2021-01-08 理化学研究所
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの田中未羽子研修生(同量子電子デバイス研究チーム研修生)、樽茶清悟グループディレクター、量子電子デバイス研究チームの山本倫久チームリーダーらの国際共同研究グループは、グラフェン[1]における新種の電荷中性流(正味の電荷の流れがゼロであるような電子の運動)を発見しました。
本研究成果は、省電力デバイスの実用化に向けた電荷中性流の研究に貢献すると期待できます。
電荷中性流はジュール熱[2]を伴わないため、電流に比べてエネルギーの散逸が少なく、省電力デバイスの動作原理として精力的に研究されています。これまで、電荷中性流としてスピン[3]流とバレー[3]流の二つが知られていました。
今回、国際共同研究グループは、2層グラフェン[1]中の電子間相互作用によって自発的に対称性が破れた層間反強磁性[4]状態において発生する、新種の電荷中性流を発見しました。これは、スピンとバレーが組み合わさった中性流(スピン・バレー流)であり、現在実用化研究が進められているスピン流と、スピン流より高効率で生成可能なバレー流とを相互変換するデバイスへの応用が期待できます。
本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』(1月8日号)の掲載に先立ち、オンライン版(1月6日付)に掲載されました。
スピン(青矢印)とバレー(赤矢印)の新たな電荷中性流であるスピン・バレー流(太矢印)の概念図
背景
近年、消費電力の少ない情報処理デバイスへの期待から、電子そのものの流れである電流ではなく、電荷中性な電子の流れ(電荷中性流)を利用しようという試みがなされています。これは、電荷中性流はジュール熱の発生を伴わず、電流に比べてエネルギーの散逸が少ないためです。
代表的な電荷中性流は、電子が本来持つ角運動量[3]である「スピン」の流れ(スピン流)です。スピン流は、磁気メモリと直接情報をやり取りできる利点からデバイスへの応用が期待され、金属や半導体、磁性絶縁体、グラフェンなど多くの物質で研究されています。一方、最近、「バレー」という自由度がグラフェンや遷移金属ダイカルコゲナイド[5]などの蜂の巣格子系で注目されるようになりました。バレーとは、空間的に広がった電子の波束が結晶中で自転するという描像で解釈される軌道角運動量の一種です。バレー流は、スピン流に比べて電流との変換効率が良いことが知られています。
これらの異なる電荷中性流の長所を生かすには、両者を変換する必要があります。しかし、グラフェンはスピン軌道相互作用[6]が小さいことから、スピンとバレーの結合は困難であると考えられてきました。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、スピンとバレーの結合原理として、スピン軌道相互作用の代わりに電子相関[7]がもたらす磁性に着目しました。グラフェンをはじめとする2次元電子系では、面直に磁場をかけるとランダウ量子化[8]というエネルギー準位の離散化に伴って電子の運動が抑えられ、相対的に電子相関が強くなります。電子相関が強まると、電子が互いのスピンやバレーといった自由度をそろえようとするために秩序が生じます。2層グラフェンでは、ゼロエネルギーに位置するランダウ準位[8]が半分占有されたときに、層間反強磁性と呼ばれる二つの層のスピンが互いに逆を向いてそろっている状態が実現すると考えられています。
この層間反強磁性状態では、スピンとバレーの両方に依存するホール伝導度[9]が生じることが理論的に指摘されています。国際共同研究グループはこのホール伝導度に基づいて、層間反強磁性状態ではスピン依存のバレー流である新たな電荷中性流「スピン・バレー流」が、電流に対して垂直に生成される可能性を提案し、その存在を確認することを試みました。
実験は、2層グラフェンのホールバー型の試料で行いました(図1)。ホールバーの片側に電流を注入すると、電流と垂直な方向にスピン・バレー流が発生します。スピン・バレー流はジュール熱を伴わない低散逸な流れであるため、数マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)にわたって拡散し、離れた端子間で電圧として検出されます。このときの注入電流と検出電圧の比である非局所抵抗を測定しました。
図1 非局所抵抗測定の概念図(左)と本研究で使用したホールバー試料の顕微鏡写真(右)
2-6端子間に電流を注入すると、それと垂直な方向にスピン・バレー流が発生して数μm伝播し、逆効果によって3-5端子間の電圧として検出される。3-5端子間電圧/2-6端子間電流を非局所抵抗と呼ぶ。それに対して、通常の4端子抵抗である2-3端子間電圧/1-4端子間電流を局所抵抗と呼ぶ。
まず、試料に加える電場を調整し、面直電場ゼロ、キャリア密度ゼロの付近で反強磁性秩序が発現することを確認しました。そこで非局所抵抗を測定すると、局所抵抗(通常の電気抵抗)の1/10に達する非局所抵抗が観測されました。これは電荷中性流がない場合に観測される値の2,000倍以上の値であり、電荷中性流の存在を強く示唆しています。
さらに、非局所抵抗の起源が電荷中性流であることを確かめるために、局所抵抗と非局所抵抗の関係を温度と磁場を変えることで測定しました。その結果、非局所抵抗は、局所抵抗が低いときには局所抵抗の3乗、高いときには局所抵抗の1乗に比例することが分かりました(図2)。これは電荷中性流を起源とした理論モデルとよく合っており、電荷中性流が発生していることの証拠となります。
図2 局所抵抗と非局所抵抗の関係
磁場を1~8T、温度を1.7~32K(およそ-271~-241℃)の範囲で変化させて、二つのホールバー試料において、局所抵抗(RL)と非局所抵抗(RNL)を測定した。抵抗が比較的低い試料1では、3乗のスケーリング関係(実線)が観測された。一方、抵抗が比較的高い試料2では、高抵抗領域で1乗のスケーリング関係(点線)、低抵抗領域で3乗のスケーリング関係(実線)が観測された。これらのスケーリング関係は、電荷中性流が非局所抵抗の起源であることの証拠となる。
今後の期待
本研究では電子相関がもたらす反強磁性秩序に起因した、発生メカニズム、流れの種類ともに新しい電荷中性流の生成を実証しました。電子相関を起源とした新しいメカニズムによって、電荷中性流生成物質の幅が広がることが期待できます。
さらに本研究の電荷中性流は、スピンとバレーが組み合わされた流れであると考えられます。そして層間反強磁性状態にスピン流を注入すれば、それに垂直にバレー流が発生する、またはその逆の現象も発生する、といったスピン流とバレー流の相互変換が可能になると考えられます。
補足説明
1.グラフェン、2層グラフェン
グラフェンは、炭素原子が2次元平面上で蜂の巣格子状に結合した物質。電子の流れやすさの指標である移動度が非常に高い、熱伝導度が高い、引っ張りに対して非常に強いなどの特性を持つことから、電子デバイス、光デバイス、生体材料、医療など幅広い分野で実用化が期待されている。蜂の巣格子特有のバレー自由度を持ち、電子が各バレーで反対向きの実効的な磁場を感じるため、電流/バレー流変換が可能である。2層グラフェンはグラフェンが2枚重なったもので、面直に電場を印加すると絶縁体に変化することから、高効率の電流/バレー流変換が可能である。グラフェン、2層グラフェンでは、他の蜂の巣格子系に比べて格子欠陥の少ない均質な結晶を合成でき、バレー流は格子欠陥が少ないほど長距離を伝導できるため、グラフェンでは他の蜂の巣格子系に比べてバレー流を長距離に伝導させることが可能である。
2.ジュール熱
電流が流れるとき、電子が不純物や電子同士で散乱されることで、電子の運動エネルギーが熱エネルギーに変換されて生じる熱のこと。電力消費はジュール熱の大きさに比例する。
3.スピン、バレー、角運動量
電荷が回っている状態を表す物理量を角運動量といい、スピン角運動量と軌道角運動量の2種類がある。スピンは直感的には電子の自転と解釈される角運動量である一方、軌道角運動量は電子の位置が円を描くことで生じる角運動量である。バレーは軌道角運動量の一種である。
4.反強磁性
電子のスピンが隣り合う電子間、異なる元素間、あるいは異なる層の原子間などで反対を向いているものの、同じ元素や同じ層の原子ではそろっていて長距離の秩序を持つような状態。
5.遷移金属ダイカルコゲナイド
MX2という組成で、Mがモリブデン、タングステンなどの遷移金属、Xが硫黄、セレンなどのカルコゲンからなる物質群。層状物質であり、単原子層では蜂の巣格子を形成する。
6.スピン軌道相互作用
スピン角運動量と軌道角運動量が、互いに角運動量を受け渡すような相互作用。一般的に重い元素からなる物質で大きく、軽い炭素からなるグラフェンでは極めて小さい。
7.電子相関
電子同士がクーロン力(静電気力)を及ぼし合う効果のこと。全ての物質中の電子でクーロン力は存在するが、電子の運動エネルギーが大きい物質ではクーロン力の効果を考えなくても物性を説明できることが多い。運動エネルギーに対してクーロンエネルギーが相対的に大きく、電子相関の効果が物性を説明する上で無視できないようなとき、電子相関が強いという。
8.ランダウ量子化、ランダウ準位
2次元電子系に面直磁場を印加すると、ローレンツ力によって電子が円を描くように運動する。不純物の少ない試料では、比較的高い磁場下で量子力学の効果が表れ、この円運動が持つ角運動量は離散的な値しか取ることができなくなる。このために離散的なエネルギー準位(=ランダウ準位)が形成されることをランダウ量子化という。
9.ホール伝導度
印加した電圧に対して垂直な方向に電子が曲がる現象をホール効果という。印加電圧に対する垂直方向の電流の割合をホール伝導度といい、ホール効果の度合いを表す。
国際共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
量子機能システム研究グループ
研修生 田中 未羽子(たなか みうこ)
(量子電子デバイス研究チーム 研修生、東京大学大学院 物理工学専攻 大学院生)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
量子電子デバイス研究チーム
チームリーダー 山本 倫久(やまもと みちひさ)
チューリッヒ工科大学 物理学専攻 研究員
島﨑 佑也(しまざき ゆうや)
香港城市大学 物理学専攻
教授 イヴァン・バレリビッチ・ボルゼネッツ(Ivan Valerievich Borzenets)
物質・材料研究機構
主席研究員 渡邊 賢司(わたなべ けんじ)
フェロー 谷口 尚(たにぐち たかし)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究 A「原子層物質におけるバレースピントロニクスの研究(研究代表者:山本倫久)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Miuko Tanaka, Yuya Shimazaki, Ivan Valerievich Borzenets, Kenji Watanabe, Takashi Taniguchi, Seigo Tarucha, Michihisa Yamamoto, “Charge neutral current generation in a spontaneous quantum Hall antiferromagnet”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.126.016801
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研修生 田中 未羽子(たなか みうこ)
(量子電子デバイス研究チーム 研修生)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
量子電子デバイス研究チーム
チームリーダー 山本 倫久(やまもと みちひさ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当