2024-01-17 東京大学
発表のポイント
◆ 分子動力学シミュレーションをベースとした防食塗料の添加分子密着性指標の探索手法を新たに開発しました。
◆ ハイスループット計算で得られた大量のデータに相関解析を行い、基板材料への密着性を高めるのに有効な因子の特定に成功しました。
◆ スーパーコンピュータを活用した実用的な塗材開発の高速化に役立つと期待されます。
ハイスループット分子動力学シミュレーション+相関解析による分子密着性評価
概要
東京大学大学院工学系研究科の澁田靖教授らと、日本ペイント・インダストリアルコーティングス株式会社の鈴木裕之研究員らによる研究グループは、分子動力学シミュレーション(注1)に基づいた防食塗料添加分子の密着性指標に対する探索手法を新たに開発しました。本研究では、スーパーコンピュータ上で塗料に添加するさまざまな分子の酸化物基材への吸着状態を再現し、得られた計算データの相関解析(注2)により基板材料への密着性を高める効果が大きい分子記述子(注3)の特定に成功しました。多数の実験を繰り返しながら新規候補材料を検討する従来法と比較すると、ハイスループット計算(注4)で得られた大量のデータに潜む相関性を抽出する点で新規性があります。省物質・省コスト・エコロジカルなこの探索手法は、今後実用的な塗材開発の高速化に役立つことが期待されます。
なお、本成果は 2024年1月12日(現地時間)に、米国化学会誌「ACS Omega」に掲載されました。
発表内容
塗料の最も大切な機能は塗膜による基材(被塗物)の保護です。橋梁・鉄道・自動車・船舶などの金属基材を保護する防食性は、塗膜が発揮する特に重大な保護機能の1つであり、表面の薄い塗膜によって構築物を長寿命化し、世界中の社会インフラを支えるという社会貢献を果たしています。従って、塗料の防食性能をさらに飛躍させることができれば、社会インフラの強靭化/長寿命化に要する社会コストを抑制できます。しかし、従来技術の延長では、防食性能を長寿命化できるブレークスルーを起こすのは簡単ではありません。
本研究では、スーパーコンピュータを駆使したハイスループット分子動力学シミュレーションと相関解析を組み合わせ、長い間防食性を保てる塗料の材料になる候補分子を探索しました。シミュレーションで得られた多数のデータに潜む相関性を抽出する点に新規性があります。まず、塗膜の防食性にとって重要な密着性に着目し、スーパーコンピュータ上でさまざまな添加分子の酸化鉄基材への吸着状態を網羅的に再現しました(図1左)。ここで得られた多数のシミュレーションデータに対し、ケモインフォマティクス(注5)において標準的な分子記述子を用いて相関解析を行いました。その結果、極性分子(注6)の表面積に対する部分電荷の大きさを表す記述子や、極性部分の面積値を表す記述子が塗材の密着性と強い相関があることが分かりました(図1右)。
図1:(左) 分子動力学シミュレーションによる酸化鉄基板表面への添加分子吸着構造およびエネルギー変化、(右)密着性に対する分子記述子の影響に関する相関解析
多くの先行研究では安定構造のエネルギーのみにより吸着性を評価しており、実際の塗材使用環境の影響が考慮されないという問題点が挙げられていました。本研究ではさまざまな計算手法を活用することでこれらの問題点を克服し、実用的な観点から新たな添加分子の候補を探す際に参照できるようになりました。本研究手法の活用により吸着性発現機構の解明という学術分野の開拓だけでなく、スーパーコンピュータを利用した実用塗材開発の高速化に新たな指針を与えることが期待されます。
本研究は、東京大学と日本ペイントホールディングス株式会社との産学協創協定における具体的活動として設置された社会連携講座「革新的コーティング技術の創生」の共同研究テーマの1つとして推進されました。この社会連携講座は、2020年10月1日~2025年9月30日までの5年間、設置しています。
発表者・研究者等情報
東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻
澁田 靖 教授
一木 隆範 教授
兼:川崎市産業振興財団ナノ医療イノベーションセンター研究統括
江島 広貴 准教授
日本ペイント・インダストリアルコーティングス株式会社技術本部R&Dイノベーション部
鈴木 裕之 研究員(Core R&Dグループ マネージャー)
日本ペイントマリン株式会社技術本部研究開発部
大西 勇 研究員(開発グループ)
論文情報
雑誌名:ACS Omega
題 名:Molecular Dynamics Simulation of Adhesion of Additive Molecules in Paint Materials toward Enhancement of Anticorrosion Performance
著者名:Hiroyuki Suzuki, Hirotaka Ejima, Isamu Ohnishi, Takanori Ichiki and Yasushi Shibuta*
DOI:10.1021/acsomega.3c07902
URL:https://doi.org/10.1021/acsomega.3c07902
用語解説
(注1)分子動力学シミュレーション
材料を構成している原子の運動について、運動方程式を解くことによりその軌跡を追跡する計算手法。各原子に作用する力および初期位置・速度が分かれば、各時間のすべての原子の位置および速度が一意に決定される。
(注2)相関解析
2つのデータの関係性の強さを表す指標を数値化する解析手法。相関係数が1に近づくほど正の相関の関係が強くなる。
(注3)分子記述子
分子の化学的特徴を構造特性や物理化学的性質などを数値化して表現したもの。
(注4)ハイスループット計算
スーパーコンピュータ等を活用し、大量のデータを獲得する計算手法のこと。
(注5)ケモインフォマティクス
情報科学の手法を化学に取り入れた研究分野の総称のこと。化学情報学とも呼ばれる。
(注6)極性分子
分子内に電荷の偏り(極性)をもつ分子のこと。
プレスリリース本文:PDFファイル
ACS Omega:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acsomega.3c07902