2025-01-09 東京大学
○発表のポイント:
◆ガラス形成液体のモデルを用いた数値解析により、基本的な粒子再配置モード「T1プロセス」が液体の構造秩序と動的挙動にどのように影響するかを解明した。
◆液体の構造秩序と動的挙動の微視的レベルでの関係を示す初の研究であり、液体に形成される秩序を維持するT1プロセスが、協同的なダイナミクスのカギを握っていることを示した点に新規性がある。
◆ガラス形成物質のダイナミクス制御に新しい視点を提供し、より効率的な材料設計やガラスの製造プロセスの改善に貢献することが期待される。
時間とともにT1プロセスを経た領域(シアン)が逐次的に秩序の低い領域(青)から高い領域(赤)へ広がっていく過程
○概要:
東京大学 先端科学技術研究センター 田中 肇 シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)/東京大学名誉教授(研究開始当時:生産技術研究所 教授)と同大学工学系研究科物理工学専攻 石野 誠一郎 博士課程学生(研究当時)、松山湖材料研究所フ― ユアンチャオ 教授(研究開始当時:生産技術研究所 学振外国人特別研究員)の研究グループは、ガラス形成液体のモデルを用いた数値的研究を通じて、基本的な粒子再配置モードである「T1プロセス」(注1)が液体の構造秩序と動的挙動にどのように関係しているかについて、粒子個々の運動に着目して微視的レベルで解明しました。
液体が結晶化する温度よりも低い状態で液体として存在する「過冷却液体」は、温度の低下に伴いガラス転移点Tgに近づくことで、分子や原子の動きが著しく遅くなることが知られていますが、その背後にある物理的な機構は長らく未解明のままでした。今回の研究で、研究グループはガラス化する2次元のモデル液体を対象に、T1プロセスに着目した数値シミュレーションを実施しました。その結果、T1プロセスが液体内に形成される秩序構造を維持するかどうかが、液体の動きがどれほど急激に遅くなるか(フラジリティ)(注2)を決定する重要な要素であることを明らかにしました。シリカのような非フラジャイル(ストロング)な液体はアレニウス則(注3)に従い、比較的緩やかに動きが遅くなる(図1)一方、フラジャイルな液体は温度が下がるにつれて急激に動きが遅くなります(「超アレニウス的」と呼ばれます)。本研究によれば、T1プロセスが局所的な構造の秩序を乱す場合、動きに協調性は現れず、ダイナミクスはアレニウス的な温度依存性を示します(図2b)。一方で、T1プロセスが秩序を保ちながら起こる場合(図2a,c)、それは無秩序な領域から高い秩序を持つ領域へと連鎖的に進行し、その協調的な動きが実効的な活性化エネルギー(注4)の増大を招き、結果として超アレニウス的な振る舞いを引き起こすことが分かりました。この発見は、液体の秩序の成長、動きの協調性、および超アレニウス的な動きの間に、長い間求められていた粒子レベルでの微視的なつながりを示すもので、過冷却液体の構造と動きの関係に新たな視点を提供しています。ガラス形成物質のダイナミクス制御に新しい視点を提供し、より効率的な材料設計やガラスの製造プロセスの改善に貢献することが期待されます。
図1:本研究で使用した3種類のモデル液体、liquid I, liquid II, PHD(多分散剛体円盤系)の構造緩和時間ταの温度依存性。
liquid I, PHDは温度低下に伴い急激にダイナミクスが減速するフラジャイルな振る舞い(超アレニウス的挙動)を示すが、liquid IIはアレニウス則に近いストロングな振る舞い(アレニウス的挙動)を示す。
図2:2次元液体におけるT1型粒子の動きとその背後にある構造秩序。
a-c、(左)LFS(局所的に好まれる構造)におけるT1プロセスの概略図。上部の画像は、それぞれの液体の主要な秩序構造を示す。左下の角丸四角で囲まれた画像は、主要な秩序構造(上部画像)における4粒子の構成要素のT1プロセスを示す。liquid Iでは、構成要素のT1プロセスが秩序を保ち、同じまたは別の構成要素の秩序構造を生成する(すなわち、左下の角丸四角の枠内に留まる)。liquid IIでは、完全な四角形の構成要素は接触結合がないためT1プロセスを起こせず、三角形の構成要素はT1プロセスにより無秩序な構造に変化し、秩序を乱す。PHDでは、構成要素のT1プロセスも秩序を保つ。(右)ボンド配向秩序ファン・ホーベ関数(注5-7)は、liquid IとPHDにおける粒子の動きが、その基礎となる秩序の対称性(liquid Iでは4回対称、PHDでは6回対称)の影響を受けていることを示す。一方、liquid IIでは粒子の動きは等方的である。
研究者からのひとこと:
ガラス形成液体のダイナミクスがガラス転移点に近づくにつれ急激に遅くなることは古くから知られていましたが、そのメカニズムは長年の謎でした。今回、粒子の再配列の基本様式に注目することで、液体の中に形成される秩序がどのような機構で遅いダイナミクスを引き起こすのかという謎に一つの答えを示すことができました。これを契機に、ガラス形成物質の示す遅いダイナミクスについての長年の謎が解明されることを期待しています。(田中肇シニアプログラムアドバイザー)
○発表内容:
ガラス状態にある物質は、窓ガラスや透明なプラスチックのように、私たちの身の回りで広く使われており、古代から人類の生活に大きな恩恵をもたらしてきました。しかし、結晶とは異なり、ガラスは明確な規則的構造を持たないため、その物理的性質の理解は結晶に比べて遅れています。特に、液体が融点以下の温度に冷却された「過冷却」状態では、温度が下がるにつれて分子や原子の動きが極端に遅くなることが知られていますが、その背後にある物理的メカニズムは長年にわたり謎に包まれています。さまざまな理論が提唱されてきたものの、いまだに定説は確立されていません。
これまで、研究グループは、過冷却液体内に自由エネルギーの低い秩序の高い領域が揺らぎとして形成され、それが温度の低下とともに成長することで、分子の動きが急激に遅くなるとする仮説を提唱してきました(参考文献1)。この仮説では、秩序の高い領域で秩序が運動を抑制することが前提とされていましたが、その具体的なメカニズムは明らかではありませんでした。
今回の研究では、研究チームはガラス形成液体のモデルを対象に、基本的な粒子の再配置運動である「T1プロセス」に注目し、数値シミュレーションを実施しました。その結果、T1プロセスが液体の中で秩序構造を維持するかどうかが、液体の動きの遅くなり方(「フラジリティ」)を決定する重要な要素であることが明らかになりました。シリカのような非フラジャイル(ストロング)な液体は、アレニウス則に従い、比較的緩やかに動きが遅くなります。一方、フラジャイルな液体は、冷却に伴いその動きがアレニウス則に比べて急激に遅くなります(「超アレニウス的」挙動)。一方で、今回研究した三つのモデル液体、liquid I, liquid II, PHD(多分散剛体円盤系)においては、liquid I, PHDがフラジャイルな挙動を、liquid IIがストロングな挙動を示しました(図1)。
研究の結果、協調的な超アレニウス的動きが秩序の成長によって生まれるためには、T1プロセスがその秩序を保つ必要があることが示されました(図2a,c)。逆に、シリカや水のような液体では、T1プロセスが秩序を破壊するため、これらの液体は「ストロングな」性質を持つと考えられます(図2b)。具体的には、T1プロセスが局所的な構造の秩序を乱す場合、その運動は他の粒子との協調なしに単独で生じ、アレニウス的な動きとなります。一方、T1プロセスが秩序を維持しながら進行する場合、秩序の低い領域から高い秩序を持つ領域へと連鎖的に広がり、その協調的な動きが超アレニウス的な挙動を引き起こします。
実際にこのことを反映して、粒子の運動の方向性を検知可能なボンド配向秩序ファン・ホーベ関数を調べたところ、秩序領域でT1プロセスが秩序を維持しつつ進行できる場合には、秩序の対称性を反映して異方的な運動を示すこと(図2a,c)、また、T1プロセスが秩序を維持できない場合には、運動は等方的になること(図2b)が明らかになりました。
この発見は、液体の秩序の成長、運動の協調性、超アレニウス的な動きの間に存在する粒子個々の運動レベルでの微視的な関係を示し、過冷却液体の構造と動きの関係について新たな視点を提供するものです。これにより、ガラスや液体の製造プロセスの改善や、新しい材料の設計において重要な知見をもたらす可能性があります。このガラス化する液体の「強さ」や「もろさ」の理解は、たとえば、医薬品の安定性の向上や食料品の保存状態の最適化など、さまざまな産業分野での応用に貢献することが期待されます。
参考文献
1)H. Tanaka, T. Kawasaki, H. Shintani, K. Watanabe, Critical-like behaviour of glass-forming liquids, Nat. Mater. 9, 324 (2010).
○発表者・研究者等情報:
東京大学
先端科学技術研究センター 高機能材料分野
田中 肇 シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)/東京大学名誉教授
研究開始当時:東京大学 生産技術研究所 教授
大学院工学系研究科 物理工学専攻
石野 誠一郎 博士課程(研究当時)
現:株式会社日産アーク構造解析部 構造解析室 X線解析/計算科学チーム チームリーダー
松山湖材料研究所
フ― ユアンチャオ 教授
研究開始当時:東京大学 生産技術研究所 学振外国人特別研究員
○論文情報:
〈雑誌名〉Nature Materials
〈題名〉Microscopic structural origin of slow dynamics in glass-forming liquids
〈著者名〉Seiichiro Ishino, Yuan-Chao Hu, and Hajime Tanaka* *責任著者
〈DOI〉10.1038/s41563-024-02068-8
○研究助成:
本研究は、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援を受け実施されました。
○用語解説:
(注1)T1プロセス
主に粒子系の物質において、隣接する粒子が再配置することで局所的な構造が変化する過程を指します。この概念は、特に液体やアモルファス状態(ガラス状態)における粒子の動的挙動を理解する際に重要です。具体的には、2次元においては、四つの粒子が長時間相互作用していると、ある時点で粒子の一組(2粒子)がその位置関係を保ったまま、他の一組(別の2粒子)と交換するように再配置されます。この交換によって局所的な構造が変わり、新たな配置が形成されます。T1プロセスは粒子が隣接する四つの粒子の配置を再構成するプロセスといえます。もともとは泡やエマルジョンなどの系で観察されるトポロジー変化に由来しています。
(注2)フラジリティ
ガラスの分野におけるフラジリティ(fragility)とは、過冷却液体がガラス転移温度に近づくにつれて、その粘度や緩和時間がどれだけ急激に変化するかを示す指標です。フラジリティは、液体のダイナミクスが温度低下に対してどれほど敏感かを定量化するものであり、ガラス転移現象の特徴を理解するために重要な概念です。フラジリティの定義に基づいて、液体は「フラジャイル(fragile)」と「ストロング(strong)」の二つに分類されます。フラジャイルな液体は、ガラス転移温度に近づくにつれて、粘度や緩和時間が急激に増加します。この変化は、単純なアレニウス則(エネルギー障壁を超える確率に基づく指数関数的な挙動)よりも急であるため、「超アレニウス的(super-Arrhenius)」と呼ばれます。例としては、オルトテルフェニル(OTP) やグリセロールのような有機分子液体が挙げられます。一方、ストロングな液体では、粘度や緩和時間の増加が比較的緩やかであり、温度の低下に対してアレニウス的な(エネルギー障壁に従う)挙動を示します。例としては、シリカ(SiO₂)のような液体があり、これらは原子間の強い化学結合によって比較的安定した局所構造を保ちます。
(注3)アレニウス則
アレニウス則は、活性化エネルギーEaが、粘性ηに与える影響を定量的に示します。この法則は、以下の式で表されます:
η=η0 exp (Ea/kBT).
ここで、η0は定数、kBはボルツマン定数、Tは絶対温度を示します。活性化エネルギーが大きいほど、温度の変化に対する粘性の変化が著しくなり、逆に小さい場合は反応が温度の変化にあまり敏感ではなくなります。
(注4)活性化エネルギー
活性化エネルギーは、ある過程が起こるために粒子が乗り越えなければならないエネルギーの障壁として定義されます。例えば、ガラス転移温度に近づくと、液体の粘性が急激に増加し、粒子の動きが非常に遅くなります。これは、粒子が閉じ込められている状態から抜け出して動くために必要な活性化エネルギーが大きくなると考えられています。
(注5)ボンド配向秩序
ボンド配向秩序(Bond Orientational Order)は、分子の配向性や秩序を表します。これは、結晶構造や液体中の秩序を調べるのに広く用いられています。一般的に、ボンド配向秩序は、ある原子や分子の周囲の近傍構造を調べ、特定の方向に対する配向性を示します。これは、結晶格子の特定の方向に対する配向性を調べるためにも使われます。例えば、結晶中の原子が特定の方向に整列している場合、そのボンド配向秩序変数の値は高くなります。
(注6)ファン・ホーベ関数
ファン・ホーベ関数(van Hove function)は、統計物理学や液体およびガラスの研究で重要な概念であり、物質中の粒子の動的および構造的な特性を記述するために使用されます。ファン・ホーベ関数G(r,t)は、特定の時刻tにおいて、ある粒子が位置rにいる確率を示し、それが時間t+dt 後に位置r+rにいる確率を与えます。ファン・ホーべ関数は、時間とともに粒子の動き(拡散や振動など)を追跡し、物質の動的挙動を理解するのに役立ちます。特に液体、ガラス、または他の凝集系の研究で重要です。
(注7)ボンド配向秩序ファン・ホーベ関数
粒子の動きを方向まで含めて追跡することが可能なファン・ホーベ関数のことを表します。
○問い合わせ先:
〈研究に関する問い合わせ〉
東京大学名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員) 田中 肇(たなか はじめ)
〈報道に関する問い合わせ〉
東京大学 生産技術研究所 広報室
東京大学 先端科学技術研究センター 広報広聴・情報支援室