2022-03-29 日本原子力研究開発機構,総合科学研究機構,新潟大学,J-PARCセンター
【発表のポイント】
- 身近な熱や音など物質の振動から発電する技術は、分散電源用のエネルギーハーベスティングとして期待されています。この技術を、物質のスピンを使い実現する方法が研究されていますが、温度100K(マイナス173℃)以上では効果が抑制されてしまう問題があり、その原因の解明が求められていました。
- 本研究では、超音波を用いてスピンが存在している結晶格子を強く揺らし、温度を変えながら振動に対するスピン応答をJ-PARC MLFの中性子背面反射型分光器DNA (BL02)で詳しく調べました。
- この実験手法を、スピンによる発電に用いられるイットリウム鉄ガーネットに適用し、振動をスピンに伝える結びつきの強さが発電効率を支配する重要因子であることを世界で初めて特定しました。
- 本成果は、室温でスピンによる発電の効率を大幅に上昇させる物質の探索に今後直接貢献し、将来的に廃熱など様々な未利用エネルギーを回収し活用するエネルギーハーベスティング技術につながると期待されます。
【概要】
一般財団法人総合科学研究機構(理事長 横溝英明)中性子科学センターの社本真一サイエンスコーディネータ、松浦直人副主任研究員、国立大学法人新潟大学(学長 牛木辰男)理学部の赤津光洋助教、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄)原子力科学研究部門 先端基礎研究センターの家田淳一研究主幹らのグループは、工業用磁性材料として広く用いられるイットリウム鉄ガーネット(YIG)*1において、スピン・格子結合*2が100K以上の温度で抑制されることを超音波と中性子を組み合わせた新実験手法により明らかにしました。本成果は、物質中のスピン*3を使って発電する原理「スピンゼーベック効果*4」の高効率化にむけて、スピン・格子結合を高める物質設計が重要であることを示唆するものです。
発電といえば、水流や蒸気の力でタービンを回す方法が主流です。一方、近年電子の量子力学的な回転である「スピン」を使う発電法が見出され、盛んに研究されるようになりました。スピンを使った場合、個々の発電量はごく微量なものの、タービンなどの機械的な要素が不要で、薄膜など単純な構造で安価に実現できる利点があります。このため、今後普及が進むとされる「IoT(モノのインターネット)」の基礎となるマイクロセンサー網の自立用電源として、環境に広く存在する熱や音などの振動から電力を収穫する「エネルギーハーベスティング(環境発電)」技術への寄与が期待されています。スピンを使って熱を電力に変換する原理の「スピンゼーベック効果」はその代表で、2008年に我が国において発見されて以来、世界中で研究されてきました。しかし、これまでのところスピンゼーベック効果の実測電圧は、100K以上で理論計算値を大幅に下回るという問題が知られており、主な用途が想定される室温付近でより高いエネルギー変換効率を実現する妨げになっていました。そこで本研究では、超音波と中性子を組み合わせた実験手法を開発し、この理論と実験の差が生じる原因を探りました。
本研究では、スピンゼーベック効果の研究によく用いられるYIG結晶に超音波をあて*5、中性子準弾性散乱法*6でスピンの応答を調べました。その結果、中性子散乱の信号強度が低温と室温付近の間で大きく異なることを発見しました。その温度変化を詳しく調べたところ、ある結晶の軸方向に縦波の超音波を入れた場合に温度100K以上で信号が著しく減少し、スピンゼーベック効果による電圧が減少しはじめる温度と一致することが確認されました。今回の手法では、超音波で格子を振動させて(格子を奏でて)、中性子でスピンのみに感度のある磁気ブラッグピーク*7の変化を検出している(スピンの響きを聴く)ことから、スピンと格子の結びつきの度合い(スピン・格子結合)を直接調べています。すなわち、このスピン・格子結合が100K以上で急激に弱まり格子の振動がスピンに伝わりにくくなることが、スピンによる発電の高効率化を妨げている主要因であると考えられます。
超音波は、電波を分離するフィルターとして携帯電話の技術に応用されていますが、これまで磁性体の中性子散乱実験における効果はまったく調べられていませんでした。他方、中性子散乱は、格子の振動やスピンの振動を調べることが得意ですが、その間の結合にまで迫りきれていませんでした。本成果により、外場として超音波を加え、中性子で様々な物質のスピン・格子結合を調べることが可能になり、より強いスピン・格子結合の物質を探索する新しい実験手法が得られました。今後、室温でスピンによる発電効率を大きく上昇させる物質の探索に、本手法が大きく貢献すると期待されます。
本研究成果は、米国物理学会の科学雑誌『Physical Review Research』に3月30日付(米国現地時間)でオンライン掲載される予定です。
1. 背 景
強磁性絶縁体YIGで、スピンゼーベック効果がよく調べられてきました。図1左のような縦型配置のスピンゼーベック効果の温度変化は、温度100K付近でピークとなり、室温付近へ緩やかに減少します。この振る舞いは、縦型スピンゼーベック効果の電圧が、熱分布するマグノン数の上昇に伴いそのまま上昇するという理論的な期待とは異なるもので、原因の解明が求められていました。これまでにいくつかのメカニズムが提案されていましたが、その起源を実験的に確認することはできていませんでした。
図1:縦型スピンゼーベック効果の試料配置とそのゼーベック効果の電圧の温度変化(実験値と理論値) 。
2. 研究手法と成果
J-PARCの物質・生命科学実験施設MLFでは、その高強度中性子ビームを利用した高分解能中性子背面反射型分光器DNA(図2)が開発され、1.6eVの装置分解能を実現しました。これは本研究で用いた超音波の周波数390MHzに相当するエネルギーにおける現象が、中性子で分析可能となったことを意味し、今回開発した実験手法を実施するうえで鍵となる技術要因のひとつです。そこで、磁気ブラッグピークを超音波印加下で測定することで、直接、スピン・格子結合の様子を調べました。
図2:J-PARC MLFの高分解能中性子背面反射型分光器 DNA(BL02)。
図3に示す中性子散乱用の試料セルを用いて、[111]方向に成長したロッド状のYIG単結晶の両端にLiNbO3トランスデューサー*5を張り付けて、超音波を印加しました。特に36.3 MHzの縦波の超音波をロッド方向に印加した時、磁気ブラッグピークの強度は、低温10K付近で、高温(本測定では200K)の場合に比べ約1.8倍にも増大しました(図4)。また、温度を上げると100K以上で急激にこの増大が消失することを見つけました。
図3: 中性子に使用される試料セルの構成。YIG結晶ロッドの両端にLiNbO3トランスデューサーが貼り付けられています。試料温度は温度センサーで測定され、結晶上に蒸着された白金薄膜で、スピンゼーベック効果を測定します。セルの両端に永久磁石を設置し、YIG結晶中の磁壁を取り除いています。
図4: 磁気ブラッグピークの超音波増大率の温度変化からスピン・格子結合の100K以上での急激な減少を発見しました。
3. 今後の期待
中性子散乱の外場として超音波印加を用いることで、スピン・格子結合を様々な物質で調べることが可能になりました。今回のスピン・格子結合の温度変化の発見により、より強いスピン・格子結合の物質を見つける手法が得られたことになります。今後、この中性子散乱と超音波印加を組み合わせた手法を活用することで、室温でより強いスピン・格子結合の物質が見つかれば、スピンによる発電効率を大きく上昇させることができます。またこのスピンによる発電効率に、スピン・格子結合が強く関わっていることがわかったことにより、今後物質面だけでなく発電手法からも高効率化が期待されます。
【付記】
各研究機関の役割は以下の通りです。
総合科学研究機構:中性子散乱実験のとりまとめ
日本原子力研究開発機構: 単結晶育成と本研究にかかる実験・理論解析の総括
新潟大学: 超音波印加実験のとりまとめ
成功大学: 中性子散乱実験に参加
量子科学技術研究開発機構: スピンゼーベック効果測定実験に参加
【書誌情報】
雑誌名:Physical Review Research
論文題名:“Magnetic Bragg peak enhancement under ultrasound injection”
(超音波印加下での磁気ブラッグピークの増大)
著者名:社本真一1,2,赤津光洋3,松浦直人1,河村聖子4,針井一哉5,小野正雄2,張烈錚6,伊藤孝2,根本祐一7,家田淳一2
所属:1総合科学研究機構 中性子科学センター, 2日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター, 3新潟大学理学部,4日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター, 5量子科学技術研究開発機構 高崎量子応用研究所,6台湾国立成功大学,7新潟大学大学院自然科学研究科
DOI番号:10.1103/PhysRevResearch.4.013245
<用語解説>
*1イットリウム鉄ガーネット(YIG):
光通信で使用されている光アイソレータなどに応用されている強磁性絶縁体材料。英語名称yttrium iron garnetからYIGと略称されることがあります。単結晶は、初め白金坩堝で育成されたが、その後、移動溶媒フローティングゾーン法により、不純物を含まない結晶を育成できるようになりました。
*2スピン・格子結合:
物質を構成する結晶格子の各頂点に位置する原子には、電子スピンが局在して磁気モーメントをもつことがあります。そのスピンと格子の結びつきをスピン・格子結合と呼びます。
*3スピン:
量子力学における回転の単位。電子や中性子は全て等しい大きさのスピンを持ちます。このスピンを利用した量子技術の開発が、情報通信やエネルギー分野で世界的に進められています。
*4スピンゼーベック効果:
電子温度計に使われる熱電対のように、温度勾配によって電圧が生じる現象をゼーベック効果と言います。この効果のスピン版が、2008年日本の研究グループにより白金電極と磁性体の組み合わせによって実現できることが報告され、これをスピンゼーベック効果と呼びます。
*5 超音波をあて:
圧電素子であるトランスデューサーに交流電圧をかけ、高周波で振動させることで、超音波を発生することができます。実験では、トランスデューサーとして優れた特性を持つLiNbO3を物質に接着剤で張り付けることで、物質内に超音波を注入しました。
*6中性子準弾性散乱法:
中性子が原子や分子、スピンに散乱されるとき、エネルギーのやりとりがない場合(弾性散乱)は、散乱された中性子の角度分布や強度から原子や分子、スピンの位置や向きの情報が得られます。一方、動いている原子や分子、スピンに中性子が散乱されると、中性子とそれら散乱体の間でのエネルギーのやりとりが起こり、弾性信号がエネルギー方向に拡がったり(準弾性散乱)、あるエネルギーで共鳴したり(非弾性散乱)します。散乱シグナルのエネルギー幅、エネルギー位置、角度分布や強度から散乱体の揺らぎ方についての情報を得ることができます。
*7磁気ブラッグピーク:
中性子散乱では、原子核による散乱だけでなく、局在した電子スピンの磁気モーメントにも散乱され感度をもちます。結晶格子中の磁気モーメント(スピン)の配列により、ブラッグの散乱条件を満たす散乱ピークを磁気ブラッグピークと呼びます。
<研究支援>
本研究のJ-PARCの物質・生命科学実験施設MLFでの中性子散乱実験は、主に高分解能中性子背面反射型分光器DNA(BL02)にて、長期課題 2017L0300として行われました。また他に2014B0157, 2015I0002, 2016A0318及び2018B0012の一般課題で実験されました。この研究の一部は、日本学術振興会の科学研究費補助金(B)(JP25287094)(研究代表者: 社本真一)、科学研究費補助金(C)(JP16K05424) (研究代表者: 家田淳一), 科学研究費補助金(A)(JP21H04643) (研究代表者: 家田淳一)、池谷財団(2019年度、No.0311086-A)(研究代表者: 家田淳一)、 及び日本原子力研究開発機構萌芽研究開発制度(研究代表: 家田淳一)によって支援されました。