2024-05-21 理化学研究所,科学技術振興機構,東京大学
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター 電子状態マイクロスコピー研究チームの于 秀珍 チームリーダー、強相関理論研究グループの永長 直人 グループディレクター、創発物性科学研究センターの田口 康二郎 副センター長、強相関物性研究グループの十倉 好紀 グループディレクター(東京大学 卓越教授/東京大学国際高等研究所東京カレッジ)らの共同研究グループは、高精度電子線位相差トモグラフィー技法を開発し、ナノメートルスケールのスキルミオン[1]ひもの直接観察と、その詳細な融解過程の記録に成功しました。
本研究成果により、3次元トポロジカル磁気構造の知見を得ることができ、新たなトポロジカル磁性科学の開拓に貢献すると期待できます。
今回、共同研究グループは、3次元磁化イメージングの空間分解能(位置的に接近した2点を、離れた2点として見分ける能力。見分けられる2点間距離が小さいほど空間分解能が高い)と測定時間を改善するため、新たに3次元電子線位相差顕微法(3D-DPC)の開発に成功し、従来の3次元磁化イメージングの空間分解能(約10ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル))を大幅に向上させるとともに測定時間(数時間、または数日)を10分の1以下に短縮させ、空間分解能は5nm以下、測定時間は10分以下を達成しました。この顕微観察技法を用いて、直径80nm、長さ260nmのスキルミオンひもを直接観察し、その熱による融解過程を記録することができました。この結果から、スキルミオンひも中に現れた磁気ヘッジホッグ[2]-アンチヘッジホッグテクスチャの熱揺らぎが融解の初期過程で起こっていることが明らかになりました。
本研究は、科学雑誌『Communications Materials』オンライン版(5月21日付:日本時間5月21日)に掲載されました。
温度の上昇に伴うスキルミオンひも(a)の融解過程(b、c)
背景
磁気スキルミオンは、粒子のように振る舞う安定なトポロジカルスピンテクスチャ(位相幾何的磁気変調構造)として知られています。しかしながら、実際の材料では、結晶欠陥の存在によりスキルミオンが容易に変形することが超高速ローレンツ電子顕微鏡(Lorentz TEM)[3]でごく短時間に計測することで観測されました注1)。理論上は、スキルミオンの変形によって試料が厚さ方向にちぎれることが予測されています。そしてこのちぎれたスキルミオンひもの端点に磁気ヘッジホッグテクスチャ(hedgehog texture)が存在することが2次元磁気顕微観察により推測されました注2)。スキルミオンひもおよびヘッジホッグテクスチャの実在を確かめるためには、3次元磁気構造のトモグラフィー観察(切断面の2次元の画像を測定し、それをもとに3次元物質の内部構造を再構築して分析すること)が必要不可欠です。
トモグラフィーには、X線、電子線などが用いられます。これまでのトモグラフィー観察では、膨大なデータセットを効果的に処理し解析するために、高度なデータ解析手法や機械学習アプローチが求められてきました。また、微細な磁気構造を観察する際には、信号対雑音比の向上(信号をより大きく、雑音をより小さくすること)や微弱な磁気信号に対する感度の改善が課題となっています。特に、ナノスケールのスピンテクスチャの場合、より高い空間分解能が求められます。従来の高空間分解能電子線トモグラフィーの計測には時間がかかり、ダイナミクスの観察においては計測時間の短縮が求められます。そのため、高速で効率的なデータ収集方法の開発が喫緊の課題となっています。
試料を破壊せず、高解像度の磁気イメージングを行う技法としては、Lorentz TEMが広く使われています。これにより、試料中の磁気構造の動的挙動を外場(温度・磁場など)の下で追跡することが可能です。しかし、Lorentz TEMは材料内の磁場分布に関する定性的な情報しか提供できません。この制約から、強度輸送方程式[4]を利用する解析ツールのような補完的な手法が必要とされています。
これらの問題を解決するために、本研究では高空間分解能を持ち、かつ短時間で磁気構造のデータを取得できる電子線位相差積分コントラスト(integrated Differential Phase Contrast:iDPC)法を確立しました。これにより、スキルミオンひもとその中に熱的に現れた磁気のヘッジホッグ-アンチヘッジホッグテクスチャが直接観察でき、この熱揺らぎがスキルミオンひも融解の初期過程になっていることが明らかになりました。
注1)2021年6月17日プレスリリース「柔らかいスキルミオンの挙動を解明」
注2)Xiuzhen Yu, et al., Nano Letters, 2020 Oct 14;20(10):7313-7320.doi: 10.1021/acs.nanolett.0c02708
研究手法と成果
位相差コントラスト(DPC)イメージングは、電子線が試料を通過する際の位相シフトを利用する手法です。位相シフトは磁性材料の内部の磁場によって起こるため、位相の変化量を計測することで、試料の内部磁場の分布が分かります。
位相差積分コントラスト(iDPC)は、試料の磁気構造を反映するコントラストを、位相情報に基づいてより見えやすくするための手法であり、位相差を積算することによって、材料内で弱く散乱する磁気テクスチャの視認性を向上させることができます。また、iDPCシグナルは位相シフトに比例しており、計測磁気材料の磁束密度はiDPCシグナルの強度に比例します。
図1aに示したように、収束した電子ビームが磁性材料を通過する際、電子ビームがローレンツ力を受け、磁束密度(図1aのB)に垂直な方向に偏向します(図1b)。検出器で透過電子線の強度を検出し(図1c、d)、この強度のプロファイルから位相情報を抽出し(図1e)、スキルミオン中のベクトル場の分布(図1f)が得られます(図1c~fはスキルミオンを例にしたシミュレーション像)。
図1 位相差顕微法とそれによって得られたスキルミオンの2次元画像
(a)位相差顕微法の模式図。(b)磁性材料を通過する際の電子線シフト。電子線がx-方向にずれている。
(c~f)位相差顕微法により得られたスキルミオンの2次元平面像(シミュレーション像):(c、d)は強度イメージ、(e)は位相像、(f)はベクトル場の分布。
3次元磁化構造を観察するために、集束イオンビーム(FIB)[5]を用いてらせん磁性体FeGeの薄膜試料を作製し、試料のサイズおよび形状を3次元観察できるように最適化しました。3次元スキルミオンひもおよびその温度プロファイルの測定手順は以下の通りです。
1)まず、ゼロ磁場において、FeGe薄膜中にスキルミオンひもを95ケルビン(K、絶対温度の単位。95ケルビンは約-178℃)で安定に生成します。
2)試料の角度を2度刻みのステップで-50度から+50度まで変え、一連の2次元傾斜像を撮影します。
3)iDPCイメージの傾斜系列を取得した後、Inspect 3Dソフトウェア(Thermo Fisher Scientific)を使用して3次元像を再構築します。再構築アルゴリズムを繰り返し行うことにより、信号対雑音比を向上させた3次元像を再構築します。
得られた結果を図2に示します。スキルミオンひもが安定に存在する95Kにおいては、各スキルミオンひもが互いに分離し、試料中に三角格子を形成しています(図2a、b)。試料を昇温させると、200K(約-73℃)においては、試料の厚さ方向の中心付近にヘッジホッグとアンチヘッジホッグのテクスチャが現れ、これらのテクスチャを経由して、隣接するスキルミオンが特定の方向に連結し、スキルミオンひもが融解し始めます(図2c、d)。さらに試料温度を220K(約-53℃)まで昇温させると、スキルミオンひもが完全に溶け、ストライプ状となりました(図2e、f)。これらのテクスチャは、理論モデルに基づいて再現することができます(図2g、h、i)。
図2 スキルミオンひもの温度変化による3次元位相像
(a~f)各温度で観察されたスキルミオンひもの3次元位相像:(a、b)95Kでひもが安定に存在する。
(c、d)200Kではひもが溶け始める。(e、f)220Kになるとひもは完全に溶ける。(g~i)スキルミオンひもの計算像は観察像を再現している。
今後の期待
本研究によって開発された高精度電子線位相差トモグラフィー技法は、焦点内走査透過型電子顕微鏡(STEM)モードで実施され、5nm以下の高空間分解能を達成でき、データセットの取得時間は約10分まで短縮できます。これにより、昇温過程のスキルミオンひもの融解過程を世界で初めて観察できました。
高精度電子線位相差トモグラフィー技法は、位相コントラストと空間分解能を向上させ、試料内の微細な電子スピン構造をマッピングするための高解像度3次元磁気イメージングに役立つ顕微観察技法です。この技術は、材料科学や物性物理学などの分野で重要な役割を果たします。特に材料科学、物理学、およびスピントロニクス[6]などで磁化構造を理解する上で重要です。磁気メモリデバイスや磁気データストレージ、磁気センサーの開発など、磁気材料の設計や最適化に役立つと期待されます。
補足説明
1.スキルミオン
固体中の電子スピンが形成する渦状の磁気構造体であり、トポロジカル数「-1」を持つ。スキルミオンの中心を通る直線上のスピン配列はどこを切っても同じらせん状である。スピン配列と外周スピン配列は反平行であり、その間のスピン配列は少しずつ方向を変えながら、渦状に配列している。スキルミオンひもは、渦が長いひも状になっているもの。
2.磁気ヘッジホッグ
磁化の配置パターンがハリネズミのような構造のこと。一般的には、この構造は磁気ドメインがらせん状に巻き付いたような外観を示す。ヘッジホッグはハリネズミのこと。
3.ローレンツ電子顕微鏡(Lorentz TEM)
電子線が磁性体を通過する際にローレンツ力によって電子軌道の方向が変化するので、その方向変化を可視化することにより、試料内部の磁気構造を観察する顕微鏡。
4.強度輸送方程式
光学や電子顕微鏡などの位相イメージング技術で使用される解析手法の一つ。強度輸送方程式は、透過した光や電子の位相変化と強度変化の関係を記述する偏微分方程式である。
5.集束イオンビーム(FIB)
イオン源から放出されたイオンビームを数keV~30keV(キロ電子ボルト、1eVは電子を真空中で1ボルトの電圧で加速したときのエネルギー)のエネルギーで加速し、レンズ系で縮小し、集束させたもの。集束イオンビーム装置を用いると、走査イオン像(SIM像)で観察しながら、100nm程度の位置精度で試料の微細加工が可能であり、透過電子顕微鏡の薄膜試料作製に多用される。FIBはfocused ion beamの略。
6.スピントロニクス
電子の自転(スピン)現象を利用した電子工学。次世代の省電力・不揮発性の電子素子の動作原理を提供すると期待されている。
共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
電子状態マイクロスコピー研究チーム
客員研究員 中西 伸登(ナカニシ・ノブト)
技師 チュ・イリン(Yi-Ling Chiew)
テクニカルスタッフⅡ 中島 清美(ナカジマ・キヨミ)
チームリーダー 于 秀珍(ウ・シュウシン)
強相関理論研究グループ
基礎科学特別研究員(研究当時)リュウ・イーヂョウ(Yizhou Liu)
(現 客員研究員)
グループディレクター 永長 直人(ナガオサ・ナオト)
創発機能磁性材料研究ユニット
ユニットリーダー 軽部 皓介(カルベ・コウスケ)
創発物性科学研究センター
副センター長 田口 康二郎(タグチ・ヤスジロウ)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(トクラ・ヨシノリ)
(東京大学卓越教授/東京大学国際高等研究所東京カレッジ)
東京大学 生産技術研究所 基礎系部門
准教授 金澤 直也(カナザワ・ナオヤ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(A)「電子顕微鏡によるトポロジカルスピン構造とそのダイナミクスの実空間観察(研究代表者:于秀珍、19H00660)」、同基盤研究(S)「磁性伝導体における新しい創発電磁誘導(研究代表者:十倉好紀、23H05431)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出(研究代表者:于秀珍、JPMJCR20T1)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
Xiuzhen Yu, Nobuto Nakanishi, Yi-Ling Chiew, Yizhou Liu, Kiyomi Nakajima, Naoya Kanazawa, Kosuke Karube, Yasujiro Taguchi, Naoto Nagaosa & Yoshinori Tokura, “3D skyrmion strings and their melting dynamics revealed via scalar-field electron tomography”, Communications Materials, 10.1038/s43246-024-00512-5
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 電子状態マイクロスコピー研究チーム
チームリーダー 于 秀珍(ウ・シュウシン)
強相関理論研究グループ
グループディレクター 永長 直人(ナガオサ・ナオト)
創発物性科学研究センター
副センター長 田口 康二郎(タグチ・ヤスジロウ)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(トクラ・ヨシノリ)
(東京大学 卓越教授/東京大学国際高等研究所東京カレッジ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
科学技術振興機構 広報課
東京大学 経営企画部国際戦略課 東京カレッジチーム
JST事業に関する窓口
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
安藤裕輔(アンドウ・ユウスケ)