スピンの揺らぎの直接観測に世界で初めて成功~ナノメートルサイズの磁性を解明し、超小型磁気素子の機能向上へ~

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2022-12-07 日本原子力研究開発機構,総合科学研究機構,J-PARCセンター

  • 磁石の磁性は電子の「スピン」で発現します。このスピンの「揺らぎ」は、磁石の性能と関係しますが、ナノメートルサイズまで小型化すると検出が難しい微弱なシグナルとなり、これまで実験で直接とらえた例はありませんでした。
  • ナノメートルサイズのスピン揺らぎの観測には強力な中性子ビームが必要です。そこで、J-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)の大強度パルス中性子ビームを利用し、さらに新規に開発した解析プログラムを使用することで、世界で初めてそのスピン揺らぎの直接観測を実現しました。
  • スピントロニクス素子*1などの磁気素子はナノメートルサイズまで小型化しています。今回開発した解析方法を利用することで、これまで難しかったナノメートルサイズ以下でのスピン揺らぎの解明が可能になり、ナノ磁性材料の機能向上に貢献すると期待されます。

スピンの揺らぎの直接観測に世界で初めて成功~ナノメートルサイズの磁性を解明し、超小型磁気素子の機能向上へ~

図1:今回初めて得られた動的磁気対密度関数*2マップ。任意の2つのスピン間の距離rで、スピンの揺らぎの回転モードのエネルギー依存性を示します。最隣接の2つのスピン(赤い矢印)の組が同じ方向を向く強磁性の場合(図2)には、同じ方向に回ると動的磁気対密度関数は正(茶色)で示されますが、互いに反対方向に回るとエネルギーは負(紺色)に変わります。グラフ中では10 meV以上の高エネルギーで負のエネルギーを示す紺色になったことから、同じ向きに回るモードから、反対向きに回るモードに変わったことがわかります。

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 小口正範、以下「原子力機構」という。 )原子力科学研究部門 先端基礎研究センターの社本真一客員研究員と、一般財団法人総合科学研究機構(理事長 横溝英明、以下「総合科学研究機構」という。)中性子科学センターの飯田一樹副主任研究員、原子力機構物質科学研究センターの樹神克明グループリーダー、同J-PARCセンターの稲村泰弘副主任研究員らのグループは、新たな解析プログラムを開発することで、スピン揺らぎ、すなわち波として揺らぐスピン波*3の様子を、1ナノメートル以下(=サブナノメートル)で直接観測することに世界で初めて成功しました。本成果は、他の手法では困難だったナノメートルサイズの小さな磁性体中のスピンの揺らぎを直接観測することを可能にするものです。

磁石の性能は、電子の持つスピンの「揺らぎ」と関係しています。これまでこのスピン揺らぎの測定は、スピンに敏感な中性子散乱法により「分散」として測定されてきました。この「分散」は波の性質を持っており、波数とエネルギーとの関係を示しています。したがって、フーリエ変換*4により波数は距離に変換することができ、理解しやすくなります。しかし、これまで中性子散乱の測定にはセンチメートルサイズの単結晶の磁性体が必要であり、それ以下のサイズの測定は、データ強度の不足によりフーリエ変換が不可能なため、困難でした。そこで本研究ではデータ強度の増強と解析法の工夫により解決を図りました。

近年、大強度陽子加速器施設J-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)では、最終目標である1MWの中性子ビーム強度に到達しつつあります。その結果、データ強度も強くなってきているので、今回、弱いデータ強度にも対応可能な、フーリエ変換を利用した新しい解析法を開発しました。この解析法により、粉末磁性体でもスピン揺らぎをサブナノメートルサイズで直接観測することができるようになりました。

今回開発した解析法やそれを組み込んだソフトウェアの妥当性を調べるために、これまでスピン波がよく調べられているイルメナイト型構造*5(図2)のFeTiO3という磁性体を調べてみました。この磁性体ではサブナノメートル離れた2つのスピンの揺らぎの方向が、同方向と反対方向の2種類のモードが存在すると言われています。今回開発した手法により解析した結果、その2種類のモードの観測に成功しました(図1)。

近年、磁気素子はナノメートルサイズまで小型化しています。J-PARC MLFの中性子強度の増加に加え、解析プログラムを工夫した本成果により、今後、微細化するナノ磁性材料でも、スピン揺らぎの直接観測が実現し、その理解に大きく貢献すると期待されます。

本研究成果は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』に12月7日付(英国時間)でオンライン掲載されました。

図2:イルメナイト型構造*5は、鉄原子のハニカム型の格子面が積層した構造をとります。鉄原子の電子のスピンが同じ方向に並ぶ強磁性構造をとっており、最隣接スピン間距離は、0.305 nmです。

1. 背景

原子が規則正しく並んだ結晶性の物質では、中性子散乱の回折条件が厳しく、ブラッグピークと呼ばれる鋭いシャープな散乱ピークが観測されます。

液体やアモルファスなどでは、短い距離でしか2つの原子の対の相関が存在しないので、回折条件が緩く、幅広い散乱ピークしか観測されません。しかし、この幅広い散乱ピークをフーリエ変換すると、ナノメートルの距離に鋭いピークが観測されます。この鋭いピークは、2つの原子の対が一定の距離でのみ存在することを示します。同様にこのような物質の原子対の揺らぎは、主に液体で活発に研究され、その揺らぎの本質に迫るために、最近、エネルギーごとの散乱パターンをフーリエ変換した動的対密度関数を用いて、局所的な原子対の揺らぎを調べる解析が始まっています。

ナノ磁性体は、スピンがナノメートルの短距離の相関しか持たず、スピン波が観測されません。これらの物質の磁気構造についても、その短距離の磁気構造を知るために、最近、フーリエ変換をしたサブナノメートルサイズの磁気対相関関数*2を用いた磁気構造研究が始まりました。しかし、まだそのスピンの揺らぎまでは調べられていませんでした。

中性子はスピンを持つので、物質中の原子核だけでなく、電子のスピンと相互作用します。スピン同士の相互作用である中性子磁気弾性散乱*6を用いたナノ磁性体の構造解析では、磁気による散乱だけを知りたいので、一緒に観測される原子核による散乱を分離する必要があります。非偏極中性子散乱*6では、中性子スピンの向きがバラバラなことが、研究を困難なものとしていました。

中性子スピンの向きを指定した偏極中性子散乱*6を利用すれば、一定の向きを持つ中性子スピンによる散乱だけを取り出せるので、原子核による散乱の分離が可能です。しかし、散乱強度が1/10以下に大きく減ってしまうという問題があり、磁気散乱強度が弱い粉末試料での研究はほとんど利用されていませんでした。

そのような背景もあり、ナノ磁性体に関する研究はあまり進んでいませんでした。さらに、中性子磁気非弾性散乱*6の散乱強度は、物質中のスピンとエネルギーをやり取りするスピン揺らぎの散乱だけなので弱く、エネルギーのやり取りのない中性子磁気弾性散乱の約1/100にしかなりません。したがって、これまでは散乱パターンをフーリエ変換するには強度が弱く、統計精度が足りませんでした。このような事情から、ナノ磁性体のスピン揺らぎを直接調べる研究例はありませんでした。

2. 研究手法と成果

J-PARC MLFでは、中性子ビームの強度が増加しています。これに加えて、今回フーリエ変換のプログラムを工夫し、新たな解析法とそれを組み込んだソフトウェアを開発しました。

そこで、4次元空間中性子探査装置「四季」で、中性子ビームの大強度化により統計精度が上昇したデータを取得し、今回開発したソフトウェアで解析したところ、図3に示すように、中性子非弾性散乱強度の波数から距離へのフーリエ変換が可能になりました。

今回の実験系の妥当性を調べるために、FeTiO3という磁性体(図2)を調べてみました。FeTiO3は、これまでの研究から、スピン波に2つの異なるモードが存在すると言われています。実際にFeTiO3を今回開発したソフトウェアにより解析した結果、2つの異なるモードのスピンの揺らぎを、世界で初めて観測することに成功しました。これにより、サブナノメートルサイズのスピン揺らぎを観測可能なことが証明されました。

図3: 左 波数QとエネルギーEでのスピン波(マグノン分散)*3を示す動的磁気構造因子*7。10meVを境に下側が主に2つのスピンの対が同じ向きに回るモードであり、上側が2つのスピンの対が反対向きに回るモードです。
右 その波数Q依存性を距離rに、フーリエ変換*4した動的磁気対密度関数*2の距離rとエネルギーEとの関係。 左図と関連して、最隣接スピンの2つの対の間の距離0.305nmの約10meVで、正の茶色から反対符号の負の青色へと符号が反転しました。これはスピン揺らぎの方向が同じ向きの回転から反対向きに反転したことを示します。

3. 今後の期待

今回開発したソフトウェアを用いて、スピン揺らぎの測定が可能なことを実証しました。このことから、今後は未知の物質でもスピン揺らぎを直接調べることが可能になりました。すなわち、これまでよくわからなかったナノ磁性体だけでなく、アモルファス磁性体やスピングラス*8など、様々な磁性体のスピン揺らぎを調べることが可能になりました。本成果により、今後、これらの磁性体研究で、本手法が大きく貢献し、ナノメートルサイズの超小型の磁性材料の開発が加速されると期待されます。

【付記】

各研究機関の役割は以下の通りです。
原子力機構:研究の総括及び解析ソフトプログラミング
総合科学研究機構:中性子散乱実験の測定と開発したソフトを用いた解析
台湾国立成功大学:研究助言

【書誌情報】

雑誌名:Scientific Reports
論文題名:“Magnon mode transition in real space”
(実空間でのマグノンモード転移)
著者名:飯田一樹1,樹神克明2,稲村泰弘3,中村充孝3,張烈錚4,社本真一1,5
所属:1総合科学研究機構 中性子科学センター, 2日本原子力研究開発機構 物質科学研究センター, 3日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター, 4台湾国立成功大学,5日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター
DOI番号:10.1038/s41598-022-22555-9

<研究支援>

本研究のJ-PARC MLFでの中性子散乱実験は、4次元空間中性子探査装置「四季」(BL01)にて、2021年度CROSS開発課題(2021C0001)(研究代表者: 社本真一)として行われました。この研究の一部は、JSPS科研費(基盤研究(C))JP22K04678(研究代表者: 社本真一)、(基盤研究(C))JP21K03478 (研究代表者: 樹神克明), (基盤研究(C))JP19K12648 (研究代表者: 中村充孝)によって支援されました。

<用語解説>

*1スピントロニクス素子:
スピントロニクスでは、電子の持つ電気的性質である電荷と磁気的性質であるスピンを同時に利用します。微細な磁石の磁化で情報を記憶し、それを電気的に読み書きする、不揮発性磁気メモリが実用化されています。

*2動的磁気対密度関数:
1つのスピンに着目し、そのスピンの周囲に存在するそれぞれのスピンがどの方向にどれだけ向いているかを示す関数を磁気対相関関数と呼びます。それらがどの方向に揺らいでいるかを、揺らぎのエネルギー(周波数)依存性まで考慮したものを動的磁気対密度関数と呼びます。強磁性で同じ向きに回転すれば、符号は正になり、反対向きに回転すると、符号は負になります。一方で、反強磁性で、スピンが反対に向くと、同じ向きに回転すれば、符号は負になり、反対向きに回転すると符号は正となり、その回転の様子を知ることができます。

*3スピン波(マグノン)、スピン揺らぎ:
電子のもつ磁石の性質であるスピンが、その向きを回転させながら揺らぐことです。その揺らぎは空間を伝搬し、スピン波(マグノン)として観測されます。空間を伝搬する様子を波数とエネルギーとの変化として捉えたものを分散と呼びます。このスピン揺らぎのエネルギー依存性を調べることで、スピン間の結びつきの強さを知ることができます。

*4フーリエ変換:
波の性質をもつ現象は、波数(運動量)空間で表されます。これを直接、距離で表すと直接イメージしやすくなり便利です。これらの間の関係は、周期的な振動波形を、余弦関数と正弦関数を基底関数として展開して再現する変換方法であるフーリエ変換で結び付けられており、互いに変換することができます。しかし実験的には統計精度の足りないデータでは、エラーが大きく変換ができません。

*5イルメナイト型構造:
層状構造をもつ鉱物名イルメナイトの構造を言います。図2のように、磁性イオンのハニカム格子が積層した構造としてみることができます。

*6中性子磁気非弾性散乱、中性子磁気弾性散乱、非偏極中性子散乱、偏極中性子散乱:
中性子は電荷を持ちませんが、スピンという磁石を持っています。その中性子を物質波として物質内のスピンで散乱させたときに、散乱の過程でエネルギー保存則と運動量保存則が成り立ちます。物質に入った中性子と出てきた中性子を比べると、物質内部でどんなエネルギーと運動量のやり取りがあったかがわかります。スピンによる散乱で、エネルギーのやり取りのないものを中性子磁気弾性散乱と呼び、エネルギーのやり取りがある場合を中性子磁気非弾性散乱と呼びます。この原理を用いて、中性子散乱法では物質内部の磁性や格子振動などの情報を得ることができます。中性子のスピンの方向を指定して、散乱を行う場合を、偏極中性子散乱と呼び、指定しない場合を非偏極中性子散乱と呼びます。

*7動的磁気構造因子:
スピン波を中性子で観測すると、散乱強度が観測されます。散乱強度には装置関数のような外部因子に起因する要素も含まれていますが、そのような外部因子を補正した本来のスピン波の散乱強度を、動的磁気構造因子と呼びます。

*8スピングラス:
シリケイトのガラスは、窓ガラスなどでよく知られますが、その原子の並びが不規則なことが知られています。この原子の乱れをスピンの方向の乱れに置き換えたとき、スピンの位置は規則的に並んでいても、スピンの向きが不規則的な磁性体を、スピングラスと呼びます。

1700応用理学一般
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