2020-12-17 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの中村龍平チームリーダー、何道平国際プログラム・アソシエイト(研究当時)らの国際共同研究グループは、選択的に窒素-窒素(N-N)結合を作る触媒反応の仕組みを原子レベルで解明しました。
本研究成果は、電気化学反応における選択性を高める仕組みを原子レベルで特定したものであり、環境中に存在する毒性の強い亜硝酸イオン(NO2–)を除去するのに役立つと期待できます。
再生可能エネルギーを利用した化学反応システムを構築する方法の一つとして、太陽電池が作り出す電気エネルギーを利用する電気化学反応があり、近年世界中で研究されています。
2018年に国際共同研究グループは、電気化学反応の選択性を高める戦略として、「電子とプロトン(水素イオン)の移動のタイミング[1]をずらす」ことが鍵になることを示しました。今回は、この概念の実証を目的として、電気化学反応を用いた選択的なN-N結合のメカニズム解明に取り組み、プロトンと電子の可視化を試みました。その結果、モリブテン硫化物(MoS2)を電極触媒[2]として用いた場合、Moから3.26オングストローム(Å、1Åは100億分の1メートル)の距離にあるプロトンが、反応選択性を高める鍵であることを突き止めました。
本研究は、科学雑誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)』のオンライン版(11月30日付)に掲載されました。
Moから3.26Åの距離にあるプロトン(H+)によりN-N結合の選択性が制御される
背景
持続可能社会を実現するためには、太陽光、風力、地熱エネルギーなどの再生可能エネルギーをもとにした化学反応システムの構築が不可欠です。そのために重要な役割を担うのが触媒です。特に、再生可能エネルギーの大規模な導入に向け、電力で駆動する「電極触媒」に大きな注目が集まっています。近年になり、計算化学や機械学習[3]などの新しい研究手法が導入され、高い活性を持つ電極触媒の開発が加速しています。しかし、化学合成において重要な指標である反応選択性[4]の研究はあまり進んでいないというのが現状です。そのため、狙った化合物だけを選択的に合成するための有効な戦略が無いという課題があります。
そのような中、国際共同研究グループは、2013年にオランダのKoper教授が示した数理モデルに着目し、「電子とプロトン(水素イオン)の移動のタイミングを意図的にずらす」という方法論を提唱してきました注1)。そして、モリブテン硫化物の中には、電子とプロトンの移動のタイミングをずらす能力を持ち、その結果、電気化学的に窒素-窒素(N-N)結合を選択的に合成できるものがあることを示しました。
モリブテン硫化物(MoS2)には、モリブデン(Mo)と硫黄(S)の原子配列が異なる複数の構造があります。そのため、国際共同研究チームは「原子配列の違いが、電子とプロトンの移動のタイミングを制御しているのではないか?」と仮説を立て、それを検証するために、分子分光法[5]を用いて触媒表面におけるプロトンがどのような性質を持つか追跡しました。
注1)2018年3月29日プレスリリース「温和な環境で働く人工脱窒触媒」
研究手法と成果
原子配列の違いによる電子とプロトンの移動のタイミングの違いを検証するため、国際共同研究グループはまず、MoとSの原子配列が異なる二つのMoS2を合成し、電極触媒として用いました。一つは、Moを囲むSが八面体の頂点に配置された1T構造で、もう一つはMoを囲むSが三角柱の頂点に配置された2H構造です。電気化学反応としては、亜硝酸イオン(NO2–)の還元によって一酸化二窒素(N2O)の生成を用いました。この反応は、土壌や水域に生息する微生物が、毒性の強いNO2–を無害化する脱窒反応の一部です(図1反応①・②)。
1T-MoS2と2H-MoS2を用い、N2Oの生成能を評価した結果、1T-MoS2は、42%の選択性でN-N結合を生成することを確認しました。その触媒能はあるpHで最大となる山型のpH依存性を示すため、電子とプロトンの移動タイミングがずれている脱共役型プロトン電子移動[6]で反応が進行することが分かりました。一方、2H-MoS2を用いた際には、pHを変えても触媒の選択性は変化せず、電子とプロトンが同時に移動する共役型プロトン電子移動[6]が進行していることを確認しました。また、軽水(H2O)と重水(D2O)[7]を用いた検討からも、1T-MoS2において脱共役型プロトン電子移動が進行していることを確認しました。
図1 窒素サイクルにおけるN-N結合生成過程
環境中の硝酸イオン(NO3–)は、窒素分子(N2)まで還元されることで無害化される(反応①②③)。一方で、途中で分岐し、アミノ酸代謝に必要なアンモニアが合成されることもある(反応④⑤)。
引き続き、パルス電子スピン共鳴分光法[8]を用い、1T-MoS2の高い選択性を生み出す起源となっているプロトンの直接的な検出を試みました。プロトンの存在を確認するため、軽水(H2O)と重水(D2O)を含む反応溶液を用い、異なるpH(pD)[9]環境においてプロトン種の計測を行いました。その結果、反応が進行している条件において、1T-MoS2が、Moから3.26オングストローム(Å、1Å100億分の1メートル)の距離にプロトン化サイトを作りだしていることを突き止めました(図2)。そして、今回検出したプロトン化サイトの酸解離定数(pKa)[10]が5.5付近であることを見いだしました。この値は、溶液のpHに依存したN2Oの生成量と相関を示し、さらに数理モデルから予測される脱共役型プロトン電子移動の特性とよく一致しました。
図2 パルス電子スピン共鳴分光法により特定したプロトン結合サイト
左側はMoS2の層状構造、右側は活性サイト近傍の原子配置を示す。高い触媒選択性の起源となるプロトン(H+)は、Moから3.26Åの場所に見つかった。
以上の結果は、原子配列を変えることで、電子とプロトンの移動タイミングが制御できることを示しています。そして、脱共役型の電子とプロトンの移動が、Moから3.26Åの距離にあるプロトン化サイトにより切り替わっていることを明らかにしました。このような電子とプロトンの移動のタイミングをずらすということは、電気化学反応における選択性を高める新たな概念であり、実際に反応選択制の向上に大きく寄与していることを、原子レベルで検証しました。
今後の期待
本成果は、電気化学反応の選択性を高める手法として、脱共役電子プロトン移動が有効であることを示すものです。また、選択的な窒素-窒素結合の生成は、飲料水の汚染、湖沼の富栄養化や赤潮発生の原因となる亜硝酸イオンを除去するための方法として期待できます。また、二酸化炭素の還元反応などの、複数の反応が競合する電気化学反応にも応用できると期待できます。
本研究成果は、国際連合が設定した「持続可能な開発目標(SDGs)[11]」のうち、目標7「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」、そして目標14「海の豊かさを守ろう」に貢献する研究成果です。
補足説明
1.電子とプロトン(水素イオン)の移動のタイミング
電子やプロトンの移動は目に見えない速さで進行し、場合によっては1秒の1億分の1のさらに1億分の1の測定精度を持つ機械でやっと追跡できるほどである。しかし、その中にも速さの優劣があり、その兼ね合いが触媒の性質を決める。例えば、電子とプロトンの移動のタイミングがずれていた1T-MoS2は高い選択性を示すのに対し、電子とプロトンがほぼ同時に移動する2H-MoS2は選択性が低い。
2.電極触媒
電圧をかけることで反応を促進する触媒。ほかにも光を与えて反応を促進する光触媒や、熱で活性化する熱触媒がある。
3.機械学習
コンピュータにデータを与えると、機械学習により、その傾向を説明するモデルが自動的に得られる。この手法は人工知能の中核技術であるだけでなく、製薬や触媒開発、電池材料の開拓など、モノづくりを効率化するためにも応用されている。
4.反応選択性
多くの化学反応は、目的の化合物だけでなく、類似化合物も生成される。起きた反応全体に対する目的反応の割合を選択性といい、その割合が高いほど優れた触媒となる。
5.分子分光法
物質に光を照射すると、物質ごとに固有の応答を示す。例えば、太陽光のもとで反射する光が物質ごとに違うため、私たちは「色」を認識できる。物質にさまざまなエネルギーの光を照射することで、その物質の情報を得る実験手法を分光法といい、なかでも物質中に含まれる分子の情報を得ることに特化した方法を分子分光法と呼ぶ。
6.脱共役型プロトン電子移動、共役型プロトン電子移動
多くの電気化学反応の本質は、プロトンや電子の移動である。この場合、両者を同時に動かすのか、タイミングをずらして移動させるのか、大きく分けて2通りがあり、前者を共役型、後者を脱共役型のプロトン電子移動と呼ぶ。共役型は活性を、脱共役型は選択性を高める方法として有効である。
7.軽水(H2O)と重水(D2O)
水素原子の中には陽子だけからなる軽いもの(Hydrogen,元素記号H)と、陽子と中性子からなる重いもの(Deuterium,元素記号D)がある。いずれも水分子を構成することが可能であり、私達が普段目にする水(H2O)は軽水、D2Oは重水と呼ばれる。水素原子を重くすることで、意図的にプロトン(水素原子核)の移動のタイミングをずらし、反応機構の詳細を調べることが可能である。
8.電子スピン共鳴分光法
物質を磁場の中に置いた状態で電磁波を当てると、共鳴現象により、ある特定の光を強く吸収することが知られている。この現象を利用して、物質中の電子状態を特定する手法を電子スピン共鳴分光と呼ぶ。全ての分子の電子状態を観測できるわけではないが、観測できる分子については、極めて詳細な情報が得られるという特徴を持つ。
9.pH(pD)
pHは軽いプロトンの量の指標。pHが大きいほど濃度が薄くなり、溶液からNO2–へのプロトンの移動が遅くなる。pDは、重いプロトンの量の指標。
10.酸解離定数pKa
プロトンが保持されやすい場所とされにくい場所があり、その尺度として酸解離定数を用いる。酸解離定数が大きいほど、プロトンが保持されやすくなる。
11.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のためのアジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。
国際共同研究グループ
理化学研究所 環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
国際プログラム・アソシエイト(研究当時) 何 道平(ヘ ダオピン)
研究員 大岡 英史(おおおか ひでし)
研究員(研究当時) 李 亜梅(リ ヤメイ)
上海交通大学
教授 金 放鳴(ジン ファンミン)
韓国基礎科学支援研究院(KBSI)
主任研究員 Sun Hee Kim(スン ヒ キム)
博士課程 Yujeong Kim(ユジョン キム)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)「新規活性予測モデルに基づく3d元素を用いた酸素発生電極触媒の開発(研究代表者:中村龍平)」、および韓国研究財団2017M3D1A1039380による支援を受けて行われました。
原論文情報
Daoping He, Hideshi Ooka, Yujeong Kim, Yamei Li, Fangming Jin, Sun Hee Kim, Ryuhei Nakamura, “Atomic-scale Evidence for Highly Selective Electrocatalytic N-N Coupling on Metallic MoS2“, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 10.1073/pnas.2008429117
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
国際プログラム・アソシエイト(研究当時) 何 道平(ヘ ダオピン)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当