2021-09-01 理化学研究所
理化学研究所(理研)開拓研究本部非平衡統計力学理研白眉研究チームの濱崎立資理研白眉研究チームリーダーは、周期的に駆動された量子多体系[1]において、「隠れた反ユニタリー対称性[2]の自発的破れ[3]」に起因した新しいメカニズムによる動的な相転移現象[4]を発見しました。
本研究成果は、非平衡系における相転移の特徴付けに新たな視点を提供すると同時に、近年急速に発展している人工量子系[5]の緩和ダイナミクスの理解に貢献すると期待できます。
熱平衡状態から遠く離れた非平衡状態において、相や相転移をどのように特徴付けるかは興味深い問題です。特に最近、量子力学に従う系の時間発展を用いて熱平衡自由エネルギー[6]と類似した量を導入し、その量が特異性を示す「動的量子相転移」と呼ばれる非平衡相転移現象が発見され、注目されています。しかし、平衡相転移と異なり、動的量子相転移のメカニズムやそれに伴う普遍性[7]に関する理解は進んでいませんでした。
今回、濱崎立資理研白眉研究チームリーダーは周期的に駆動された量子多体系を解析し、反ユニタリー対称性の自発的破れというメカニズムにより、新奇な動的量子相転移が起こることを発見しました。この対称性は平衡相転移における自発的対称性の破れと異なり、系の隠れた非ユニタリー性[8]と関連し、それゆえ転移点で非自明な特異性(例外点[9]を伴う特異性)を持つことも示しました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』(9月1日付:日本時間9月1日)に掲載されます。
本研究は非平衡ダイナミクス、量子多体系の相転移、非ユニタリー行列の数理を結び付ける
背景
温度などの外部パラメータを変えることで、系のマクロな性質が劇的に変化する現象を「相転移」といいます。水(液相)を冷やすと氷(固相)になり、磁石(強磁性相)を熱すると非磁石(常磁性相)になるのがその例です。熱平衡状態にある系の相転移現象(平衡相転移)は古くから研究がなされ、そのメカニズムや相転移点近くでの普遍性について理解が進んでいます。平衡相転移は、系の自由エネルギーがパラメータの変化に関して特異的に振る舞うことで特徴付けられます。
一方、平衡状態から遠く離れた状況、すなわち非平衡状態において、相や相転移をどのように特徴付けるかも重要な問題でありながら、平衡相転移と比べるとはるかに未開拓です。近年、量子力学に従う多数の原子系をはじめとした人工量子系を用意し、こうした非平衡ダイナミクスを実験的に観測することが可能になってきました。実際に、離散時間結晶状態[10]をはじめとした非平衡状態に特有な相が発見されています。
そのような非平衡下での相転移の中で、「動的量子相転移」と呼ばれるクラスの相転移が注目されています。これは、平衡状態の自由エネルギーに含まれる温度のパラメータを時間に置き換えた(より正確には、逆温度を虚時間に置き換えた)「動的自由エネルギー[11]」の特異性から定義されます。物理的には、動的自由エネルギーは「ある状態を量子的に時間発展させた状態」と「別の参考状態」がどれほど重なっているかの指標になっています。動的量子相転移は理論的・実験的に盛んに研究されていますが、そのメカニズムや普遍性についての理解は進んでいませんでした。
研究手法と成果
本研究では、周期駆動された(一次元)量子イジング模型[12]において、「隠れた反ユニタリー対称性の自発的破れ」に起因した新しいメカニズムの動的な相転移現象を発見しました。量子イジング模型とは、図1左のように多数の量子的なビット(スピン)が相互作用している模型の一つで、イオンを並べることで実現されています。今、スピンが全て上に向いた状態から、周期的なパルスを当ててスピンをある角度だけ回転させることを繰り返します。このダイナミクスは、周期パルスと相互作用の競合により複雑なものになります。数周期後に、例えばスピンが全て下向きになっている確率を測定すると、そこから動的自由エネルギーを計算できます。
図1 周期駆動された量子多体系と時空間双対性の概念図
周期駆動された量子多体系とその時空間双対性。左図のように、一次元空間にあるスピン(矢印で示す)が1周期ごとにユニタリー時間発展し、一定時間後に動的自由エネルギーを測定する。時空間双対性では、右図のように、空間と時間の役割を入れ替える。すなわち、時間方向に広がったスピンが空間的に伝搬すると見なす。これにより得られる空間伝搬の操作は、非ユニタリーな行列で記述される。この非ユニタリー行列が反ユニタリー対称性の破れを起こすとき、動的自由エネルギーの強い特異性が現れる。
このようにして得られた動的自由エネルギーは回転角に依存するため、回転角を変えると異なる値が得られます。本研究では、回転角を変えると、典型的な動的量子相転移とは異なる、強い特異性を持つ動的量子相転移が起こる場合があることを発見しました。典型的な動的量子相転移では動的自由エネルギーの回転角に対する変化量は有限の跳びを示すだけですが、今回発見した動的量子相転移ではこれが発散します(図2左)。
この発散の起源と普遍性を調べるために、本研究では「時空間双対(そうつい)性[13]」という理論的手法を用いました(図1右)。これは、時間と空間の役割を入れ替える、すなわち本来は「空間方向に広がった系が時間的に変化する」現象を、「時間方向に広がった系が空間的に変化する」現象として見る手法です。この手法によって得られた空間的変化の伝搬は、通常の(ユニタリーな)量子力学の時間発展と異なり、「非ユニタリー」と呼ばれるクラスの行列によって記述されることが分かります。
この非ユニタリー行列が元の模型の相互作用が適切な値のときに、反ユニタリー対称性と呼ばれるタイプの対称性を持つことに注目しました。非ユニタリー行列が反ユニタリー対称性を持つとき、パラメータの変化に伴い「対称性の自発的破れ」という現象が起こり得ます。対称性の破れとは、状態がそれまで保っていた対称性を失う現象で、反ユニタリー対称性や非ユニタリー行列に限らず起きるものです。実際、水が氷になるのは分子の位置の連続並進対称性[14]が破れることに対応するように、平衡相転移の重要なメカニズムの一つにもなっています。一方、今回重要となる非ユニタリー行列の反ユニタリー対称性の自発的破れは、通常の平衡相転移には見られない特異点である「例外点(固有状態が重なる点)」を伴うことが知られています。本研究では、この例外点の振る舞いが、元のモデルでの動的自由エネルギーの変化量の発散を説明することを示しました(図2右)。
図2 動的量子相転移(左)と反ユニタリー対称性の破れ(右)の概念図
今回発見された動的量子相転移と反ユニタリー対称性の破れ。スピンの回転角(外場の強さ)を変化させると、転移点(II)において、動的自由エネルギーの変化量が発散するという強い特異性が現れる(左図)。この相転移は、右図のように、時空間双対後の非ユニタリー行列の「反ユニタリー対称性の破れ」から説明される。すなわち、回転角を変えると行列の固有値が例外点を通り(脚注[2,9]も参照)、これが転移点での発散を説明する。
以上のことを総合すると、今回発見された動的量子相転移は次のように説明されます。元の模型でスピンの回転角を変えることで、時空間双対性に隠された非ユニタリー行列が反ユニタリー対称性の破れを起こし、その例外点に起因する特異性が動的量子相転移の新しい普遍性クラスを導くということです。本研究では、このシナリオを確認するとともに、転移の兆候を実験的に観測する方法を議論しました。
今後の期待
本研究は、非平衡かつ非定常な状態に対しても量子相およびその転移が定義され、そこに対称性の破れや普遍性などの概念が存在することを示しています。これらの結果は、今後こうした動的な量子相を分類するための一つの指針になると期待しています。同時に今回の研究は、時空間双対性を用いて、ユニタリーな量子ダイナミクスを、非ユニタリー行列の数理から理解するという新しい視点を提供しています。
多くの粒子が相互作用する多体系の量子ダイナミクスは、挑戦的な問題であると同時に、近年の人工量子系において実現・操作され、その重要性がますます大きくなっています。今後、本研究で導入した概念や手法を通じて、量子多体系のダイナミクスの理解が進むものと期待できます。
補足説明
1.量子多体系
量子力学に従う多数の粒子からなる物理系のこと。
2.反ユニタリー対称性
量子力学における対称性の一種。量子系がある作用を施しても変化しないとき、この作用を対称性と呼ぶ。反ユニタリー対称性には、変換の際に複素共役をとる操作が含まれる。時間反転対称性は反ユニタリー対称性の典型的な例である。
3.反ユニタリー対称性の自発的破れ
行列のパラメータを変化させていったとき、それを対角化したときの固有値と固有状態も変化する。反ユニタリー対称性を持つ非ユニタリー行列(後述)においては、パラメータがある値を超えると、固有状態が対称性に対して不変な状態から不変でない状態へと変化する場合があり、これを反ユニタリー対称性の自発的破れと呼ぶ。このとき、固有値も実固有値から複素固有値へ変化するなどの特異性を示す。
4.相転移現象
水を冷やすと氷になるなど、温度などの外部パラメータを変えることで系のマクロな性質が劇的に変化する現象のこと。近年、平衡状態から遠く離れた非平衡状態において、相転移をどのように特徴付けるかが重要な問題となっている。
5.人工量子系
原子など、量子力学に従うミクロな自由度の集合を高精度で制御することで作られる人工的な量子系。パラメータの操作性が高く、また観測技術も発展しており、量子非平衡ダイナミクスの実験にも適している。冷却原子系やイオン系、超伝導キュービット系などが代表的な系である。
6.熱平衡自由エネルギー
熱力学における状態量の一つで、系の内部エネルギーから温度とエントロピーの積を引いたものとして定義される。等温過程においては、自由エネルギーが極小であることが熱平衡条件となる。統計力学を用いることで、ミクロな系の情報と温度を用いて自由エネルギーを計算できる。
7.普遍性
異なる系において、そのミクロな詳細によらずに共通のマクロな性質が現れるときに、これを普遍性と呼ぶ。相転移の文脈では、例えば、相転移点付近での種々の量(比熱など)の発散のべき指数に普遍性が現れる。この指数の値による分類を用いて、異なる普遍性クラスが定義される。
8.非ユニタリー性
ある複素正方Aに対し、AとAのエルミート共役行列の積が単位行列となるとき、これをユニタリー行列、そうでないとき非ユニタリーな行列と呼ぶ。外界から孤立した量子力学の時間発展は、ユニタリー行列で記述される。
9.例外点
非ユニタリー行列に対し、反ユニタリー対称性の自発的破れが起こる際、二つの固有値が縮退し、固有状態が一致する。この点を例外点という。例外点付近では固有値の接近や反発に、ユニークな特異性が現れる。
10.離散時間結晶状態
周期的に駆動される非平衡状態での相の一つ。系は外部からある一定の周期で駆動されているが、離散時間結晶状態では、系の応答の周期が駆動周期よりも長くなる(すなわち、駆動周期に関する離散時間並進対称性が破れている)。
11.動的自由エネルギー
統計力学的な平衡自由エネルギーにおいて、温度の逆数を虚数と時間の積に置き換えたもの。さらに定義によっては、平衡自由エネルギーに現れるトレースを初期状態と参考状態で挟んだものに置き換える。後者の場合、初期状態を量子力学に従い一定時間だけ時間発展させた後、参考状態をとる確率を計算したもの(の対数)に比例するという物理的意味を持つ。
12.周期駆動された量子イジング模型
周期駆動された量子多体系における典型的な模型の一つ。隣り合うスピンの相互作用とスピンへの縦磁場を一定時間加えたのち、パルスを当ててスピンを一定角度だけ回転させることを繰り返す。イオン系などを用いて実験する。
13.時空間双対(そうつい)性
時間と空間の役割を入れ替える、すなわち本来は「空間方向に広がった系が時間的に伝搬する」現象を、「時間方向に広がった系が空間的に伝搬する」現象として見る理論的手法。専門的には統計力学における転送行列法の一種であるが、通常の転送行列法を量子的な時間発展に対して拡張したものになっている。
14.連続並進対称性
空間を微小に(連続的に)平行移動(並進)させる作用に対応する対称性。気体や液体では系は一様なため連続並進対称性を保っている。一方、固体では原子が一定間隔で規則正しく配列しているため、微小な平行移動を施すと元の状態とは異なる状態となり、対称性が破れていることが分かる。
原論文情報
Ryusuke Hamazaki, “Exceptional Dynamical Quantum Phase Transitions in Periodically Driven Systems”, Nature Communications, 10.1038/s41467-021-25355-3
発表者
理化学研究所
開拓研究本部 濱崎非平衡量子統計力学理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 濱崎 立資(はまざき りゅうすけ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当