2020-09-25 東京大学
○発表者:
田中 肇(研究当時:東京大学 生産技術研究所 教授/現:東京大学 名誉教授)
○発表のポイント:
◆ガラスのような乱れた構造をもつ物質に固さがあらわれる物理的な機構を解明した。
◆液体を冷やしてガラス転移点に近づけると、遠方まで力が伝わるようになること、そしてその起源が、系全体にわたる力を支えるネットワークの形成にあることを明らかにした点に新規性がある。
◆この成果は、アモルファス固体と非平衡なガラス転移現象を理解する上で、力学的視点が重要であることを示唆している。非晶質固体中における力を支えるネットワークの安定性は、ガラスのエイジングやガラスの結晶化、さらには、応力下での破壊などの様々な現象に重要な役割を果たしていると考えられ、ガラスにかかわる様々な分野に大きく貢献すると期待される。
○発表概要:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授(研究当時、現:名誉教授/シニア協力員)、トン フア 特任研究員(研究当時、現:上海交通大学 准教授)、セングプタ シーラ 博士研究員(研究当時、現:インド工科大学ルーキー校 助教授)の研究グループは、ガラスに代表されるアモルファス物質(注1)の弾性がどのような物理的起源であらわれるのかについて研究を行った。アモルファス固体は、結晶とは異なるさまざまな特異な性質を持っている。結晶の弾性はその周期構造に起因していることは広く知られているが、ガラスのような乱れた構造をもつ物質に固さがあらわれる物理的な機構は未解明のままであった。
本研究グループは、液体の冷却過程でガラス転移点において、応力が遠くまで伝わるようになることを発見した。絶対零度の粉体においては、安定な力のネットワークの形成に起因して固さが出現し、それが長距離にわたる応力の伝達をもたらすことは知られていた。しかし絶対零度以上の有限な温度にあるアモルファス物質においては、調和(線形ばね)近似(注2)が大きく破れていることが示された。このことは、結晶の場合のように、絶対零度での基準状態(周期構造)に調和近似を適用することで物性を理解することはできないことを意味している。このような状況下においても長距離の応力伝達を可能にしているのは、全系にわたる力を支えるネットワークの形成であることを明らかにした(図1参照)。このことは、アモルファス物質の固体化は、無秩序な力学的構造の自己組織化の帰結であることを示している。これらの知見は、アモルファス固体とガラス転移現象を力学的観点から理解することの重要性を示唆している。
本成果は2020年9月25日(英国夏時間)に「Nature Communications」のオンライン速報版で公開される。
○発表内容:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授、トン フア 特任研究員、セングプタ シーラ 博士研究員の研究グループは、アモルファス物質の弾性がどのような物理的起源であらわれるのかについて、数値シミュレーションを基礎とした理論的研究を行った。
アモルファス物質は、結晶とは異なる特異な性質を持っている。例えば、アモルファス物質の熱伝導性は結晶に比べてはるかに低い。また、結晶の弾性はその周期構造に起因していることは広く知られているが、ガラスのような乱れた構造をもつ物質に固さがあらわれる物理的なメカニズムは未解明のままであった。このような固体性と無秩序性の組み合わせは、長年の努力にもかかわらず、凝縮系物理学や材料科学の根本的な未解決の問題として残ってきた。
結晶は熱力学的にも力学的にも平衡状態にあり、その固体性は構造のもつ周期性によって維持されている。したがって、その固体性は、周期構造が保たれる結晶の融点まで、熱ゆらぎの下でも維持される。一方、ガラスは熱力学的には非平衡状態にあり、構造に周期性はない。したがって、非晶質固体の構造の固さの起源となる自己組織化の原理が何であるのかは、謎に包まれてきた。
今回本研究グループは、この謎を明らかにすべく研究を行った。ガラスの絶対零度での固有状態は、力学的な安定性のため、応力の長距離にわたる伝搬が可能であり、固体性が存在する。身近な例では、砂山のような粉体系は力学に支配されており、その固さはこのような力学的なネットワークの微妙なバランスで支えられていることが知られている。結晶の場合には、その固有状態である周期構造が、その熱力学的な安定性のおかげで有限温度でもそのまま極めて安定に保たれ、その結果、融点まで固さが保たれることが自然に理解できる。このことはまた、線形ばね近似による記述が成り立つことを意味する。一方、ガラスのような乱れた構造を持つ物質の固有状態は、有限温度では安定ではなく、そのため固有状態を基準とした理解は、本質的に困難であることを明らかにした。それでは、ガラス状態の固さはどのように理解すればいいのだろうか?
本研究グループは、応力の長距離にわたる伝達が、温度冷却時のガラス転移点で実現されることを発見した。巨大な非調和的(注3)な熱揺らぎの下でも長距離の応力伝達を可能にしているのは、全系にわたる力を支えるネットワークの形成であることを明らかにした(図1参照)。このことは、アモルファス物質の固体化は、無秩序な力学的構造の自己組織化の結果であることを示している。この発見は、非晶質固体の物性や非平衡ガラス転移現象を理解するには、熱力学的な視点に加え、力学的視点が重要であることを示唆している。
非晶質固体中の空間的な力学的ネットワークの安定性は、ガラスのエイジングに伴う経年変化やガラスの結晶化、さらには破壊現象などの様々な現象に重要な役割を果たしていると考えられる。例えば、ガラスのエイジングは、力学的ネットワークの不安定化に伴う雪崩的な現象が繰り返し起こる結果として理解できる1。最近、本研究グループは、コロイド分散系(注4)のゲル化にともなう固体性の出現に関しても、力学的なネットワークの形成にともなう弾性の出現という同様のシナリオを報告している2。これらの知見は、ガラス状態とゲル状態という無秩序な構造を持つ二つの非平衡状態の弾性の背景に、力学的ネットワークのパーコレーションという普遍的な起源があることを示唆している。これらの知見は、非エルゴート性と剛性の根本的な関係だけでなく、ガラスとゲルの共通性や違いを理解する上で、力学的な視点の重要性を示している。
本研究は、文部省科学研究費基盤研究(A)(JP18H03675)、ならびに、特別推進研究(JP25000002, JP20H05619)の支援の下に行われた。
参考文献
1T. Yanagishima, J. Russo, and H Tanaka, Common mechanism of thermodynamic and mechanical origin for ageing and crystallization of glasses, Nat. Commun. 8, 15954 (2017); doi: 10.1038/NCOMMS15954
プレスリリース「ガラス内部で起きるミクロな「雪崩」現象の原因を解明」:
https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/2717/
2H. Tsurusawa, M. Leocmach, J. Russo, and H. Tanaka, “Direct link between mechanical stability in gels and percolation of isostatic particles”, Sci. Adv. 5, eaav6090 (2019); doi: 10.1126/sciadv.aav6090
プレスリリース「コロイドゲルはどのようにして弾性を獲得するか」:
https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/3111/
○発表雑誌:
雑誌名:「Nature Communications」(9月25日オンライン版)
論文タイトル: Emergent solidity of amorphous materials as a consequence of mechanical self-organisation
著者: Hua Tong, Shiladitya Sengupta, and Hajime Tanaka
DOI番号:10.1038/s41467-020-18663-7
○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
名誉教授/シニア協力員 田中 肇(たなか はじめ)
○用語解説:
(注1)アモルファス物質
結晶構造を持たず、乱れた構造を持つ物質の状態のことを言う。 固体は、原子が規則正しく並んだ結晶と、原子が不規則に配列したアモルファス(非晶質)の2種類に分類される。
(注2)調和近似
質点が定点からの距離に比例する引力を受けて運動する線形ばねとして近似すること
(注3)非調和性
系の調和振動子的な挙動からのずれのこと
(注4)コロイド分散系
ここでは、大きさ2μm程度の大きさの揃った球形の固体粒子が液体に分散したもの。
○添付資料:
図1:ガラス転移点近傍において、力を支えている粒子。青い粒子は、全系にわたって繋がりあっており、これによりずり変形に対する固さが出現することが明らかになった。カラーバーは、粒子の色とつながりあったクラスターに含まれる粒子数の関係を示している。