中性子小角散乱法を用いた多成分系ナノ構造解析における 誤差評価手法を開発 ~食品や医薬品など多成分物質の構造解析の高精度化・高効率化に貢献~

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2024-12-17 東京大学,岩手大学,岡山大学,早稲田大学,科学技術振興機構

発表のポイント
  • コントラスト変調中性子小角散乱法を用いて、多くの成分からなるさまざまな材料のナノ構造を解析する際における誤差評価手法を開発しました。
  • 多成分材料の中性子小角散乱測定データから各構成要素の構造情報を抽出する際に、測定誤差が構造情報の誤差にどの程度伝搬するかを評価する数理手法の開発に世界で初めて成功しました。
  • コントラスト変調中性子小角散乱法を用いた多成分ナノ構造解析の高精度化・高効率化につながると期待されます。

中性子小角散乱法を用いた多成分系ナノ構造解析における 誤差評価手法を開発 ~食品や医薬品など多成分物質の構造解析の高精度化・高効率化に貢献~
コントラスト変調中性子小角散乱法を用いた多成分ナノ構造解析

全文PDF

概要

東京大学物性研究所の眞弓皓一准教授、岩手大学理工学部の宮島信也教授、岡山大学AI・数理データサイエンスセンターの大林一平教授、早稲田大学理工学術院の田中一成准教授らによる研究グループは、コントラスト変調中性子小角散乱法(注1)を用いた多成分材料のナノ構造解析における誤差評価手法を確立しました。

コントラスト変調中性子小角散乱法では、コントラスト(注2)の異なる多成分材料の測定データから、材料を構成する各要素のナノ構造情報を抽出します。しかし、測定データの誤差が各成分情報の誤差にどのように伝搬するかが不明であったため、解析結果の信頼性を保証することができませんでした。本研究では、数理手法を用いることで、コントラスト変調中性子小角散乱データ解析における伝搬誤差評価に世界で初めて成功しました。本誤差評価手法を用いると、より短い測定時間で、伝搬誤差を最小化するための実験最適化も可能となります。本成果は、コントラスト変調中性子小角散乱法を用いた多成分ナノ構造解析の高精度化・高効率化につながり、高分子材料、ヘルスケア用品、食品材料、医薬品などの開発に寄与すると期待されます。

本成果は、米国の科学雑誌「Journal of Applied Crystallography」(オンライン版)に2024年12月17日(現地時間)掲載されました。

発表内容
研究の背景

コントラスト変調中性子小角散乱法(CV-SANS)は、多成分材料における各構成要素のナノ構造解析に用いられます。例えば、我々の身近にある食品や化粧品などでは、溶媒である水に複数の成分が分散しています(図1左)。CV-SANSを用いると、各成分の形状や、成分同士の空間配置(互いに凝集しているのか、分離しているのか、など)に関してナノスケールの構造情報を取得することができます。図1に、2種類の成分が溶媒に分散した系におけるCV-SANS実験の概要を示します。中性子散乱実験で測定される散乱強度Iは、成分1と2の構造情報、および成分1・2の空間配置に対応する3つの部分散乱関数Sの和として表わされます。CV-SANS実験では、測定から得られる散乱強度Iから部分散乱関数Sを決定することで、各成分の構造情報を抽出します。各部分散乱関数Sの重みづけは、各成分と溶媒とのコントラスト(散乱長密度差Δρ)によって変化します。中性子散乱では、構成要素に含まれる軽水素(H)を重水素(D)に置換(重水素化(注3))することで、中性子に対するコントラストを大きく変化させることができます。このことを利用し、重水素化率の異なる複数試料の中性子小角散乱法(SANS)測定を行うことで、コントラストの異なる試料の中性子散乱強度Iを実測します。この中性子散乱強度Iから、図1に示した連立方程式を解くことで、各成分の構造および空間配置に対応した部分散乱関数Sを決定します。

CV-SANSでは、中性子散乱強度Iから、各構成の構造を反映した部分散乱関数Sを算出しますが、中性子散乱強度Iには典型的にΔI/I = 1~10 %程度の測定誤差が含まれており、これが算出する部分散乱関数Sの誤差ΔS/Sに伝搬します。しかし、これまで上記誤差伝搬の程度は不明であり、CV-SANSから得られる部分散乱関数Sの信頼性を保証することができませんでした。

多成分材料のコントラスト変調中性子小角散乱データ解析における誤差伝搬
図1:多成分材料のコントラスト変調中性子小角散乱データ解析における誤差伝搬。成分3は溶媒であり、軽水(H2O)と重水(D2O)からなる。軽水と重水の比を変化させることでコントラストを変調し、成分1と成分2の構造情報と空間配置を抽出する。

研究内容

本研究では、この誤差伝搬について、数理的アプローチで検討を行い、世界で初めてCV-SANS解析の誤差評価に成功しました。図2に、本研究グループが開発した誤差評価手法を無機ナノ粒子・高分子混合水溶液のCV-SANSデータに適用した結果を示します。無機ナノ粒子としてはクレイナノ粒子(注4)、高分子としてはポリエチレングリコール(PEG)(注5)を用いました(図2(a))。水中においてPEGはクレイナノ粒子の表面に吸着することが知られており、PEG吸着層の構造をCV-SANSによって調べることができます。溶媒としては軽水(H2O)と重水(D2O)(注3)の混合溶媒を用い、溶媒の重水分率を変化させることで、溶媒に対するクレイ粒子およびPEGのコントラストを変調させました(図2(b))。図2(c)に、重水分率(コントラスト)の異なる3試料のSANSデータIから部分散乱関数Sを推定した結果を示します。クレイ粒子・PEG水溶液の部分散乱関数は3種類あり、SCCはクレイ粒子の構造、SPP はPEGの構造、SCPはクレイ粒子とPEGの相対的な空間配置に対応しています。SANSデータIのエラーバー(グラフ中に測定値に付けられる縦方向の棒)は測定誤差を表わしており、部分散乱関数Sのエラーバーは我々が開発した誤差評価手法を用いて決定しました。図2(c)には、重水分率(コントラスト)の組み合わせが異なる2通りの解析結果を示していますが、コントラストの組み合わせによって、算出される部分散乱関数Sの誤差が大きく異なっていることが分かります(図2(c)右下のグラフ中ではエラーバーは短いが、右上のグラフではグラフ外へはみ出すほど長い)。この誤差伝搬の程度は、コントラストから決まるコントラスト行列(図1)の条件数(注6)と相関があることが本研究によって明らかとなりました。コントラスト行列の条件数は、相対誤差の拡大率に対応しており、実際に、コントラスト行列の条件数が大きいケース(条件数:48.6)では、算出される部分散乱関数の誤差(エラーバー)は、測定データの誤差の十倍程度に拡大されてしまっています(図2(c))。つまり、CV-SANS測定の前に、コントラスト行列の条件数を最小とするようなコントラストで試料を用意することで、SANS測定時間を最小化しつつ、部分散乱関数算出精度を最大化できることが分かりました。

多成分材料のコントラスト変調中性子小角散乱データ解析における誤差伝搬図2:(a)クレイ粒子・PEG混合水溶液の模式図。溶媒は軽水(H2O)と重水(D2O)の混合溶媒。(b) クレイ粒子、PEG、軽水・重水混合溶媒の散乱長密度ρ。溶媒の重水分率φDを変えると、溶媒の散乱長密度が変化して、クレイ粒子およびPEGの溶媒に対するコントラスト(散乱長密度差)が変化する。(c)クレイ・PEG混合水溶液の中性子散乱強度から算出した部分散乱関数。部分散乱関数のエラーバーは、本研究で開発した誤差評価手法を用いて決定した。コントラストの組み合わせを変えると、誤差伝搬の大きさが変わる。

今後の展望

CV-SANS法は、多成分材料のナノ構造解析に有用な手法として知られていましたが、その適用は限定的であり、広く一般的に利用されるには至っていませんでした。その原因は、CV-SANSにおけるデータ解析および実験計画の不透明さにありました。本研究グループが開発した誤差評価手法を用いると、コントラストを適切に選択しないと、測定誤差が数十倍に拡大されて構造情報に伝搬する場合があることが分かりました。これは、数%の観測誤差が、最終結果に100%程度の誤差を与え、構造決定が不可能になってしまう場合があることを意味しています。SANSマシンタイムの希少性からも(国内の大型中性子施設に設置されたSANS装置は4台のみ)、一回の実験機会で必要な構造情報を確実に取得することが求められますが、これまでは、どうすれば誤差伝搬を抑え、信頼性の高い構造情報を得ることができるのか、見通しが立っておらず、特に普段から中性子を活用しない研究者や技術者が適切にCV-SANS実験を遂行することは容易ではありませんでした。

本研究成果は、CV-SANSデータ解析における誤差評価手法を確立するとともに、一般のユーザーにとっても明瞭な指針を示し、コントラスト選択を含めた実験最適化を可能にした画期的なものです。日常生活で用いられている多くの材料は複数の要素が混合した多成分材料です。例えば、食品では、水の中にタンパク質、糖質、脂質、高分子などが分散していますし、化粧品も、水、界面活性剤、脂質などから構成されています。本研究成果は、高分子材料、ヘルスケア用品、食品材料、医薬品などさまざまな材料の研究開発にCV-SANSが幅広く活用される契機になると期待されます。

発表者・研究者等情報

東京大学
物性研究所 附属中性子科学研究施設
眞弓 皓一 准教授
小田 達郎 助教

岩手大学
理工学部 物理・材料理工学科
宮島 信也 教授

岡山大学
AI・数理データサイエンスセンター
大林 一平 教授

早稲田大学
理工学術院 国際理工学センター
田中 一成 准教授

論文情報

雑誌名 : Journal of Applied Crystallography
題名 : Error evaluation of partial scattering functions obtained from contrast variation small-angle neutron scattering
著者名 : Koichi Mayumi*, Tatsuro Oda, Shinya Miyajima, Ippei Obayashi, Kazuaki Tanaka (*責任著者)
DOI:10.1107/S1600576724010872

研究助成

本研究は、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業 FOREST(課題番号:JPMJFR2120)、データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業「バイオ・高分子ビッグデータ駆動による完全循環型バイオアダプティブ材料の創出(課題番号:JPMXP1122714694)」、東京大学中性子散乱全国共同利用プログラム(課題番号:7607、23559)の支援により実施されました。

用語解説
(注1)コントラスト変調中性子小角散乱法:
中性子小角散乱法(SANS)は、中性子線を材料に照射し、散乱された中性子の強度プロファイルから材料内部の数 nm~数百 nm(ナノメートル)の構造を推定する手法です。本研究では、日本原子力研究開発機構が保有している研究用原子炉JRR-3に設置された中性子小角散乱装置SANS-U(東京大学物性研究所附属中性子科学研究施設)を用いました。複数の成分から構成される多成分材料においては、構成要素を重水素化することで、その成分の中性子に対するコントラストを変化させることができます(注2、3参照)。このようにコントラストを変調させた多成分材料のSANS測定を行うことで、各構成成分の構造や空間配置を調べる手法をコントラスト変調中性子小角散乱(CV-SANS)法と呼びます。
ナノメートルスケールの分解能を有する顕微鏡と比較して、溶媒を含んだウェットな材料を凍結無しにそのまま観測可能である点がSANSの利点です。構造解析によく用いられる透過型電子顕微鏡や原子間力顕微鏡では、試料がウェットである場合、通常は試料を事前に凍結する必要があり、微細構造が変化してしまうことがあります。
(注2)コントラスト:
媒質(例えば溶媒)の中に物質が分散している場合、その物質の媒質に対するコントラストは、中性子散乱の場合は、媒質と物質の散乱長密度差で決まります。両者の散乱長密度差が小さい場合は、コントラストは小さく、散乱長密度差が大きい場合は、コントラストは大きくなります。各物質の散乱長密度は、その物質を構成する原子種と、物質の質量密度から算出されます。
中性子散乱の最大の特徴は、「異種分子を見分けることができる」点にあります。異なる分子は異なる化学構造を有しているため、中性子に対する散乱コントラストを決定する散乱長密度が異なっている場合が多いです。分子種の組み合わせによっては、散乱長密度が近く、コントラストが付きにくいこともありますが、その場合は重水素化によるコントラスト変調が有効となります(注3参照)。
(注3)重水素化:
物質を構成している軽水素(H)を重水素(D)に置換することを重水素化と言います。軽水素と重水素で中性子に対する散乱長が大きく異なるため、物質中の軽水素を重水素に置換することで、化学的性質を大きく変えずに、中性子に対する散乱コントラストだけを大幅に変調することが可能になります。
(注4)クレイナノ粒子:
クレイナノ粒子は粘土鉱物の一種であり、Si、Mgなどの元素から成る円盤状の無機ナノ粒子です。本研究では、直径20~30 nm、厚み1 nm程度のクレイナノ粒子を用いました。
(注5)ポリエチレングリコール:
ポリエチレングリコール(PEG)は、(CH2CH2O)nを繰り返し単位とする直鎖状の水溶性高分子です。クレイナノ粒子とPEGを水に溶解させると、PEGがクレイナノ粒子の表面に吸着して、吸着層を形成することが知られています。
(注6)条件数:
行列の条件数は、最大特異値と最小特異値の比として定義されます。条件数は、行列に含まれるベクトルの線形独立性の高さを表しており、CV-SANSデータ解析においては、測定データの相対誤差が解析結果に伝搬する際の誤差拡大率に対応しています。
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