たった一部の情報から、すべての電子構造を決定~原子一つ一つの全電子構造を計測する新手法の開発に、大きな前進~

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2023-05-19 東京大学生産技術研究所

○発表のポイント:
◆エネルギーの高い「励起状態」にある電子についての限られた測定データ(スペクトル)さえあれば、その原子の全電子構造を決定できる手法を開発しました。
◆スペクトルと全電子構造をそれぞれ約11万7千個ずつ計算し、その関係性をニューラルネットワークに学習させ、スペクトルから全電子構造を高精度に予測する人工知能を構築しました。さらに、100原子ほどの大きな分子に利用できる予測モデルも構築しました。
◆本手法を発展させることで、原子一つ一つの電子構造を計測する、「原子レベル全電子構造計測」が実現し、物質開発での検査手法の開発が加速すると期待されます。

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本研究のイメージ図。(左下部)遷移状態の内殻電子励起スペクトル(Excited state core-loss spectrum)から(右上部)基底状態の全電子構造(Ground state all-electron structure)を予測することに成功。左下のスペクトルの段階では、分子の電子構造が不明瞭なのに対し、今回用いた手法によって右上に示すように分子の全電子構造をすべて明らかにすることが可能になった。


○発表概要:
東京大学 生産技術研究所 溝口 照康 教授、東京大学 大学院 工学系研究科 チェン ポーエン 大学院生、東京大学 生産技術研究所 柴田 基洋 助教、防衛大学 萩田克実 講師、東北大学 宮田 智衆 助教の研究グループは、基底状態(注1)にあるすべての電子構造(全電子構造(注2))を人工知能で予測する新手法を開発しました。
物質の機能は安定な基底状態の電子構造によって支配されており、物質開発の現場では、電子構造を調べるためにスペクトル(注3)が日常的に測定されています。そのような物質開発分野で用いられるスペクトルは、安定な基底状態の情報ではなく、電子が遷移した励起状態(注1)の情報を有しています。さらに、一般的にスペクトルから得られる情報は、すべての電子構造ではなく、一部の情報しか有していません。
そこで、本研究グループは、人工知能構築に使用されているニューラルネットワーク(注4)という手法を利用し、励起状態の一部の情報しか持たないスペクトルから、基底状態の全電子構造を高精度に予測する人工知能を構築することに成功しました。
本研究で使用したスペクトルは、高い空間分解能を有する内殻電子励起スペクトル(注5)です。本研究により原子一つ一つの全電子構造を決定することができる、「原子レベル全電子構造計測」の実現に近づいたと言えます。

○発表内容:
〈研究の背景〉
半導体や電池、触媒など、様々な物質が私たちの身の回りで使われています。それらの物質の機能は、安定な基底状態の電子構造によって支配されており、物質開発の現場では、電子構造を調べるためにスペクトルが日常的に測定されています。例えば、X線や電子線を照射して物質中の電子を励起し、励起状態に応じて測定されるスペクトルを解析することで、物質の原子配列と電子構造を調べます。つまり、物質開発分野で測定されるスペクトルは、安定な基底状態ではなく、電子が遷移した励起状態を反映しています。さらに、スペクトルで得られる情報は、すべての電子構造ではなく、一部の情報しか有していません。つまり、図1に示すように測定されるスペクトルと物質開発で必要な情報の間には大きなギャップが存在しています。
これまで、一部の情報のみを有したスペクトルから基底状態の全電子構造の情報を得るためには、大規模で複雑な理論計算(注6)と専門知識が不可欠でした。

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図1:(左)測定されるスペクトルは励起状態の情報を反映。(左上)励起状態の結晶の電子構造と(左下)測定されるスペクトルの模式図。(右)物質開発に必要な基底状態の電子構造。(右上)基底状態の電子構造と(右下)物質の構造、化学結合、電子構造の模式図。

〈研究の内容〉
今回用いたスペクトルは、高い空間分解能を有する内殻電子励起スペクトルです。内殻電子励起スペクトルは、物質中の電子が励起した励起状態を反映しています。さらに、内殻電子励起スペクトルは、電子が占有していない非占有軌道の情報しか有していないことが知られています。
研究グループでは、まず、有機分子(注7)から、励起状態のスペクトルと基底状態の全電子構造をそれぞれ約11万7千個計算し、データベース化しました。次にこのデータをもとに、スペクトルと基底状態の全電子構造の関係性を、ニューラルネットワークに学習させました。その結果、励起状態の一部の情報しか持たないスペクトルから、基底状態の全電子構造を高精度に予測する人工知能を構築することに成功しました。
図2にはその結果の一例を示します。図2左側のスペクトルから予測された基底状態の電子構造(図2右側の赤線)と、実際に計算された正解値(図2右側の青線)が、ピークの位置や強度など良く再現していることが分かります。さらに、スペクトルが本来有している非占有軌道の情報に加え、占有軌道も高精度に予測できていることもわかりました。つまり、今回の手法により、占有軌道と非占有軌道を含めた全電子構造の予測に成功したと言えます。

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図2:(左)予測に用いたスペクトルと(右)スペクトルから予測された基底状態の電子構造。青線が正解で赤線が予測結果。


さらに、本研究では、予測モデルの外挿性(注8)も調べました。今回の研究では、原子数20個程度の比較的小さな有機分子を用いて予測モデルを構築しています。予測モデルの構築に使用する分子を最適化することで、100原子程度の学習で用いた分子よりも大きな分子に利用可能な外挿性を有する予測モデルの構築に成功しました。
また、実験的に測定されるスペクトルにはノイズ(注9)が必ず含まれており、そのようなノイズは、予測精度に影響を与えます。そこで、人工的なノイズを発生させたスペクトルデータベースを系統的に作成し、ノイズが及ぼす予測精度への影響を調べました。その結果、ノイズの影響を最小限にするための、最適なモデル構築の指針を確立することができました。

〈今後の展望〉
本研究で使用したスペクトルは、高い空間分解能を有する内殻電子励起スペクトルです。内殻電子励起スペクトルは、最新の電子顕微鏡を用いることで原子一つ一つからスペクトルを取得することも可能です。本研究により、内殻電子励起スペクトルから全電子構造を決定する手法を開発できたことで、原子一つ一つの全電子構造を決定することができる「原子レベル全電子構造計測」の実現に近づいたと言えます。本手法を活用することで、物質の構造解析の発展にも大きく貢献できると期待されます。

○発表者:
東京大学
生産技術研究所
溝口 照康(教授)
柴田 基洋(助教)

大学院工学系研究科
チェン ポーエン(修士課程)

○論文情報:
〈雑誌〉 The Journal of Physical Chemistry Letters
〈題名〉 Prediction of the Ground State Electronic Structure from Core-loss Spectra of Organic Molecules by Machine Learning
〈著者〉 Po-Yen Chen, Kiyou Shibata, Katsumi Hagita, Tomohiro Miyata, Teruyasu Mizoguchi
〈DOI〉 10.1021/acs.jpclett.3c00142

○研究助成:
本研究は、JST-CREST「JPMJCR1993」科研費「19H00818、19H05787」の支援により実施されました。

○用語解説:
(注1)基底状態と励起状態
基底状態は安定な状態で、励起状態は不安定な状態のこと。例えば、電子の励起を考えると、下図左側では、電子が入る「場所」=軌道に下から電子が入っていて基底状態なのに対し、外部からエネルギー(X線、電子線、熱など)が与えられることで、エネルギーの高い軌道に電子が励起する。その状態が励起状態。下の右側の図面では内殻軌道が非占有軌道に電子が遷移した励起状態を模式的に表している。
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(注2)全電子構造
上図面のように、電子が占有している軌道(占有軌道)と電子が占有していない軌道(非占有軌道)、さらに内殻軌道もすべて含めた電子構造の総称。

(注3)スペクトル
入射する光の吸収や発光などで得られる情報。赤外線からX線、電子線などさまざまな入射光が用いられる。本研究では、電子やX線を用いて測定される内殻電子励起分光スペクトルを対象とした。横軸にエネルギー、縦軸に吸収量をプロットして得られる2次元情報。

(注4) ニューラルネットワーク
脳を模した機械学習の手法で、入力データと出力データの間を多層のネットワークでつなぐ方法。本研究では、入力データが基底状態のスペクトルで、出力データが励起状態のスペクトルとなっている。教師あり学習によりネットワークのつなぎ方を変え、出力データの予測精度をあげることができる。

(注5)内殻電子励起スペクトル
主に電子線やX線を用いて測定され、電子が励起した際に生じる吸収スペクトル。スペクトルには物質の原子配列や電子構造に関する情報が含まれており、特に、透過型電子顕微鏡を用いて測定される内殻電子励起分光法は「究極の分析法」と総合学術誌『Nature』に紹介されるほど強力。

(注6)理論計算
スペクトルを解釈し、原子配列や電子構造に関する情報を得るための計算法。特に、内殻電子励起分光法では、非常に計算時間を要する計算方法が使用される。

(注7)有機分子
炭素を含む分子で化学製品や有機デバイスなどの原料として使用される。今回は主に炭素、水素、酸素、窒素、フッ素のみで構成される分子を扱っている。

(注8)外挿性
学習に用いた範囲以上(以外)の未知の領域について予測する性質。今回は、原子数が20以下程度の小さな分子で予測したモデルを、原子数が100程度の大きな分子に利用して、外挿性を確認した。

(注9)ノイズ
スペクトルを測定する際に現れる本来の信号とは異なるランダムな波形。測定装置や外部の影響で現れる。

○問い合わせ先:
〈研究に関する問い合わせ〉
東京大学 生産技術研究所
教授 溝口 照康(みぞぐち てるやす)

〈報道に関する問い合わせ〉
東京大学生産技術研究所 広報室

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