世界初、中性子で車載用燃料電池内部の水の凍結過程を観察~氷点下環境での性能向上に大きく貢献~

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2024-03-14 日本原子力研究開発機構,J‐PARCセンター,株式会社豊田中央研究所,総合科学研究機構

【発表のポイント】

  • 市販の燃料電池自動車は、氷点下で始動する際、発電に伴い発生する熱を利用して凍結による発電性能の低下を防いでいますが、より効率的な始動方法の開発には、氷点下環境下で発電中の燃料電池内部を直接観察し、水の凍結挙動を把握する必要があります。
  • 中性子ビームが水と氷を区別できる特徴を利用して、大面積パルス中性子ビームと大型環境模擬装置を組み合わせることで、氷点下における車載用大型燃料電池内部の水と氷を識別して可視化する技術を開発しました。
  • その結果、発電中の車載燃料電池内部で水が凍結し、発電性能が低下する過程を明らかにすることができました。
  • この成果により、氷点下における燃料電池の始動方法の最適化、材料・流路のコンセプトの立案とその検証など、燃料電池の研究開発における様々な展開が期待されます。

世界初、中性子で車載用燃料電池内部の水の凍結過程を観察~氷点下環境での性能向上に大きく貢献~

【概要】

氷点下でより効率的に燃料電池を始動するには、氷点下環境下での燃料電池内部の凍結挙動を観察する必要があります。そのためには「実用サイズの燃料電池を広い視野で観察する技術」と「水と氷を区別する技術」の2つの新技術の開発が必要でした。

今回、広い視野で観察するための大型環境模擬装置と、水と氷を高精度で識別する技術を新たに開発し、測定用の大強度中性子ビームの条件を最適化することで、氷点下における大型燃料電池内部で水と氷を識別することが可能となりました。

なお本研究は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範、以下「JAEA」という。)J-PARCセンターの篠原武尚 研究主幹、株式会社 豊田中央研究所 (代表取締役所長兼CRO 中西広吉、以下「豊田中研」という。)の樋口雄紀 研究員、一般財団法人総合科学研究機構 (理事長 横溝英明、以下「CROSS」という。) 中性子科学センターの林田洋寿 副主任研究員らの研究グループによるもので、大強度陽子加速器施設 (J-PARC) (※1) 物質・生命科学実験施設 (MLF)中性子イメージング装置「RADEN」(※2)で行われました。

今後、車載用燃料電池の更なる性能向上に貢献する技術への発展が期待されます。

本研究成果は、Springer Natureの論文誌「Communications Engineering」に2024年2月19日に掲載されました。

【背景】

再生可能エネルギーから製造できる水素の有効利用は、温室効果ガス排出量を低減し、カーボンニュートラルを実現するための鍵として期待されています。水素と酸素(空気)から電気を生成する燃料電池は、副生成物として水しか排出しないため、自動車用・定置用の電源として活用されていますが、さらに2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、大型トラック、船舶、鉄道、スマートシティーなど幅広い分野での活用を目指した開発が進んでいます。

燃料電池を氷点下で始動する際に、生成する水が凍結することで発電性能が低下する恐れがあります。現在市販されている燃料電池自動車では、氷点下で始動する際には自動的に発電に伴い発生する熱を利用するなどの運転条件の制御をすることで凍結が回避されているため、発電性能が低下する心配はありません。しかし、さらに効率の良い制御方法を開発するためには、燃料電池内での水の凍結挙動を観察し、水の滞留・凍結・融解・排出機構を理解する必要があります。燃料電池は重厚な金属容器で覆われているために内部の水と氷を観察することが技術的に難しく、開発の現場ではコンピュータを用いたシミュレーションが活用されてきましたが、実験によって実際の様子を直接的に観察することが強く求められていました。

中性子は、水および氷との相互作用の大きさがそのエネルギーに拠って異なるため、エネルギーを選択した中性子を利用することで水と氷を識別して観察することができます。しかしながら、これまでの研究では数センチメートル角程度の狭い視野での観察しかできませんでした。

自動車に搭載されている車載用燃料電池は長さ数十㎝、厚さ数µm~数百µmのシート状の電極材料と電解質膜を積層して作られます。そのため、燃料電池内部の水と氷の挙動を理解するためには、「自動車に搭載されている実用サイズの燃料電池全体を可視化するための広視野観察」と、「水と氷の識別」という二つの観察技術を同時に行うことが必要となります。そこで、J-PARCのエネルギー分析型中性子イメージング装置「RADEN」[1]においてJAEA、CROSS、豊田中研との共同で水と氷の広視野観察の技術開発を進めてまいりました。

【今回の成果】

発電中の燃料電池内部において生成した水が氷点下環境において凍結していく過程をその場で観察するためには、車載燃料電池の観察に適した視野と水と氷を識別して観察する技術の両方を同時に実現することが必要です。私たちは、これまでに発電中の車載燃料電池内部に生成する水を直接観察するための「広視野での水の観察技術」(※3)を開発しましたが、この技術を発展させ、J-PARCの大強度パルス中性子ビームの飛行時間分析による中性子エネルギー選択技術を組み合わせた「広視野での水/氷識別観察技術」の開発を進めました [2]。この新しい技術により、30cm角の広い視野において、任意の中性子エネルギーを選択した中性子による観察像を取得することができるようになり、水と氷の識別観察に利用することができるようになりました。

本研究では、さらに、水と氷の識別の精度および分解能を向上させるための技術開発として、(1) 撮像素子の画素レベルでの誤差要因解析による水氷識別技術の高精度化、(2) 大強度パルス中性子を用いた観察条件の最適化を行うとともに、(3) 車載燃料電池を氷点下環境で動作させることができる大型環境模擬装置(図1)を開発しました。この環境装置では、燃料電池セルの締結に使用される金属製パッドに冷媒を循環させることで、燃料電池の温度を室温から-20℃の間で変化させることができ、また装置内部の雰囲気を乾燥ガスで満たすことで電池の結露を抑制し、電池内部に生成した水のみの観察を可能とします。

これらの新しい技術と実験装置を組み合わせ、発電中の燃料電池を氷点下まで冷却する過程における水の凍結挙動を観察しました。実験では、まず始めに燃料電池の温度を10℃に保って発電を行った後、発電を継続させながら3分間で1度のペースで燃料電池を冷却しました。この発電から冷却までの経過をエネルギーを選択した中性子で観察した結果(図2)、電池の温度の低下に伴って、空気の出口側から段階的に凍結が始まり、全体が凍結したところで発電が停止する様子が観察されました。このような、発電中の車載用燃料電池内部において水が凍結していく過程の一連の挙動を可視化した結果は、世界で初めての成果です。

本研究では、車載用燃料電池内部が、空気の流れの下流から上流に向かって段階的に凍結していく様子が確認されましたが、凍結が進む間も発電が継続して水が生成され続けるため、上流側ほど水の滞留量が多くなることも明らかになりました。観察された凍結挙動は、電池内の発電分布の変化・熱媒供給方向・水の滞留挙動が複雑に影響しあった結果であることが詳細な解析によりわかり、本研究を通じて氷点下環境で燃料電池内部で起こりうる発電停止までのメカニズムを明らかにすることができました。

【今後の展望】

本研究で開発した車載用燃料電池の水/氷識別・観察技術は、燃料電池の性能に影響を及ぼす水の凍結挙動の解析に応用でき、将来の燃料電池の高性能化に不可欠な役割を果たすものです。燃料電池内部での水の凍結・融解現象を解明することは、電池の最適な制御方法を確立するだけでなく、現象に対する正しい理解に基づいた材料の選定や流路構造の設計とその検証など、燃料電池の研究開発を加速する様々な展開が期待されます。


図1.
(a) : 車載用燃料電池の模式図。図では空気の流路が示されており、図の左から右へ向かって空気が流れます。(水素ガスの流路は空気の流路の裏側にあるため、図には記載されていません。)

(b) : 発電装置の外観写真。図(a)に示した車載用燃料電池は、二枚の金属製パッドで締結されています。金属パッドは、ガス供給ポート、水排出ポート、温度制御用の流体の供給・排出ポートを備えます。装置中央の十字型の治具は締結圧を確保するための圧縮治具です。

(c) : 大型環境模擬装置の外観写真。内部に発電装置が格納されています。黄色矢印の方向に沿ってチャンバに入射した中性子は、発電治具を透過し、後方に配置された検出器で検出されます。中性子の透過強度のエネルギー依存性を解析することで、水と氷の識別が可能となります。


図2. 中性子で観察された水/氷の分布像。(ここでは、液体の水を赤色、凍結した氷の状態を青色で表現し、その色の濃さが、電池内に滞在している水/氷の量を表現しています。)
(a) : 温度10℃で発電したときの水の分布。
(b) : 発電しながら冷却温度-1℃(電池全体の平均温度1℃)まで冷やしたときの水と氷の分布。図の右側(空気の出口側)から凍結が開始したことがわかります。
(c) : 発電しながら冷却温度-3℃(電池全体の平均温度-1℃)まで冷やしたときの水と氷の分布。凍結範囲が図の左側(空気の入口側)に向かって広がっていく様子がわかります。
(d) : 冷却温度-5℃(電池全体の平均温度-5℃)まで冷やしたときの水と氷の分布。-5℃に到達する前に発電は停止しました。

【論文情報】

雑誌名:Communications Engineering (Springer Nature)

タイトル:Experimental visualization of water/ice phase distribution at cold start for practical-sized polymer electrolyte fuel cells

著者名:Yuki Higuchi*1, Wataru Yoshimune*1, Satoru Kato*1,Shogo Hibi*1, Daigo Setoyama*1,Kazuhisa Isegawa*1,3, Yoshihiro Matsumoto*2, Hirotoshi Hayashida*2, Hiroshi Nozaki*1,Masashi Harada*1, Norihiro Fukaya*1, Takahisa Suzuki*1, Takenao Shinohara*3 & Yasutaka Nagai*1

所属:*1: 豊田中央研究所、*2:総合科学研究機構、*3: 日本原子力研究開発機構

DOI:https://doi.org/10.1038/s44172-024-00176-6

【各機関の役割】

J-PARCセンター 広視野水氷識別技術開発、実験、解析、考察
豊田中央研究所 車載燃料電池用大型環境模擬装置開発、実験、解析、考察
総合科学研究機構 実験支援、解析支援

【参考文献】

[1] Shinohara,T. et al., “The energy-rsolved neutron imaging system, RADEN”, Rev. Sci. Instrum., 91, 1062 (2020).

[2] Isegawa, K. et al., “Fast phase differentiation between liquid-water and ice by pulsed neutron imaging with gated image intensifier”, Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. A 1040, 167260 (2022).

【用語の説明】

※1. 大強度陽子加速器施設(J-PARC)
J-PARCは日本原子力研究開発機構(JAEA)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、物質科学を含む幅広い分野に関連する世界最先端の研究が日々行われています。物質・生命科学実験施設(MLF)では、大強度の陽子ビームを用いて世界最高クラスのパルス状中性子ビーム(パルス中性子ビーム)およびミュオンビームを利用した物質科学、生命科学の学術研究ならびに産業応用研究が進められています。

※2. 中性子イメージング装置「RADEN」
世界最初のパルス中性子を用いたエネルギー分析型中性子イメージング実験装置です。

一般的な中性子ラジオグラフィ・トモグラフィ実験では、観察対象の内部の2次元または3次元的な形状情報を非破壊で調べることができますが、RADENではパルス中性子の特徴を活用することにより、形状情報に加えて結晶組織情報や原子核種、温度、磁場の空間的な分布を取得できるだけでなく、それらの定量的な評価が可能となります。

※3. J-PARCに構築した燃料電池内部における水の広視野観察技術
エネルギー分析型中性子イメージング装置「RADEN」において、実際の車載用の燃料電池を発電させながら内部の水を広視野観察するため、ガス供給・排気設備・試料(燃料電池)環境調節設備・発電設備を統合したシステムを構築するとともに、オペランド観察のために時間分解能を向上させる技術開発を行ってきました。

0405電気設備
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