2025-02-17 国立極地研究所
国立極地研究所の佐藤和敏助教を中心とする研究グループは、海洋地球研究船「みらい」による北極海航海で、雲粒子センサーゾンデやドローンによる雲や微粒子(エアロゾル粒子)の観測から、2023年9月12日の対流圏下層(地表から高度約1km)のエアロゾル粒子の個数が通常の10〜100倍であることを確認しました。これは、2023年に史上最悪規模となったカナダの山火事で汚染された空気が北極海まで輸送されたことが原因であることが、気象データや数値モデルを用いた解析から明らかとなりました。同時に北極海上空では、通常よりも高い温度環境(–15℃以上)で氷雲が形成されていたことから、山火事由来のエアロゾル粒子が北極海での氷雲の形成に影響を与えている可能性が示されました。
本成果は、地球温暖化により中緯度の山火事が増加することで、北極海で発生する雲の性質が変化する可能性を示すものです。今後、数値モデルや将来予測モデルで用いられるエアロゾル輸送過程や雲物理過程が改良され、雲形成の再現精度が向上することで海氷減少など北極域の気候予測の精度向上が期待されます。
図1:本成果の概要
研究の背景
太陽からの日射を反射・散乱する雲は、地表面へ到達するエネルギー量を変化させ、地球の気候へ影響を与えています。雲による太陽放射の透過率や反射率は、雲の水平・鉛直方向の空間分布だけでなく、雲の相状態(雲粒が水滴か氷晶)にも依存します。雲中の氷晶の割合が増加すると、日射の透過率の増加や反射率の減少が起きることで地表へ到達する太陽放射量が増加するため、雲の相状態を調べることは北極域での海氷減少や気温上昇の原因を理解する上で重要です。
一般的に水滴と氷晶の両方を含む混合相雲が北極圏で頻繁に観測されていますが、大気中に浮遊する微粒子(エアロゾル)の影響を受けて雲中の水滴と氷晶の割合が変化します。氷晶を形成する際に核として働くエアロゾル(氷晶核粒子:注1)は、低温度環境下にならなくても雲中の氷晶形成を促進する性質を持ち、北極圏の雪氷融解や海氷減少により、陸域や海中から大気への放出量が増加すると報告されています(文献1,2)。一方、シベリアなどの中緯度で山火事が発生することで氷晶核粒子となる有機物が大気中へ放出されるため、山火事由来の汚染大気が輸送されることで高緯度側の氷晶核粒子が増加します(文献3)。
海洋地球研究船「みらい」による北極海航海が実施された2023年は、カナダで史上最悪規模の山火事が発生し、汚染大気が北極圏を含む北半球の広範囲に拡散していました(図2)。そこで、中緯度から北極圏へ空気が輸送される際の北極海上の雲特性(雲の相状態や粒子数など)やエアロゾル濃度の特徴を調べるため、北極圏で雲粒子センサー(CPS)ゾンデやドローンを用いた大気鉛直構造観測を実施しました。
図2:2023年9月の鉛直方向に積算された有機炭素エアロゾル濃度の月平均値の偏差(1997年から2023年の9月の値を平均した気候値との差)。史上最悪規模の山火事のあったカナダ全土で値が高く、比較的数値の高い範囲が北半球の広範囲に広がっている。
研究の内容
海洋地球研究船「みらい」を用いて実施された2023年度北極航海の期間中、北極海上で中緯度の暖かく湿った空気を流入させる大気の川が到達し(図3)、「みらい」船上でCPSゾンデや小型気象観測機器を搭載したドローン(文献4)により雲やエアロゾルの観測データを取得しました。2023年9月12日12UTC(世界時)に実施したCPSゾンデの観測結果から、対流圏中層(高度3~5km)の気温が-15℃以上の環境下で氷雲が存在していることを確認しました(図4左中)。その9時間後(2023年9月12日21UTC)、小型気象観測機器(気温、湿度、風速・風向、エアロゾル濃度などの観測が可能)を搭載したドローンによる大気鉛直観測を実施し、対流圏下層(高度1km以下)のエアロゾル濃度が北極海航海期間中の平均値に比べて10~100倍高くなっていることがわかりました(図4右)。
図3:2023年9月12日(左)12UTCと(右)21UTCの気圧(黒線:hPa)と対流圏全層(950hPa—300hPa)で平均した風速(矢印:m/s)と積算した水蒸気量(鉛直積算水蒸気量)(色:kg/m3)。鉛直積算水蒸気量は値が高くなるほど大気中の水蒸気量が多く、灰色の斜線領域は大気の川の領域を示している。(左)灰色丸と(右)灰色四角は、ゾンデ(雲粒子センサーゾンデとラジオゾンデ)とドローンの観測点を示し、赤色の観測点が2023年9月12日に実施した観測点。緑線は「みらい」の航路。
図4:2023年9月12月12UTC に雲粒子センサーゾンデ(CPS)で取得された(左)気温(黒線)と(中)雲の粒子の大きさ(値が高いほど粒径が大きい)と雲の相状態(赤:水雲、青:氷雲)の鉛直プロファイル。気温の数値モデルの結果(赤)と2023年北極航海期間中の平均値(灰)を示している。(右)2023年9月12月21UTCにドローンで取得されたエアロゾル粒子数(太実線:0.3-0.5μm:青、0.5-1μm:緑、1-2.5μm:黄、2.5-4μm:赤、4-10μm:紫)と2023年北極海航海期間中の平均値(波線)。粒子数は常用対数で示されており、数値が1違うことで粒子数が10倍差ある。
数値モデルでは、氷雲の存在高度やエアロゾル濃度の高い高度では、高濃度の有機炭素エアロゾル層と対応していることが示唆されました(図5上)。また、後方流跡線解析(注2)の結果から、カナダの西岸や北部沿岸域の地表付近で数日前に有機炭素エアロゾルの濃度が高く、大気の川によりカナダ西岸や北部沿岸域から高緯度側へ流入し、氷雲の存在高度やエアロゾル粒子数が多い高度に到達していることがわかりました(図5下)。2023年9月の北極海では、カナダの山火事を起源としたエアロゾルが到達したことで有機炭素エアロゾル濃度が高くなっており、「みらい」船上で観測された通常よりも高い温度環境で発生する氷雲やエアロゾル濃度の上昇が広範囲で生じていたことが示唆されます。
図5:(上)2023年9月12月12UTCの対流圏中層(気温-15℃以下で氷雲の存在が確認された高度4-5km)の有機炭素エアロゾル濃度の平均値。青の太線は、氷雲の存在高度(高度4.5km)の空気に対する後方流跡線解析の結果で、細線はアンサンブル解析のばらつきを示している。(下)後方流跡線解析から算出された軌跡に沿った有機炭素エアロゾルの時間高度断面図。
今後の展望
本成果では、北極海のエアロゾル濃度の上昇や一般的に氷雲が発生しづらい気温-15℃以上の環境下で氷雲が観測されたことを踏まえ、大気の川によって上空に輸送されたカナダの山火事由来の氷晶核が北極海の雲を変質させたと結論づけました。氷雲が発生していた高度でもエアロゾル濃度が上昇していたと考えられますが、本研究では雲内のエアロゾルの濃度や化学組成は特定できていません。今後は、エアロゾルの収集が可能なサンプラーを搭載したドローンなどを開発し、氷雲の存在域での観測やエアロゾルの種類の特定が望まれます。また、氷晶は大きくなって落下するようになると雲中の水滴を取り込みながら成長しやすくなるため、雲中の氷晶の割合が増加すると降雪量の頻度が増加します。その結果、海氷上の積雪量が増加し海氷成長が抑制されるため、海氷減少が促進すると考えられています。そのため、現在建造が行われている砕氷機能を有する北極域研究船「みらいⅡ」を利用し、海氷上での観測を通じて雲-エアロゾル-降雪-海氷間のプロセスを明らかにしたいと考えています。
文献
文献1: 国立極地研究所、海洋研究開発機構、北見工業大学プレスリリース「北極海の海氷減少で雲の性質が変化~強風による波しぶきにより氷雲の割合が増加~」(2021年11月16日)
文献2: 国立極地研究所、気象庁気象研究所、名古屋大学、東京大学プレスリリース「北極域での気温上昇によって氷晶形成にかかわるエアロゾルは増加する」(2024年10月1日)
文献3: 海洋研究開発機構、国立極地研究所プレスリリース「シベリア森林火災が遠く離れた洋上の雲のもととなる?―高緯度洋上で測定した氷晶核濃度とエアロゾル成分濃度の比較から―」(2025年1月30日)
文献4: 国立極地研究所、海洋研究開発機構、北見工業大学プレスリリース「超軽量風速計でドローンによる風速計測を実現 ~安全飛行と気象観測に貢献~」(2022年11月14日)
発表論文
掲載誌: Atmospheric Research
タイトル: Impact of Canadian wildfires on aerosol and ice clouds in the early-autumn Arctic
著者:
佐藤 和敏(国立極地研究所 国際極域・地球環境研究推進センター 助教)
高橋 和(総合研究大学院大学 先端学術院 極域科学コース)
猪上 淳(国立極地研究所 北極観測センター 教授)
URL:https://doi.org/10.1016/j.atmosres.2024.107893
DOI:10.1016/j.atmosres.2024.107893
論文公開日:2024年12月24日
研究サポート
本研究はJSPS科研費(基盤研究 23H00523, 22K14103, 学術変革領域研究 24H02339)、北極域研究加速プロジェクト(JPMXD1420318865)の助成を受けて実施されました。
注
注1:氷晶核粒子
微粒子を含まない純水の場合、雲粒は過冷却水水滴とし気温が約-37℃以下まで存在するが、氷晶核が存在することで比較的温度の高い環境下でも氷晶が形成される。氷晶核として働く微粒子は様々あり、氷晶の形成を促進する温度はそれぞれ異なる(例:鉱物系のエアロゾル:気温-15℃以下、生物由来のエアロゾル:気温-15℃以上)
注2:後方流跡線解析
気象データや数値モデルを利用し、対象の空気塊がどこから輸送されてきたのか追跡する手法。不確実性を小さくするため、大気場を少し変えて27回同じ計算を行い、その平均値を使用した。
お問い合わせ先
研究内容について
国立極地研究所 助教 佐藤和敏(さとう かずとし)
国立極地研究所 教授 猪上淳(いのうえ じゅん)
報道について
国立極地研究所 広報室