2024-08-29 分子科学研究所
【発表のポイント】
- 非熱的な水素生成が可能な半導体光触媒(1)において,金属を担持すると水素生成の効率が増大することが知られている。これまで,この担持金属(2)は,その内部に光誘起電子を捕捉し水素生成還元反応の反応場として機能するものと考えられてきた。しかし,光誘起電子種の微弱な分光信号は光照射時の試料温度の上昇に起因する熱誘起電子による巨大なバックグラウンド信号に埋没するため観測が困難であり,担持金属の役割の全貌は明らかではなかった。
- 本研究では,独自に確立したミリ秒励起(3)変調オペランド赤外吸収分光法(4)により,このバックグラウンド信号を大幅に除去することに成功し,反応活性電子種由来の微弱信号を検出することが可能となった。これまで長年,担持金属中にため込まれた光誘起電子が還元反応を誘起すると考えられてきたが,本手法により,実際は酸化物半導体との複合界面領域にため込まれた電子種が反応活性を示し還元反応場を形成しているという実像が捉えられた。
- 本研究の方法論は光や電場などを用いた様々な非熱的触媒反応系に適用可能であり,表面エンジニアリングの観点から,より高効率かつ低環境負荷な種々の分子転換を実現する革新的触媒の開発に貢献することが期待される。
【概要】
分子科学研究所の佐藤宏祐博士研究員,杉本敏樹准教授(総合研究大学院大学)の研究グループは,独自に開発した周期的な光励起下におけるオペランド赤外吸収分光法により,半導体光触媒上でのメタンや水分子からの水素生成反応に寄与する活性な電子種の正体を明らかにしました。これにより,従来の理解とは異なり,担持金属の周囲に存在する金属-半導体複合界面がプロトンに電子を受け渡し水素生成反応を駆動させる還元反応場として機能していることを見出しました。この成果は,米国化学会の学術誌『Journal of the American Chemical Society』に,2024年8月27日付で掲載されました。
【カバーアート】
1. 研究の背景
低環境負荷な水素エネルギーを持続可能な形で生産する手段として,室温で非熱的に酸化還元反応を誘起できる光触媒が注目されています。半導体である酸化物光触媒に励起光が照射されると伝導帯に光誘起電子が生じ,この光誘起電子は1ピコ秒 (1兆分の1秒) 以内の時間スケールで速やかに種々の捕捉準位にトラップされます。これらの安定化した電子の一部が,水 (H2O) やメタン (CH4) などのHを含む分子種から生じたプロトン (H+) を還元することで水素が生じます (2H+ + 2e– → H2)。還元反応の時間スケールはミリ秒 (千分の1秒) 程度と比較的遅いため,電子の寿命を延ばすことを意図して,酸化物半導体上に金属がしばしば担持されてきました。これまで一般的に,担持金属は活性な光誘起電子をその内部に捕捉・蓄積することで光誘起電子を長寿命化させ,プロトンからの水素生成反応を駆動させる還元反応場として機能するものと考えられてきました。しかし,このような金属を担持した光触媒における活性電子種の挙動や反応メカニズム等の微視的な実像には迫れておらず,実用化に向けたさらなる活性向上・研究加速に向けた指針は十分に得られていませんでした。
2. 研究の成果
今回,杉本敏樹准教授らの研究グループは,独自のオペランド赤外吸収分光法によって,光触媒水素生成反応における活性電子種を特定することに成功し,従来信じられてきた描像とは異なる,担持金属の役割を明らかにしました。
赤外吸収分光法は,触媒試料にダメージを与えることなく,光誘起電子の存在量やエネルギー準位といった,反応メカニズムの微視的な理解の鍵となる情報を得ることができる強力な手法です。しかし従来法では,光誘起反応における活性電子種のような微弱な分光信号 (吸光度 10–4–10–3程度) は,試料温度の上昇により熱的に誘起された電子由来の巨大なバックグラウンド信号 (吸光度 10–2–10–1程度) に埋没してしまいます。本研究グループでは,光触媒反応の典型的な時間スケールであるミリ秒オーダーの周期で励起光の照射・非照射を繰り返すことで,定常的な水素生成の進行を維持したまま,照射時と非照時の温度変化を1℃以下に抑制できることを見出しました(図1)。さらに,この励起光の変調周期にマイケルソン干渉計(5)を同期させてオペランド赤外吸収分光を実施することで,熱誘起電子由来の信号が大幅に取り除かれている状況で,光誘起電子種の微弱な分光信号を高感度に観測することに成功しました。
図1:白金担持Ga2O3光触媒試料に対する,励起光の照射・非照射の繰り返しによる温度上昇の抑制効果の実証例。(赤線) 励起光を連続的に照射し続けると,試料温度は秒オーダーの時間スケールで15℃程度の温度上昇が生じる。(青線) この温度上昇の時間スケールより十分速いミリ秒スケール (ここでは~100ミリ秒) で励起光の照射・非照射を繰り返すと,全体の温度上昇は7℃程度に半減している中で,励起光の照射・非照射間の温度変化が1℃以下に抑制されている。
白金やパラジウムのような金属を担持したGa2O3半導体光触媒試料における,水素生成を伴うメタン水蒸気改質反応 (図2a, b; CH4 + 2H2O → 4H2 + CO2) や水分解反応 (図2c, d; 2H2O → 2H2 + O2) に対して,このオペランド赤外吸収分光法を適用しました。その結果,担持金属の内部に存在する自由電子,Ga2O3半導体の伝導帯から0.26 eV程度安定化した比較的浅いトラップ準位の電子 (shallowly trapped electrons, ST電子),0.52 eV程度安定化した比較的深いトラップ準位の電子 (deeply trapped electrons, DT電子)にそれぞれ由来する赤外吸収が観測されました。これらの電子種のうちST電子由来の吸収帯の強度のみに,水素生成速度と良く相関した変化が確認されました(図2b, d)。このことから,従来考えられてきた描像とは異なり,担持金属に蓄積された自由電子ではなく,半導体中の浅い準位に捕捉された電子がプロトンの還元反応による水素生成 (2H+ + 2e– → H2) に直接的に貢献していることが示唆されました。
図2:(a) 白金担持Ga2O3光触媒試料におけるメタン水蒸気改質反応条件下でのオペランド赤外吸収スペクトル。(b) 観測された3種類の電子由来の吸収信号(金属助触媒の内部に存在する自由電子 (Ifree),浅いトラップ準位の電子 (IST),深いトラップ準位の電子 (IDT))の内,浅いトラップ準位の電子 (IST)のみが水素生成速度 (RH2) とよく相関することが明らかとなった。(c, d) 光触媒水分解反応においても,同様の傾向が観測されている。
さらに,この反応活性なST電子は担持金属の周囲に局在しており(図3),金属の元素種に依存して活性電子の捕捉能が変化することも明らかとなりました。これまで一般的には,担持金属は内部に光誘起電子を捕捉し還元反応場として機能するものと考えられてきましたが,詳細な検討により,実際は酸化物半導体との界面に反応活性な電子をため込み還元反応場を形成している(図3)という新たな描像が浮かび上がってきました。
図3:光誘起電子由来のスペクトルと反応活性との相関から明らかとなった水素生成過程の模式図。金属-半導体複合界面に捕捉された電子がプロトン還元の活性種として寄与している。プロトンの還元反応により生じた水素原子がカップリングすることで水素分子が生成する。
3. 今後の展開・この研究の社会的意義
本研究で得られた「担持金属の内部に捕捉された電子ではなく,金属-半導体複合界面に捕捉された電子が水素生成反応に活性種として寄与する」という知見は,従来常識とされてきた担持金属の役割に対する考え方にパラダイムシフトをもたらすものです。この知見は,効率的かつ低環境負荷な形で水素を生成するための界面エンジニアリング戦略の基礎学理となることが期待されます。
また従来の光誘起種に対する分光研究は,超短パルスレーザー等を使用した激しい光励起を伴う方法が一般的でした。このような手法であれば,確かに多くの光誘起種を過渡的に生成し,それらを観測することが可能となりますが,太陽光のようなマイルドな強度の連続光の下で反応が定常的に進行する実際の触媒反応環境とは大きく乖離した状況となってしまいます。本研究で開発した分光スキームは,超短パルスレーザーではなく連続光の照射に基づいており,実際の触媒反応環境により近い状況を保持したまま,活性種の微弱信号を抽出することが可能となりました。本手法は光や電場によって駆動される様々な反応系に広く適用可能なオペランド分光分析技術であり,カーボンニュートラル・持続可能社会の実現に向けて,様々な環境・エネルギー関連化学技術の開発研究への応用が期待されます。
4. 用語解説
(1)光触媒
酸化物などの半導体に対して,そのバンドギャップを超えるエネルギーを持つ光を照射すると,電子と正の電荷を持つ空孔 (正孔) が形成される。この光誘起電子は還元反応を駆動し,光誘起正孔は酸化反応を駆動する。
(2)担持金属
酸化物などの半導体光触媒に担持された白金やパラジウムなどの金属微粒子のこと。金属助触媒とも呼ばれる。担持金属は,半導体に光を照射し励起させることで生じた電子を捕捉・蓄積し,電子と正孔を分離させて再結合を抑制させる作用により光触媒の性能を向上させる機能を持つと一般に考えられている。また従来は,活性な光誘起電子を内部に蓄積し,還元反応場として機能すると考えられてきた。本研究により,実際は担持金属ではなく,金属-半導体複合界面が還元反応場としての役割を担うことが明らかとなった。
(3)励起
エネルギーを与えられた物質中の電子が低エネルギー状態(基底状態)から高エネルギー状態(励起状態)へ遷移する現象。半導体光触媒においては,バンドギャップと呼ばれるエネルギー差以上のエネルギーを持つ光が照射されると,価電子帯から伝導帯へ電子が励起される。この光励起されて反応性が高まった電子(光誘起電子)や,光によりエネルギーを得た電子が飛び出してしまった後の空席(光誘起正孔)が光触媒反応に関与する。
(4)オペランド赤外吸収分光法
赤外吸収分光法は,赤外光を物質に照射し,その吸収スペクトルを測定する手法である。半導体中の光誘起電子は,その捕捉エネルギー準位に応じた赤外吸収特性を持つので,赤外吸収分光により光誘起電子のエネルギー状態や存在量を知ることができる。また,オペランド“operando”はラテン語で“working”,“operating”という意味を持ち,反応中の触媒や動作中のデバイスを,種々の方法で計測することをオペランド計測という。本研究では,生成物を質量分析により定量しながら,反応中の触媒を赤外吸収分光により観測することによって,反応中に存在する光誘起電子種をその場観測した。
(5)マイケルソン干渉計
ここでは,フーリエ変換型赤外吸収分光におけるマイケルソン干渉計について概説する。光源から出射された赤外光は,ビームスプリッタにより二つに分けられる。この二つの光はそれぞれ固定鏡と移動鏡に進み,それぞれの鏡で反射された後,再びビームスプリッタで合成される。移動鏡はその名の通り,装置内で行ったり来たりの周期運動を繰り返しており,この運動により光路差が生じるため,合成した二つの光は干渉する。光路差に対する干渉光強度プロファイルをフーリエ変換することで,赤外吸収スペクトルが得られる。したがって,移動鏡が1周期動くごとに赤外吸収スペクトルが1回測定可能であり,移動鏡の周期は赤外吸収スペクトルの測定周期と対応している。本研究ではこの移動鏡の周期を外部の励起光の変調と同期させることで,ミリ秒スケールでのオペランド赤外吸収分光を可能にしている。
5. 論文情報
掲載誌:Journal of the American Chemical Society
論文タイトル:
“Direct Operando Identification of Reactive Electron Species Driving Photocatalytic Hydrogen Evolution on Metal-loaded Oxides”(「金属担持酸化物における光触媒水素生成を駆動する活性電子種の直接オペランド特定」)
著者:Hiromasa Sato and Toshiki Sugimoto
掲載日:2024年8月27日(オンライン公開)
DOI:10.1021/jacs.3c14558
6. 研究グループ
自然科学研究機構 分子科学研究所
7. 研究サポート
本研究は,JST戦略的創造研究推進事業 さきがけ (JPMJPR16S7),CREST (JPMJCR22L2),JSPS科学研究費助成事業 基盤研究(A) (JP22H00296),特別研究員奨励費 (JP22KJ1427),学術変革領域研究(A) (JP24H02205),大学共同利用機関法人自然科学研究機構 分野融合型共同研究事業 (01112104),環境省「地域資源循環を通じた脱炭素化に向けた革新的触媒技術の開発・実証事業」の支援の下で実施されました。
8. 研究に関するお問い合わせ先
杉本 敏樹(すぎもと としき)
分子科学研究所/総合研究大学院大学 准教授
9. 報道担当
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係