2024-12-03 東京大学,産業技術総合研究所,科学技術振興機構
発表のポイント
- 高周波電流を直流電圧に変換する「スピントルクダイオード効果」を反強磁性体で初めて実証しました。
- 新材料「カイラル反強磁性体」を用いることで、従来の強磁性体を用いたデバイスに比べ、高周波でも10-100倍以上安定して電圧を維持できるダイオード動作を実現しました。
- 本研究の成果は、フォトニックスピンレジスタにおける書込とシフトの高速動作に資するもので、次世代スピントロニクス技術およびBeyond 5Gに代表される超高速情報技術への貢献が期待されます。
概要
東京大学物性研究所の坂本祥哉 助教と三輪真嗣 准教授は、同大学大学院理学系研究科、同大学先端科学技術研究センター、産業技術総合研究所新原理コンピューティング研究センター、高輝度光科学研究センターと共同で、新材料「カイラル反強磁性体(注1)」において従来材料である強磁性体(注2)よりも高い周波数で安定動作可能なスピントルクダイオード効果(注3)を発見しました。
カイラル反強磁性体と呼ばれる特殊な磁気構造を持つマンガン化合物(Mn3Sn)(注4)を10ナノメートル以下の極限まで薄くし、マイクロ波電流(高周波電流)を印加すると直流電圧が出現することを発見しました(図1)。交流電流が直流電圧を生む効果はダイオード効果として広く知られており、半導体を使ったものが整流ダイオードとして一般社会に普及しています。スピントルクダイオード効果では、電子の自転に対応するスピンの首振り運動が整流効果を生み出し、半導体における整流ダイオードと同様の効果をもたらします。これまでに強磁性体を用いたスピントルクダイオードにおいて、半導体ダイオードでのマイクロ波電流の検出感度を超える報告がありましたが、周波数が高くなるとそれに反比例して信号(電圧)の強さが急激に減少するという問題がありました。本研究では、交換相互作用(注5)という高いエネルギーが顕在化する反強磁性体の特性を活かし、周波数が高くなっても、強磁性体と比べ10-100倍ほどの安定性で信号の強度を維持できるダイオード効果を実現しました。この新しいスピントルクダイオードの実現により、次世代のスピントロニクスおよび高速通信の発展につながると期待されます。
本成果は、英国科学誌の「Nature Nanotechnology」に、2024年12月3日オンライン掲載されました。
図1:研究内容の模式図(左)と得られた整流電圧信号(右)。左図:Mn3Sn合金とW(タングステン)との二層膜に直流電流とマイクロ波電流を印加すると、マイクロ波の印加に応じた横方向の直流電圧が現れる。右図:実際のデータ。マイクロ波を印加すると、マイクロ波のパワーに比例した特徴的なピーク構造を持つ電圧信号が現れる。
発表内容
研究の背景
これまでの半導体を中心としたエレクトロニクスは、電子の電気的な性質を巧みに利用することで発展してきました。近年では、電子の自転に対応する「スピン」と呼ばれる磁石の性質を活用するスピントロニクスの研究が盛んに行われており、低消費電力、高速動作など次世代の情報技術の礎になると期待されています。従来までのスピントロニクスでは磁化の大きさに比例して電気や光などに大きな応答を示す強磁性体が活用されてきました。強磁性体は、マイクロ波帯域で固有の共鳴周波数を持ち、マイクロ波と効率的に相互作用できます。たとえば、二つの強磁性体で絶縁体を挟んだ磁気トンネル接合(注6)素子において、マイクロ波電流を印加すると直流電圧が発生する「スピントルクダイオード効果」が広く知られています。しかしながら、強磁性体を用いた場合には、そのダイオード信号の強さは周波数が高くなるとそれに反比例して大幅に減少するという問題がありました。
研究の内容
研究チームは、高周波数でのダイオード信号の減衰を解決するため反強磁性体に着目しました。反強磁性体では、交換相互作用という高いエネルギーが顕在化するため、強磁性体に比べ格段に大きな共鳴周波数を持ち、高い周波数帯においても安定したダイオード動作が期待されていました。一方で、通常の反強磁性体では磁化がないため、強磁性体のような大きな応答が得られません。
そこで本研究では、カイラル反強磁性体であるマンガン(Mn)・スズ(Sn)合金Mn3Snを用いました。この物質は、その特殊な構造から反強磁性体にもかかわらず、強磁性のような応答を示すため近年さまざまな分野で注目を集めています。研究チームはまずMn3Sn合金薄膜をタングステン(W)薄膜の上に作製し、その厚みを7 ナノメートルという極限まで薄くしました。この二層膜に電流を流すと、W層において電流がスピンの流れであるスピン流に変換され、Mn3Sn中に注入され、Mn3Snのスピンの運動が誘起されます。この作製した薄膜をデバイスに加工し、磁場をかけながら、5 ギガヘルツのマイクロ波電流と直流電流を同時に印加する実験を行いました。すると、マイクロ波電流の印加に応じて、そのパワーに比例する特徴的なピーク構造を持つ直流電圧が現れることを発見しました(図1右)。この結果は、反強磁性体を用いたデバイスでもスピントルクダイオード効果が発現したことを示しています。また、印加するマイクロ波の周波数を30 ギガヘルツまで変えながら実験を行い、このピークの大きさが30 ギガヘルツまでの範囲でほとんど変化しないことを見出しました(図2)。この振る舞いは、一般に強磁性体におけるダイオード信号が周波数に反比例し減少してしまうことと本質的に異なるものです。
この振る舞いを理解すべく、研究チームらは反強磁性体に特有の交換相互作用を考慮した詳細な数値シミュレーションも行いました。シミュレーションは実験結果を美しく再現し、直流電流が駆動するスピンの運動が磁場によって抑制される際に、効率的にマイクロ波と相互作用し整流作用を生み出すことがわかりました。これにより、実験で観測された周波数に対し安定な動作が、たしかに反強磁性体で顕在化する強い交換相互作用によるものであることが明らかになりました。
図2:反強磁性体と強磁性体の整流効果の違い。従来の強磁性体(黒点線)では周波数に反比例して急激に電圧が低下するのに対し、本成果である反強磁性体(赤丸)では30 ギガヘルツ(GHz)超までほぼ一定の電圧を示し、安定していることがわかる。またこの実験値は、シミュレーション結果(橙線)ともよく一致している。整流電圧信号の強さは5ギガヘルツ時のシミュレーション上の信号の強さを1としている。
研究の内容
本成果は、高周波電流を直流電圧に変換する「スピントルクダイオード効果」を反強磁性体で初めて実証したものです。反強磁性体を用いることで、これまでにない広い周波数範囲での動作が可能となりました。本研究の要素技術は現在、JST未来社会創造事業で開発を進めているスピントロニクス光電融合デバイスにおける書込と磁気シフトレジスタの高速動作に資するものです。これにより、スピントルクダイオードはテラヘルツ波に至る高周波数領域での応用が見込まれ、次世代スピントロニクス、および次世代の通信技術であるBeyond 5Gの発展に貢献することが期待されます。
発表者・研究者等情報
東京大学
物性研究所
坂本 祥哉 助教
甲崎 秀俊 大学院生(大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻)
志賀 雅亘 特任研究員(研究当時)
現:九州大学 大学院工学府エネルギー量子工学部門 助教
浜根 大輔 技術専門職員
三輪 真嗣 准教授
兼:東京大学 トランススケール量子科学国際連携研究機構 准教授
先端科学技術研究センター
野本 拓也 講師(研究当時)
現:東京都立大学 理学部 物理学科 准教授
有田 亮太郎 教授
兼:東京大学 大学院理学系研究科物理学専攻 教授
兼:理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー
大学院理学系研究科物理学専攻
肥後 友也 特任准教授
中辻 知 教授
兼:東京大学 物性研究所 特任准教授
兼:東京大学 トランススケール量子科学国際連携研究機構 機構長
産業技術総合研究所
新原理コンピューティング研究センター
日比野 有岐 研究員
山本 竜也 主任研究員
田丸 慎吾 主任研究員
野﨑 隆行 研究チーム長
薬師寺 啓 総括研究主幹
高輝度光科学研究センター
小谷 佳範 主幹研究員
中村 哲也 主席研究員
兼:東北大学 国際放射光イノベーション・スマート研究センター 教授
論文情報
雑誌名 : Nature Nanotechnology
題名 : Antiferromagnetic spin-torque diode effect in a Kagome Weyl semimetal
著者名 : Shoya Sakamoto*, Takuya Nomoto, Tomoya Higo, Yuki Hibino, Tatsuya Yamamoto, Shingo Tamaru, Yoshinori Kotani, Hidetoshi Kosaki, Masanobu Shiga, Daisuke Nishio-Hamane, Tetsuya Nakamura, Takayuki Nozaki, Kay Yakushiji, Ryotaro Arita, Satoru Nakatsuji, and Shinji Miwa* (*責任著者)
DOI:10.1038/s41565-024-01820-0
研究助成
本研究は日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号:JP19H05825、JP21H04437、JP22H00290、22H04964、23H01833、24H02234)、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業(課題番号:JPMJMI20A1)、同戦略的創造研究推進事業CREST(課題番号:JPMJCR18T3)、同戦略的創造研究推進事業さきがけ(課題番号:JPMJPR20L7)、文部科学省次世代X-nics半導体創生拠点形成事業(JPJ011438)、スピントロニクス学術研究基盤と連携ネットワーク拠点の支援により実施されました。
用語解説
- (注1)反強磁性体・カイラル反強磁性体 :
- 反強磁性体は、隣り合う原子ごとにスピンが逆方向に揃う物質です。これにより、全体としてのスピンが打ち消し合い、ほとんど磁場を生成しない状態になります。代表的な反強磁性体としてはマンガン酸化物(MnO)やニッケル酸化物(NiO)などが挙げられます。カイラル反強磁性体では、隣り合う原子のスピンが逆方向とは異なる方向を向いていながらも、いくつかのスピンが作用しあうことで全体としてスピンが打ち消されるため、ほとんど磁場を生成しません。
- (注2)強磁性体 :
- 強磁性体は、電子の自転に対応するスピンが原子ごとに同じ方向に揃って、全体として強い磁場を生成する物質です。いわゆる磁石や磁石にくっつく物質のことを指し、身の回りで見かけます。代表的な強磁性体としては鉄(Fe)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)などがあります。
- (注3)スピントルクダイオード効果 :
- スピントルクダイオード効果は、強磁性体/絶縁体/強磁性体からなる磁気トンネル接合において発見されました。この効果では、マイクロ波電流を印加すると、その交流電圧が整流され直流の電圧が生じます。これは、半導体を用いたダイオードと同じ効果を磁石のスピンを活用して実現するもので、周波数可変性や感度において半導体ダイオードを大きく上回る可能性を秘めています。
- (注4)マンガン化合物(Mn3Sn) :
- 今回研究に使用したMn3Snは、マンガン原子がカゴメ格子状に並んでおり、それぞれのMn原子の磁気モーメントが120度ずつ回転しながら配置しています。さらに、Mn3Snは、全体の磁気モーメントが打ち消し合い、いわゆる磁石としての性質を持たないにもかかわらず、強磁性体と同等程度に大きな外場応答を示すことが知られ、注目されています。
- (注5)交換相互作用 :
- 交換相互作用とは、隣り合う原子のスピンを平行、あるいは反平行に揃えようとするエネルギーのことを指します。交換相互作用が強いほど強固な磁気秩序が生まれます。強磁性体では全てのスピンが同じ方向を向いており、それらが一斉に向きを変えるため交換相互作用の影響は現れません。一方、反強磁性体では、それぞれのスピンが異なる方向に向かい、互いの角度を変えることで、交換相互作用の影響が顕著に現れます。このエネルギースケールは磁場のエネルギースケールに比べ格段に大きく、反強磁性体は強磁性体に比べ高い共鳴周波数を持ちます。この性質によって、高い周波数でも動作するスピントルクダイオードが実現されます。
- (注6)磁気トンネル接合 :
- 磁気トンネル接合は、二つの磁性層の間に薄い絶縁層を挟んだ構造です。この構造では、磁性層のスピンの向きが同じか反対かによって、電子が絶縁層を通過しやすくなるかどうかが変わり、それに伴って電気抵抗が大きく変化します。この特性を利用して、情報を記録する磁気メモリや磁場を感知するセンサーに応用されています。