量子コンピュータのシミュレーション性能を劇的に向上させる「蒸留」限界を突破!~物理現象の局所化による情報の遮断を活用~

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2024-08-23 東京大学

【研究成果のポイント】

  •  量子コンピュータ※1におけるシミュレーション性能を劇的に向上させる新しいアプローチを開発。
  •  量子コンピュータを用いた量子シミュレーションにおいて、量子状態間のもつれ測定※2に基づいて「蒸留」と呼ばれる操作を行うと、冷却温度やノイズのような実験的な限界を破ることができる一方、測定回数が指数関数的に増大してしまうという問題を抱えていた。
  •  本研究では、蒸留を局所的にのみ実行することで、従来手法と比べて測定回数を指数的に削減できることを示した。
  •  本研究成果は、量子シミュレーションの実用化の重要な第一歩であり、未解明の量子多体系※3由来の現象の解明につながるものと期待される。

概要

量子コンピュータのシミュレーション性能を劇的に向上させる「蒸留」限界を突破!~物理現象の局所化による情報の遮断を活用~
大阪大学大学院基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センターの箱嶋秀昭 助教、NTTコンピュータ&データサイエンス研究所の遠藤傑 准特別研究員、山本薫 研究員、中央大学の松崎雄一郎 准教授、東京大学大学院工学系研究科の吉岡信行 助教は、量子コンピュータにおけるシミュレーション性能を劇的に向上させる新しいアプローチを発表しました。この方法は、局所性※4と呼ばれる物理学の基本的な概念を量子シミュレーションの実用化に応用したものであり、未来の量子技術の実現を大きく前進させるものと期待されます。
自然界の複雑な量子現象を解明するために、量子シミュレーションは重要な役割を果たします。しかし、現行の量子シミュレーションデバイスは、冷却温度の限界や環境からのノイズといった多くの実験的制約に直面しています。先行研究において、量子状態間にもつれ測定を実行し、実験的な限界を超える結果が得られる、蒸留と呼ばれる手法が提案されましたが、系のサイズが大きくなるにつれて測定回数が指数関数的に増大してしまうという問題を抱えていました。
今回、研究グループは、着目する局所領域にのみ蒸留する「局所仮想純化法」という手法を提案し、クラスター性と呼ばれる、物理学における基本的な性質が成立するという条件のもとで、測定回数の問題が解決することを理論的に証明しました。本提案手法は、量子シミュレーション性能を劇的に向上させるとともに、量子シミュレーションの実用化への重要な一歩となるものと期待されます。
本研究は、2024年8月22日(米国東部夏時間)に米国科学雑誌『Physical Review Letters』のオンライン版に掲載されました。

研究の背景

量子力学は自然現象を記述する最も基本的な理論であり、現代物理学の基盤としての役割だけでなく、半導体デバイス設計のような現代エレクトロニクスの基礎としても重要な役割を担っています。量子力学に従う複雑な現象は、従来のコンピュータではシミュレーションが困難であると知られており、複雑な現象を理解し制御することのボトルネックになっています。

そのような自然現象を効率的に調べるために有効な手段と考えられているのが、量子力学に従って動作するデバイスの活用、すなわち量子シミュレーションです。量子シミュレーションは、リチャード・P・ファインマン※5による量子コンピュータの提案の起源であるだけでなく、現在の量子情報科学において中心的なトピックであり、物性物理学、統計物理学、量子化学、高エネルギー物理学など、複雑な量子力学的現象が現れる多くの分野への応用が期待されています。

例えば、熱平衡状態・非平衡ダイナミクス※6のシミュレーションにおいては、量子力学的な効果が大きく現れる場合、従来のコンピュータでは非常に困難と考えられており、量子シミュレーションの応用が威力を発揮すると注目されています。しかし、これまでの量子デバイスには、実験的な制約があるためすべてのタスクを量子デバイス上で行うことが難しいという問題がありました。実験的な制約とは、たとえば冷却温度の限界や環境からのノイズの影響のことを指します。この問題に対処するために、もつれ測定を利用した、量子状態の純度※7を仮想的に高める方法である仮想冷却法・仮想蒸留法※8が先行研究で提案されました。しかし、扱う問題のサイズが大きくなるにつれて測定回数が指数関数的に増大し、量子シミュレーションが威力を発揮するはずの大規模なサイズの問題に対処できなくなってしまうという困難を抱えていました。

研究の内容

本研究グループは、局所性という物理学の基本概念を考察し、量子シミュレーションに必要なもつれ測定を全域ではなく、着目する局所領域に限定する新しい手法「局所仮想純化法」を提案しました(図1)。熱平衡状態のように自然界にて普遍的に実現される状態では、局所性に密接に関連した概念である「クラスター性」と呼ばれる性質が広く成り立つと信じられています。クラスター性とは、遠く離れた2地点間での実験結果は相関を持たない、という性質のことです。量子シミュレーションにより生成される状態がこのような性質を持っていれば、遠く離れた地点において蒸留により純度を高める操作は、出力結果に何の影響も及ぼさないことになります。言い換えると、着目する領域から遠く離れた地点の純度を高める操作は不要であり、全域的ではなく局所的にのみ蒸留することで、従来の測定回数の指数関数的な増大の問題を解決できると期待できます。今回の研究では、上記の期待が現実となるような理論的な条件を明らかにしました。具体的には、冷却やノイズ緩和タスクに局所仮想純粋化法が適用できるための条件、つまり局所的に制限された蒸留操作が数学的に正当化される条件を示しました。加えて、条件が完全に満たされない場合であっても、局所的な操作への置き換えが依然として有効であることを数値的に示しました(図2)。さらに、先行研究で独立に提唱された冷却とノイズ緩和タスクを同時に実行可能であることも提案し、このタスクを全域的ではなく局所的なものに置き換えることができることも数値的に示しました(図3)。

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本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究により、現実的な測定回数で量子シミュレーションの実験的な限界を破ることが可能になりました。これは、量子シミュレーションの実用化に向けた重要な一歩であり、幅広い科学分野での応用が期待されます。今後の方向性として、トポロジカル秩序の検出や量子カオス性を特徴付ける量の測定など、冷却とノイズ緩和以外への応用が考えられます。これらの量は先行研究において、もつれ測定を用いて検出する手法が提案されているため、本提案手法が適用可能なものと期待されます。本提案手法によって量子優位性が達成できれば、量子シミュレーションによって未解明の量子多体現象の理解が進み、幅広い分野に貢献できると期待できます。

発表者・研究者等情報

箱嶋  秀昭(大阪大学 大学院基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センター 助教)
遠藤   傑(NTTコンピュータ&データサイエンス研究所 准特別研究員)
山本   薫(NTTコンピュータ&データサイエンス研究所 研究員)
松崎 雄一郎(中央大学 理工学部 准教授)
吉岡  信行(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 助教)

特記事項

本研究成果は、2024年8月23日(金)午前0時(日本時間)に米国科学誌「Physical Review Letters」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Localized virtual purification”
著者名:Hideaki Hakoshima*, Suguru Endo, Kaoru Yamamoto, Yuichiro Matsuzaki, Nobuyuki Yoshioka*
なお、本研究は、以下の支援により実施されました。
o    文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「知的量子設計による量子ソフトウェア研究開発と応用(課題番号:JPMXS0120319794)」
o    JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「完全秘匿性を実現する量子IoTアーキテクチャの構築(課題番号:JPMJPR1919)」
o    JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「量子エラー抑制の基礎理論の構築および実用的手法の提案(課題番号:JPMJPR2114)」
o    JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「量子並列回路を用いた計算基盤の構築(課題番号:JPMJPR2119)」
o    JSTムーンショット型研究開発事業「スケーラブルで強靭な統合的量子通信システム(課題番号:JPMJMS226C)」
o    科研費「ゲートとアニーリングの複合方式による中規模量子コンピュータ向けアルゴリズムの開発(課題番号:23H04390)」
o    科研費「局所性を利用した量子エラーの効率的抑制法(課題番号:24K16979)」
o    IBM Quantumからの助成

各研究機関の役割

o    大阪大学:局所仮想純化法の提案、精度の理論的な解析の主導、数値シミュレーションを主導して実行した。
o    東京大学:局所仮想純化法の提案、解析内容・モデルの検討、数値シミュレーションへ貢献した。
o    中央大学:局所仮想純化法の精度改善への助言及び解析内容の検証を行った。
o    NTT:エラー抑制法、特に仮想蒸留法の局所化における精度の理論的解析の精緻化に寄与した。

用語説明

※1 量子コンピュータ:
物理学における最も基礎的な学問の一つである、量子力学に基づいて動作する計算機のこと。

※2 もつれ測定:
古典力学では説明できない、純粋に量子力学的な相関のことを、量子もつれ(エンタングルメント)という。複数の状態に量子もつれを作って測定を行うことを、もつれ測定と呼ぶ。

※3 量子多体系:
量子力学に従う多数の粒子が相互作用した系のこと。

※4 局所性:
ある地点で起きた出来事により、遠くの実験結果が直ちに変わることはない、という性質のこと。

※5 リチャード・P・ファインマン:
米国の理論物理学者(1918 ~ 1988年)。量子電磁力学の発展に大きく貢献した業績により、シュウィンガー・朝永振一郎とともに、1965年にノーベル物理学賞を受賞。

※6 熱平衡状態・非平衡ダイナミクス:
熱平衡状態とは巨視的に見て変化しない状態のこと。非平衡ダイナミクスとは、量子力学の基本原理であるシュレディンガー方程式に従った系の時間発展のこと。どちらも従来のコンピュータでシミュレーションするのは一般に難しいと考えられている。

※7 量子状態の純度:
量子状態がどれだけ純粋状態に近いのかを示す指標のこと。量子状態は純粋状態・混合状態の二つがある。純粋状態とは、一つの状態ベクトル(波動関数)だけで表されるような状態のこと。これに対し、複数の純粋状態がある確率で混ざっている状態のことを混合状態と呼ぶ。

※8 仮想冷却法・仮想蒸留法:
もつれ測定を用いた、状態の冷却・ノイズ緩和の手法のこと。

プレスリリース本文:PDFファイル
Physical Review Letters:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.133.080601

1700応用理学一般
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