2025-02-20 東京科学大学
ポイント
- 全固体電池や燃料電池内のイオン伝導度を高速・高精度に予測可能な計算手法の開発
- 非平衡かつ定電流方式を活用した新たな計算技術の開発により協同的に動くイオンの伝導度計算が従来手法に比べて100倍高速化
- 実用レベルのイオン伝導度を持つ固体電解質の探索がスピードアップし全固体電池や燃料電池の開発が加速
概要
東京科学大学(Science Tokyo)※ 総合研究院 化学生命科学研究所の佐々木遼馬助教、館山佳尚教授、クイーンズランド大学のデブラ・サールズ教授らの研究グループは、全固体電池の固体電解質などで重要となるイオンの協同運動[用語1]を考慮したイオン伝導度[用語2]を、従来の平衡分子動力学法(平衡MD法)[用語3]シミュレーションに比べて100倍高速に計算できる「非平衡MD法」を開発しました。本手法では、非平衡熱力学[用語4]の理論に基づき、電解質内にイオンの協同運動効果を考慮した一定のイオンの流れを駆動することで、イオンの移動プロセスを数多く発生させ、その結果として、従来の手法に比べ短時間で十分な統計精度を持つイオン伝導度計算が可能となりました。
カーボンニュートラル社会の実現に向けて、次世代蓄電池の一角を担う全固体電池が注目を集めており、正極と負極の間でイオンが高速に移動する固体電解質の開発が急務となっています。その材料探索は世界中で進められており、計算科学による材料スクリーニング・データの生成も重要な役割を果たしています。しかし、従来の平衡MD法を用いた計算手法では、固体内のイオン伝導の本質である「イオンの協同運動」を正確に取り扱うのに高い計算コストがかかるため、多くの研究でこの効果を無視する近似が採用されてきました。
本研究では、イオンの流れを一定に制御する定電流方式を取り入れた非平衡MD計算手法を新たに開発することで、この計算コストの壁を打破し、協同運動効果を考慮した高精度計算の高速実行に成功しました。本手法により得られるイオンの協同運動効果を考慮した定量的なイオン伝導度は、固体電解質材料のスクリーニング精度を格段に向上させるため、材料探索を大きく加速し、全固体電池の実用化に貢献すると期待されます。さらに今後のイオン伝導度に関する基礎学理の発展にもつながります。
本成果は、2月19日付(現地時間)の「PRX Energy」誌に掲載されました。
※2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、東京科学大学(Science Tokyo)となりました。
背景
カーボンニュートラル社会の実現には、安全性・機能性に優れた次世代蓄電池の開発が主要課題の一つとなっています。現在、従来のリチウムイオン電池で使用されている燃えやすい有機電解液に代わり、安全性の高い固体電解質を用いた全固体電池(図1(a))が注目されています。しかし、電池に必要な室温で高いイオン伝導度を持つ固体電解質はそれほど見つかっていないため、今もなお新規材料の探索が世界中で進められています。このような状況では、実際に材料の実験をする前に、候補材料のスクリーニングの一環としてイオン伝導度の計算シミュレーションを行うことが、材料探索を効率的に進めるために重要となっています。また、近年のデータ科学の発展により、計算科学を用いた定量的なイオン伝導度のデータの生成が材料開発に大きく貢献しています。
図1.(a) 全固体電池の模式図。(b) 固体電解質内のイオンの協同的運動の模式図。
しかし、これまでの固体電解質のイオン伝導度計算では、その計算コストを下げるために複数の近似が利用され、高精度な計算予測には程遠いものでした。すでに多くの系で破綻が報告されている近似としては、特に以下の二つが挙げられます。
- ネルンスト-アインシュタイン近似:希薄溶液のようにイオンが独立して動くと仮定
- アレニウスの式[用語5]に基づく近似:室温領域のイオン伝導度を予測するために、非常に高い温度(例えば400℃以上)の伝導度を挿入して近似
(1)に関しては、イオン濃度が非常に高くイオン同士が強く相互作用して協同的に伝導する固体電解質(図1(b))では、原理的に適用できないため、多くの系で近似の破綻が報告されています。また(2)に関しても、以前よりイオン伝導度は高温から室温にかけて単純なアレニウスの式から乖離(かいり)することが多数報告されており、高温でのイオン伝導度を外挿するのではなく、低温域である室温付近のイオン伝導度を“直接”計算する必要性が指摘されています。
これらの近似を用いない高速なイオン伝導度計算手法が開発されれば、より定量的な材料スクリーニングが可能になり、全固体電池の開発は加速されるでしょう。さらに、基礎科学的には従来の「イオンが各々独立して動く」といった1粒子的な近似の枠を超えることで、「イオンが協同的に動く」効果が考慮されたイオン伝導に関する新たな理論研究の発展も期待できます。
研究成果
本研究では、イオン伝導度計算を高速化するために、MDシミュレーションに注目しました。従来の平衡分子動力学シミュレーションでは、移動するはずのイオンがエネルギーの谷にトラップされてしまうため、イオンが伝導する現象が稀にしか観測されず、イオン伝導度を計算する際の統計サンプリングに非常に時間がかかることが課題でした(図2(a)左)。そこで、当研究グループは系に外場(電場に相当する外力)を与えて、イオン伝導現象を促進する “非”平衡分子動力学法に着目してきました(図2(a)右)。そして本研究では、系に外場を与えてイオンの流れを一定に制御する非平衡分子動力学法を開発しました(図3(b))。これは、実験的な電気化学測定の一つである定電流試験に相当するシミュレーション手法といえます。
図2. (a) 従来の平衡分子動力学法と本研究で着目した非平衡分子動力学法の比較。(b) 本研究の開発手法:定イオン流非平衡分子動力学法の概念図。
本計算手法による高精度計算(赤色)と、従来のネルンスト-アインシュタイン近似手法に基づく計算(灰色)を用いて得られたイオン伝導度の温度依存性を図3(a)に示します。ここでは代表的な固体電解質の一つであるLi7La3Zr2O12を対象としました。ネルンスト-アインシュタイン近似手法(灰色)では、イオンの協同運動効果を無視したため、イオン伝導度は過小評価され、グラフが下方にシフトしています。さらに両計算手法ともに、高温域ではイオン伝導度がアレニウスの式と乖離して湾曲した温度依存性を示していることから、高温でのイオン伝導度をから室温領域へ外挿する近似も破綻していることが分かります。一方で、本計算手法で高精度に算出した室温領域のイオン伝導度の計算値は、既報の実験値(青色)とよく一致しています。以上のことから、ネルンスト-アインシュタイン近似およびアレニウスの式に基づく外挿近似を用いずにイオン伝導度を計算することの必要性が示されました。
図3(b)には、本計算手法によりどれだけ計算が高速化したのかを示します。電池デバイスの動作温度である室温に近づくにつれて100倍を超える計算の高速化を達成しました。この温度域では、従来の希薄溶液近似を用いた算出法よりも高速に計算できます。このような卓越した正確性と高速性から、本計算手法は従来の計算スキームを置き換えるポテンシャルを有しているといえるでしょう。ほかにも本計算手法では系のサイズが大きくなるにつれて、より高速化の度合いが向上することが見出されています。これは、粒界を含む多結晶や複数の固体電解質を混合する複合電解質[用語6]といった系のサイズが大きくてこれまで計算が難しかった材料に対しても、本計算手法が適用可能だということを意味しています。これらの結果から、イオンの協同効果・室温領域の伝導度の高精度計算に加え、複合電解質の問題の解決や材料設計指針の提案といった展開も視野に入ってきています。
図3. (a) イオン伝導度の温度依存性の比較。赤色:本研究の非平衡MDによる計算結果、灰色:従来のネルンスト–アインシュタイン希薄溶液近似に基づく計算結果、青色:既報の実験結果(Murugan et al., Angew. Chem., Int. Ed., 46, 7778 (2007).)。(b) 本計算手法による高速化度。
社会的インパクト
本計算手法は、原理的には、有機-無機あるいは液体-固体を問わずあらゆる電解質でのイオン伝導度解析に適用可能な一般性のある理論計算手法です。そのため、全固体電池のみならず液系電池にも応用可能です。またイオン伝導度は、電池以外にも多くのエネルギー貯蔵・変換デバイスの性能に直結する重要な物性値です。このことから、本計算手法は、カーボンニュートラル社会の実現という点で高い産業的インパクトを有しています。
今後の展開
本計算手法により、イオン伝導度はより正確にかつより高速に計算できるようになりました。この成果は計算による高イオン伝導性電解質の探索を大きく加速すると期待されます。本手法は、世界中で精力的に研究開発されている深層学習[用語7]に基づく高精度・高速計算技術「ニューラルネットワークポテンシャル[用語8]」と組み合わせられます。こうした深層学習技術との融合による相乗効果も狙いながら、引き続きイオン伝導現象の理論の深化と材料開発の加速に貢献していきます。
付記
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP21J12566、JP24H02203、JP24K23099)、文部科学省卓越大学院プログラム「東京科学大学 物質・情報卓越教育院(TAC–MI)」、スーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラム「物理-化学連携による持続的成長に向けた高機能・長寿命材料の探索・制御」(JPMXP1020230325)、データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト「再生可能エネルギー最大導入に向けた電気化学材料研究拠点」(DX-GEM、JPMXP1122712807)、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業CREST「分子結晶全固体電池の創製」(JPMJCR2204)、JST ASPIRE「分散型国際ネットワークが実現する基盤蓄電技術革新とネットゼロ社会」(JPMJAP2313)の助成を受けて行われました。本研究のシミュレーションは、東京工業大学・東京科学大学のスーパーコンピュータTSUBAME3.0および4.0、物質・材料研究機構のスーパーコンピュータ、スーパーコンピュータ「富岳」を用いて実行しました。また文部科学省 HPCIプログラム利用課題(課題番号:hp230154, hp230205, hp240224)の協力を受けました。
用語説明
[用語1] イオンの協同運動:イオンが密に詰まった固体電解質や高濃度電解液は、イオンが周囲のイオンと相互作用し合いながら運動する。このような複雑に絡み合ったイオンの運動は、一般に理論・計算的な取り扱いが困難。
[用語2] イオン伝導度:二次電池では充放電時に正極と負極の間の電解液や固体電解質内をリチウムイオンが伝導する。その伝導しやすさの目安となる物理量で充電速度や出力に関連。
[用語3] 分子動力学法:運動方程式に基づき原子スケールで材料の動的挙動をシミュレーションする手法。イオン伝導度をはじめとする様々な物性値を予測することができる。また、定常的な流れを駆動させた非平衡定常状態の下で行われる分子動力学シミュレーションのことを非平衡分子動力学法と言う。
[用語4] 非平衡熱力学:平衡状態にない系を対象とする熱力学の一分野。平衡状態とは、温度や圧力などの熱力学的変数が一定で、エネルギーや物質の流れがない静的な状態を指す。一方、非平衡状態ではエネルギーや物質の流れが存在する動的な状態を指す。
[用語5] アレニウスの式:イオン伝導度(σ)の温度依存性(T)を表す近似式(σT = A exp(−Ea/RT))。多くの分子動力学シミュレーションを用いた研究がこの式を用いて外挿近似することで、室温のイオン伝導度を推定している。
[用語6] 複合電解質:様々な材料を混合させた電解質。混ぜ合わされた複数の材料種を同時計算する必要があるため、大規模なシステムでの計算を要求される。
[用語7] 深層学習:ニューラルネットワークに基づいた機械学習アルゴリズムの一種。
[用語8] ニューラルネットワークポテンシャル:材料の原子構造からエネルギーを計算する際に、深層学習を用いて高速に高精度なエネルギーを計算する手法。
論文情報
掲載誌:PRX Energy
タイトル:Constant-current nonequilibrium molecular dynamics approach for accelerated computation of ionic conductivity including ion-ion correlation
著者:Ryoma Sasaki, Yoshitaka Tateyama, and Debra J. Searles
DOI:10.1103/PRXEnergy.4.013005
研究者プロフィール
佐々木 遼馬 Ryoma SASAKI
東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 助教
研究分野:計算材料科学、非平衡熱力学
館山 佳尚 Yoshitaka TATEYAMA
東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 教授
研究分野:計算材料科学、物性理論、電気化学
お問い合わせ
研究に関すること
東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所
助教 佐々木 遼馬
JST事業に関すること
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
安藤 裕輔
取材申込み
科学技術振興機構 広報課
東京科学大学 総務企画部 広報課