2024-11-18 理化学研究所,東京大学
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター 強相関界面研究グループの中村 優男 上級研究員、安波 貴広 研修生(東京大学 大学院工学系研究科 大学院生(ともに研究当時))、川﨑 雅司 グループディレクター(理研研究政策審議役、東京大学 大学院工学系研究科 教授)、強相関理論研究グループの永長 直人 グループディレクター(最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部基礎量子科学研究プログラム プログラムディレクター)、強相関物性研究グループの十倉 好紀 グループディレクター(東京大学 卓越教授(国際高等研究所東京カレッジ))らの国際共同研究グループは、量子力学的な位相効果を利用することで、本来は電気伝導に寄与しない励起子[1]からの光電流発生に成功しました。
本研究成果は、従来の太陽電池や光検出器において利用が困難であった励起子を有効に活用する道を開くとともに、励起子物性に関する新しい理論的枠組みの構築に貢献すると期待されます。
今回、国際共同研究グループは、空間反転対称性[2]が破れた結晶構造を持つワイドギャップ半導体[3]のヨウ化銅において、電気的に中性である励起子状態からシフト電流[4]と呼ばれる量子位相効果[5]に起因する光電流が発生することを実証し、励起子がシフト電流を増強することを明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(11月16日付:日本時間11月16日)に掲載されました。
励起子生成からのシフト電流発生の概念図
背景
半導体に光を照射すると、負の電荷を持つ電子と正の電荷を持つ正孔が対で生じます。太陽電池などの光起電力素子では、この光によって生じた電子と正孔を空間的に分離することで光電流を発生させ、起電力を得ています。一方で、電子と正孔の間には静電引力が働くため、多くの半導体中では、光で生成した電子と正孔は、励起子と呼ばれる両者が結合した状態として安定化します。励起子は電気的に中性であるため、通常は電流発生に寄与しません。従って、励起子状態が安定な半導体から光起電力を得るためには、静電引力のエネルギーに打ち勝って励起子を自由な電子と正孔に解離することが必要です。これには、異種半導体を接合した特殊な界面構造が必要で、素子構造の複雑化や光起電力の低下という問題がありました。
最近、空間反転対称性の破れた半導体では、励起子を解離することなく、励起子から電流を直接発生できることが、国際共同研究グループの森本高裕准教授と永長グループディレクターによって理論的に予言されていました注)。この電流はシフト電流と呼ばれ、光学遷移に伴って波動関数の量子幾何学位相[6]が変化することで生じる光電流です。しかし、この励起子から発生したシフト電流を、直流電流として実験的に観測した例はこれまでありませんでした。
注)T. Morimoto and N. Nagaosa, Topological aspects of nonlinear excitonic processes in noncentrosymmetric crystals. Phys. Rev. B 94, 035117 (2016)
研究手法と成果
本研究では、ヨウ化銅(CuI)というワイドギャップ半導体を対象物質として、励起子からのシフト電流発生を実証することに挑みました。CuIは空間反転対称性の破れた結晶構造を持つことに加えて、室温以上の高温でも励起子が安定に存在し、強い励起子応答を示す物質です。
国際共同研究グループはまず、分子線エピタキシー法[7]によって、高品質の単結晶CuI薄膜を作製しました。この薄膜試料に直線偏光した光を照射し、薄膜面内の直交する二つの結晶軸方向に発生する光電流を測定しました(図1a)。この結果、試料に電場を印加していないにもかかわらず光電流が観測されました。また、偏光面を回転させると2回対称(180度回転したとき元に重なること)で光電流の符号が振動し、直交する2軸方向で振動の位相が45度ずれることが分かりました(図1b)。これらの光電流の偏光角依存性は、CuIの結晶構造の対称性から予想されるシフト電流の応答と一致しており、観測された光電流がシフト電流であると同定されました。
図1 CuI薄膜における光電流の観測
(a)(111)配向CuI薄膜におけるシフト電流測定のセットアップ。直線偏光の光を薄膜に照射し、偏光角を変えながら、薄膜試料の面内の直交する二つの結晶軸(x、y)方向に発生する光電流を、電場がない状態で測定した。(b)温度50Kで観測された光電流の偏光角依存性。偏光角を回すと光電流の符号が2回対称で振動し、直交する2軸(x、y)方向で位相が45度ずれていることが分かる。この偏光角依存性から、観測された光電流がシフト電流と同定された。
(111)配向:Cul薄膜の結晶軸が試料面に垂直な方向を示す。J:光電流を示す。
次に、照射する光のエネルギー(波長)を変えてシフト電流を測定しました。この結果、3.05電子ボルト(eV)と3.7eV付近でシフト電流が負の方向にピークを持って増大する様子が観測されました(図2a)。図2bには、CuI薄膜の光吸収スペクトルを示します。シフト電流が負のピークを示す同じ光子エネルギーで、光吸収もピークを持っていることが分かります。光吸収のピークは、この光子エネルギーで共鳴的に励起子が形成されていることを表しており、二つの励起子はそれぞれZ1,2励起子(3.05eV)およびZ3励起子(3.7eV)と呼ばれています。従って、図2aに見られる二つのシフト電流のピークは、光で生成された励起子からシフト電流が発生していることを明確に示しています。また、励起子からシフト電流への変換効率は、連続帯[8]を励起した場合の効率を上回り、本来は電流発生に寄与しない励起子がシフト電流の発生を増強させる効果があることが明らかになりました。
図2 励起子からのシフト電流発生
(a)入射光のエネルギーを変えて測定した50Kにおけるシフト電流の励起スペクトル。二つの励起子の共鳴エネルギーにおいてシフト電流が負のピークを持っており、励起子の生成からシフト電流が発生していることが示されている。(b)同じ50KにおけるCuI薄膜の光吸収スペクトル。3.05eVと3.7eVの光子エネルギーにおいて吸収係数がピークを示しており、このエネルギーにおいて励起子が共鳴的に形成されていることを示す。二つの励起子はそれぞれZ1,2励起子、Z3励起子と呼ばれている。
さらに、国際共同研究グループのヤンハオ・チャン研究助教とグァンユウ・グオ教授らは、第一原理計算[9]によるシフト電流の評価を行った結果、CuI薄膜における励起子からのシフト電流の大きさや符号は、結晶格子のひずみに対して極めて敏感に変化することが分かりました。本研究で用いたCuI薄膜にかかっている格子ひずみを考慮したシフト電流の計算結果は、実験で観測された励起子からのシフト電流の大きさや符号を良く再現することができました。
今後の期待
本研究では、シフト電流という量子位相効果に起因する光電流の発生機構を利用することで、励起子を解離せずに直接電流を発生させられることを実証しました。さらに、励起子がシフト電流の発生効率を高めることや、励起子からのシフト電流が格子ひずみに対して極めて敏感に変化することを明らかにしました。この成果は、従来は利用が困難であった励起子を有効に活用する高効率の光起電力素子や、格子ひずみなどの外場応答を高感度で検出する光センサーなどの開発につながることが期待されます。また、シフト電流を励起子の検出に用いることで、励起子の持つ量子幾何学位相など他の観測手法では得られない情報が明らかになり、励起子物性に関する新しい理論的枠組みの構築にも貢献することが期待されます。
補足説明
1.励起子
電子と正孔が静電引力によって束縛された状態で、半導体を光で励起した際に生成される。励起子は電気的に中性であるため、通常は電気伝導に寄与しない。
2.空間反転対称性
各点の座標(x, y, z)を(-x, -y, -z)に変換する操作を空間反転操作と呼ぶ。空間反転操作の前後で構造が一致しない場合、空間反転対称性が破れているという。
3.ワイドギャップ半導体
半導体には、禁制帯(バンドギャップ)と呼ばれる電子が占有することができないエネルギー領域が存在する。大きなバンドギャップを持つ半導体をワイドギャップ半導体と呼ぶ。
4.シフト電流
空間反転対称性の破れた物質を光で励起した際に、電子波動関数の量子幾何学位相が変化することで生じる電流。電場下で生じる一般的なオーミック電流とは異なり、散乱の影響を受けにくい特性や、電流を運ぶ自由キャリア(伝搬媒体)を必要としないという特性を持つ。
5.量子位相効果
電子の波動関数が持つ位相の発展が巨視的に観測される物理現象。
6.量子幾何学位相
量子系のパラメータを時間に沿って変化させる際に波動関数に加わる位相。
7.分子線エピタキシー法
超高真空の清浄な雰囲気下で、成分元素または構成分子を蒸発させて結晶基板上に供給し、基板の結晶方位にそろった結晶薄膜を成長させる手法。特に結晶性の良い半導体などの薄膜作製に適した手法である。
8.連続帯
禁制帯(バンドギャップ)より高エネルギー側の電子が占有できるエネルギーが連続している領域。
9.第一原理計算
経験的なパラメータを含むことなく、量子力学の最も基本的な原理に立脚して電子状態を計算すること。
国際共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
強相関界面研究グループ
上級研究員 中村 優男(ナカムラ・マサオ)
(バトンゾーン研究推進プログラム 強相関材料環境デバイス研究チーム 上級研究員)
研修生(研究当時)安波 貴広(ヤスナミ・タカヒロ)
(東京大学 大学院工学系研究科 大学院生(研究当時))
グループディレクター 川﨑 雅司(カワサキ・マサシ)
(理研 研究政策審議役、東京大学 大学院工学系研究科 教授)
創発光物性研究グループ
研究員(研究当時)ヤジアン・フウ(Yajian Hu)
グループディレクター 小川 直毅(オガワ・ナオキ)
(バトンゾーン研究推進プログラム 強相関材料環境デバイス研究チーム 副チームリーダー)
電子状態マイクロスコピー研究チーム
技師 イリン・チュウ(Yi Ling Chiew)
チームリーダー 于 秀珍(ウ・シュウシン)
強相関理論研究グループ
グループディレクター 永長 直人(ナガオサ・ナオト)
(最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部 基礎量子科学研究プログラム プログラムディレクター)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(トクラ・ヨシノリ)
(東京大学 卓越教授(国際高等研究所 東京カレッジ))
東京大学 大学院工学系研究科
准教授 森本 高裕(モリモト・タカヒロ)
台湾中央研究院
研究助教 ヤンハオ・チャン(Yang-Hao Chan)
国立台湾大学
大学院生(研究当時)イーシュアン・ファン(Yi-Shiuuan Huang)
教授 グァンユウ・グオ(Guang-Yu Guo)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「高品質単結晶薄膜・界面による金属ハライドX-nicsの基盤構築(研究代表者:川﨑雅司、22H04958)」、同基盤研究(A)「量子非線形応答の理論的研究(研究代表者:永長直人、24H00197)」、同学術変革領域研究(A)「キメラ準粒子の分子科学(研究代表者:谷口耕治、24H02234)」「キメラ準粒子の理論(研究代表者:村上修一、24H02231)」、住友化学による助成を受けて、理研TRIPイニシアティブにより実施されました。
原論文情報
Masao Nakamura, Yang-Hao Chan, Takahiro Yasunami, Yi-Shiuan Huang, Guang-Yu Guo, Yajian Hu, Naoki Ogawa, Yiling Chiew, Xiuzhen Yu, Takahiro Morimoto, Naoto Nagaosa, Yoshinori Tokura, Masashi Kawasaki, “Strongly enhanced shift current at exciton resonances in a noncentrosymmetric wide-gap semiconductor”, Nature Communications, 10.1038/s41467-024-53541-6
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関界面研究グループ
上級研究員 中村 優男(ナカムラ・マサオ)
研修生(研究当時)安波 貴広(ヤスナミ・タカヒロ)
(東京大学 大学院工学系研究科 大学院生(研究当時))
グループディレクター 川﨑 雅司(カワサキ・マサシ)
(理研 研究政策審議役、東京大学 大学院工学系研究科 教授)
強相関理論研究グループ
グループディレクター 永長 直人(ナガオサ・ナオト)
(最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部 基礎量子科学研究プログラム プログラムディレクター)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(トクラ・ヨシノリ)
(東京大学 卓越教授(国際高等研究所 東京カレッジ))
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学 大学院工学系研究科 広報室
東京大学 経営企画部国際戦略課 東京カレッジチーム