冷却原子型・量子シミュレータで原子の「電子状態」と「運動状態」の間の量子もつれを観測することに成功

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2024-09-02 分子科学研究所

【発表のポイント】
  • 0.5ミクロン間隔で格子状に整列させた3万個の原子配列を超高速レーザーで操作する独自手法を用いた超高速量子シミュレーション
  • 配列中の原子間での電子状態同士の「量子もつれ」に加えて、原子同士の強い反発力に由来する電子状態と運動状態の間の「量子もつれ」が、数ナノ秒の間に形成される様子を観測
  • 電子など反発力を持つ粒子の運動状態を取り込んだ、新規量子シミュレーション手法を提案
  • 今回実験的に明らかになった「電子状態」と「運動状態」の間の量子もつれは冷却原子型・超高速量子コンピュータの計算素子(量子ゲート)の精度を低下させる主要な要因の一つ
【概要】

自然科学研究機構・分子科学研究所のVineet Bharti研究員(研究当時、現・ブリストル大学Senior Research Associate)、素川靖司助教(研究当時、現・東京大学大学院総合文化研究科 准教授)、Sylvain de Léséleuc特任准教授、大森賢治教授(総合研究大学院大学)らの研究グループは、ほぼ絶対零度(1)に冷却した3万個の原子を0.5ミクロン(2)間隔で格子状に整列させ、10ピコ秒(1000億分の1秒)だけ光る特殊なレーザー光で高精度に操作する「超高速量子シミュレーション(3)」における量子状態を詳細に調べました。その結果原子配列の電子状態の「量子もつれ(4)」に加えて、原子同士の強い反発力に由来する電子状態と運動状態の間の「量子もつれ」が、数ナノ秒(ナノ = 10億分の1)の間に形成されることを明らかにしました(図1)。またこの結果をもとに、粒子間の反発力を取り込んだ新しい量子シミュレーションが実現可能であることが示されました。今後、さらなる高度化により、新たな性質を持つ機能性材料を探求するツールとなることが期待されます。

この成果は米国物理学会を代表する旗艦誌「Physical Review Letters」のオンライン版に2024年8月30日に掲載されました。

1.研究の背景

光トラップによって捕捉・配列された冷却原子は、量子コンピュータ(5)・量子シミュレータ(3)・量子センサ(6)などの「量子テクノロジー」のプラットフォームとして大きく注目を集めています。これらの量子テクノロジーでは、それぞれの原子が持つ量子状態が相関を持つ「量子もつれ」と呼ばれる状態が必要不可欠な役割を果たします。冷却原子プラットフォームでは「リュードベリ状態(7)」と呼ばれる巨大な電子軌道を持つ電子状態が「量子もつれ」の生成に利用されています。

本研究グループは、10ピコ秒(1000億分の1秒)だけ光る特殊なレーザー光を用いて、0.5ミクロン間隔で格子状に整列した3万個の原子を一斉にリュードベリ状態へ励起する技術を開発しました。さらに、この技術を利用してナノ秒スケール(ナノ = 10億分の1)の超高速量子シミュレータを開発しています。今回、超高速量子シミュレータの量子状態を詳細に調べた結果、原子の電子状態間の「量子もつれ」に加えて、リュードベリ状態にある原子同士の強い反発力によって電子状態と運動状態の間に「量子もつれ」が生成することが明らかになりました。

2.研究の成果
2-1.実験方法

実験はルビジウム原子(8)を使って行われました。まず、レーザー光を用いた特殊な冷却方法(9)を用いて気体のルビジウム原子3万個を絶対温度100 ナノケルビン(1000万分の1絶対温度)以下の超低温に冷却しました。これを光格子(10)と呼ばれる格子状に整列した光トラップ列に導入し、0.5ミクロン間隔に並んだ原子配列を作りました。そして、10ピコ秒(1000億分の1秒)だけ光る超短パルスレーザー光を照射し、電子が5s軌道(基底状態)に閉じ込められた状態と巨大な29s電子軌道に持ち上げられたリュードベリ状態の「量子重ね合わせ (11)」を生成しました。

従来の研究では、リュードベリ原子が周りの原子のリュードベリ状態への励起を阻害する「リュードベリ・ブロッケード(12)」と呼ばれる現象によって、リュードベリ原子の間の距離は5 ミクロン程度に制限されていました。本研究グループは、超短パルスレーザー光を用いて超高速で励起することによってリュードベリ・ブロッケードを回避する独自の手法を実現しています。この手法により、0.5ミクロンまで近接した原子を、一斉にリュードベリ状態へ励起することが可能となっています。

冷却原子型・量子シミュレータで原子の「電子状態」と「運動状態」の間の量子もつれを観測することに成功
図1.超高速量子シミュレータにおける「相互作用による反発力」の概念図

2-2.実験結果

基底状態とリュードベリ状態の量子重ね合わせの時間変化を観察した結果、リュードベリ状態にある原子(リュードベリ原子)の間の相互作用により、多数の原子の電子状態間の量子もつれが数ナノ秒の間に形成される様子が観測されました。さらに、理論計算との精密な比較を行った結果、「電子状態」と「運動状態」の間の量子もつれが同時に形成されている事が明らかとなりました。これは、非常に強い相互作用によって、リュードベリ原子同士に反発力がはたらき、「原子がリュードベリ状態にあるかどうか」と「原子が動くか動かないか」に相関が生じるため、と理解することができます。この相関は、光格子中の原子の波動関数(13)の広がり(60ナノメートル、ナノ = 10億分の1)と同じスケールまでリュードベリ原子が近接することで初めて現れる現象であり、本研究グループ独自の超高速の励起手法を用いて0.5ミクロンまで近接したリュードベリ原子を実現することにより観測が可能となりました。

実際の物質においても、電子等の粒子の間には反発力がはたらいています。本研究グループは、粒子間の反発力を取り込んだ新しい量子シミュレーション手法を提案しました。超短パルスレーザー光を利用して、ナノ秒スケールの短時間だけ原子をリュードベリ状態へ励起し、反発力を与えることができます。これを高速に繰り返すことにより、光格子に捕捉されている原子同士の反発力を自由に制御することが可能となります。この手法により、反発力を及ぼしあう粒子の運動状態を取り込んだ、新しい量子シミュレーションが実現すると期待されます。

3.今後の展開・この研究の社会的意義

量子シミュレーションは、従来のコンピュータでは予測が難しい超伝導材料・磁性材料などの性質を予測し、新たな物性を探求する手法として期待されています。今回、本研究グループが開発した技術を更に高度化させることで、粒子間の反発力を取り込んだ新しい量子シミュレーションが実現し、新たな性質を持つ機能性材料を探求するツールになると期待されます。

また、本研究グループは最近、従来の冷却原子型量子コンピュータの2量子ビットゲート(14)を一気に2桁加速する「冷却原子型・超高速量子コンピュータ」の開発で世界の注目を集めています。2量子ビットゲートとは、2つの量子ビットの電子状態の間に量子もつれを発生させる最も重要な量子計算素子の一つです。冷却原子型・超高速量子コンピュータでは、この量子もつれを発生させるためにリュードベリ状態が用いられますが、この過程で発生する原子の運動の効果は、2量子ビットゲートの精度を低下させる主要な要因の一つとして問題視されています。この「電子状態」と「運動状態」の量子もつれが発生する過程を実験的に明らかにした今回の成果は、今後2量子ビットゲートの精度を改善し、社会的に有用な量子コンピュータを実現するためにも非常に重要な進展であると言えます。

4.用語解説

(1) 絶対零度
原子・分子の運動が止まった状態を0度とする温度を絶対温度と呼ぶ。単位はケルビン。ゼロ・ケルビンのことを絶対零度という。絶対温度0ケルビンは摂氏-273.15℃で、摂氏0℃は絶対温度+273.15ケルビン。

(2) ミクロン
1ミクロンは1マイクロメートル(1000分の1ミリ)。

(3) 量子シミュレーション・量子シミュレータ
力を及ぼし合う多数のミクロな粒子(例えば固体中の電子など)のシミュレーションに特化した量子コンピュータ(4)。スパコンなどの古典コンピュータで計算する代わりに、原子などの量子力学的な粒子を使って制御性の高い人工的なモデル物質を組み立て、そこでの模擬実験によって多数のミクロな粒子の集団的な性質を理解しようとする新しいコンセプト。世界最速スパコンでさえ10の何百乗年もかかるような問題を1秒以内で解くことができ、超伝導材料・磁性材料の開発や物流・交通渋滞など社会問題の解決に破壊的なイノベーションを起こし得る機械として期待されている。

(4) 量子もつれ
「量子重ね合わせ(10)」があるときに、2つの量子系の状態間で生じる特殊な相関のこと。2つの量子ビット間に量子もつれがある場合、片方の量子ビットの状態(“0”or“1”)は、もう片方の量子ビットの状態(“0”or“1”)に依存し、互いの状態を考慮せずに片方だけの状態を決めることはできなくなる。複数の量子ビットの間に相互に関係を持たせるこの量子もつれは、量子コンピュータ(4)の高速性の源泉の一つであるとされている。2022年、光子を用いて「量子もつれ」の存在を明らかにする研究を行った3氏にノーベル物理学賞が授与されている。

(5) 量子コンピュータ
「量子もつれ(4)」を情報処理に応用したコンピュータ。原子などの量子力学的な粒子の集団に対して、個別粒子の状態操作や複数粒子の間で論理演算を行うことによって情報処理を行う。異なった状態を同時にとる「量子重ね合わせ(10)」という量子的性質を使うことによって超並列計算が可能となり、通常のコンピュータでは非常に長い時間がかかる計算を一瞬で行うことができると期待されている。

(6) 量子センサ
原子や電子などのミクロな物質や光の量子力学的な性質を利用して物理量を計測する装置。従来の計測装置よりも高感度な計測が可能になると期待される。

(7) リュードベリ状態
原子内の電子が、原子核から遠く離れた「リュードベリ軌道」と呼ばれる電子軌道にある状態。原子核からリュードベリ軌道までの距離はナノメートルからマイクロメートルに達する。リュードベリ軌道上を運動する電子をリュードベリ電子、リュードベリ電子を持った原子をリュードベリ原子と呼ぶ。

(8) ルビジウム原子
アルカリ金属原子の一つで、原子番号37の原子。原子核の周りの電子のつまった電子軌道のうち、一番外側の5s軌道に一つの電子を持つ。

(9) レーザー光を用いた特殊な冷却方法
レーザー光を利用して気体原子の持つエネルギーを取り去り、原子の温度を冷却する技術をレーザー冷却と呼ぶ。原子はレーザー光を吸収する際にレーザー光の持つ運動量を受け取り、レーザー光の進行方向に対して力を受ける。原子がレーザー光に対向して進んでいる場合には、その力によって原子が徐々に減速され原子の持つエネルギーが下がる。これによって、原子集団を絶対温度1ケルビンの10万分の1程度まで冷やすことが可能となる。さらにここから温度の高い原子を蒸発させることによって1000万分の1ケルビン以下の超低温まで冷やすことができる。

(10) 光格子
対向するレーザー光の干渉でできた光の定在波を利用して、超低温の原子を捕捉する光トラップを周期的に並べたもの。本研究では6方向からレーザー光を対向させることによって、3次元の正方格子状に0.5ミクロン間隔で3万個の原子を並べている。

(11) 量子重ね合わせ
複数の異なった状態を同時にとることができるという量子力学特有の性質。通常の古典的なコンピュータでは、情報の単位であるビットは、ある瞬間に“0”か“1”のどちらかの状態にある。しかし、量子コンピュータ(4)の量子ビット(例えば原子のような量子力学的な粒子)は、“0”と“1”の2つの状態を同時にとることができる。また、2つの状態の重ね合わせ方にもさまざまな方法がある。量子状態を波ととらえると、2つの波の山同士が揃うように重ねた状態:“0”+“1”状態、2つの波の山と谷が揃うように重ねた状態:“0”-“1”状態、というように、“0”と“1”で構成される状態にも、異なる重ね合わせ状態が存在する。

(12) リュードベリ・ブロッケード
2つの近接する原子の中の電子をリュードベリ状態(6)にレーザー励起するときに、同時励起が強く抑制され、どちらか一方の原子の中の電子のみがリュードベリ状態に励起される現象。リュードベリ原子の間に働く長距離相互作用に起因する。

(13) 波動関数
電子や原子などのミクロな粒子が持つ波の性質を表した関数。波はサッカーボールなど私達の身の回りの粒子と違って重なり合うことや、空間的に広い範囲に同時に存在することができる。従って、電子や原子などミクロな粒子は、異なった状態を同時にとったり、別の場所に同時に存在できるなど、私達の目に見える粒子にはない不思議な性質を持っている。

(14) 2量子ビットゲート
量子コンピュータ(5)における基本演算要素である「量子ゲート」の1種。量子ゲートには1個の量子ビットの状態を操作する1量子ビットゲートと、2個の量子ビットの間に量子もつれ(4)を発生させる2量子ビットゲートがあるが、特に2量子ビットゲートは量子コンピュータの劇的な高速性の源泉であり、技術的にも難易度が高くなる。

5.論文情報  

掲載誌:Physical Review Letters
論文タイトル:“Strong spin-motion coupling in the ultrafast dynamics of Rydberg atoms”(「リュードベリ原子の超高速ダイナミクスにおける強いスピン‐運動カップリング」)
著者:V. Bharti, S. Sugawa, M. Kunimi, V. S. Chauhan, T. P. Mahesh, M. Mizoguchi, T. Matsubara, T. Tomita, S. de Léséleuc, and K. Ohmori
掲載日:2024年8月30日(オンライン公開)
DOI:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.133.093405

6.研究グループ

自然科学研究機構・分子科学研究所
総合研究大学院大学
東京理科大学

7.研究サポート

本研究は、以下の支援を受けて行われました。

文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)
研究番号:「JPMXS0118069021」
研究課題名:「アト秒ナノメートル領域の時空間光制御に基づく冷却原子量子シミュレータの開発と量子計算への応用」
研究代表者:(自然科学研究機構 分子科学研究所 大森 賢治 研究主幹/教授)
研究期間:平成30年4月~令和10年3月

日本学術振興会 科研費
研究種目:「特別推進研究」
研究番号:「16H06289」
研究課題名:「アト秒精度の超高速コヒーレント制御を用いた量子多体ダイナミクスの探求」
研究代表者:(自然科学研究機構 分子科学研究所 大森 賢治 研究主幹/教授)
研究期間:平成28年4月~令和3年3月

科学技術振興機構 ムーンショット型研究開発事業
研究開発プログラム:ムーンショット目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」(プログラムディレクター:北川 勝浩)
研究開発プロジェクト:「大規模・高コヒーレンスな動的原子アレー型・誤り耐性量子コンピュータ」(JPMJMS2269)
プロジェクトマネージャー:大森 賢治 自然科学研究機構 分子科学研究所 研究主幹/教授

日本学術振興会 科研費
研究種目:「基盤研究B」
研究番号:「21H01021」
研究課題名:「強相関リュードベリ原子を用いた非平衡量子開放系の量子シミュレーション」
研究代表者:(東京大学 大学院総合文化研究科 素川 靖司 准教授)
研究期間:令和3年4月~令和6年3月

日本学術振興会 科研費
研究種目:「若手研究」
研究番号:「20K14389」
研究課題名:「Rydberg原子系で実現する高次元、高スピン系における非平衡ダイナミクスの研究」
研究代表者:(東京理科大学 國見 昌哉 助教)
研究期間:令和2年4月~令和5年3月

日本学術振興会 科研費
研究種目:「学術変革領域研究(A)」
研究番号:「22H05268」
研究課題名:「孤立量子系の非エルゴード性に由来する新奇量子多体現象の研究」
研究代表者:(東京理科大学 國見 昌哉 助教)
研究期間:令和4年6月~令和6年3月

8.研究に関するお問い合わせ先 (研究代表者)

大森賢治(おおもり けんじ)
自然科学研究機構 分子科学研究所 光分子科学研究領域 研究主幹/教授
総合研究大学院大学 教授
TEL: 0564-55-7361 / FAX: 0564-54-2254
E-mail:ohmori_at_ims.ac.jp(_at_は@に変換してください。)

9.報道担当

自然科学研究機構・分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係

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