磁気デバイスの小型化に重要な「磁気の波の真空に潜むエネルギー」を解明~ナノスケールにまで薄くした磁石の基礎原理が理論計算から明らかに~

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2023-02-28 日本原子力研究開発機構

【発表のポイント】

  • 急速なモバイル化が進んでいる現代の情報化社会において、磁気デバイスの更なる小型化が求められており、薄い(薄膜化された)磁石は重要な研究対象です。しかし、磁石をナノスケールにまで薄くしたとき、磁石の性質がどのように変化するかは、よくわかっていませんでした。
  • 海面を伝わる波のように、磁石の中にも波(磁気の波)が生じます。この波の特徴として、波が一つもない真空にもエネルギーが潜んでいると言われています。本研究では、薄い磁石に特有の「磁気の波の真空のエネルギー」を理論計算で解明しました。
  • 本研究の成果は、磁気デバイス小型化に重要な基礎原理です。

磁気デバイスの小型化に重要な「磁気の波の真空に潜むエネルギー」を解明~ナノスケールにまで薄くした磁石の基礎原理が理論計算から明らかに~

図1 磁石の中を伝わる磁気の波とその真空。

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:小口正範、以下「原子力機構」という。)先端基礎研究センタースピン-エネルギー科学研究グループの仲田光樹研究副主幹、先端理論物理研究グループの鈴木渓研究員は、「磁気の波の真空に潜むエネルギー」の存在を理論計算で示し、そのエネルギーが「磁石を薄くしたときに生まれるエネルギー」であることを明らかにしました。本研究の成果は、磁気デバイス小型化に重要な基礎原理です。

急速なモバイル化が進んでいる現代の情報化社会において、磁気デバイスの更なる小型化が求められています。しかし、その素材となる磁石をナノスケールにまで薄くしたとき、磁気の強さなどの磁石の性質がどのように変化するかはこれまでよくわかっていませんでした。

そこで、薄くした磁石の性質を調べるために、「磁気の波」について考察しました。海面を伝わる波のように、磁石の中にも磁気の波が生じます。この磁石の中を伝わる「磁気の波*1」(図1)は、磁石が薄くなるほど量子力学*2的な性質が重要となります。通常、波が存在しない場合、波のエネルギーは存在しません。一方、磁気の波の場合、波が一つも存在しない真空(磁気の波の真空)*3であっても、磁石の種類によっては、「磁気の波の真空に潜むエネルギー」が存在します。この「磁気の波の真空に潜むエネルギー」は、量子力学において「ゼロ点エネルギー*2」と呼ばれるものです。ゼロ点エネルギーのエネルギー量は膨大となることが予想されています。そのため、ゼロ点エネルギー「全体」を観測することはできません。そこで、本研究では、エネルギーは基準点からの「差分」のみが意味を成すことに着目しました。すなわち、ゼロ点エネルギー「全体」を観測することはできませんが、ゼロ点エネルギー「全体」からの「差分」は観測することができます。

本研究は、ゼロ点エネルギーが存在する次の二種類の磁石に着目しました。磁気の波を桁違いに遠くまで伝搬し磁気情報を伝えることができる卓越した性質から「奇跡の磁石*4」とも呼ばれるイットリウム鉄ガーネットと、内部の磁気情報を強固に保つ「沈黙の磁石*5」の一種である酸化クロム(III)です。そして、各々の磁石の中を伝わる磁気の波の量子力学的な性質を反映させた理論を構築し、厚い磁石から薄い磁石に厚さを変化させたときの「磁気の波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」を数値計算で定量的に評価しました。この差分は、磁石が薄くなればなるほど大きくなるため、「磁石を薄くしたときに生まれるエネルギー」と解釈されます。また、酸化クロム(III)は外部からかけた磁場の影響をうけにくい性質をもつため、差分も磁場の影響をうけないことを明らかにしました。このように酸化クロム(III)は薄くなっても、内部の磁気情報を強固に保つことができます。一方、イットリウム鉄ガーネットは、外部から磁場をかけることで磁石としての強さを制御することができますが、差分の効果を利用することで、その制御性をさらに高めることができることを理論的に明らかにしました。この制御性の高さが、酸化クロム(III)にはない、イットリウム鉄ガーネットの優れた特徴です。

本研究の成果は、磁気デバイス小型化に重要な基礎原理であり、情報化社会の発展に貢献することが期待されます。

本研究の成果は2023年2月28日付(米国時間)で、米国物理学会誌「Physical Review Letters」にオンライン掲載しました。

【これまでの背景・経緯】

急速なモバイル化が進んでいる現代の情報化社会において、磁気デバイスの更なる小型化が求められています。しかし、磁気デバイスの素材となる磁石をナノスケールにまで薄くしたとき、磁気の強さなどがどのように変化するかは、これまでよくわかっていませんでした。

磁石は、ミクロな磁石の集合体とみなせます(図1)。そして、磁石の中には、海面の波のように、磁石の中を伝わる「磁気の波」が生じます。そのため、磁気の波によって情報を伝えるデバイスを開発する上で、磁気の波の性質を理解することは重要です。

磁気の波は、海面の波になぞらえて次のように理解することができます(図1)。通常、「波」は「海」の中で発生します。もし、海そのものが存在しなければ波も存在しません。このような本当に何も存在しない空っぽの空間は「真空」と呼ばれます。しかし、海があれば波が発生する可能性はあります。たとえ「波のない海」であっても、何も存在していない空っぽの空間というわけではなく、「波が発生する可能性を秘めた場所」といえます。この意味において、「波のない海」は「波の真空」と呼ぶことができます。同様のことが磁石の中を伝わる磁気の波にもいえます。つまり、「磁気の波のない磁石」は、何も存在していない空っぽの空間ではなく、「磁気の波が発生する可能性を秘めた場所」といえます。この意味において、「磁気の波のない磁石」を「磁気の波の真空」と呼ぶことができます。

このような解釈は本研究において重要となります。通常の「真空」にはエネルギーは存在しません。一方、磁気の波の真空は、何も存在しない空っぽの空間ではないので、磁石の種類によっては、磁気の波の真空にエネルギーが存在します(図1)。このエネルギーは量子力学におけるゼロ点エネルギーと呼ばれるものです。しかし、ゼロ点エネルギーのエネルギー量は膨大となることが予想されています。そのため、ゼロ点エネルギー「全体」を観測することはできません。そこで、本研究では、エネルギーは基準点からの「差分」のみが意味を成すことに着目しました。すなわち、ゼロ点エネルギー「全体」を観測することはできませんが、ゼロ点エネルギー「全体」からの「差分」は観測することができます。

【今回の成果】

本研究の解析対象として、ゼロ点エネルギーが存在する二種類の磁石に着目しました。一つは、磁気の波を桁違いに遠くまで伝搬し磁気情報を伝えることができる卓越した性質から「奇跡の磁石」とも呼ばれ、スピントロニクス分野で産業的に有望視されているイットリウム鉄ガーネットです。もう一つは、内部の磁気情報を強固に保つ「沈黙の磁石」の一種である酸化クロム(III)です。各々の磁石の中を伝わる磁気の波の量子力学的な性質を反映させた理論を構築し、厚い磁石から薄い磁石に厚さを変化させたときの「磁気の波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」を数値計算で定量的に評価しました。

本研究の成果で特筆すべきは、この「磁気の波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」が光の波の「カシミア効果*6」に相当するものであることをつきとめた点です。光の波のカシミア効果とは、数マイクロメートル程度の微小な距離にはなして置いた二枚の金属平板の間に引力が働く現象です。金属平板の間に働く引力の起源は、金属平板の間の距離を変化させたときの「光の波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」であり「カシミアエネルギー」と呼ばれます。光の波と磁気の波という違いはあるものの、「波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」が起源となっている点は本研究と共通しています。このように、本研究では、磁気の波と光の波、それぞれの波の真空に潜むゼロ点エネルギーの類似性に着目し、「磁気の波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」が「磁気の波のカシミアエネルギー」(図2)と解釈されることを理論的につきとめることに成功しました。そこで本研究では、従来の光の波によるカシミア効果の研究で得られた知見を活用し、磁気デバイスの小型化にとって重要な基礎原理を以下のように明らかにしました。

光の波が波長に応じて可視光線や赤外線など色々な種類に分類されるのと同様に、磁気の波の場合も波長に応じて色々な種類が存在します。そして、磁気の波の種類の数は磁石を薄くすることで変化していきます。磁石が十分に厚いとき、磁気の波の種類は多くなるため、各々の波の存在、およびその特徴は相殺してしまいます。一方、磁石を薄くすればするほど磁気の波の種類は少なくなり、一つ一つの波の存在、およびそれぞれの波の特徴が際立つようになります。波の特徴が際立つことによって、磁気の波の真空は変化していきます。すなわち、磁石を薄くすればするほど磁気の波の種類は少なくなり、「磁気の波の真空に潜むゼロ点エネルギーの差分」は大きくなります。したがって、磁石を薄くすればするほど、磁気の波のカシミアエネルギーは大きくなります(図2)。この意味において、磁気の波のカシミアエネルギーは「磁石を薄くしたときに生まれるエネルギー」と解釈されます。そして、数ナノメートル(数nm)程度の薄膜では、そのエネルギーはおよそ数十マイクロエレクトロンボルト*7(数十μeV)に達することを理論計算で明らかにしました(図2)。

また、酸化クロム(III)は外部からかけた磁場の影響をうけにくい性質をもつため、磁気の波のカシミアエネルギーも磁場の影響をうけません。このように酸化クロム(III)は薄くなっても、内部の磁気情報を強固に保つことができます。一方、イットリウム鉄ガーネットは、外部から磁場をかけることでその磁石としての強さを制御することができます。今回の結果が示す様に、磁気の波のカシミアエネルギーを利用することで、その制御性をさらに高めることができることを理論的に明らかにしました。この制御性の高さが、酸化クロム(III)にはない、イットリウム鉄ガーネットの優れた特徴です。

【今後の展望】

磁気の波と似た現象は自然界に多く存在します。その一つの例が「格子振動*8」で、磁石の中にも存在します。したがって、磁気デバイスを小型化する際には、磁気の波だけでなく、格子振動の効果も考慮する必要があります。本研究で培った研究手法を格子振動に応用し、「格子振動の真空に潜むカシミアエネルギー」を理論計算することで、「磁石の中の真空の全容」を解き明かすことができます。このように、本研究を更に推進させることで、薄膜磁石の高集積化などへの道が開け、磁気デバイスの小型化が実現可能になることが期待されます。

図2 磁気の波のカシミアエネルギーの膜厚依存性

【論文情報】

Title:“Magnonic Casimir Effect in Ferrimagnets’’
マグノン量子場によるフェリ磁性体中のカシミア効果)
Authors:Kouki Nakata and Kei Suzuki
Journal:Physical Review Letters

【助成金の情報】

本研究の一部は日本学術振興会科研費、JP20K14420、JP22K03519、JP17K14277、 JP20K14476、及び文部科学省の卓越研究員事業の支援を受けて行われました。

【用語の説明】

*1 磁気の波
我々の身近にある磁石は、とても小さな(ミクロな)磁石の集合体とみなせます(図1)。ミクロな磁石もS極とN極を持っており、隣り合う磁石と引き合ったり反発したりすることができます。磁石が十分に低温であれば、ミクロな磁石のS極N極の向きは整列しています。一方、温度が上がるにつれてこの整列は徐々に乱れていき、隣り合う磁石のS極N極の傾きは互いに連動して磁石内部を波のように伝わっていくことがあります。これが「磁気の波」です。専門用語としては「スピン波」、量子性が重要となる場合は「マグノン」とも呼ばれます。

*2 量子力学、ゼロ点エネルギー
巨視的世界(マクロな物質)を記述する古典力学と微視的世界(ミクロな物質)を支配する「量子力学」の違いを物語る例として、バネの振動があげられます。我々の身近にあるバネの振動では、バネが伸びきったとき(縮みきったとき)、その運動は一瞬だけ止まります。言い換えると、バネの「伸び縮み」とその「運動」は同時に決まっています。一方、量子力学で考えられる微小なバネの場合、その伸び縮みと運動は同時に確定することはできません。このミクロな物質に特有の原理は、専門用語としては「不確定性原理」、この原理に起因するバネの量子力学的な振動は「ゼロ点振動」、そのエネルギーは「ゼロ点エネルギー」と呼ばれます。

*3 磁気の波の真空
磁石そのものが存在しなければ磁気の波も存在しません。このような本当に何も存在しない空っぽの空間は「真空」と呼ばれます。しかし、磁石があれば磁気の波が発生する可能性はあります。たとえ「磁気の波がない磁石」であっても、何も存在していない空っぽの空間というわけではなく、「磁気の波が発生する可能性を秘めた場所」といえます。この意味において、「磁気の波がない磁石」は「磁気の波の真空」と呼ぶことができます(図1)。専門用語としては「量子真空」と呼ばれます。

*4 奇跡の磁石
イットリウム鉄ガーネットの通称。他の磁石と比較して、この磁石の中の磁気の波は桁違いに遠くまで伝搬し磁気情報を伝えることができるため、磁気工学の分野では「奇跡の磁石(miracle material)」と呼ばれています。専門用語としては、イットリウム鉄ガーネットは「フェリ磁性体」に分類されます。

*5 沈黙の磁石
外部の磁場の影響をうけにくい性質をもつ磁石の通称。外部からかけた磁場によって磁気情報が消去されることが少なく、内部の磁気情報を強固に保つことができるといわれています。専門用語としては「反強磁性体」と呼ばれます。

*6 カシミア効果
二枚の金属板を平行に置き、数マイクロメートル程度の微小な距離はなすと、板の間に引力が働く現象。その起源は光の波(電磁波)のゼロ点エネルギーです。光のカシミア効果は1948年にカシミア氏(H. B. G. Casimir)によって理論的に提案されました。その後、長年に渡って実験研究が続けられてきましたが、1997年にラモロー氏(S. K. Lamoreaux)によって高精度の実験結果が初めて得られました。

*7 数十マイクロエレクトロンボルト(数十μeV)
エネルギーの単位。一つの例として、10マイクロエレクトロンボルト(μeV)は、液体状態の水分子1個の温度を約0.014度上げるエネルギーに相当します。外部から磁場をかけて、数十マイクロエレクトロンボルトに及ぶ磁気の波のカシミアエネルギーを利用することで、磁石としての強さや向きを変えることができます。そのため、磁石の性質を開発する磁気工学分野において、磁気の波のカシミアエネルギーは新たな制御方法として重要です。専門的には、数十マイクロエレクトロンボルトのエネルギーは、磁石の向きを決める一つの要因である「磁気異方性エネルギー」と同程度の大きさです。

*8 格子振動
磁石などの固体中では、多くの原子が規則正しく周期的に並んで(格子を組んで)います。各原子は安定的な位置のまわりで振動することができ、その振動は隣り合う原子と連動して固体中を波のように伝わっていくことがあります。これが格子振動です。専門用語としては、その量子性が重要となる場合は「フォノン」とも呼ばれます。

1700応用理学一般
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