コアセルベート形成の新しいメカニズムの発見~細胞内凝集とハイドロゲル形成の理解に革新をもたらす~

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2025-02-14 東京大学

発表のポイント
  • 異符号の電解質高分子が凝集して形成されるコアセルベートは、これまで液滴状の形態を取ると考えられていた。しかし、この形態は初期状態の不均一性に起因するものであり、均一混合状態から凝集を開始すると、ネットワーク構造が形成されることを発見した。
  • コアセルベートのネットワーク形成は、相分離速度に対して高分子の運動が遅いために生じる粘弾性効果に由来することを示し、コアセルベート形成の機構に対する理解に大きな転換をもたらした点に新規性がある。
  • この発見は、細胞内での電解質高分子(RNAなど)の相分離に伴うメッシュ状凝縮物の形成理解を深めるとともに、電解質高分子を用いたハイドロゲル形成など、産業応用への貢献が期待される。

コアセルベート形成の新しいメカニズムの発見~細胞内凝集とハイドロゲル形成の理解に革新をもたらす~

シミュレーションで得られたコアセルベートの相分離構造

発表概要

東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野の田中肇シニアプログラムアドバイザー(特任研究員/東京大学名誉教授)、ユアン ジャアシン特任研究員(研究当時、現:香港科学技術大学助教)の研究グループは、数値シミュレーションを用いて、溶液中の異符号の電解質高分子(注1)の相分離(注2)によって形成されるコアセルベートの形成機構について研究を行いました。コアセルベート(coacervate)とは、異なる成分が水溶液中で相分離し、液滴状またはゲル状の凝縮物を形成する現象を指します。特に、異符号の電荷を持つ高分子電解質(ポリカチオンとポリアニオン)(注1)の引力により誘発される相分離によって形成される凝集体を総称してコアセルベートと呼びます。この現象は、細胞内の液体-液体相分離(注2)のモデルとして注目され、膜を持たない細胞内の小器官の形成を理解する上で重要です。また、コアセルベートはハイドロゲル(注3)形成にも関係し、生物学のみならず化学、材料科学など多くの分野で重要な研究対象となっています。

従来、コアセルベートは球形の液滴として形成され、その成長過程は液体-液体相分離の確立された古典的な法則に従うと考えられていました。しかし、今回の電荷の効果と液体の流れの効果を正しく取り入れた流体粒子動力学法1(注4)によるシミュレーションによる研究により、従来の通説とは全く異なる機構でネットワーク状の構造を持つコアセルベートが形成されることが明らかにされました。また、相分離構造の特徴的な大きさが時間の1/2乗に比例して増加することが示され、粗大化の機構が以前に同研究グループにより発見された粘弾性相分離(注5)2-4に属することが分かりました。粘弾性とは、分子の遅い運動に起因して、短時間では弾性的な、長時間では粘性的な力学応答を示すことを言いますが、ここでは電解質の凝集相の遅いダイナミクスが、相分離の速度に追従することができないことが、ネットワーク形成の鍵を握ることになります。この発見は、コアセルベートの形状やその成長ダイナミクスに対する従来の常識を覆すものであり、細胞内相分離の理解を深め、ネットワーク形成型コアセルベートの材料科学への応用に新たな道を開くと期待されます。

本成果は2025年2月14日(金)19:00に「Nature Communications」のオンライン速報版で公開されました。

ー研究者からのひとことー

コアセルベートは、異符号の高分子が溶液中で凝集することによって形成され、細胞内の膜を持たない小器官の生成を理解するために重要であり、また薬物送達やカプセル化などの応用に向けた反応性材料の設計にも大きな可能性を秘めています。従来、コアセルベートは主に球形の液滴として形成されると考えられていましたが、私たちの研究はこれに反して、ネットワーク状の構造が形成されることを明らかにしました。この発見は、従来の理解を大きく覆すものであり、さまざまな応用に向けて新たな可能性が広がることを期待しています。(田中肇シニアプログラムアドバイザー)

発表内容

異符号の電解質高分子の相分離によって形成されるコアセルベートは、細胞内での凝縮物の理解やハイドロゲル材料の開発において非常に重要な役割を演じています。コアセルベートは、溶液中で異符号の高分子電解質が電気的に相互作用する結果形成される物質で、細胞内の膜を持たない小器官の形成にも関連しています。従来の研究では、コアセルベートは球形の液滴として形成され、その成長は液体-液体相分離の確立された法則に従うと考えられてきました。しかし、今回の研究では、電解質高分子や対イオン(注1)間の電気的相互作用および液体を介しての流体力学的相互作用を正しく取り入れた流体粒子動力学法を用いたシミュレーションにより、従来の理解を覆す新たなメカニズムが明らかになりました。

この研究によれば、異符号の高分子電解質は、従来の定説に反して単純な球形の液滴を形成するのではなく、非常に低い濃度でも自発的に相互接続されたネットワークを形成することが示されました(図1)。これは、最小限の高分子により多孔質やメッシュ状の材料を設計しようとする材料科学的観点からも非常に重要な発見と言えます。

さらに、このネットワーク形成が、相分離の速度に対して高分子の運動が遅いために生じる粘弾性相分離に起因し、成長指数(注6)が1/2の異常なべき乗則3,4に従い粗大化を示すことが明らかになりました(図1)。これは、従来の液滴形成相分離で観察される成長指数1/3とは対照的です。この発見は、実験でよく観察される液滴状のコアセルベートが、初期段階での不完全な混合に起因している可能性があることを示唆しています。

図1:低体積率2.3%での異符号の高分子電解質のネットワーク形成型相分離の時間変化(左図:初期状態;中央の図:相分離後)と、相分離過程での領域粗大化則(右図)。

図1:低体積率2.3%での異符号の高分子電解質のネットワーク形成型相分離の時間変化(左図:初期状態;中央の図:相分離後)と、相分離過程での領域粗大化則(右図)。

ポリカチオン(青い鎖)、ポリアニオン(赤い鎖)、マジェンタと黄色い小さな点は、それぞれの対イオン。ポリカチオンとポリアニオンの電荷が等しい場合(40:40)では、成長指数が1/2となる異常なべき乗則が観察された。破線は傾き-1/2を示す。


さらに、異符号の電解質高分子の電荷の不均衡の度合いを調整することで、ネットワーク形成の速度を制御できることも明らかになりました。このメカニズムは、生物学的システムにおける安定した力学的に強いネットワークを作成する新たな方法を提供し、細胞分裂に関与する固い凝縮体の形成機構の理解や、産業への応用に貢献すると期待されます。

さらに、相分離中に形成される液滴の形状に関する新たな知見も提供しています。従来の研究では、液滴はほぼ完全な球形をとると考えられていましたが、この研究では、液滴が初期には不規則な形状をとり、良溶媒中ではその不規則な形状が長時間保たれることが示されました(図2)。これにより、液体-液体相分離に関する従来の理解を超えて、タンパク質顆粒(注7)などの細胞内凝縮物が球形だけでなく不規則な形状をとる可能性が示唆されました。

図2:低体積率0.6%の異符号高分子電解質混合系でみられた不規則な形態を持つ液滴形成型の相分離。

図2:低体積率0.6%の異符号高分子電解質混合系でみられた不規則な形態を持つ液滴形成型の相分離。

ポリカチオンとポリアニオンの鎖長はいずれも40。正の電荷部分は青で、負の電荷部分は赤で示されている。


生体系においてこれらのネットワークがどのように形成されるかを理解することは、アルツハイマー病などの神経変性疾患に関連するタンパク質の凝集メカニズムなどの新しい理解をもたらすかもしれません。また、応用面でも、高分子ネットワークが自然に形成される新たなメカニズムを提供し、ハイドロゲルに代表される多孔質構造を持つ様々な材料の設計に新たな可能性を切り開くことが期待されます。

参考文献

1) H. Tanaka and T. Araki, Simulation method of colloidal suspensions with hydrodynamic interactions: Fluid particle dynamics, Phys.Rev.Lett.85,1338 (2000).

2)Tanaka, H. Viscoelastic phase separation. J. Phys.: Condens. Matter 12, R207 (2000).

3) M. Tateno and H. Tanaka, Power-law coarsening in network-forming phase separation governed by mechanical relaxation, Nat. Commun. 12, 912 (2021); 東京大学生産技術研究所プレスリリース「ネットワーク状の相分離構造の新たな成長則を発見」(2021年2月10日)

https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/3484/

4)J. Yuan, M. Tateno, H. Tanaka, Mechanical Slowing Down of Network-Forming Phase Separation of Polymer Solutions, ACS nano 17, 18025-18036 (2023); 東京大学先端科学技術研究センタープレスリリース「高分子溶液系の相分離の謎を解明」(2023年9月8日)

https://tiisys.com/blog/2023/09/09/post-126531/

発表者・研究者等情報

東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野

ユアン ジャアシン 研究当時:特任研究員

田中 肇 シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)/東京大学名誉教授

論文情報

雑誌名:Nature Communications

題名:Network-forming phase separation of oppositely charged polyelectrolytes forming coacervates in a solvent

著者名:Jiaxing Yuan and Hajime Tanaka* *責任著者

DOI:10.1038/s41467-025-56583-6

研究助成

本研究は、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援により実施されました。

用語解説

(注1)電解質高分子・ポリカチオン・ポリアニオン・対イオン

電解質高分子(polyelectrolyte)とは、主鎖や側鎖に電離基(イオン化可能な基)を持つ高分子のことです。この電離基が溶媒中で電離し、正または負の電荷を帯びるため、電解質としての性質を持ちます。電解質高分子は水などの極性溶媒に溶解すると、ポリイオン(高分子鎖全体がイオン化したもの)と電気的中性を保つために結びついていた反対の電荷を持つ対イオンに解離し、特殊なコロイド的性質や電気的特性を示します。ポリカチオン(陽イオン性高分子)は、電離すると正電荷を持つ基(例:アミノ基)を含む高分子で、ポリアニオン(陰イオン性高分子)は、電離すると負電荷を持つ基(例:カルボキシ基、スルホン酸基)を含む高分子を指します。

(注2)相分離

相分離とは、混合物が2つの異なる性質を持つ領域、つまり「相」に分かれる現象のことです。これは、混合物中の特定の成分がある領域に集中し、他の成分が別の領域に集中する場合に起こります。例えば、油と水が分離して液滴を形成する現象が相分離の一例です。

(注3)ハイドロゲル

ハイドロゲル(hydrogel)とは、大量の水を吸収し保持する能力を持つ三次元ネットワーク構造の高分子材料です。水と高分子の網目構造が相互作用することで形成され、柔らかく、弾性や粘弾性などのユニークな物理的特性を示します。水分含有量が高いことから、生体組織に似た性質を持ち、さまざまな応用が可能です。

(注4)流体粒子動力学法

流体粒子動力学法(FPD)シミュレーションは、田中肇グループにより導入された数値解析手法です1。この手法は、流体や粒子の動的な挙動を研究するために用いられます。FPD法では、粒子を高粘性の流体粒子として扱い、それらが互いに力を介して相互作用すると仮定します。FPDシミュレーションは、非平衡現象の動的挙動を解析する上で有用です。

(注5)粘弾性相分離

粘弾性相分離(VPS)とは、主に高分子やコロイド系の材料が相分離を起こす際に、粘性(流れる性質)と弾性(伸びたり変形したりする性質)の両方を示す過程です。この現象は、中性高分子溶液で最初に発見されました2。相分離によって生じる急激な変形に対して、高分子の運動が遅いことに起因する粘弾性効果が、一時的なネットワークの形成を引き起こします。VPSは、分子量が大きい高分子系や、コロイド懸濁液のように動力学が遅いシステムにおいて頻繁に観察されます。

(注6)成長指数

相分離における成長指数とは、相分離プロセス中に分離された相(液滴やドメインなど)のサイズが時間とともにどのように増加するかを示す重要なパラメーターです。この指数は、システムの進展に伴い特徴的な長さスケール(例えば平均液滴サイズ)が増大する速度を表します。相分離を経験するシステムでは、ドメインの成長は通常、次のようなべき乗則に従います: ()。ここで、 は成長指数を示します。クラシカルな液体-液体相分離で液滴が形成される場合、典型的には =1/3 という値が得られます。

(注7)タンパク質顆粒

タンパク質顆粒(protein granule)とは、細胞内でタンパク質が集合し、凝集体を形成している粒状の構造体のことです。これらの顆粒は可逆的または不可逆的に形成され、細胞のストレス応答や機能的なタンパク質の蓄積、あるいは病理学的状態に関与します。

問合せ先

東京大学 名誉教授

東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野

シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)田中 肇(たなか はじめ)

0504高分子製品
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