.1002/adma.202300110
〈URL〉https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.202300110
研究助成
本研究は、科研費「学術変革領域研究(B)(23H03802)」、「基盤研究(S)(22H04948)」「挑戦的研究(開拓)(21K18167)」「基盤研究(S)(20H05650)」、「ARIMプログラム(JPMXP1222UT1027、 JPMXP1222AE0022)」、科学技術振興機構CREST(No. JPMJCR1777)、ERATO(JPMJER2202)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)相転移:物質の相が別の相に変化すること。この場合、電気を流す物質(金属)から、電気を通しにくい物質(半導体)に変化すること。
(注2)磁気抵抗比:強磁性体/非磁性体/強磁性体からなる2端子素子に電流を流した時に、2層の強磁性体の磁化が平行磁 化状態の抵抗と比較して、反平行磁化状態の抵抗が何%大きいかを表す値。例えば、反平行磁化状態の抵抗が2 Ωで、平行磁化状態の抵抗が1 Ωであれば、磁気抵抗比は(2–1)/1=1=100%となる。磁気抵抗比を大きくすることはデバイス応用上きわめて重要である。
(注3)スピン自由度:電子がもつスピン角運動量やスピン磁気モーメントの向きの自由度。スピンは古典的には電子の自転により生じる角運動量と考えることができ、このスピンがもつ角運動量により電子は磁気モーメントをもつ。物質中で多数の電子スピンが1つの向きに揃った状態が強磁性体(磁石)であり、強い磁化や磁力の主な起源となっている。電子スピンは、電流、光、電磁波、熱などと相互作用があり、それらを制御して新たな機能を作り出すことがスピントロニクスといわれる分野の大きな目標となっている。
(注4)分子線エピタキシー:10-13気圧レベルの超高真空中で、元素または分子を蒸発または昇華させて結晶基板上に供給し、基板の結晶情報を反映した結晶構造をもつ単結晶の薄膜を基板の上に成長させる方法。条件を最適化することにより、不純物の混入を最小限に抑えることができ、原子レベルで平坦な高品質の薄膜や多層膜を形成することができる。
(注5)モノのインターネット(IoT):スマートフォンやコンピュータなどの情報機器・通信機器だけでなく、家電、自動車、ロボットなどさまざまな製品に通信機能を備え付け、それらすべてをインターネットに接続すること。
(注6)酸素欠損:酸化物の結晶を構成している一部の酸素原子が、結晶中の本来あるべき位置から抜けること。
プレスリリース本文:PDFファイル
Advanced Materials:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.202300110