量子コンピューターで使用する高周波コンポーネントの評価技術を開発~極低温から室温における反射・伝送特性の温度依存性を測定~

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2023-09-21 産業技術総合研究所

ポイント

  • 温度4 K(-269 ℃)から300 K(27 ℃)の範囲で実現
  • 新規コンポーネントの開発を効率化
  • 量子関連技術の発展を支えるサプライチェーン構築に貢献

量子コンピューターで使用する高周波コンポーネントの評価技術を開発~極低温から室温における反射・伝送特性の温度依存性を測定~

大規模量子コンピューターの実現に向けた本技術の役割の概念図

概要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)物理計測標準研究部門 電磁気計測研究グループ荒川 智紀 研究グループ付と昆 盛太郎 研究グループ長は、4 Kから300 K(-269 ℃から27 ℃)の任意の温度において、高周波コンポーネントの反射・伝送特性(Sパラメーター)を評価する技術を開発しました。

量子コンピューターシステムは、極低温下の量子チップと室温部とのあいだで高周波信号を伝送するために、数多くの高周波コンポーネントを含んでいます。しかし、そのほとんどは極低温環境下での特性が保証されていません。多数の高周波コンポーネントが組み合わされた回路で、たった一つの部品であっても、予期せぬ動作不良が発生すると量子コンピューターの大規模集積化の妨げになります。そのため、高周波コンポーネントに対し、低温での評価法の確立が求められています。本手法は、既存の反射・伝送特性の測定法を改良し、4 Kから300 Kの任意の温度における高周波コンポーネントの評価を可能にしました。本技術で得られる温度依存性の情報は、高性能・高密度な高周波コンポーネントの開発プロセスに必須であり、量子関連技術の発展に貢献します。今後、この技術は量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センターにおける量子ハードウェアのテストベッドに導入され、同センターは産業界向けに測定サービスの提供を開始する予定です。

なお、この技術の詳細は、2023年9月14日に「IEEE Transactions on Instrumentation and Measurement」にオンラインにて公開されました。

開発の社会的背景

世界各国で量子コンピューターの開発が行われており、演算を行う量子ビットの数の増加に注目が集まっています。一方、量子コンピューターを構成するシステムに目を向けると、量子ビットの数に比例してそれらを制御するための高周波コンポーネントの部品数も増えていきます。これらには、量子ビットを制御するための高周波信号を極低温下の量子チップと室温部とのあいだで伝送するという高度な機能が求められます。それにもかかわらず、現在使用されている高周波コンポーネントの多くは、実際に使用する低温環境下での特性が保証されていません。

また、実用化に必要とされている100万量子ビット級の量子コンピューターを実現するためには、膨大な数の高周波コンポーネントの小型化や発熱の抑制などが課題となっています。低温高周波回路の発熱の問題を回避しながら量子ビットの増加に対応するために、これまでにない高性能・高密度な低温用高周波コンポーネントの開発が求められています。そして、個々の低温用高周波コンポーネントについては、使用温度における反射・伝送特性(Sパラメーター)を評価する方法が求められています。特性の評価は、異なる反射・伝送特性を持つ膨大な数の高周波コンポーネントを組み上げた時に、全体として所望の反射・伝送特性を実現するために必須となります。

しかし、従来の反射・伝送特性の測定では測定温度やコンポーネントとの接続方法が限定的であり、量子コンピューターのサプライチェーンの構築に求められる汎用的な評価手法として不十分でした。評価手法が確立すれば、新規参入企業の増加によって低温用高周波コンポーネント市場の拡大が期待されます。また、高周波コンポーネントの低温特性が定量的に差別化されることによって、新たな付加価値の創成や市場の活性化も期待できます。

研究の経緯

産総研は、次世代無線通信技術や量子関連技術の発展に向けて、高周波帯でのデバイス評価や材料評価のための計測技術を開発し、産業界へさまざまな計測ソリューションを提供してきました。その一環として、新たに低温環境下における高周波計測に着目し、その基本となる反射・伝送特性を任意の温度で測定する技術の開発に取り組みました。

本研究開発は、科学研究費助成事業(JSPS科研費)「円偏波マイクロ波を用いた2次元電子系の複素伝導度測定法の開発と応用(2022~2024年度)」(JP22H01964)および「スピン波スピン流の極性制御とデバイス応用(2022~2024年度)」(JP22H01936)による支援を受けています。

研究の内容

独自に開発したカスタム冷凍機と機械式の高周波スイッチを利用することで、冷凍機中において高周波信号の振幅と位相を校正し、4 Kから300 Kの広い温度範囲で、26.5 GHzまでの2ポートの反射・伝送特性の測定を実現しました。

一般的なネットワークアナライザーを用いた反射・伝送特性の測定では、まず特性が既知の標準器を用いて高周波信号の振幅と位相を校正します。これによって、同軸ケーブルなどの測定対象以外の影響を排除します。その後、測定対象となる高周波コンポーネントを接続し、その特性だけを評価します。室温における高周波校正の手法は確立しており、反射・伝送特性は高周波コンポーネントの性能を表す指標としてデータシートなどに記載されています。しかし、量子コンピューターで利用する低温用高周波コンポーネントについては、実際に使用する温度での反射・伝送特性を測定する方法が確立されていませんでした。

そこで、大規模量子コンピューターのサプライチェーン構築に資することを目的に、4 Kまでの任意の温度において、さまざまな高周波コンポーネントの反射・伝送特性の汎用的な測定手法を開発しました。

図1に測定システムの概念図を示します。本カスタム冷凍機の特徴は、機械的なヒートスイッチによって、4 Kから300 Kまでの任意温度に制御可能な温調ステージを実現している点です。高周波校正と測定を全てこの温調ステージ上で行います。測定対象となる高周波コンポーネントの各端子を高周波スイッチに接続します。本装置は、大きさや端子配置が異なっても測定できるように設計されており、さまざまな形状、大きさの高周波コンポーネントに対応可能です。

図1
図1 測定システムの概念図(左図)と温調ステージ上のセットアップ(右図)
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。


室温部に置かれたネットワークアナライザーの二つのポートは、それぞれ温調ステージ上の高周波スイッチに接続されています(図1左図)。高周波校正にはSOLT校正と呼ばれる2ポート校正手法を採用しました。本手法では高周波スイッチ(1入力6出力)によって3種類の標準器(ショート、オープン、ロード)と任意の伝送路(ここではフラッシュスルーもしくは同軸ケーブル)を切り替えて測定し、校正を実行しました(図1右図)。測定対象との接続には、IEEE(米国電気電子学会)の規格で定められている精密コネクタ(3.5 mmコネクター)を採用しています。また、汎用性を高めるために、測定対象のコネクターはプラグ端子とジャック端子の双方に対応できます。

室温での一般的な高周波校正に比べ、本手法には標準器の温度依存性や高周波スイッチの経路間のばらつきといった追加の誤差要因が存在します。これらの誤差の影響を検討するために、SOLT校正を行った後に、特性が既知で温度に依存しない測定対象として、フラッシュスルーの測定を行いました。図2左図に複数の温度で測定したフラッシュスルーの伝送特性を示します。理想的な伝送損失の値である0 dBと比べて、系統誤差は最大0.12 dBであり、これは主に高周波スイッチの経路間のばらつきに起因します。一方、標準器の温度変化などに起因する相対的な誤差を最大0.04 dBに抑えることができました。特に、温度変化に起因する10 GHzでの誤差は、4 Kから300 Kの範囲において、伝送損失で0.01 dB、遅延時間で0.05 ピコ秒程度です。

その他にも、各標準器の温度依存性について検証を行い、本校正手法による反射・伝送特性の測定精度を定量的に評価しました。図2右図は、各温度における同軸ケーブルの伝送特性の様子を示しています(4 Kと20 Kではほぼ同じ振る舞いを示しました)。フラッシュスルーの結果(図2左図)と比較すると、ここで観測された伝送損失の変化は測定誤差でないことが分かります。また、図には示していませんが、反射測定では10 GHzで30 dB以上の感度を実現することができました。測定した反射・伝送特性を解析することで、高周波信号の伝送を特徴づけるパラメーターを温度の関数として評価することも可能になります。図3は、実時間解析によって得られたパルス信号に対する伝送損失と遅延時間の温度依存性を示しています。これらの値は温度の低下とともに緩やかに増加しますが、20 K以下ではほぼ一定になることが分かりました。

図2
図2 フラッシュスルーの伝送特性の結果(左図)と同軸ケーブルの伝送特性の結果(右図)
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。

図3
図3 実時間解析によって得られたパルス信号に対する同軸ケーブルの伝送損失(左図)と遅延時間(右図)の温度依存性
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。


誘電率や透磁率、抵抗率などの材料パラメーターは異なる温度依存性を示すため、極低温部品の開発では、温度変化の起源を特定し、回路設計にフィードバックすることが重要になります。そこで、図4左図に示すように、複数の材料パラメーターの影響を受けるサーキュレーターに関しても測定を行いました。図4右図はポート1とポート2間の双方向の伝送損失を示します。周波数の関数としての伝送損失が、温度に強く依存するという結果を得ました

産総研は、本手法で得られた情報を極低温部品の開発プロセスに還元することで、量子コンピューターの開発に貢献します。低温高周波測定が必要な電波天文学や物性物理学の発展にも、本手法は貢献できると考えています。

図4
図4 サーキュレーターを測定するセットアップ(左図)と伝送特性の結果(右図)
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。

今後の予定

本手法は量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センターにおける量子ハードウェアのテストベッドに導入され、同センターは産業界向けに測定サービスの提供を開始する予定です。

今後は高周波コンポーネントを開発・製造する企業や研究機関、団体などと連携し、量子コンピューターの大規模集積化に貢献します。本手法を基に、4 Kから300 Kまでの材料パラメーターの測定、フラットケーブルなどの評価といった計測技術の開発を行い、産業界に向けた新たな計測ソリューションの提供に取り組みます。

以上の活動を通して、低温反射・伝送特性の測定法の産業界への浸透と国際標準化も必要になると考えています。

論文情報

掲載誌:IEEE Transactions on Instrumentation and Measurement
論文タイトル:Calibrated 2-port microwave measurement up to 26.5 GHz for wide temperature range from 4 K to 300 K
著者:Tomonori Arakawa and Seitaro Kon
DOI:10.1109/TIM.2023.3315393

用語解説
高周波コンポーネント
量子コンピューターで利用されるコンポーネントには、同軸ケーブルや増幅器、サーキュレーター、フィルターなどがあります。これらのコンポーネントを接続するコネクターの形状は、高周波信号の散乱を防ぐために国際規格によって厳密に決められています。
反射・伝送特性(Sパラメーター)
高周波回路の特性を表現するためにSパラメーターが定義されています。ここでは低周波の電気回路と異なり、回路特性を入射・反射された電磁波の振幅と位相で表現します。また、高周波回路では電磁波の散乱や減衰といった性質を考慮する必要があるため、測定対象を計測装置に接続する前に既知の校正用デバイスを用いて高周波信号の振幅と位相を校正します。
量子コンピューターシステム
量子コンピューターでは量子ビットを制御するためにパルス状の高周波信号を利用します。量子コンピューターのシステムにおいて、制御信号を生成する信号発生器およびこの制御信号の波形を乱さずに伝送するための高周波回路は、重要な要素となっています。
量子ビット
古典コンピューターにおける情報の最小単位(ビット)は0と1です。量子コンピューターでは0と1に加えて、それらの重ね合わせ状態が利用でき、これは量子ビットと呼ばれています。量子コンピューターを実現するには、利用できる量子ビットの数を増やす必要があります。現在、超伝導や量子ドット、イオントラップなどの方式の量子ビットが提案されています。
SOLT校正
高周波測定の校正にはいくつかの方法があり、SOLT校正は代表的な校正手法の一つです。SOLTは、校正に使用するShort(短絡)、Open(開放)、Load(整合)、Thru(伝送)の頭文字です。実際の校正作業は、測定対象に接続する同軸ケーブルに校正素子を順番に接続して測定を行います。
フラッシュスルー
校正の基準面とした二つの端子をダイレクトに接続した伝送路です。ここでは3.5 mmコネクターからなる二つの測定ポート(プラグ端子とジャック端子)を接続しています。フラッシュスルーは長さがゼロなので、伝送損失と遅延時間がゼロの伝送路とみなすことができます。
サーキュレーター
高周波信号の伝搬方向を指定するのに利用される高周波コンポーネントです。通常は三つのポートで構成され、一つのポートから次のポートへ高周波信号を伝送しますが、逆方向への伝搬は抑制します。これは磁性体の性質を利用しているため、透磁率や飽和磁化といった材料パラメーターが重要になってきます。
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