油と水の相互作用で人工嗅覚センサーの”堅牢性”を高める ~疎水性分子骨格と親水性固体表面の間に働くファンデルワールス力が鍵~

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2024-11-01 東京大学

発表のポイント

  •  新しい疎水・親水相互作用により、“鼻”の機能を担う人工嗅覚センサにおいて従来は達成困難とされていた“堅牢性とセンシング感度の両立”を世界に先駆けて実現。
  • 従来はその寄与が小さいと考えられてきた“疎水性分子骨格と親水性固体表面の間に働くファンデルワールス力”を利用する新しい人工嗅覚センサ動作原理を実証。
  • 本科学技術により、我々の身の回りに存在するさまざまな“匂い”の情報を長期間に渡って測り続ける新しい科学“匂いデータサイエンス”とその産業展開が期待される。

油と水の相互作用で人工嗅覚センサーの”堅牢性”を高める ~疎水性分子骨格と親水性固体表面の間に働くファンデルワールス力が鍵~
実証した新たな人工嗅覚センサ動作原理のイメージ図

概要

東京大学大学院工学系研究科の柳田剛教授(兼:大阪大学産業科学研究所 招へい教授)、高橋綱己准教授と九州大学大学院総合理工学研究院の辻雄太准教授らによる研究グループは、人工嗅覚センサ(注1)研究では達成が困難であると考えられてきた“堅牢性(注2)とセンシング感度の両立”を、従来はその寄与が小さいと考えられてきた“疎水性分子骨格(注3)と親水性固体表面(注4)の間に働くファンデルワールス力(注5)”を意図的に利用する新しいセンサ動作原理の提唱により実現しました。本研究の成功の鍵は、分子認識に関する化学研究分野では無視できるほど寄与が小さいと考えられてきた“疎水性分子骨格と親水性固体表面の間に働くファンデルワールス力”を積極的に利用したところにあります。この研究成果により、今後我々の身の回りに存在するさまざまな“匂い”の情報を長期間に渡って測り続ける新しい科学“匂いデータサイエンス”とその産業展開に役立つことが期待されます。

本研究成果は、2024年10月31日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Communications」に掲載されました。

発表内容

研究の背景
匂いを感知する人工嗅覚センサは、医療、環境モニタリング、食品の品質管理など、さまざまな分野でその応用が期待されています。中でも、ナノスケールの金属酸化物半導体材料の表面を有機分子で被覆したセンサデバイスは、有機分子膜によって金属酸化物表面の触媒能を向上させることで検出対象分子に対するセンサ応答の感度や分子選択性を高められることから注目されており、世界中で研究開発が行われています。一方で、これらのセンサデバイスでは動作中にセンサ材料表面に蓄積する分子によって性能が劣化してしまい、堅牢性の担保が難しいという問題がありました。従来の研究では、紫外線の照射や高温処理によって金属酸化物表面に蓄積した分子を除去する技術が報告されていますが、これらの手法は金属酸化物表面を修飾している有機分子も除去してしまうため、本質的な問題の解決には至っていませんでした。

研究内容
本研究グループは、疎水性の長鎖有機分子(ODPA(注6))を単結晶酸化亜鉛ナノワイヤ表面に修飾した人工嗅覚センサデバイスを開発しました。開発した人工嗅覚センサデバイスを用いてノナナール(注7)ガスのセンシングを行ったところ、ODPA修飾を行っていない酸化亜鉛ナノワイヤセンサではノナナールの酸化反応によって生じた電気抵抗の減少が元の値まで戻らず、徐々にセンサ性能が変化してしまうことが分かりました(図1a)。人工嗅覚センサにはAIによる大規模データ解析に必要なデータ量を長期間に渡って収集することが求められるため、このような繰り返しの分子検出における性能の変化は深刻な問題となります。

fig02
図1:本研究で開発した人工嗅覚センサによるノナナール分子センシング結果
(a)有機分子(ODPA)を修飾していない酸化亜鉛ナノワイヤセンサの概略図とノナナール暴露による電気抵抗値の変化特性。酸化亜鉛表面に酸化反応後の分子が蓄積することにより、センサ抵抗値が元の値まで回復していません。(b)ODPAを修飾した酸化亜鉛ナノワイヤセンサの概略図およびノナナール暴露による電気抵抗値の変化特性。センサ抵抗値が元の値まで回復しています。(c)ノナナールセンシングにおけるセンサ抵抗値の回復時間をODPAなし・ありの酸化亜鉛センサデバイスで比較した結果。ODPA修飾により回復時間が顕著に短縮されています。


一方で、ODPAを修飾した酸化亜鉛ナノワイヤセンサにおいては、電気抵抗値がノナナール検出後に速やかに元の値に戻ることを発見しました(図1b)。さらに、分子検出後にセンサ電気抵抗値が元の値まで回復する時間(センサ回復時間)を両センサで比較すると、幅広いノナナール濃度域においてODPA修飾酸化亜鉛センサが顕著に短い回復時間を示すことが分かりました(図1c)。さらに、ODPA修飾によってセンシング感度は低下していないことも確認されました。以上から、センサの感度は従来技術に匹敵するレベルを維持しつつ、センサ回復時間を劇的に短縮し、センサの堅牢性を大きく向上することに成功しました。

これまでの人工嗅覚センサに関する研究では、金属酸化物表面の有機分子修飾は主に検出対象となる分子と修飾した有機分子層の間の相互作用を利用して検出分子の選択性を向上させるために用いられています。また、金属酸化物を用いた触媒の研究では、有機分子修飾により金属酸化物表面の電子状態を変調し、反応選択性を向上させるという報告があります。今回本研究グループが実証したODPA修飾による酸化亜鉛ナノワイヤセンサの高速なセンサ回復動作はこれらの既知の機構によって説明できないものです。

そこで、本研究グループは赤外分光法による酸化亜鉛ナノワイヤ表面の分子吸着状態評価およびガスクロマトグラフ質量分析(気体や液体に含まれる分子種の種類や量を測定する装置)による酸化亜鉛ナノワイヤ表面におけるノナナール酸化反応挙動の追跡実験を行いました。その結果、酸化亜鉛表面にノナナールの酸化反応後の分子(ノナン酸)が蓄積することによってセンサ特性が劣化していることと、ODPAが有する長いアルキル鎖が何らかの働きをしてノナン酸の脱着温度を劇的に低下させ、蓄積を抑制していることが明らかになりました。さらに、ODPAのアルキル鎖が果たしている役割を解明するため、第一原理計算(量子力学の基本原理に基づいた理論計算)によるODPA修飾酸化亜鉛ナノワイヤ表面におけるノナナールの吸着・反応エネルギー解析を行いました。その結果、ODPAのアルキル鎖と酸化亜鉛ナノワイヤ表面が強く相互作用しており、そのために酸化反応後のノナン酸が酸化亜鉛表面でエネルギー的に不安定化されていることが分かりました。

これらの結果を基に、不安定化されたノナン酸が速やかに酸化亜鉛表面から脱着し、センサ回復速度が上昇しているセンシングモデルを提案しました(図2)。同時に、重水素化された長鎖アルキル鎖を有する有機分子で修飾した酸化亜鉛ナノワイヤを用いてノナナール吸着状態評価を行い、ノナナール吸着によって有機分子層のアルキル鎖の構造が変化するという、上記の計算結果を支持する結果を得ました。

fig03
図2:本研究で実証・提案した疎水性分子骨格-親水性固体表面相互作用に基づく新たなセンシング機構

これまでの人工嗅覚センサの研究においては、疎水的なアルキル鎖と親水的な酸化亜鉛表面の相互作用(ファンデルワールス相互作用)は他の相互作用と比べて弱く、分子検出機構に寄与しないと考えられてきました。従って、本研究で示された、疎水性分子骨格と親水性固体表面のファンデルワールス相互作用を利用してセンシング感度と堅牢性を両立した分子センシング機構はこれまでとは根本的に異なる新しい人工嗅覚センサ動作原理の実証となります。

今後の展望
今回の研究成果は、身の回りに存在するさまざまな“匂い”の計測とそこに価値を見出すことによる新しい科学“匂いデータサイエンス”、さらにその社会的な応用展開に向けた人工嗅覚センサの研究開発に新たな指針を与えるものです。本研究で提案したセンシング機構に基づいたセンサ開発によって、長期に渡ってセンサの性能が落ちることなく、安定して匂いのデータを取得することが可能となるため、環境モニタリングや食品の鮮度管理といった分野に加えて、医療分野でも呼気に含まれるバイオマーカーを精度高く検知する技術として応用できる可能性があります。また、この技術はアルデヒドだけでなく、他の揮発性有機化合物や多様な化学物質の認識にも応用が可能です。これにより、産業分野全般で幅広い応用展開が期待され、将来的にはセンサの堅牢性向上に伴う運用コストの削減や、新たな産業創出にも寄与することが考えられます。

発表者・研究者等情報

東京大学 大学院工学系研究科
柳田 剛 教授
兼:九州大学 先導物質化学研究所 教授
兼:大阪大学 産業科学研究所 招へい教授
高橋 綱己 准教授

九州大学 大学院総合理工学研究院
辻 雄太 准教授

論文情報

雑誌名Nature Communications
題 名:Van der Waals Interactions Between Non-polar Alkyl Chains and Polar Oxide Surfaces Prevent Catalyst Deactivation in Aldehyde Gas Sensing
著者名Kentaro Nakamura, Tsunaki Takahashi*, Takuro Hosomi, Wataru Tanaka, Yu Yamaguchi, Jiangyang Liu, Masaki Kanai, Yuta Tsuji, and Takeshi Yanagida*
DOI10.1038/s41467-024-53577-8
URLhttps://www.nature.com/articles/s41467-024-53577-8

研究助成

本研究の一部は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR22C4)、科研費 基盤研究A(JP23H00254)、基盤研究B(JP23H01462)の支援により行われました。

用語解説

(注1)人工嗅覚センサ
嗅覚機能を模倣するセンサ素子。ここでは大気や分析対象ガス(ヒト呼気など)中に存在する揮発性の分子群を、電気信号変化として検出する小型の電子素子を指す。

(注2)堅牢性
人工嗅覚センサにおける堅牢性は、長期間にわたって動作させた際にセンサ特性(同じ分子に対する電気抵抗変化量など)の変化を生じずに安定的に分子検出が可能であることを指す。

(注3)疎水性分子骨格
疎水性とは、水に溶けにくい、また水との相互作用が弱い性質を指す。本研究で扱う分子(表面修飾分子ODPA、検出対象分子ノナナール)はいずれも分子骨格として炭化水素からなるアルキル鎖を有しており、疎水性である。

(注4)親水性固体表面
親水性とは、水に溶けやすい、また水との相互作用が強い性質を指す。本研究で扱う人工嗅覚センサ材料である、酸化亜鉛に代表される金属酸化物の表面は親水性を有する。

(注5)ファンデルワールス力
ファンデルワールス相互作用とも表記する。分子や原子同士が接近した際に働く弱い引力であり、分子・原子間で発生する瞬間的な電荷の偏りによる相互作用を指す。共有結合やイオン結合のような強い化学結合と比較すると非常に弱い力であるが、疎水性や非極性の分子間では安定状態の形成に寄与している。本研究ではさらに弱いと考えられていた疎水性分子骨格と親水性固体表面のファンデルワールス相互作用に基づく新たなセンシング機構を提案している。

(注6)ODPA
オクタデシルホスホン酸(Octadecylphosphonic acid)。分子骨格として炭素数18の直鎖アルキルを有するホスホン酸分子。ホスホン酸部で酸化亜鉛表面に強く結合し、有機分子層を形成する。

(注7)ノナナール
分子骨格として炭素数9の直鎖アルキルを有するアルデヒド分子。ヒト呼気に含まれており、疾病罹患などの健康状態を反映するバイオマーカーとして知られている。

プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://www.nature.com/articles/s41467-024-53577-8

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