2020-10-26 東北大学多元物質科学研究所,日本原子力研究開発機構
【発表のポイント】
- 酸素分子がグラフェンを壊すことなく透過することを世界で初めて発見した
- グラフェンの酸素透過は大気中に存在する時速数千kmの高速分子に起因している
- 本成果は、酸素による食品劣化や金属のサビを防ぐための保護膜開発につながる
【概要】
厚さが原子1層しかない炭素の網であるグラフェンは、酸素を通さないとされていました。しかし、高速の酸素分子を照射すると酸素分子がグラフェンを壊すことなく透過する現象を発見しました。分子の「速度」によってグラフェンを透過できたりできなかったりする現象は世界で初めての発見で、今後の研究により、さらに大きな分子の「通りぬけ」の発見も期待されます。グラフェンを通りぬける高速の酸素分子は私たちの身の回りにも存在しており、通りぬけを防ぐことで食品の劣化や金属のサビを防ぐ保護膜の開発につながります。
本成果は東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター(兼多元物質科学研究所)の小川修一助教らの研究グループと産業技術総合研究所、日本原子力研究開発機構、ロスアラモス国立研究所(米国)との共同研究で行われ、10月26日に「The Journal of Physical Chemistry Letters」にオンライン掲載され、11月5日に発行される同雑誌のカバーアートにも採択されます。
【研究の背景・実験の内容】
炭素原子が六角形の形に並んだグラフェンは、厚さが原子1層しかないにも関わらず水素以外の気体分子をほぼ透過させない「ガスバリア性」を持っています。そのため、食品の劣化や金属のサビを防ぐ保護膜としてグラフェンを活用する研究が進められています。しかしながら、どれくらい長い期間グラフェンが保護膜として機能するのか、未だわかっていません。一般に材料の寿命を評価するためにはそれと同じ時間の研究期間が必要です。例えば、グラフェン保護膜が20年間サビを防ぎ続けることができるのかどうかは20年後にならないとわかりません。
このような問題を解決するため、材料の寿命評価には「加速劣化試験」と呼ばれる時間を短縮するための実験が行われます。材料を壊してしまう要因を推定し、その要因を短時間で集中的に材料に負荷を与えて耐久性を観察します。私たちはグラフェンのガスバリア性を壊してしまう要因のひとつとして、「大気中に存在する、高速で動いている酸素分子」を考えました。私たちの周りには様々な速さを持つ酸素分子が存在しています。もっとも数が多いのは運動エネルギー0.026 eV(時速1400km)の酸素分子ですが、中には0.5 eV(時速6200km)を超える酸素分子もわずかにいます。わずかな量でも長期間にわたる衝突によってグラフェン膜が壊れてしまうのではないかと考えましたが、高速酸素をグラフェンに照射したときにどのような変化が起こるのか調べた研究は行われていませんでした。
そこで、特定の速さをもつ酸素分子だけを発生できる「超音速分子ビーム注1発生装置」を使って、グラフェン膜に高速酸素分子が当たったときの影響をリアルタイム光電子分光法という方法で調べました。これにより、20年分に相当する酸素分子とグラフェンの衝突回数をわずか数十分のうちに終わらせることが可能になりました。実験は大型放射光施設SPring-8注2(兵庫県佐用町)のビームラインBL23SUで行いました。
【実験結果の概要】
0.026 eV(時速1400km)の酸素分子はグラフェン膜を透過できないことがすでに報告されています。今回、1.2 eV(時速9700km)の運動エネルギーもつ酸素分子を気相成長法によりグラフェンを被覆した銅に照射したところ、銅は顕著に酸化されました。このことから、高速の酸素分子照射によってグラフェンが壊れてしまい酸素に対するバリア膜として機能していない可能性が考えられました。
これを確かめるため、同じ基板を使って酸化した銅の酸素を取り除いた後に0.07 eV(時速2300km)の酸素分子を照射しました。その結果、予想に反して銅は酸化されませんでした。この結果は、ある速度以下では銅の上のグラフェンは壊れておらず、酸素に対するガスバリア膜として機能していることを示しています。「グラフェンはガスバリア膜として機能しているのに、高速酸素分子は下地の銅を酸化させた」という不思議な現象の詳細を明らかにするため、コンピューターを用いた分子動力学計算注3という手法でシミュレーションを行いました。その結果、グラフェンの中にある、炭素原子が欠けた部分(欠陥)で酸素分子がグラフェンを通り抜けていることがわかりました。この欠けた部分は酸素分子が通れない大きさなのですが、0.5 eV(時速6200km)より高速の酸素分子は一旦酸素原子に解離注4することによってこの欠けた部分を通り抜けていることもわかりました。
分子の速度に依存して分子がグラフェンを透過できたりできなかったりする現象は世界で初めての報告です。さらなる研究によって酸素分子の通り抜けを防ぐ方法を開発すれば、長期間にわたって食品の劣化や金属のサビを防ぐ保護膜の開発につながります。また今後の研究によって酸素分子よりもさらに大きい分子を通り抜けさせることができれば、将来的に物質が通り抜ける仕組みの実現も期待できます。
本研究は科学研究費補助金(17KK0125、JP19K05260)と「物質・デバイス領域共同研究拠点」の共同研究プログラムの助成を受けて行われました。
【論文情報】
タイトル:Gas barrier properties of chemical vapor deposited graphene to oxygen imparted with sub-eV kinetic energy
著者:Shuichi Ogawa(東北大学), Hisato Yamaguchi(ロスアラモス国立研究所), Edward F. Holby(ロスアラモス国立研究所), Takatoshi Yamada(産業技術総合研究所), Akitaka Yoshigoe(日本原子力研究開発機構), Yuji Takakuwa(東北大学)
掲載誌:The Journal of Physical Chemistry Letters
DOI:10.1021/acs.jpclett.0c02112
各研究者の役割は以下の通りです。
□ 小川修一、髙桑雄二(東北大学):研究計画の取りまとめと本研究にかかる実験データ収集および分析
□ 山田貴壽(産業技術総合研究所):高品質グラフェン/Cu(111)試料の作製および試料キャラクタリゼーション
□ 吉越章隆(日本原子力研究開発機構):超音速分子ビーム反応実験と放射光光電子分光実験のデザインと実施
□ Hisato Yamaguchi, Edward F. Holby(ロスアラモス国立研究所):分子通り抜け現象の実験データを再現するための分子動力学計算によるメカニズム解明
【用語説明】
注1.超音速分子ビーム
身の回りに存在する空気には様々な速度で動く分子が含まれています。最も数が多いのは音速(室温の乾燥空気だと時速約1250km)程度の分子ですが、音速を超える速さを持ち且つ同一の速さの分子がビーム状に線をなしているものが超音速分子ビームです。
注2.大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジー、産業利用まで幅広い研究が行われています。
注3.分子動力学計算
原子や分子の動きをコンピューターでシミュレーションし、原子や分子が関わる現象のメカニズムを調べる計算方法。原子や分子はお互いに衝突したり反応したりするので、実験ではわからない原子の動きを観察することができます。
注4.解離
分子が原子に分かれること。今回の例では、O2分子が2つのO原子になることを言います。