2022-02-25 東京大学
遠山 晴子(物理学専攻 博士課程3年生)
秋山 了太(物理学専攻 助教)
遠藤 由大(物理学専攻 博士課程(当時))*1
長谷川 修司(物理学専攻 教授)
一ノ倉 聖(東京工業大学 助教)
平原 徹(東京工業大学 准教授)
飯盛 拓嗣(物性研究所 技術職員)
小森 文夫(物性研究所 教授(当時))*2
*1 現:NTT物性科学基礎研究所 研究員
*2 現:東京工業大学物質理工学院 研究員
発表のポイント
- シリコンカーバイド(SiC)(注1) 半導体結晶基板上に作られた、単一原子層グラフェンの下にカルシウム(Ca)原子が入り込むことで超伝導が発現することを発見し、そのメカニズムを明らかにした。
- 観測された超伝導の性質が従来想定されていたモデルでは説明できない特異なもので、非従来型超伝導(注2) で予想される電子状態が関与している可能性がある。
- ディラック粒子が関与する超伝導という新しい分野を提示するとともに、極限まで薄い“ディラック系超伝導体”がSiCパワーデバイスと同一チップ上で融合した新奇デバイスへの応用も期待される。
発表概要
東京大学理学系研究科物理学専攻の遠山晴子大学院生、秋山了太助教、遠藤由大大学院生(当時)、長谷川修司教授らのグループは、東京工業大学理学院物理学系の一ノ倉聖助教、平原徹准教授、東京大学物性研究所の飯盛拓嗣技術職員、小森文夫教授(当時)らとの共同研究により、近年パワーデバイスに利用される半導体であるシリコンカーバイド(SiC)結晶基板の表面上に、単一原子層のグラフェンを作製し、その上にカルシウム(Ca)を蒸着(真空中で原子を堆積すること)して加熱処理してできた試料が、冷やすと超伝導を発現することを発見しました。この超伝導は、Ca原子がSiC結晶表面上に直接結合することにより1原子層のグラフェンが2原子層グラフェンへと変化し、さらに、その2層グラフェンの層間にCa原子が入り込むことによって発現したことが分かりました。つまりグラフェンとSiC結晶基板との界面の変化が超伝導発現に重要な役割を持つことが示されました。そして、これまで超伝導の起源と信じられていた通常の金属的な電子状態だけではなく、グラフェンのディラック粒子の電子状態や、非従来型超伝導を発現させるとして近年注目を集める特異な電子状態“ファン・ホーブ特異点”(注3)も超伝導に関与していることが示唆されました。この結果は、パワーデバイスとしての研究が盛んなSiC基板上に、グラフェン2次元超伝導体が作製できることを意味し、新たな“超伝導デバイス”への応用が期待されます。本研究は、アメリカ化学会誌『ACS Nano』に掲載されました。
発表内容
グラフェンは炭素原子が六角形状に並んだ、わずか原子1個分の薄さしかない2次元のシート状の物質です。グラフェンを流れる電子は相対性理論を取り入れた「ディラック方程式」に従った振る舞いをし、シリコンなどの通常の半導体中の電子に比べて極めて速く移動するという特性があり、2004年の実験的発見以来、基礎研究のみならず次世代高速デバイスとして利用するための応用研究も盛んに行われています。本研究では、そのグラフェンの特性を活かしつつ超伝導を誘起させ、その仕組みを明らかにすることに成功しました。超伝導体は電気抵抗がゼロのため、エネルギー損失がなく電気を流せるという興味深くて重要な特性があることから、遠距離送電や、高速で環境にやさしいリニアモーターカー、量子コンピュータなど様々な場面での利用が期待されています。グラフェンに超伝導を誘起する手段としては、半導体SiC結晶基板の上に成長した2層グラフェンにおいて、Ca原子を挿入すると超伝導になることが同グループより報告されていました(注4)。超伝導になるかどうかは原子挿入後のグラフェンの層間距離、挿入原子の配列密度と価数などが大きく効くため、現在までのところそれらを上手く満たすCa原子挿入でしか報告がありません。しかし、Ca原子がどの位置に挿入されているのか、また超伝導を引き起こす電子状態は何なのかはこれまで未解明でした。
本研究では、最も薄い「1原子層」のグラフェンに対してCa原子を蒸着して加熱することで超伝導が発現することを初めて発見しました。これまでの研究によると、グラフェン層間に金属原子が挿入された構造を得るためには、グラフェンが最低でも2層は必要と考えられていました。しかし本研究のようにSiC基板上の1層グラフェンの場合は、グラフェンと基板との界面が重要な役割を果たし、そこで原子構造の変化が起こるために、最初は「1層」のグラフェンであっても最終的に2層グラフェンへと変化し、2層グラフェンの層間にCa原子が挿入されることで超伝導が発現することが明らかになりました(図1)。
図1:(a) Ca原子挿入の過程における原子構造変化の模式図(横から見た断面図)。左端が始状態であるSiC基板上の1層グラフェン。そこへCaが挿入されると2層グラフェンに変化し、その2層グラフェンの層間にCa原子が挿入されることで、「Ca挿入超伝導2層グラフェン」が得られる。(b,c) 超伝導Ca挿入2層グラフェンの2次元抵抗率(シート抵抗)の各面直磁場下における温度依存性、および各温度における面直磁場依存性。磁場をかけたり、温度を上げるほど超伝導が壊れることを系統的に示している。
これによって、これまではっきりしなかった「Ca挿入超伝導グラフェン」の原子・電子構造の全体像が明らかになりました。また、一般に超伝導を引き起こすためには多くの電子を必要としますが、本系では挿入されたCa原子から供給された電子の他に、グラフェンとSiC基板との界面からも電子がグラフェンへ供給されることが判明し、これまで注目されてこなかった界面の効果が本系の超伝導発現において非常に重要であることが分かりました。
さらに、その超伝導が”普通ではない”ことも明らかになりました。自由電子的な振る舞いを仮定した従来型の超伝導理論であるBCS理論(注5)では、物質の電気伝導度が上昇するにつれ超伝導転移温度は単調に上がっていきます。しかし、本系では電気伝導度が上昇すると、あるところで逆に超伝導転移温度が低下するという、従来の理論では説明できない特異な振る舞いが観測されました(図2)。
図2:常伝導(超伝導がこわれたとき)における電気伝導度(常伝導伝導度)と、超伝導転移温度との関係。赤い部分は超伝導相、薄い青緑の部分は常伝導相である。赤い矢印は、常伝導の電気伝導度が上昇しているのに超伝導転移温度が低下するという特異な振る舞いを示す。
これは、ファン・ホーブ特異点という特殊な電子構造が関わっている可能性があることを示しています。その電子状態は、様々なエキゾチックな性質が予測され、実証が待たれている「非従来型超伝導」を引き起こす可能性が予測されています。今回の成果は、Ca挿入グラフェンの超伝導に特異性があることを初めて実験的に示したものだと言えます。
本研究では、有望な次世代電子材料であるグラフェンにおいて発現する2次元超伝導のメカニズムを、原子・電子構造の両面から明らかにしました。さらに、より高い超伝導転移温度を持つ、新たなグラフェン超伝導体を探るうえでの具体的な指針を見出し、グラフェンを舞台とした非従来型超伝導への探索の道を切り開くものです。また、持続可能な社会(SDGs)のための環境負荷低減の観点から、送電エネルギー損失の大幅低減や、小型・軽量化が可能なパワーデバイス実現へ向けて応用研究が盛んに行われている次世代材料のSiCの基板上にグラフェン2次元超伝導体チップを構築できるという強みを生かし、最も薄く省エネルギーな新奇高速原子層デバイスの開発に貢献することなどが期待されます。
本研究は日本学術振興会(JSPS)による科学研究費、基盤研究(A)No. 20H00342、基盤研究(B)No. 20H02616、基盤研究(A)No. 18H03877、若手研究No. 19K15443、若手研究No. 21K14533と特別研究員奨励費No. 20J11972の補助を受けて行われました。
発表雑誌
- 雑誌名
ACS Nano論文タイトル
Two-dimensional superconductivity of the Ca-intercalated graphene on SiC: vital role of the interface between monolayer graphene and the substrate著者
Haruko Toyama*, Ryota Akiyama*, Satoru Ichinokura, Mizuki Hashizume, Takushi Iimori, Yukihiro Endo, Rei Hobara, Tomohiro Matsui, Kentaro Horii, Shunsuke Sato, Toru Hirahara, Fumio Komori, Shuji HasegawaDOI番号
10.1021/acsnano.1c11161
用語解説
注1 シリコンカーバイド(SiC、炭化ケイ素)
シリコン(Si)原子と炭素(C)原子によって構成された化合物半導体結晶であり、近年注目を集める大電力を扱えるパワー半導体の一つ。従来のSi半導体と比較すると、電力損失を低減したり、小型・軽量化したり出来るという利点がある魅力的な半導体材料である。本研究では、この基板を加熱して表面からSi原子を脱離させることでグラフェンを作製している。
注2 非従来型超伝導
典型的なBCS理論から逸脱し、BCS理論(注5)とは異なる発現機構で生じる新奇な超伝導。超伝導研究の歴史の中で、非常に重要な発見である銅酸化物高温超伝導体もその一例であり、非BCS的な超伝導発現機構を持つがゆえに、酸化物にもかかわらず液体窒素温度(−196℃)をも上回る高い温度で超伝導転移することが明らかになっており、その発見に対して1987年にノーベル物理学賞が授与された。
注3 ファン・ホーブ特異点(van Hove singularity, vHs)
状態密度(電子の座れる席の数)が非常に大きくなる特異点であり、これが関与すると非従来型超伝導(カイラルd波超伝導)を引き起こすと理論的に予想されている。グラフェンの電子構造にはvHsが存在しているため、グラフェンを舞台とした非従来型超伝導の可能性が理論計算から示唆されており、その実験的な報告が待たれている。
注4 2016年2月4日プレスリリース
「グラフェンの超伝導化に成功」https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2016/4597/
注5 BCS理論
米国のBardeen、Cooper、Schriefferらによって1957年に提唱された、超伝導のメカニズムを説明する最も基本的な理論。通常電子同士は負の電荷を持つため反発し合うが、結晶を構成している原子の振動が糊のような働きをして2つの電子が互いに引力を感じ、「電子のペア」として物質中を流れる。このとき、2つの電子の間でエネルギー利得・損失が打ち消し合うため電気抵抗がゼロで電流が流れることになるという理論であり、この業績により3人は1972年にノーベル物理学賞を受賞している。