2024-10-31 東京大学
発表のポイント
- 北斎ブルーとも呼ばれるプルシアンブルーの類似体ナノ粒子を合成し、ラマン分光法よりも1億倍高い感度を持つ表面増強ラマン分光法(SERS)の基板として働くことを発見しました。
- プルシアンブルーはSERS基板として新しいタイプの非金属配位化合物であり、異なる元素を導入することでSERS性能を向上・制御できることを示しました。
- 本研究で開発したSERSナノ粒子は、再現性、均一性、耐久性、多用途性、生体適合性に優れており、医療、産業、環境安全、犯罪捜査などへの応用展開と簡便化学分析へのイノベーションが期待されます。
本研究を通して期待される簡便化学分析へのイノベーション
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の合田圭介教授/株式会社LucasLand社外取締役Chief Scientific Officerが率いる研究グループは、浮世絵にも使われた顔料で北斎ブルー・広重ブルーとも呼ばれたプルシアンブルー(注1)の類似体ナノ粒子が、均一性、耐久性、蛍光消光性、保存性、生体適合性に優れた表面増強ラマン分光法(Surface-Enhanced Raman Spectroscopy: SERS)(注2)の基板として活用できることを明らかにしました。
本研究では、プルシアンブルーに異なる金属を添加することで生成した結晶欠陥がSERSの発現に寄与することを発見しました(図1)。金属の種類によってSERS性能が変化するので、結晶欠陥の生成を通したSERS性能の制御が図れます。また、このプルシアンブルー類似体ナノ粒子によるSERS基板は極めて高い増強率(108倍)を示し、生体分子などの超高感度分析へ応用できると考えられます。先行研究と比較して、高い均一性、耐久性、蛍光消光性、保存性、生体適合性の点で優れており、この研究成果は今後、化学分析におけるさまざまな問題を克服し、「どこでも・誰でも・簡便・その場・低コスト化学分析」という新たな領域の開拓に役立つことが期待されます。
図1:本研究の概略図
プルシアンブルーに異なる金属を添加した類似体(右図はその電子顕微鏡写真)を用いてSERSを測定できる。
発表内容
SERSは、無標識分析に有効な通常のラマン分光法(注3)よりも、数桁倍以上に増強された信号を発する高感度分析の手法で、これまでは金属ナノ構造体の隙間(ホットスポット)における局在表面プラズモン共鳴(Localized Surface Plasmon Resonance: LSPR)(注4)を用いて測定されてきました。これはLSPRによって入射光や信号光が増強されることによるものですが、光熱変換によってタンパク質など生体分子の変性を引き起こすので生体適合性や耐久性に乏しい上に、ホットスポットからSERSが生じるので均一性や再現性も乏しいという欠点がありました。近年、このような金属SERS基板における問題を解決するために非金属材料である炭素や半導体・誘電体などの材料が提案されています。これらの基板を用いたSERSは吸着した分子の電荷移動による新たな電子準位での共鳴ラマン効果(注5)など、測定対象分子の光学応答性の向上が原因であるため、金属SERS基板と異なり光熱変換が抑制されて生体適合性や耐久性に優れる上に、基板全体に測定対象分子が吸着するので均一性や再現性にも優れると考えられてきました。しかし、測定対象分子とさまざまな基板の組み合わせで変化するSERS性能を制御するのが困難という問題がありました。
本研究では、鉄とシアン(CN)の配位金属錯体化合物であるプルシアンブルーに異元素を添加したプルシアンブルー類似体が優れたSERS性能を示すことを発見しました。これまで、プルシアンブルーはその結晶の空孔に放射性セシウムを吸着できるだけでなく、構成元素の鉄を異なる金属原子で置換することで色を多彩に変化でき、結晶欠陥によってアンモニアの吸着能力を向上させられることが報告されています。このように興味深い材料であるプルシアンブルー類似体のナノ粒子を合成しローダミン6G(注6)を吸着させて測定したところ、通常のラマン分光法に比べて108倍に達する高い増強率を示すラマン信号が得られました(図2a)。通常のプルシアンブルーではそのような増強が得られなかったことから(図2b)、さまざまな金属を添加することで生成した結晶欠陥がSERSの発現に大きく寄与していると考えられます。実際に量子化学計算を行い、通常のプルシアンブルーではなく、類似体へ分子が吸着した場合にSERSの原因となる共鳴ラマン効果を引き起こす電子準位の変化が見られることを確認しました。
図2:プルシアンブルー類似体を用いたSERS
a. 銅添加プルシアンブルー類似体SERS基板上で測定した異なる濃度のローダミン6G(R6G)のラマンスペクトル(励起波長532 nm、励起強度 0.6 mW、積算時間10秒)。検出限界5 × 10-7 M。増強率108倍。
b. 異なる金属を添加したプルシアンブルー類似体SERS基板上で測定したローダミン6G(濃度5 × 10-5 M)のラマンスペクトル(励起波長532 nm、励起強度0.6 mW、積算時間10秒)。
このナノ粒子状のSERS基板は、信号強度の空間的均一性(図3a)、長時間測定における耐久性(図3b)、高い蛍光消光性を示しました。さらに金属SERS基板では酸化によって損なわれていた保存性、光熱変換によって損なわれていた生体適合性が大幅に改善されました。実際に、いろいろな蛍光性色素分子だけでなくへミン(注7)といった生体分子のSERS測定にも成功しました(図4)。さらに、このプルシアンブルー類似体がランダムラマンレーザーを発振することも発見しました(図5)。これは光増強媒質内の微粒子に光が多重散乱されることで光の閉じ込めが起きてレーザー発振が生じる現象で、不規則な構造でも可能な簡便かつ安価に作製できるレーザー光源として応用が期待されています。今回、ラマン散乱光を増強するプルシアンブルー類似体ナノ粒子で光が多重散乱されてランダムラマンレーザー光が発振したと思われます。
図3:プルシアンブルー類似体を用いたSERSの均一性と耐久性
a. 銅添加プルシアンブルー類似体SERS基板上で測定したローダミン6G(濃度5 × 10-5 M)のラマンイメージング(励起波長532 nm、励起強度0.6 mW、積算時間10秒、ステップサイズ3 µm)。613, 774 cm-1のピークで0時間および3時間経過後に測定。変動係数は13%未満。
b. 銅添加プルシアンブルー類似体SERS基板上で測定したローダミン6G(濃度5 × 10-5 M)のラマンスペクトルの時間変化(励起波長532 nm、励起強度0.6 mW、積算時間10秒)。ほぼ変化は見られない。
図4:プルシアンブルー類似体を用いた生体分子のSERS検出
銅添加プルシアンブルー類似体SERS基板上とシリコン基板上で測定したへミン(濃度5 × 10-4 M)のラマンスペクトル(励起波長532 nm、励起強度0.6 mW、積算時間10秒)。
図5:プルシアンブルー類似体を用いたランダムラマンレーザー
銅添加プルシアンブルー類似体ナノ粒子(濃度0.063 mg/ml)とローダミン6G(濃度5 × 10-2 M)からの発光スペクトル(励起波長532 nm、パルス周期10 Hz、パルス幅10 ns)。入射光強度が18.8 mJを超えると580 nm付近の鋭いラマンピークが急激に強くなるというランダムラマンレーザー発振が起きている。
プルシアンブルー類似体ナノ粒子によるSERS基板の極めて高い均一性、耐久性、蛍光消光性、保存性、生体適合性に加え108倍の増強率は、生体分子などの超高感度分析への応用には十分だと考えられます。さらに、異なる金属を添加することで増強率を変化させられることも発見しましたので、結晶欠陥の生成を通したSERS性能の制御やさまざまな測定対象分子での最適化が図れるものと考えられます。このように改良することで、プルシアンブルー類似体ナノ粒子を用いたSERS測定は、その実用性と信頼性により、これまでのX線回折、核磁気共鳴分光法、質量分析法などを基盤とした化学分析におけるさまざまな問題(装置の大きさ、使いにくさ、高コスト)を克服し、LucasLand社を通した「どこでも・誰でも・簡便・その場・低コスト化学分析」という新たな領域の開拓と、新規産業の創出といった社会への波及効果が期待されます。
論文情報
- 雑誌名 ACS Nano論文タイトル
Defect-Engineered Coordination Compound Nanoparticles based on Prussian Blue Analogues for Surface-Enhanced Raman Spectroscopy著者
Xingxing Yu, Xuke Tang, Jun-Yu Dong, Yunjie Deng, Mitsuhiro Saito, Zhanglei Gao, Pablo Martinez Pancorbo, Machiko Marumi, Walker Peterson, Huanhuan Zhang, Naoki Kishimoto, Abdullah N. Alodhayb, Prabhat K. Dwivedi, Yuichi Ikuhara, Yasutaka Kitahama, Ting-Hui Xiao*, Keisuke Goda*
(*責任著者)DOI番号 10.1021/acsnano.4c06972
研究助成
本研究は、文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム」(JPMXS0120330644)、日本学術振興会科研費助成事業 (JP18K13798, JP20K14785, P20789, 20K15227, 23KJ0476, 19F19805, JP21K04806)、日本学術振興会研究拠点形成事業(JPJSCCA2019000)、日本学術振興会インド二国間交流事業(JPJSBP120227703)、神奈川県立産業技術総合研究所、村田科学技術振興財団、ホワイトロック財団、東京大学GAPファンドプログラム、東京大学協創プラットフォーム開発株式会社、科学技術振興機構次世代研究者挑戦的研究プログラム (JPMJSP2108)、TIA 連携プログラム探索推進事業「かけはし」、キングサウド大学研究者補助事業(RSP2024R304)、インド-日本二国間資金援助(DST/INT/JSPS/P-352/2022)、東京大学総括プロジェクト機構MbSC2030総括寄付講座の支援により実施されました。
用語解説
注1 プルシアンブルー
鉄シアノ錯体(Fe4[Fe(CN)6]3)で濃青色の沈殿として得られる顔料。別名は、フェロシアン化鉄(III)、フェロシアン化第二鉄、紺青。
注2 表面増強ラマン分光法(SERS)
貴金属の粗い表面に吸着した分子からのラマン散乱光がバルク分子に比べて大きく増強される現象を利用した分光分析手法。
注3 ラマン分光法
入射光が分子の振動を励起することで放出されるラマン散乱光の強度や入射光との波長の違いを計測することで、構造を解析し分子の種類を同定する分光分析手法。
注4 局在表面プラズモン共鳴(LSPR)
金属ナノ構造体に照射した光によって金属表面上の伝導電子の集団振動が誘起され、その周波数と光の周波数(波長)が一致する際に共鳴が起きる現象。
注5 共鳴ラマン効果
分子の吸収波長と一致する波長の光を入射した際に、他の波長の光を入射した時に比べて、ラマン散乱光が増強される効果。
注6 ローダミン6G
無水フタル酸とアミノフェノール類を縮合して得られる鮮紅色の塩基性染料の一種。
注7 へミン
赤血球に含まれ酸素を全身に運ぶ役割を持つヘモグロビンや筋肉中で酸素を貯蔵するミオグロビンの活性中心。