集光型ミリ波アシスト磁気記録の原理検証に成功
2020-10-08 東京大学
大越 慎一(化学専攻 教授)
中嶋 誠(大阪大学レーザー科学研究所 光量子ビーム科学研究部門 准教授)
白田 雅史(富士フイルム(株)R&D統括本部 記録メディア研究所 研究マネージャー)
堂下 廣昭(富士フイルム(株)R&D統括本部 記録メディア研究所 所長)
所 裕子(筑波大学数理物質系 教授)
宮下 精二(東京大学名誉教授)
山岡 武博((株)日立ハイテク 評価解析システム製品本部解析ソリューション開発部 主任技師)
発表のポイント
- 情報量が増え続ける中、将来的な高密度記録を実現するために、ミリ波を用いた新しい磁気記録の方式として、「集光型ミリ波アシスト磁気記録」の原理検証に成功しました。
- 将来的な磁気テープ用磁性粉の候補材料であり、且つ、Beyond 5G時代の高周波ミリ波吸収特性を兼ね備えているイプシロン酸化鉄(ε-Fe2O3)およびその金属置換体に注目して、イプシロン酸化鉄磁性フィルムを作製し、テラヘルツ(THz)光源を利用した集光型ミリ波発生装置を製作し、「集光型ミリ波アシスト磁気記録」を実験的に実証しました。
- 本記録方式により、従来よりも微小なサイズのナノ磁性粒子を用いた磁気記録媒体の実現が可能になり、記録容量の著しい向上につながることが期待されます。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の大越慎一教授、大阪大学レーザー科学研究所の中嶋誠准教授、富士フイルム株式会社記録メディア研究所の白田雅史研究マネージャー、堂下廣昭所長らの共同研究グループは、筑波大学数理物質系の所裕子教授、東京大学の宮下精二名誉教授、株式会社日立ハイテクの山岡武博氏らと協力して、ミリ波・テラヘルツ波を用いた新しい磁気記録方式「ミリ波磁気記録」の開発に成功しました。
ビッグデータとIoTの時代に突入し、データアーカイブはその鍵の一つとなる基盤技術です。磁気テープ(注1)は、長期記録保存の信頼性を有し、省電力・低コストであるため、クラウドや業務用データアーカイブとして活発に利用されており、その需要が伸びています。増大を続ける膨大な量のデータを保存するためには、更なる記録密度の向上が必須です。そこで、大越教授らは、ミリ波磁気記録の確立を目指し「集光型ミリ波アシスト磁気記録(Focused Millimeter wave–assisted Magnetic Recording, F-MIMR)」という新手法を提案しました。本研究では、そのデモンストレーションのため、将来的な磁気テープ用磁性粉かつBeyond 5G(注2)用ミリ波吸収材として注目されているイプシロン酸化鉄(注3)の磁性フィルムを作製すると共に、テラヘルツ(THz)光源を利用した集光型ミリ波発生装置を開発しました。集光型ミリ波をイプシロン酸化鉄磁性フィルムに照射したところ、磁極方向が反転し、書込みを確認することができました。このF-MIMRは、Beyond 5Gの光・電磁波と磁気記録を組み合わせた、Beyond 5G時代の画期的な磁気記録方式であり、磁気記録密度を著しく高めることが可能となります。
本研究成果は、日本時間2020年10月8日(木)にAdvanced Materials誌(アドバンスト・マテリアルズ)のオンライン版で公開されました。
発表内容
IoT時代には、ミリ波技術が大きな役割を果たすことが期待されています。ミリ波(30~300 GHz)(注4)は、無線通信放送や携帯電話基地局間の無線データ伝送、高度運転支援システムなどへの利用が期待されています。例えば、80 GHz帯のミリ波は、既に車載レーダーに広く利用されています。一方、ビッグデータ時代の持続可能なデータストレージシステムとして磁気記録が注目されています。指数関数的に増大を続けているデータ量に対して、磁気記録容量を向上させるためには、磁性粒子のサイズを小さくする必要がありますが、磁性粒子が小さくなると磁化の熱不安定性が増すという問題があります(超常磁性問題)。この超常磁性問題を回避するためには、磁性体の磁気異方性を大きくする必要がありますが、磁気異方性を大きくすると、今度は磁気記録ヘッドでの磁場書き込みができなくなるといった新たな問題が生じます。この“磁気記録トリレンマ”と呼ばれる問題は、ハードディスクや磁気テープなどの磁気記録媒体に共通する課題です。このトリレンマ問題を解決するため、ハードディスクでは、熱アシスト磁気記録やマイクロ波アシスト磁気記録などが提案されています。
大越教授らは、磁気テープ用の新しい磁気記録方式の提唱を主眼として、以下に述べる二つの理由から、イプシロン酸化鉄(ε- Fe2O3)に着目しました。まず、(i)イプシロン酸化鉄は無磁場共鳴(自然共鳴)により、金属置換量に応じて35~222GHzの広い周波数領域でBeyond 5G用途で期待される高周波ミリ波を吸収します。また、(ii)シングルナノメートルサイズ(8 nm程度)まで小さくしても強磁性を維持することが可能です。本研究では、金属置換型イプシロン酸化鉄からなる磁性フィルムを作製し、「ミリ波磁気記録」という新しいコンセプトに立脚して、集光型ミリ波アシスト磁気記録(Focused Millimeter Wave–Assisted Magnetic Recording, F-MIMR)という記録方式を提案しました(図1)。
図1:「集光型ミリ波アシスト磁気記録方式(F-MIMR)」のコンセプト。
イプシロン酸化鉄が世界最小ハードフェライト磁石であり、高周波ミリ波吸収を示すという特徴を利用し、集光したミリ波を照射することで記録時のみ磁化反転に必要な磁界を低下させて、記録を行う方式。
検証実験には、ガリウム-チタン-コバルト置換型イプシロン酸化鉄 (GTC型ε酸化鉄: ε-Ga0.23(TiCo)0.05Fe1.67O3) ナノ粒子を、ガラス基板上に塗布した磁性フィルムを用いました(図2)。
図2:GTC型ε酸化鉄(ε-Gax(TiCo)yFe2−x−2yO3)の物性および磁性フィルムの作製。
(a) GTC型ε酸化鉄の結晶構造。赤、緑、紫、水色および灰色の球はそれぞれ、A、B、C、DサイトのFe原子と酸素原子を表している。 (b) テラヘルツ時間領域分光測定から得られたミリ波吸収スペクトル。(c) イプシロン酸化鉄分散液およびイプシロン酸化鉄フィルムの調製プロセス。(d) フィルムの3D形状AFM画像。 (e) フィルムに対し外部磁場を面外方向に印加した場合の磁気ヒステリシスループ。図中のデータはx = 0.23, y = 0.04の組成の試料のデータである。
また、テラヘルツ波を光源とした高強度のミリ波発生装置を開発すると共に、GTC型ε酸化鉄の共鳴周波数に相当するミリ波を集光させるための、金属製のミリ波集光リング(注5)を電磁界解析シミュレーション(注6)により設計し、磁性フィルムの表面に作製しました。図3に示すように、フィルムの磁化方向をフィルム面外の+z方向に揃え、−z方向に保磁力4.9 kOeよりやや小さい外部磁場(3.4 kOe)を印加した状態で、集光ミリ波を照射しました。
図3:集光リングの設計および集光型ミリ波アシスト磁化反転実験のセットアップ。
(a) (i) LiNbO3結晶を用いた高強度テラヘルツ光発生の概略図。挿図はフィルム、外部磁場(H0) およびテラヘルツパルスの配置を示している。(ii) 観測されたテラヘルツパルスの電界の時間波形とそのフーリエ変換スペクトル。(b) (i) Auリング(長さ735μm、幅265μm、リング幅14.7μm、ギャップ58.8μm、厚さ0.1μm)の電磁界解析結果。色付きの領域は、リングの下30 nmにおけるミリ波磁場 (Hmilli) の強度を示している。(ii) リングの内側の角で計算したHmilliの時間依存性。挿図はǀHmilliǀの周波数スペクトルである。(c) 磁性フィルム上のリング、外部磁場H0の印加方向、テラヘルツパルスの照射方向の概略図。(d) 3.4 kOeのH0印加下において1ショットテラヘルツパルス照射後のリングの角におけるAFM画像。カラースケールは高さを示している。(e) 図(d)と同じ位置のMFM画像。カラースケールは紙面から出る方向(白)と入る方向(黒)の磁束を示しており、それぞれN極とS極に対応する。(f) リングの内側の角において計算したHmilliの分布。
照射後の試料を原子間力顕微鏡(AFM)(注7)で測定したところ、金属リングの高さ形状が観測されるとともに、磁気力顕微鏡(MFM)では、集光リングの周辺に暗いコントラスト部分が観察されました。MFM画像の色コントラストと電磁界シミュレーションの磁場分布マップを比較すると、この観測されたMFM画像と磁場分布は良く一致しており、高強度ミリ波磁場により磁化反転が生じたことが明らかとなりました。このようなミリ波照射による恒久的な磁極反転は世界で初めての観測です。
また、もう一つの検証実験として、シリコンウエハーの上にミリ波集光リングを作製し、磁性フィルムと重ね合わせた状態で、テラヘルツ波を照射した場合でも、磁性フィルム上のリング周辺の最もミリ波集光度が高い部分に磁化反転が観測されています。
F-MIMRの時間発展スピンダイナミクスを理解するため、ナノ粒子内の全てのスピンの動きを考慮した確率的ランダウ・リフシッツ・ギルバート理論モデル(注8)を用いて計算機シミュレーションを行った結果、共鳴周波数のミリ波が照射されると、瞬時に磁化が反転することが示唆されました。
ミリ波磁気記録技術により、磁気記録トリレンマ問題を解決することができるため、磁性粒子のサイズを小さくして、記録容量を増加させることが可能となります。ミリ波の遷移エネルギーは可視光の遷移エネルギーの約1/5000であるため光加熱効果の影響を避けることができるため、有機樹脂をベースフィルムとする磁気テープにとって、ミリ波磁気記録は極めて有効な記録方式です。
本研究成果の一部は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「エネルギー・環境新技術先導研究プログラム/磁気テープにおけるミリ波記録方式の開発研究」(東京大学大越研究室・大阪大学中嶋研究室・富士フイルム株式会社記録メディア研究所)の研究の一環として行われました。
発表雑誌
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雑誌名 Advanced Materials 論文タイトル Magnetic pole flip by millimeter wave 著者 Shin-ichi Ohkoshi*, Marie Yoshikiyo, Kenta Imoto, Kosuke Nakagawa, Asuka Namai, Hiroko Tokoro,Yuji Yahagi, Kyohei Takeuchi, Fangda Jia, Seiji Miyashita, Makoto Nakajima, Hongsong Qiu, Kosaku Kato, Takehiro Yamaoka, Masashi Shirata, Kenji Naoi, Koichi Yagishita, and Hiroaki Doshita DOI番号 論文URL https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/adma.202004897
用語解説
注1 磁気テープ
磁気記録メディアの一つで、最も古く(1950年代)から知られています。テープ媒体の生産に関しては日本企業が独占しており、現在はアーカイブ用記録メディアとして主に使用されています。長期記録保証と低コストのために、保険会社、銀行、放送局やウェブサービス会社など、さまざまな分野でその需要が急増しています。
注2 Beyond 5G
2019年より利用が開始された第5世代移動通信システム「5G」(日本では3.7 GHz, 4.5 GHz, 28 GHz)の後に続く第6世代以降の通信規格であり、より高周波の電磁波であるミリ波の利用が見込まれます。
注3 イプシロン酸化鉄 (ε-Fe2O3)
大越慎一教授らが、ナノ微粒子合成法を駆使することで単相合成に成功した酸化鉄で、ガンマー(γ)相やアルファ(α)相といった通常の結晶相とは異なる結晶構造を有しており、室温で20 kOe(キロエルステッド)という金属酸化物で最大の保磁力を示すことを2004年に初めて報告しています。また、イプシロン酸化鉄は、磁気テープ産業の世界的なコンソーシアム(information storage industry consortium:INSIC)のロードマップにおいて、次世代磁気テープ用磁性粒子の候補の一つとして注目されています。
注4 ミリ波
波長が1 mm~10 mm、周波数に換算して30~300 GHzの電磁波を指します。現在、ミリ波を用いた車載用レーダーが広く普及しており、また、次世代高速無線通信方式としてミリ波を用いた無線通信の実用化が進められています。イプシロン酸化鉄は、高周波ミリ波帯域に磁化の歳差運動による共鳴吸収を示すことから、高速無線通信や自動運転支援システムなどにおけるミリ波吸収用部材への応用展開が期待されています。
注5 集光リング
金属製のリングの一部にギャップが空いている構造で、テラヘルツ光などの電磁波が照射されると周回電流が流れて共振現象が起き、特定の周波数の電磁波強度が増強されます。
注6 電磁界解析シミュレーション
電磁波によって発生する電界や磁界を理論的に計算し、それらの分布を示すシミュレーションです。
注7 原子間力顕微鏡、磁気力顕微鏡
原子間力顕微鏡は、探針と試料の間に働く原子間力の強さを検出することにより、試料表面の凹凸を観察できる顕微鏡です。一方、磁気力顕微鏡は、探針と試料の間に働く磁気力の強さを検出し、試料表面の磁性状態を観測できる顕微鏡です。
注8 確率的ランダウ・リフシッツ・ギルバート理論モデル
磁性体の磁化の歳差運動を記述する方程式であるランダウ・リフシッツ・ギルバート方程式に、確率的なノイズを導入し、温度による効果を取り込んだ理論モデルです。ナノ粒子における個々のスピンの全ての動きを考慮したモデルを用いて、F-MIMRが理論的にデモンストレーションされました。