1945年の日本人体型を精緻に再現し原爆被爆者の臓器線量を再評価

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日米共同研究の成果により、更に精度の高い疫学調査が可能に

2020-09-03 日本原子力研究開発機構,放射線影響研究所,フロリダ大学,米国国立がん研究センター

【発表のポイント】

  • 放射線影響研究所(放影研)の原爆被爆者に対する疫学調査は、世界的な放射線防護指針を策定するための最重要データであるが、疫学調査には、各人の被爆状況に合わせた詳細な臓器線量評価が不可欠である。
  • 今回、図1に示す日米共同研究プロジェクトチームを発足し、最新の計算科学技術を用いて疫学調査の指標となる臓器線量を代表的な被爆条件に対して再評価した。
  • 再評価には、1945年における日本人の標準体型を精緻に再現した人体模型や、原子力機構を中心に最新の科学的知見に基づいて開発した放射線挙動解析コードPHITSなどを活用した。
  • 再評価結果は従来結果と概ね一致したが、臓器によっては±15%程度の差が判明した。
  • この臓器線量データセットにより、疫学調査結果の精緻化が期待される。

1945年の日本人体型を精緻に再現し原爆被爆者の臓器線量を再評価

図1 日米共同研究プロジェクトの実施体制と各機関の役割

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下「原子力機構」という。)原子力基礎工学研究センター放射線挙動解析研究グループの佐藤達彦研究主幹、公益財団法人放射線影響研究所(理事長 丹羽太貫、以下「放影研」という。)統計部のHarry Cullings博士、フロリダ大学のWesley Bolch教授、米国国立がん研究所のChoonsik Lee博士らによる日米共同研究プロジェクトチームは、1945年の日本人標準体型に基づく人体モデルを構築し、最新の放射線挙動解析コードを組み合わせて原爆被爆者の臓器線量を従来手法よりも精度よく評価する手法を確立しました。

広島・長崎の原爆被爆者の健康影響に対する疫学調査には、被爆時の状況に合わせた詳細な臓器線量の情報が不可欠です。放影研では、各時代の最先端技術に基づく原爆被爆者線量推定方式を数十年にわたって整備・改良してきました。

本研究では、これまでの線量推定方式をさらに発展させるべく、最新のCT画像などに基づいて1945年における日本人の標準的体型を精緻に再現した成人・小児・妊婦に対する人体模型を開発し、それらと原子力機構が中心となって開発した最新の放射線挙動解析コードPHITSなどを組み合わせることで、原爆からの直接線による被爆者の臓器線量をより精度よく推定する手法を構築しました。

その手法を用いて再評価した代表的な被爆条件に対する臓器線量は、概ね現システムの評価結果と一致しましたが、計算手法が変更された一部の臓器に対しては、最大で±15%程度の差がありました。また、本計算手法を将来の原爆線量推定システム改訂に利用できるように、様々な照射条件に対する膨大な臓器線量データセットを整備しました。

本研究成果は、3報のシリーズ論文として米国放射線学会の学術誌”Radiation Research”に掲載されました。原爆被爆者が受けた放射線量を計算するこの新しい手法が採用されれば、放影研疫学調査から得られた結果はさらに精緻なものとなることが期待されます。

【研究開発の背景と目的】

原爆被爆者の健康影響に対する疫学調査結果は、国際放射線防護委員会(ICRP)1)が放射線防護に関する勧告を策定する際、最も重要な基礎データとして利用されています。その疫学調査には、各人の被爆状況に合わせた詳細な臓器線量評価が不可欠ですが、放影研では、原爆被爆者線量推定システム2)を数十年にわたって整備・改良してきました。現在のシステムには、2002年に発表された線量推定システムDS02に補正を加えたDS02R1が採用されています。このシステムでは、原子爆弾から放出された主要な二種類の放射線である光子や中性子の空気中での挙動を地形の影響を考慮して詳細に模擬しており、爆心地から半径2.5km以内の場所における光子や中性子の強度を精度よく推定することができます3)

計算した光子や中性子の強度からその地点にいた被爆者の臓器線量を推定するためには、人体内での放射線挙動をコンピュータ内で再現し、各臓器に放射線によって付与されるエネルギーを正確に計算する必要があります。現在のシステムでは、その計算に1980年代に開発された3つの年齢群に対する数式人体模型4)と、当時の計算機性能でも動作可能な近似式を多く含む放射線挙動解析コードが採用されています。しかし、近年の放射線防護研究や医学物理計算では、CT画像などから構築した詳細な人体模型や近似を使わずに第一原理に基づいて個々の放射線挙動を追跡する計算コードの利用が増えてきており、原爆被爆者の臓器線量推定システムでもそれら最新の計算技術を用いた再評価が望まれていました。

【研究の手法】

このような背景から、私たちの研究グループでは、1ページ目の図1に示す日米共同研究体制を確立し、最新の計算科学技術を用いて代表的な被爆条件に対する臓器線量を再評価しました。

具体的には、

  1. ①1945年の日本人標準体型に調整した成人男女及び年齢別小児男女に対する人体模型の開発(図2参照)
  2. ②1945年の典型的な日本人標準体型に調整した在胎週別妊婦に対する人体模型の開発(図3参照)
  3. ③それら人体模型と最新の放射線挙動解析コードを組み合わせた代表的な被爆条件に対する臓器線量計算
  4. ④様々な照射条件に対する臓器線量データセットの整備を実施しました。

①及び②の人体模型開発では、フロリダ大学及び米国国立がん研究所で開発したNURBSとポリゴンメッシュ)を組み合わせて詳細に臓器形状を表現したハイブリッド人体模型5)を、放影研が調査した1945年の日本人平均身長、体重、及び座高と一致するよう調整しました。

③の計算では、原子力機構が中心となって開発した放射線挙動解析コードPHITS6)や米国ロスアラモス研究所で開発したMCNP7)を用いて、光子や中性子のみならず、従来手法では追跡が困難であった電子の挙動も解析しました。

④のデータセット整備では、原子力機構の大型計算機を用い、原爆被爆者線量推定システムで採用している27,840照射条件(480角度×58エネルギー群)の膨大なシミュレーションを成人男女人体模型それぞれに対して実施しました。

図2 1945年の日本人標準体型に調整した成人男女及び年齢別小児男女に対する人体模型
(ただし、0, 1, 5, 10歳女児に対する人体模型は省略)。

図3 1945年の日本人標準体型に調整した在胎週別妊婦に対する人体模型

【得られた成果】

代表的な被爆条件に対して、本研究と現在使われている線量推定システムで計算した臓器線量の差分を図4に示します。図より、多くの臓器に対して、両者は10%の範囲内で一致することが分かります。これは、現在の線量推定システムが様々な近似を導入しているものの十分な精度を有していることを改めて示した結果と言えます。新しい人体模型と現在のシステムが採用している人体模型では臓器の定義が異なる結腸や、最新の計算手法では海綿体など複雑な臓器構造を考慮可能な骨組織に対しては、両者の差は最大で±15%に達することが分かりました。また、PHITSを使うことにより人体内で2次的に発生する電子の挙動も追跡可能となり、その効果で体の深部にある臓器の線量が2~3%程度大きくなることも分かりました。さらに、現在のシステムでは個別に評価していなかった皮膚や胎児の臓器線量は、疫学調査で一般的に使われてきたそれらの代用線量(空気の線量及び成人女性の子宮線量)と比較して最大で20%程度小さいことが分かりました。これは、自分自身や母体による自己遮へい効果に起因すると考えられます。

図4 代表的な被爆条件に対して、本研究と現在使われている線量推定システムで計算した臓器線量の差分。ここで、代表的な被爆条件とは、爆心地からの距離や遮蔽状況の異なる12条件に対して平均した結果を表します。

【本研究の意義と今後の予定】

本研究により、最新の計算科学技術を用いて各原爆被爆者の臓器線量を再評価する準備が整いました。また、代表的な被爆条件に対して本研究と現行の線量推定システムで計算した臓器線量を比較し、現行システムの妥当性を確認するとともに、一部の臓器に対しては臓器線量の再評価により疫学調査の信頼性を向上できることが分かりました。ただし、その差は最大でも±15%程度ですので、再評価によって従来の疫学調査結果やそれに基づくリスクモデルが大幅に修正されることはないと考えられます。

今後は、成人男女以外に対する臓器線量データセットも整備し、本研究成果をDS02R1線量推定システムに組み込むための準備を進めていく予定です。また、正座や横臥位の状態の人体模型も開発し、各人の被ばく条件をより再現した臓器線量評価を可能にしたいと考えています。これらの研究開発が完遂し、この改訂版原爆被爆者線量推定システムが採用されれば、疫学調査結果やそれに基づくリスクモデルを更新することができます。また、放射線防護指針を策定・改訂するために利用できる放射線リスクについて、より正確な推定値が得られると期待できます。なお、本研究成果は、下記3報の論文に詳しくまとめられています。

成人男女及び年齢別小児男女に対する人体模型の開発に関して

K. Griffin, C. Paulbeck, W. Bolch, H. Cullings, S. Egbert, S. Funamoto., T. Sato, A. Endo, N. Hertel, C.S. Lee, Dosimetric Impact of a New Computational Voxel Phantom Series for the Japanese Atomic Bomb Survivors: Children and Adults, Radiat. Res. 191(4), 369-379 (2019) DOI: 10.1667/RR15267.1

妊婦・胎児に対する人体模型の開発に関して

C. Paulbeck, K. Griffin, C.S. Lee, H. Cullings, S. Egbert, S. Funamoto., T. Sato, A. Endo, N. Hertel, W. Bolch, Dosimetric Impact of a New Computational Voxel Phantom Series for the Japanese Atomic Bomb Survivors: Pregnant Females, Radiat. Res. 192, 538-561 (2019) DOI: 10.1667/RR15394.1.S1

代表的な被爆条件に対する臓器線量計算とデータセットの整備に関して

T. Sato, S. Funamoto, C. Paulbeck, K. Griffin, C.S. Lee, H. Cullings, S. Egbert, A. Endo, N. Hertel, W. Bolch, Dosimetric Impact of a New Computational Voxel Phantom Series for the Japanese Atomic Bomb Survivors: Methodological Improvements and Organ Dose Response Functions, Radiat. Res. (2020) DOI: 10.1667/RR15546.1

上記の結果が放影研が保持する原爆被爆者のすべての臓器線量を算出するのに推奨できるかどうかを、プロジェクトチームは、放影研の首脳陣、厚生労働省、米国エネルギー省と連携しながら検討していきます。

これまでと同様に、放影研は、最新の追跡データを用いて研究・解析手法を改めながら、喫煙歴や人口密度といった放射線以外のリスク要因に対する知見を深め、被爆者が受けた放射線量の評価を精緻にしていくことで、リスク推定値の改良に引き続き取り組みます。これらの取り組みの結果として、リスク推定値は調査を始めてから数十年の間に幾分変化しましたが、重要なこととして、リスク推定値の正確さに対する信頼は深まりました。

用語説明

1) 国際放射線防護委員会(ICRP)

ICRPとは、専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う民間の国際学術組織です。1928年設立の「国際X線及びラジウム防護委員会」を基に、1950年に対象を電離放射線全般に広げ、現在の体制となりました。その防護指針を勧告する基本的な考え方は、「放射線の被ばく線量と健康影響の関係はしきい値なし・直線(Linear Non-Threshold、通称LNT)モデルで表現することが放射線防護の目的では最も実用的なアプローチ」というものであり、その重要な科学的根拠として図5に示す原爆被爆者の疫学調査結果が使われています。本研究の最終的な目標は、このグラフの横軸の信頼性を更に高めることです。

図5 重み付けした結腸線量と固形がんによる死亡の過剰相対リスクとの関係
(出典:寿命調査報告書LSS第14報)

2) 原爆被爆者線量推定システム

原爆被爆者の被曝線量を推定するシステムとしては、1957年にT57Dという名称で暫定的な推定方式が発表されたのが最初です。T57Dはその後改良され T65D となりました。これら二つの暫定システムは、核爆発の実測値に基づく推定式でした。その後、計算機の発達で、建築物や人体そのものの遮蔽を考慮に入れた臓器別被曝線量を中性子と光子それぞれについて計算できるようになり、1986年に DS86 というシステムが導入されました。その後、計算技術の進展によるシミュレーション精度の向上や、被爆者一人一人のより詳細な遮蔽状態を考慮に入れたシステムDS02が2003年に誕生しました。DS02をDS86と比較すると細かい点で多くの改善がありますが、大局的にはDS86の推定値と大きく変わるものではなく、DS86の正確性が追認された結果であり、本研究もその延長線上にあると言えます。
より詳細は、下記ホームページをご参照ください。
https://www.rerf.or.jp/glossary/ds02/

3) 爆心地からの距離と計算精度の関係

DS02では、爆心地から半径2.5km以内の場所における光子や中性子の強度を精度よく推定することができます。したがって、この範囲内の被爆者(約20,000名)に対する臓器線量の評価精度は、本研究成果により向上すると期待できます。一方、それ以上の距離の場合は、様々な条件の不確実性が大きく光子や中性子の強度を正確に推定することが困難なため、その臓器線量評価に本研究成果を直接的に反映することはできません。詳細はCullings et al. Dose estimation for Atomic Bomb Survivor Studies: Its Evolution and Present Status, Radiat. Res. 166, 219-254 (2006)をご参照ください。

4) 数式人体模型

数式で表現される単純な面を用いて表現した人体模型。現在の原爆被爆者線量推定システムでは、図6に示すような性別の区別のない成人(12歳以上)、小児(3~12歳)、幼児(0~3歳)の数式人体模型で被爆者の臓器線量を計算しています。また、胎児の臓器線量は、成人人体模型の子宮に対する線量で代用しています。

図6 現在の原爆被爆者線量推定システムで採用している人体模型のイラスト(出典:DS86)

5) NURBSとポリゴンメッシュに基づくハイブリッド人体模型

コンピュータグラフィックで複雑な3次元体系を表現する際に一般的に使われるNURBS(Non-Uniform Rational B-Spline、曲面を表現する数学モデル)とポリゴンメッシュ(多面体オブジェクト)を組み合わせて構築した人体模型。実際の人体のCTやMRI画像に基づいて構築されており、図2や図3に示すように複雑な人体構造を精緻に再現することが可能です。

6) PHITS

あらゆる物質中での放射線の振る舞いを第一原理的に計算するシミュレーションコード。原子力機構が中心となって開発を進めており、放射線施設の設計、医学物理計算、宇宙線科学など、工学・医学・理学の様々な分野で国内外4,000名以上のユーザーに利用されています。
参考URL (http://phits.jaea.go.jp/indexj.html)

7) MCNP

PHITSと同様、あらゆる物質中での放射線の振る舞いを第一原理的に計算するシミュレーションコード。米国ロスアラモス国立研究所が開発を進めており、主に原子力分野で世界標準的なコードとして利用されています。
参考URL (https://mcnp.lanl.gov/)

2000原子力放射線一般
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