2022-12-24 東京大学
尾中 敬(天文学専攻 名誉教授/明星大学 常勤教授)
左近 樹(天文学専攻 助教)
下西 隆(新潟大学 准教授)
発表のポイント
- 日本の赤外線衛星「あかり」による赤外線観測データから、低温環境下で窒素を含む分子が生成される化学過程に紫外線が関与していることと、重水素が星間空間では有機物に取り込まれている観測的証拠を初めて得た。
- これまで観測例の少なかった若い大質量星周囲の紫外線が強くかつ密度の高い領域の赤外線スペクトルデータの解析を行い、初めて低温環境下での窒素を含む物質と重水素を取り込んだ有機物の特徴を捉えることに成功した。
- 重水素の宇宙空間での存在形態の解明は、宇宙における物質進化に関わる重要な課題の解決に大きな一歩となり、現在観測中のJames Webb Space Telescope(JWST)での追観測で大きく発展することが期待される。
発表概要
宇宙空間の低温環境下(絶対温度20K以下)で窒素が生命体の重要な構成要素であるアミノ酸のような複雑な分子に成長していく化学過程は、まだ十分に理解が得られていない大きな課題である。また重水素は宇宙における物質進化の重要な指標とされているが、宇宙空間内ではかなりの量の重水素の存在形態が不明で、未検出のままである。
東京大学大学院理学系研究科名誉教授/明星大学理工学部総合理工学科常勤教授の尾中 敬、東京大学大学院理学系研究科助教の左近 樹と新潟大学自然科学系(理学部・大学院自然科学研究科)准教授の下西 隆は、日本の赤外線衛星「あかり」で取得した若い大質量星の周りの近赤外線(注1)分光スペクトルを詳細に解析し、低温環境下で窒素を含むシアネートイオン(OCN–)(注2)と考えられる物質の存在量が紫外線強度とよく相関していることを明らかにした。このことは、低温環境下で窒素を含むアミノ酸のような分子が生成される化学過程の初期段階で、紫外線が重要な役割を果たしていることを示唆する。また、星間空間に豊富に存在する多環式芳香族炭化水素(PAH)(注3)を含む有機物に重水素が取り込まれていることを示す証拠を初めて得、有機物が重水素の隠れ家である可能性を明確に示した。
本研究成果は、2022年12月23日(米国東部時間)に米国天文学会誌「The Astrophysical Journal 」に掲載された。
発表内容
我々の体や地球を構成している酸素、炭素、窒素、鉄などの元素はビッグバン直後には存在せず、その後の恒星内部での核融合により徐々に蓄積され、現在のような多様性のある宇宙が生まれてきたと考えられている。特に生命の重要な要素であるアミノ酸の構成元素である窒素が、低温環境下で有機分子に取り込まれていく過程は、天体における化学過程の中でも重要な問題である。アミノ酸は「はやぶさ2」により取得された小惑星リュウグウのサンプルにも検出されている。これらのアミノ酸は、太陽系の外縁部の低温環境下で生成されたものと考えられる。このため、どのようなアミノ酸が過程で作られてきたかは、生命の起源の鍵を握る重要な課題である。窒素を含む低温の物質のシアネートイオンの氷は、赤外線の吸収スペクトルで存在が確認されている重要な分子の一つで、窒素が複雑な分子に成長する初期段階を示す物質と考えられる。当初、その生成過程には紫外線が関与していることが提案され、大質量星付近にだけに存在すると考えられていた。しかしその後の研究により、紫外線を伴わない反応でも効率的に生成される過程が示され、どのような生成過程が寄与しているかは現在のところいまだ十分に理解されていない。
一方重水素の存在量は、宇宙における星の生成の歴史を紐解く指標として、重要な役割を果たすと考えられてきた。重水素はビッグバン直後に生成された後、恒星内部の核融合で徐々に減少する。ところが、これまでの紫外線による観測では、星間空間中には予想を下回る量の重水素のガスしか検出されていなかった。 未検出の重水素の隠れ家の可能性の一つとして、宇宙空間に存在するPAHの水素が低温化で重水素に置換していることがと予想されていた。しかし、これまでの星生成領域等での比較的温度が高い領域の観測では、4.4 ミクロン付近に存在する重水素と芳香族の炭素の結合の振動モードの検出例が少なかった。重水素が宇宙空間のどこに潜んでいるのかは不明のままである。
本研究グループは、日本の赤外線衛星「あかり」が観測した若い大質量星の近赤外線スペクトルを詳細に解析し、シアネートイオンの吸収と紫外線強度に強い相関があることを示す結果を得た。 また4.4 ミクロンに見られる重水素と芳香族の炭素との結合の振動モードによると考えられる放射強度の超過と、PAHがもつ3.3ミクロンに見られる水素と芳香族の炭素(水素―炭素バンド(注4))の振動モードの輝線バンド強度に相関があることを見出し、PAH中の重水素の存在を明確に確認した。
今回観測した天体は AFGL 2006(注5)と呼ばれる銀河中心方向に位置する若い大質量星の赤外線天体と考えられる(図1)。解析はこの天体の南側に広がった、密度の高く温度が低い領域の7点のスペクトルに対して行い、2.5ミクロンから5ミクロンの間の近赤外線スペクトルを取得した。取得したスペクトルは、低温の領域で観測される 3 ミクロンの水の氷、4.26 ミクロンの二酸化炭素の氷の吸収に加えて、観測した位置で変化する複雑な吸収構造をもつ4.5ミクロンから4.8ミクロンにかけての吸収を示す(図2a)。詳細な解析により、この複雑な吸収構造はシアネートイオンの氷が持つ4.62ミクロンの吸収バンドに加え、一酸化炭素(CO)の氷とガス、及び電離ガスから生じる水素の再結合輝線(注6)の組み合わせで説明できることがわかった(図2b)。そしてシアネートイオンの氷の吸収強度が、紫外線強度の指標である別の水素の再結合線強度と明確な相関を持つことが得られた(図3a)。この結果はシアネートイオンの生成に紫外線が重要な役割を果たしていることを示している。
図1:観測天体 AFGL2006 の赤外線(3.6–5.8 ミクロン)の擬似カラー画像。NASA/IPACデータベース(https://doi.org/10.26131/irsa543)より取得したデータから合成。水色の長方形が「あかり」衛星でスペクトルを取得した領域。
図2:(a) 「あかり」衛星のAFGL2006の近赤外線スペクトルの1例(黒線)。低温の領域によく観測される水の氷、二酸化炭素の氷の吸収が3ミクロン、4.26ミクロンに見られる。これに加えて 3.3ミクロンには芳香族の炭素と水素の結合の特徴を表す輝線バンド、4.05ミクロンには水素原子の遷移輝線が見られ、さらに4.65 ミクロンには複雑な構造を持つ吸収線が見られる。(b) 4.65ミクロンの吸収線を吸収の深さに変換し、それぞれの成分に分けた図。緑は予想される水素の輝線を示すし、紫、灰色、橙の線はそれぞれ、シアネートイオン、一酸化炭素の氷およびガスの吸収を示す。赤線は全体を組み合わせて観測にフィットしたモデルスペクトルを表す。(c) 4.4 ミクロンに見られる芳香族の炭素と重水素の結合に起因する超過成分を取り出した拡大図。
図3:(a) 水素の再結合線を指標とした紫外線強度とシアネートイオンの吸収量との相関図。(b) 3.3 ミクロンの水素―炭素バンド強度と4.4ミクロンの重水素―炭素バンド強度の相関図。
一方、取得されたスペクトルには芳香族の重水素と炭素の結合に起因すると考えられる4.4ミクロン付近に超過放射が見られた(図2c)。今回の観測スペクトルは、この超過放射強度が3.3 ミクロンの重水素化していないPAHの水素と炭素の輝線バンド強度と良い相関を持つことを示し、低温環境下で重水素がPAHに取り込まれている可能性を初めて支持する結果を得た(図3b)。
シアネートイオンの生成には低温の環境が必要である。一方、3.3ミクロン、4.4ミクロンの輝線バンドを励起するには十分な紫外線が必要であることが知られている。今回の観測天体は、これまでほとんど近赤外線での分光観測の例のない、電離領域を持ち、かつ紫外線が強い若い大質量星の周りの高密度、かつ低温領域である。この天体では、シアネートイオンや重水素化したPAHは、若い大質量星の近くの平面上の高密度・低温領域に分布し、その中で紫外線の影響を受けた化学反応が進行していると考えられる(図4)。このような特殊な環境の天体の赤外線スペクトルを初めて詳細解析したことで、シアネートイオンと紫外線、重水素化したPAHと重水素化していないPAHの間の相関を明確に得ることができたと考えられる。現在稼働中のJWSTが、このような環境の天体をより詳しく観測すれば、今回の研究成果をさらに発展させ、生命の起源、重水素の存在形態に迫る研究につながることが期待される。
図4:AFGL 2006 の想像図。中心にある AFGL 2006 は紫外線を放射し、周りのガスを電離している。その周りを中性ガスがとりまき、観測者との間にはシアネートイオンを含む氷の層がある。4.4ミクロンの重水素―炭素結合による超過は氷の層と中性ガスの境界近くで放射されていると考えられる。
本研究は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が主導し、欧州宇宙機関(ESA)が参加した赤外線衛星「あかり」 による観測結果に基づいたものである。またNASAとカリフォルニア工科大学が運営しているNASA/IPACが供給するデータベースも利用している。科研費「基盤研究(課題番号:JP18K0369、 JP20J05845、 JP21H01145、 JP22H01261)」、および二国間交流事業・共同研究(No. 120219939)の支援により実施された。
発表雑誌
- 雑誌名
The Astrophysical Journal論文タイトル
Near-Infrared spectroscopy of a massive young stellar object in the direction toward the Galactic Center: XCN and aromatic C-D features著者
Takashi Onaka*, Itsuki Sakon, and Takashi Shimonishi
*責任著者DOI番号
10.3874/1538-4357/ac9b15
用語解説
注1 近赤外線
ここでは赤外線衛星「あかり」が観測した 2.5 – 5 ミクロンの波長帯を示す。この波長帯の感度の良い分光データはこれまで「あかり」衛星だけにより取得されていたが、現在稼働中のJWSTは「あかり」をしのぐ感度を備えており、本研究成果を大きく発展させることが期待される。
注2 シアネートイオン(OCN–)
低温環境下の天体には 4.62 ミクロンを中心に幅の広い(幅0.06 ミクロン)吸収バンドが観測されている。発見当時起源がわからなかったため、特定できない元素とCN結合を含む物質を表す化合物XCNによる吸収バンドと呼ばれていたが、現在では実験室での合成実験から、シアネートイオンによる吸収と同定されている。
注3 多環式芳香族炭化水素(PAH)
Polycyclic Aromatic Hydrocarbonの略で、ベンゼン環が複数連なり、周囲は水素で覆われた有機物質の総称である。一番小さなものはベンゼンである。3.3ミクロンから 17ミクロンにかけて観測される複数の輝線バンドを担うと考えられている。最近の電波観測の高度なデータ解析により、分子雲中で窒素を含む小さなPAHが検出されている。
注4 水素―炭素バンド
ここでは水素と芳香族の炭素との結合の伸縮振動による、波長3.3ミクロンにみられるバンドを指す。このバンドは天体で輝線バンドとして観測される。これに対して、水素が重水素に置換した時の伸縮振動は4.4ミクロンにシフトすることが予想されている(重水素―炭素バンド)。ここでバンドとはガス分子などで生じる輝線より、幅の広いものを指す。3.3 ミクロンに見られるバンドの幅は 0.04 ミクロン程度である(図2a 参照)。
注5 AFGL 2006
AFGL とは、1970~1980年にかけてアメリカ空軍の研究所が主体となって行われた、ロケットによる赤外線サーベイ観測で検出された赤外線源のカタログである。今回観測した天体の位置座標は、カタログされている AFGL 2006 の位置座標とは27秒角ほどの違いがあるが、カタログの位置精度と付近に他に明るい赤外線源が見当たらないことから、AFGL 2006 と考えられる。位置座標は銀河中心に近いが、銀河中心に存在する天体ではなく、銀河中心と我々の間に存在する天体であると考えられる。他の観測データが 少ないが、今回取得されたスペクトルから、若い大質量星と推測される。
注6 水素の再結合輝線
電離した水素は電子と結びつき、主量子数の大きな、励起した水素原子のエネルギー準位に再結合する。この後、主量子数の小さな低いエネルギー準位に遷移する際に放出する遷移線を再結合線と呼び、その強度は水素を電離している紫外線強度の指標となる。今回解析した 4.62 ミクロンの吸収バンドには 主量子数が 7から5への遷移線である、波長4.654 ミクロンのフントベータ(Pfβ)の輝線が重なっている。また今回、紫外線強度の指標としては、より強い主量子数 5から4への遷移線である4.052 ミクロンのブラケットα(Brα)線を用いている。