2017-12-27 経済産業研究所 山口 一男 客員研究員
人的資本論は非人間的なのか
この点では宇沢氏は何か大きな勘違いをしていたのではないか。人を単なる労働の対価である賃金で評価せず、人材投資の対象と見た点が人的資本論の1つの特質である。たとえば日本での正規雇用と非正規雇用の区別だが、近似的には労働者を労働の対価でしか見ないのが非正規雇用で、労働者を企業特殊な人的資本投資の対象とみるのが正規雇用といえ、後者の方がむしろ労働者のより人間的扱いといえるのではないだろうか。宇沢氏はベッカーが人的資本論を拡大して家族や教育などを効率性から論じたことに反感を持ったようだ。しかし子どもの効用が親の効用の一部であると仮定して、「合理的利他心」を持つ親のモデルを新古典派経済学に導入したのもベッカーである。一般に結婚・出産や教育など広い社会制度問題の理解には関係者の合理的選択の問題が含まれ、そのメカニズムの理解なくしては自由な社会での良い制度設計はできないと筆者は考える。以下その理由を具体的に述べたい。
社会問題の理解と自己投資のインセンティブ
また筆者のRIETIコラムでも、自己投資に関連するものが他にもある。「相対的剥奪と政治―韓国の朴大統領弾劾決議を読み解く」と題したコラムでは、フランスの社会学者レイモン・ブードンの理論を紹介した。社会的機会が増すと、なぜか社会的不満が高まるという事実を説明する理論である。ブードンは一定条件のもとで、機会増大によって生じる地位達成のための自己投資者の増加率が機会の増加率を上回るため、機会の増大は自己投資してもそれに見合う地位や職を得られない人々の数が増すので「相対的剥奪」者が増える、というメカニズムを、合理的選択を仮定するモデルで示した。ここでも自己投資のインセンティブが重要な役割を果たす。
また「失敗の歴史から学ばない教育政策―国立大学付属校の抽選入学制度について」と題したコラムでは、東京都の学校群制度や「ゆとり教育」政策の失敗は、新たな制度の下では、家族の子どもへの教育投資の戦略が変わり、また新制度下での質の良い教育の代替物は教育費用が高いので、家庭の貧富の差による教育機会の不平等が増すという日本の教育政策の失敗を説明したが、ここでも家族の子どもへの教育投資戦略の理解が要となる。
このように人的資本論から出てくる自己投資に関する人々の選択の問題を考えること抜きには、女性への統計的差別、社会での相対的剥奪、教育制度改革などの社会のメカニズムは理解できない。
賃金報酬制度と自己投資のインセンティブ
より一般に過去の業績や未来への投資も考慮し、「何をなしたか」「何をなしているか」「何をなしうるか」で判断して報酬を定めるのが、仕事の質の向上への自己投資のインセンティブを与えるので良いと筆者は考えている。能力や努力だけでなく、責任感、勤勉、正直、向上心、仕事の丁寧さなど職務実行上の「非認知能力」の違いも報酬上の差を生みだすべきであると思う。宇沢氏なら人柄まで市場価格を付けるのかという批判になるのかもしれないが、筆者はむしろ経済学者のロバート・フランクが著書『Passion within Reason (1988)』で発展させた、報酬なしには社会的に望ましい人柄が増えないという考えに共鳴する。たとえば正直者が多い社会は、正直者が得をする社会で、努力する人が多い社会は、努力が報われる社会であると考えるのがその理論である。社会心理学者の山岸俊男氏は、いわば彼のライフワークでこのような「進化ゲーム理論」的視点が日本においても現実に妥当することを数多くの問題について社会心理実験で示してきた。
翻って日本の典型的賃金報償のあり方はどうか? 「終身」の正規雇用の年功序列賃金は、企業内社会主義ともいうべきもので、退職までの生涯賃金に関する結果の平等主義で、個人差を認めず、当然自己投資のインセンティブも与えない。では非正規雇用はどうか? これも典型的に見られる、職務給でキャリアの進展性もなく期限で雇止めになる使い捨ての雇用なら、自己投資のインセンティブは生まれようもない。
このように考えると日本の労働市場の典型的な報酬制度は正規雇用も非正規雇用もどちらも自己投資へのインセンティブを与えず、したがって自主的に仕事の質を向上させようとする意欲を奪っている制度であったといえる。だから強い組織の人事管理や統制でそれを補い、働き方の柔軟性に欠ける職場環境を生み出してきたのではないだろうか。
インセンティブ改革としての働き方改革
2017年12月27日掲載
原文は、こちら