2024-04-11 東京大学,名古屋大学
発表のポイント
- 有機分子固体で、電子バンド構造にスピン分裂を示す反強磁性体「補償フェリ磁性体」が実現する新しい機構を発見しました。
- 補償フェリ磁性体は、今まで合金系などの無機化合物で実現可能性が議論されてきましたが、有機化合物特有の格子構造を用いることで実現できることを示しました。
- 本研究で発見した補償フェリ磁性体は、スピン分裂に起因する高効率なスピン流生成が可能なため、スピントロニクスに新しい潮流をもたらすことが期待されます。
本研究で発見した補償フェリ磁性体を実現する新機構。通常の反強磁性体(左図)では電子バンド構造にスピン分裂が生じないが、2つの異なるダイマー上にスピンを互い違いに配置することによってスピン分裂が生じる補償フェリ磁性(右図)が実現できることを示した。
概要
東京大学物性研究所の吉見一慶特任研究員、三澤貴宏特任准教授、名古屋大学大学院理学研究科の小林晃人准教授、川村泰喜氏(研究当時:博士後期課程)、東京大学大学院新領域創成科学研究科の橋本顕一郎准教授の研究グループは、有機分子固体特有のダイマー構造(注1)を活用することで、磁化がゼロであるにも関わらず、電子バンド構造にスピン分裂がある補償フェリ磁性体(注2)が実現する新しい機構を発見しました。さらに、新しく合成された有機分子固体(EDO-TTF-I)2ClO4に対して強相関第一原理計算手法(注3)を適用することで、この機構で補償フェリ磁性体が実現している可能性を示しました。補償フェリ磁性体は反強磁性であることから、スピン分裂がある一般的な磁性体と比較して、外部へ磁場が発生しないため高密度集積に有利だとされており、スピンを活用するデバイスへの応用が期待されています。今までの補償フェリ磁性体の研究は、無機化合物の合金系を中心としたもので、その実現例も限られていました。本研究は有機化合物で補償フェリ磁性体を実現する新しい可能性を切り拓くと同時に、スピントロニクスデバイス創出に新しい潮流をもたらすことが期待できます。
本成果は、米国の科学雑誌「Physical Review Letters」4月10日付(現地時間)のオンライン版に掲載されました。
発表内容
研究の背景
スピンが互い違いに整列する反強磁性磁気秩序とそれに関連する現象、例えば高温超伝導などの研究は現代の凝縮系物理学の主要な課題の1つです。
従来、反強磁性体の中でも、スピンが一直線上かつ反平行に並ぶコリニア反強磁性体(図1)では、スピン流(注4)の生成などの特異な輸送現象を示さないというのが「常識」でした。ところが、最近の理論研究によって、交替磁性体(注5)および補償フェリ磁性体というスピン分裂を示す不思議な反強磁性体が存在することが判明しました。これらの反強磁性体では、電子バンド構造にスピン分裂が生じることで、異常ホール効果(注6)、スピン流生成などの特異な輸送現象を示すことが知られています。特に交替磁性体に関する研究は急増しており、無機および有機化合物で多くの候補物質が見つかっています。しかしながら、交替磁性体同様に、反強磁性体でありながらスピン分裂を示す補償フェリ磁性体に関する研究は合金系などの無機化合物などに限られており、その実現例も多くはありませんでした。
図1:コリニア反強磁性
スピンが互い違いに整列するコリニア反強磁性
研究の内容
本研究では、ダイマー構造をもつ有機化合物を利用することで、補償フェリ磁性体を実現する簡便な方法を見出しました。具体的には、異なる2つのダイマーが存在している有機化合物において、適切な反強磁性秩序が生じれば補償フェリ磁性体を実現できるという簡単な設計指針を示しました(冒頭図)。さらに、この機構によって最近合成された有機化合物(EDO-TTF-I)2ClO4において、補償フェリ磁性体が実現している可能性も指摘しました。この物質では、アニオンの秩序化が起きることで、元々等価だったダイマーが低温において非等価になることが知られていました。最先端の強相関第一原理計算手法を用いて、理論的に低温で実現する秩序相の解析を行いました。その結果、基底状態は反強磁性であり、非等価なダイマーの上に異なるスピンが配置することによって、補償フェリ磁性絶縁体が実現していることを示しました(図2)。これは最初に説明した補償フェリ磁性体を発現する機構がまさに(EDO-TTF-I)2ClO4において実現することを示しています。
図2:(a)(EDO-TTF-I)2ClO4の格子構造(b)理論計算によってえられた電子バンド構造
(a):(EDO-TTF-I)2ClO4の低温構造の断面図。結晶学的に異なるアニオン(ClO4)が存在することで、2つ異なるダイマー(楕円型で表示)が存在する。赤・青色の矢印は、強相関第一原理計算で得られた磁気秩序パターンも表示している。
(b):赤が上向きスピン、青が下向きスピンのバンドに相当している。波数によらずにスピンによってバンドが分裂していることがわかる。
今後の展望
補償フェリ磁性体は、約30年前からその存在が指摘されていながら、その実現例は多くなく、「見過ごされた反強磁性体」と表現されることもあります。本発見は、この補償フェリ磁性体の研究に新たな光を当て、有機化合物が補償フェリ磁性体を実現するための理想的な舞台を提供することを示しています。さらには、今回発見した補償フェリ磁性体に電荷を注入することによりスピン流生成できることが期待されることから(図3)、反強磁性体を利用したスピントロニクスの研究にも新たな潮流をもたらすことが期待されます。
図3:補償フェリ磁性絶縁体へのドーピングの概念図
補償フェリ磁性絶縁体では電子バンド構造にスピン分裂がおきているために、外場または元素置換によって電荷を注入することによって、キャリア密度を変えることで片方のスピンに偏極したスピン流が誘起されることが期待される。
関連情報
- 「プレスリリース①多彩な電子相を示す有機化合物の 物理特性を支配する重要パラメータの特定に成功 ―物質設計への新たな指針を発見―」(2023/7/19)
- 「プレスリリース②室温以上で金属化する高伝導オリゴマー型有機伝導体を開発 ―電子機能性を制御する新コンセプトによる有機電子デバイス開発の技術革新に期待―」(2023/7/4)
- 「プレスリリース③有機固体で実現する量子スピン液体の特異な性質を解明 人工ニューラルネットワーク第一原理計算による量子物質設計へ」(2022/4/21)
発表者・研究者等情報
東京大学
物性研究所
吉見 一慶 特任研究員
三澤 貴宏 特任准教授
大学院新領域創成科学研究科
橋本 顕一郎 准教授
名古屋大学
大学院理学研究科
川村 泰喜 研究当時:博士後期課程3年
小林 晃人 准教授
論文情報
雑誌名:Physical Review Letters
題 名:Compensated Ferrimagnets with Colossal Spin Splitting in Organic Compounds
著者名:Taiki Kawamura, Kazuyoshi Yoshimi, Kenichiro Hashimoto, Akito Kobayashi, and Takahiro Misawa*
DOI:10.1103/PhysRevLett.132.156502
研究助成・謝辞
本研究では、東京大学物性研究所の共同利用スーパーコンピュータ「Ohtaka」を利用しました。また、東京大学物性研究所 ソフトウェア開発・高度化プロジェクトの支援を受けて開発されたソフトウェア(mVMC、RESPACK)を用いました。なお、本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業(15K05166、20H05869、21H01793、22K18683、22K03526 、23KJ1065 、23H03818)の支援により実施されました。また、JST次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2125)の支援も受けました。
用語解説
- (注1)ダイマー構造:
- 2つの同じ分子が結合した構造のこと。
- (注2)フェリ磁性体 補償フェリ磁性体:
- フェリ磁性体とは、結晶中に逆方向かつ異なる大きさの磁気モーメントを持っている磁性体のこと。それぞれが打ち消しあうが、大きさが異なるため磁化を持つ。補償フェリ磁性体では、磁気モーメントの大きさが等しく、打ち消しあって磁化がゼロになる。反強磁性体の性質(トータルの磁化がゼロ)と強磁性体の性質(電子バンド構造にスピン分裂が生じる)を併せ持つ。
- (注3)強相関第一原理計算手法:
- 結晶構造を入力として密度汎関数に基づく第一原理計算から高精度有効模型解析までシームレスに行い電子状態を非経験的に解析する手法。本研究では、オープンソースソフトウェアを用いて、密度汎関数に基づく第一原理計算、有効模型構築およびその高度解析を実施した。
- (注4)スピン流:
- スピンの角運動量が伝搬する流れのこと。情報処理デバイスで電流の代わりにスピン流をもちいることでエネルギー消費の低減やデバイス性能の向上が行える可能性が指摘されている。
- (注5)交替磁性体(altermagnet):
- トータルの磁化が0にもかかわらずスピン分裂を示すコリニア反強磁性体。補償フェリ磁性体では、電子バンド構造のスピン分裂が波数に依存せず一様に生じるが、交替磁性体では、スピン分裂が波数に依存して生じるのが特徴である。
- (注6)異常ホール効果:
- 異常ホール効果とは磁性体の磁気秩序に起因して、電圧をかけた方向と垂直方向に電流が誘起される現象である。