2024-03-11 TOSHIBA
この記事の要点は…
- CO₂排出量の正確な計測は難しい!
- 世界初、CO₂を含む3種類以上の混合ガス濃度を実環境で計測するセンサーを開発!米粒サイズで、簡単に、素早く、精度高く!
- 農業、インフラ、ヘルスケア、金融など様々な分野で期待され、カーボンニュートラルを後押し!
指先に乗っている米粒サイズの黒いデバイス──。くしゃみをすれば飛んでいきそうな小ささだが、カーボンニュートラルを推進する大きな可能性を秘めている。このデバイスは、東芝が得意な半導体技術を活用したガスセンサーで、世界で初めてCO₂を含む3種類の混合ガス濃度を実環境でリアルタイムに計測できた。鍵となったのは、東芝独自のMEMS技術だ。開発の背景を追いながら、このガスセンサーが切り拓く未来に迫った。
意外と難しいCO₂排出量の把握!どう測る?
カーボンニュートラルへの取り組みは、企業にとって重要な経営課題だ。プライム市場に上場する企業には、 TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)に基づいて、気候変動が自社にもたらす「リスク」と「機会」について情報開示が求められている。自社のCO₂(二酸化炭素)排出量を分析し、脱炭素経営を加速させる企業が増えている。
このとき重要になるのが、CO₂排出量の正しい計測だ。一般的に、CO₂排出量は事業の「活動量」と、活動量あたりの「CO₂排出係数」を掛け合わせて推測されている。活動量とは、電気の使用量、貨物の輸送量、廃棄物の処理量など事業活動に関わる数値のこと。またCO₂排出係数は、一定の活動あたりのCO₂排出量の見積もりだ。例えば、電気1kWh使用あたりのCO₂排出量、貨物の輸送1トンキロあたりのCO₂排出量、廃棄物の焼却1トン当たりのCO₂排出量が、環境省などによって定められている。活動量とCO₂排出係数を掛ければ、その企業のCO₂排出量が算出できるという仕組みだ。
しかし、この方法だと実際のCO₂排出量を測っている訳ではないので、正確さに欠ける弱点がある。今回、実際のガス濃度を計測するガスセンサーの開発に携わった東芝 研究開発センターの秋元陽介氏は、次のように説明する。
「CO₂排出係数は、業界のデータを元にした平均値のようなものです。CO₂排出量削減に本気で取り組んでいても程々でも同じ数値を使うので、本気の事業者にとっては効果が薄まり、努力が見えづらくなる課題が指摘されています」
そこで求められるのが、CO₂排出量を直接計測した一次データだ。しかし、このような一次データを使っている企業はほとんど存在しない。その理由はセンサーの精度にある。秋元氏は、「現在、普及ししているCO₂センサーはダイナミックレンジ(適応可能な濃度範囲)が狭く、リアルタイムかつ正確に計測することができないというのが現状です」と言う。
また企業のニーズは、CO₂排出量の計測データ取得にとどまらない。今、カーボンニュートラルの実現に向け、工場などから排出されるCO₂を回収・資源化する技術開発が世界で進められており、注目度も高まっている。CO₂とH₂(水素)から天然ガスの主成分であるメタンを合成する「メタネーション」、CO₂をCO(一酸化炭素)に分解して化学品などに再生する「P2C(Power to Chemicals)」などが、CO₂資源化の代表例だ。
しかし、このCO₂資源化装置が出力するガスの濃度計測にも課題がある。CO₂資源化装置は、生成したメタンやCO以外のほか、未反応のCO₂や水素などが混ざったガスを出力してしまうからだ。
「高効率なCO₂資源化を実現するためには、資源化装置が出力する複数種のガス濃度をリアルタイムで計測しながら、資源化装置にフィードバックすることが重要です。現状、複数種のガス濃度を計測するためには、ガスクロマトグラフィーという分析装置が必要です。しかし、ガスクロマトグラフィーは大きく、計測時間が長いため、複数種のガス濃度をリアルタイムで計測することが困難でした。」(秋元氏)
株式会社東芝 研究開発センター 先端デバイス研究所 バックエンドデバイス技術ラボラトリー スペシャリスト 秋元 陽介氏
CO₂を高効率で資源化するには、CO₂をはじめとした複数種のガスを直接、そして瞬時に計測できる小型のガスセンサーが必要だ。その難題をクリアしたのが、東芝が開発した、米粒ほどのサイズの超小型ガスセンサーである。
MEMS技術を生かし、世界初の超小型ガスセンサーを開発!
秋元氏と共に、超小型ガスセンサーの開発に携わった王萍氏は、その特徴を次のように説明する。「私たちのガスセンサーは、CO₂やH₂、COといった3種類以上を含む混合ガスでも、それぞれの濃度を同時に高速で測定できます。サイズはガスクロマトグラフィーの1/200以下と超小型でありながら、計測速度は150倍以上。工場などの実環境での計測成功は世界初です」と自信をのぞかせる。このように超小型ガスセンサーは高い性能を持つが、そう簡単に実現できた訳ではない。その壁をどう克服したのか、具体的に見ていこう。
まずは、ガスセンサーのタイプから確認する。現在、ガスセンサーには「酸化物半導体型」「接触燃焼型」「熱伝導型」など、いくつかのタイプがある。今回、東芝が選んだのは熱伝導型だ。
「熱伝導型の特徴の一つに、COなど高い毒性を持つガスに対する耐性があります。CO₂を資源化するためには分解してCOにする必要がありますが、COには高い毒性がある。CO₂資源化に役立つセンサーにするには、被毒への対応は欠かせません」(王氏)
(当時の所属)株式会社東芝 研究開発センター 先端デバイス研究所 バックエンドデバイス技術ラボラトリー(現在の所属)株式会社東芝 研究開発センター 研究企画統括部 企画部 スペシャリスト 王 萍氏
その一方で、熱伝導型のガスセンサーには、どのガスが含まれるか事前に分かっている2種類までの混合ガスしか濃度計測できない弱みがあった。ガスが3種類以上だと、どのガスで濃度変化が起きているかを特定できず、個別のガス濃度計測が不能になるのだ。
この課題の突破口になったのは、「2つの熱伝導型センサーを組み合わせる」というアイデアだった。ガスに対する反応のしやすさが異なる2つの熱伝導型センサーを使い、それぞれのセンサーから得られる濃度曲線の交点をアルゴリズムによって導き出す。そうすると、3種類以上のガスの濃度をリアルタイムに計測できるようになる。
2種類のガスを計測できるセンサーを2つ活用すれば、それぞれの濃度曲線から3種以上のガスを計測可能
このアイデアを実現させたのが、高精度のセンシングを実現する東芝のMEMS技術(Micro Electro Mechanical Systems:微小電子機械システム)とよばれるものだ。MEMSとは、半導体の基板の上にセンサー、アクチュエーター(エネルギーを機械的動作に変換する装置)などの部品と電子回路を集積した、微小な電気機械システムのこと。
MEMS技術でµm(mmの1/1000)単位の加工を行い、超小型ガスセンサーを実現
今回の熱伝導型ガスセンサー開発にあたって、半導体製造で用いられるMEMS技術を活用したわけだ。東芝は、独自のMEMS製造プロセスを持っており、熱伝導型ガスセンサーが高精度にガス濃度計測できるようにした。
「一般的には、熱伝導型ガスセンサーは、様々なガスセンサーのタイプの中でも感度(ガスに対する反応)が低いといわれています。しかし、独自のMEMS製造プロセスがもつ特徴、そして社内で培ってきた知見を生かし、通常の熱伝導型より圧倒的な感度と応答速度を持った熱伝導型ガスセンサーを作れました」(秋元氏)
熱伝導型ガスセンサーを制作するうえで、秋元氏と王氏が開発した装置
CO₂排出量の計測、求められる領域は期待以上に!
こうして東芝は、3種類以上の混合ガス濃度をリアルタイムで測定できる超小型の熱伝導型ガスセンサーを世界で初めて開発した。2023年6月、その成果は、MEMS分野で最も権威のある国際会議「TRANSDUCERS 2023」で発表された。続いて10月、エレクトロニクス産業の国際的な展示会「CEATEC®」で実物がお披露目され、いずれも大きな反響を呼んだ。
「CEATEC®で実際の計測を見た方からは、ガスクロマトグラフィーと比べて簡単にCO₂を計測できることに驚く声が多く聞かれました」と秋元氏。王氏は反響の大きさについて、「カーボンニュートラルは世界潮流。どの企業も自分ごととして考える必要があり、そこに簡単にCO₂排出量を測れる熱伝導型ガスセンサーが登場した。CO₂の排出量の計測は難しくて面倒といった認識が変わり、パラダイムシフトが起こる第一歩と感じてもらえた」と当時を思い出しながら興奮気味に語る。
CEATEC®でのブースで秋元氏が説明する様子。学生やエネルギー関連など様々な層の方から興味を持っていただけた。
また、こうした声からは超小型の熱伝導型ガスセンサーが切り開く、予期していなかった可能性も見えてきた。
「われわれが想像しなかった、様々な業界の方からお声がけをいただいています。例えば、農業関係では、土を掘り返したときに地中に蓄積されたCO₂が拡散するのでその量を測りたい、森林のCO₂吸収量を計測したいといった相談がありました。また道路管理では、有料道路と一般道で、同じ目的地まで走行したときに発生するCO₂を比較できないかといった相談をいただいています」(秋元氏)
王氏は、「特に、期待されているのは『カーボン・クレジット』の領域です。東京証券取引所は、CO₂排出量を取引するカーボン・クレジット市場を開設しました。CO₂排出量を売買できることで、企業の脱炭素投資にインセンティブが働きます。こういった取り組みを後押しするのが、今回の技術です。各企業もこのビジネスへの相性の良さに気づき、当社の取り組みへの注目度が高まっています」と市場の動きに技術が適合していることを強調する。そして、「個人的には、ヘルスケアへの活用を考えています。例えば、呼気中のCO₂排出量から肺の疾患を予測するような、健康につながる使い方につなげていきたい」と多領域への期待を膨らませる。
高精度・リアルタイムで測定したCO2は計測したCO2排出量は様々な領域にて活用が期待される
今回はCO₂、H₂、COの計測を対象としたが、その仕組みを生かせば他にも様々なガスを計測ができる。こうした進歩を視野に入れると、用途はどんどん広がるはずだ。秋元氏も「発表してから、見えている景色が変わりました。自分たちの想定以上に色々な使い道がありそうで、立てていた計画を見直す必要がありそうです」と将来の可能性に期待をにじませる。
今後、熱伝導型ガスセンサーは、将来の顧客と連携し、様々な環境での計測精度を高めるとともに、耐久性の向上も図る。その市場投入は2026年を予定している。CO₂排出量の計測におけるゲームチェンジャーに、そしてさらなる大きな可能性へ。未来への夢は膨らむばかりだ。