氷河融解水の流入がフィヨルドの生物生産に与える影響を評価

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2024-07-30 海洋研究開発機構,東京大学,国立極地研究所,北海道大学

1. 発表のポイント

  • 氷河の底面から流出する融け水(氷河融解水)がフィヨルド※1 に流入することで植物プランクトンの増殖が促され豊かな海洋生態系がもたらされることが知られている。これにより氷河融解水は、漁業等にも重要な役割を果たしている。しかし、近年の温暖化により氷河の後退と消失が進んでおり、生態系への影響が懸念されている。
  • グリーンランドのフィヨルドを対象とした海洋低次栄養段階※2 生態系モデルを開発し、氷河融解水の流入の盛んな夏季における海洋の栄養塩※3 動態を定量的に解明することに成功した。氷河融解水の流入によってフィヨルド内の海水が大きくかき混ぜられる鉛直循環※4 や、フィヨルドの成層※5 を弱める効果などにより栄養塩が表層に供給されて基礎生産※6 が促されていることがわかった。(図1)
  • 温暖化に伴う影響を評価した結果、融解水の流出量が増加した条件では基礎生産量が増加するが、氷河が後退して大量の土砂流出が起きる条件では著しく減少することがわかった。
  • 本研究で開発したモデルを精緻化し、知見を他のフィヨルドに応用することにより、極域の生態系に影響を与えるフィヨルドの生物生産の変化を予測し、温暖化による海洋生態系への影響評価につながることが期待される。

氷河融解水の流入がフィヨルドの生物生産に与える影響を評価図1: 夏季フィヨルド内栄養塩収支の模式図
融解水流入あり/なしの差を示したもので、丸で囲まれた数字は植物プランクトンに使用(基礎生産)される栄養塩量。

用語解説

※1 フィヨルド
かつて氷河によって削られてできた谷に、海水が入り込み入り江となった地形。

※2 海洋低次栄養段階
食物連鎖上におけるエネルギーと有機物が生物をとおして転送される段階過程を表したもので、ここでは動植物プランクトンを指す。

※3 栄養塩
海で植物プランクトンが増えるために必須となる栄養素で、特に本研究では窒素成分を指す。

※4 (フィヨルドの)鉛直循環
氷河近くの低塩分の低密度水(淡水)と、沖合いの高塩分の高密度水(海水)が出会い、水平的な密度差が大きくなる場合、上層では沖合へ、下層では氷河側へ逆向きの流れが作られる。それに伴い氷河に近い沿岸では上昇流が生じる。同様の現象は河口近くでのエスチュアリー循環としても知られている。

※5 フィヨルドの成層
表層に塩分の薄い淡水由来の比重の軽い水が、下層の塩分が濃く重い海水由来の水の上にのっていること。蓋のような効果で、海水を上下方向に混ざりにくくする働きを持つ。

※6 基礎生産
植物プランクトンの光合成によって、二酸化炭素などの炭素を含む無機物から有機物を作り出すことで、生産量は水温、光量、栄養塩量によって決まる。

2. 概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和裕幸、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門 地球表層システム研究センターの干場康博 特任研究員は、東京大学 松村義正助教、漢那直也助教、国立極地研究所 大橋良彦特任研究員、北海道大学 杉山慎教授らと共同で新たに開発した海洋低次栄養段階生態系モデルを用いて、氷河融解水が海洋表層の植物プランクトンの増殖に影響を与えるプロセスを定量的に評価することに成功しました。さらに温暖化の進行に伴う氷河融解水の流出量の変化、氷河後退による融解水の流出深度の変化に対する感度実験を実施しました。温暖化が進行した場合、フィヨルド域の氷河融解水が増大し、氷河が大きく後退した条件において、当該海域の生物生産が激減する可能性があることを明らかにしました。

現在、世界の多くの氷河が縮小傾向にあり、今後数十年の間にさらなる変化が起こりうることが予測されています。本研究で得られた知見を基に、継続的な現地調査観測と数値モデルによる統合的な研究を発展させ、陸域と海洋間の生物地球化学的な物質循環への理解を深めていく必要があります。

本成果は、「Scientific Reports」に7月30日付け(日本時間)で掲載されました。なお、本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP21K17875、JP22H05204、JP23H05411)、北極域研究推進プロジェクト(ArCS)、北極域研究加速プロジェクト(ArCS II)の支援を受けて実施しました。

論文情報

タイトル Impacts of glacial discharge on the primary production in a Greenlandic fjord

著者 干場康博1、 松村義正2、 漢那直也2、 大橋良彦3、 杉山慎4

所属
1. 海洋研究開発機構
2. 東京大学大気海洋研究所
3. 国立極地研究所
4. 北海道大学低温科学研究所/北極域研究センター

DOI 10.1038/s41598-024-64529-z

論文公開日 2024年7月30日(日本時間)

3. 背景

北半球ではほとんどの氷河が後退傾向にあり、多くの氷河で急速に氷が失われています(図2)。この消失の半分以上はグリーンランド氷床で発生しており、消失するスピードは近年さらに加速しています(The IMBIE Team, 2020)。

図2
図2: 海に流入する氷河末端の一例(上)と、氷河上に開いた縦穴(下)(写真提供:JAMSTEC永塚尚子)

氷河表面で融けた水は、氷河上に空いた穴から氷河の底に達し、融け水はさらに底面を流れて氷河末端へと輸送されます。そして海に接した氷河の末端から、大量の淡水と土砂が海洋の中深層へ流出し、栄養豊富な海洋の下層水を巻き込みながら氷河の先端に沿って上昇します。この氷河の底面から流出する水によって巻き上げられた栄養分豊富な水は、夏期の表層での植物プランクトンの増殖を促します。一方、土砂が多く入った濁った水の流出は、植物プランクトンの光合成の効率を低下させ、プランクトンの成長を妨げます。

フィヨルドにおける氷河融解水の流出は、海洋生態系にとって重要であることは知られていましたが、融解水の量と生物生産の関係において、どのプロセスが重要なのかは、これまで詳しく調べられていませんでした。

4. 成果

本研究では、海洋低次栄養段階生態系モデルと物理海洋モデルを組み合わせ、現場観測データを基にしたボウドインフィヨルド(図3)における夏期の氷河融解期のシミュレーションを行い、氷河融解水の流出によるフィヨルドの海洋生態系への影響を評価しました。

図3
図3: ボウドインフィヨルドの位置と上空写真
グリーンランド北西部のボウドインフィヨルド。ボウドイン氷河の末端がフィヨルドの海水に接しており、夏季に融解水が土砂とともに氷河底面から流出する。上空から見ると、濁った水が表面に広がる様子がみられる(Kanna et al., 2018)。


シミュレーションでは、氷河融解水が海中へ流出したときのフィヨルド内の流れ、物質輸送、土砂や植物プランクトン増殖などの複合プロセスをそれぞれ評価しました。現在の夏季のボウドイン氷河の融解水は、水深約200 mから、毎秒約50 立方メートルの勢いでフィヨルドに流出していると見積もられています。塩分が濃い海水と比べ、淡水に近い融解水は密度が小さいため、栄養塩豊富な下層の水と混ざり合いながら急激に上昇します(プリューム)。上昇流が光の届きやすい海洋表層にまで到達すると植物プランクトンは運ばれてきた栄養塩と光を使って光合成を行い活発に増殖します。(図4)

図4
図4: 氷河融解水がボウドインフィヨルドへ流出するときの概念図
氷河底面(水深約200 m)から流出した融解水が、海水と混ざることで、混合した水が氷河側面に沿って上昇する。栄養分豊富な水が一緒に巻き上げられ、海洋上層(水深約100 m以浅)に広がることで植物プランクトンの光合成に消費される。


プリュームによる表層への栄養塩供給プロセスに加えて、他にもいくつかの供給プロセスがあることが予想されていました。例えば、低塩分の氷河近くの水と高塩分の沖合いの水がフィヨルド全体で大きくかき混ざるプロセス(鉛直循環)や流入した水がフィヨルドの成層を弱くするプロセス、もともと表層にあった栄養塩を植物プランクトンが消費するプロセスや、栄養塩がリサイクル(有機物が微生物によって分解・再循環)するプロセスなどです。これらのプロセスをモデルに取り込みました。

これらの効果の大きさをシミュレーションから定量的に見積もったところ、植物プランクトンの基礎生産に一番大きく効いていたのは、鉛直循環や成層を弱くするプロセスでした(図1青矢印)。これまでの知見では、氷河融解水が局所的に入る効果(図1黄色矢印)が基礎生産に特に大きく寄与すると考えられていましたが、それだけではフィヨルド内の生物生産を維持できないこともわかりました。

温暖化が進むと氷河の融解が促されて流出量が増加し、氷河の後退により氷河融解水が海に流出する深さが浅くなります。(図5)ここでは、温暖化による変化が基礎生産に及ぼす影響を見積もるため、前述のシミュレーションモデルを用いて、融解水流出量と流出口の深さを変化させた感度実験を行いました。

図5
図5: 氷河後退の概念図
温暖化により氷河が陸側へ後退していく。海水と氷河末端が接触している部分が少なくなるにつれて、融解水の流出口の深さが浅くなる。最終的に氷河末端が海水と直接接触せず陸化する。


融解水流出量が現在の毎秒50 立方メートルから毎秒100 立方メートルまで増加し、流出口が水深200 mから150 mまで浅くなった場合、基礎生産量は20 %増加する結果になりました。しかし流出量がさらに増加し、氷河が海から陸上まで後退した場合を仮定(流出量毎秒200 立方メートル、流出口深度0 m)すると基礎生産量は著しく減少し、現在と比較して88 %減少することがわかりました。これは、流出口の深度が浅くなることで、生物生産に大きな影響を与えるフィヨルド全体が上下に大きくかき混ざる効果が弱くなり、さらに融解水と一緒に流出した土砂が表層を覆ってしまうことで植物プランクトンの光合成を妨げることが主な要因です。

5. 今後の展望

本研究で用いたシミュレーションでは、いくつかの不確実性があり、さらにモデルの精緻化を進めていきます。また、本研究で得られた知見を他のフィヨルドに応用し、将来的には、水深がもっと浅いフィヨルドや、大きなフィヨルドなどのケースについても研究を進める予定です。

グリーンランドの氷河は、北極域の温暖化の進行によって融解が進んでいます。さらに、ボウドイン氷河を含むグリーンランド北西部の氷河は、2000年以降著しい速度で質量を失っており(Wang et al., 2021)、今後数十年の間にさらなる変化が予想されています。本研究で示された氷河の後退によるフィヨルドの生物生産の変化は、グリーンランドだけではなく南極域でも懸念されており(例:Forsch et al., 2021)、人為的な気候変動は特に高緯度地域に顕著な影響を与えると予測されています。フィヨルドの生態系は極域の生態系につながっており、それを底辺で支える基礎生産の変化は魚類、鳥類や海棲哺乳類など高次の生態系に広がっていきます。氷河の広範囲な縮小がもたらす基礎生産の変化は今後も注視していく必要があります。

参考文献

The IMBIE Team. Mass balance of the Greenland Ice Sheet from 1992 to 2018. Nature 579, 233-239 (2020).

Kanna, N. et al. Upwelling of macronutrients and dissolved inorganic carbon by a subglacial freshwater driven plume in Bowdoin Fjord, northwestern Greenland. Journal of Geophysical Research: Biogeosciences 123, 1666-1682 (2018).

Wang, Y., Sugiyama, S. & Bjørk, A. A. Surface elevation change of glaciers along the coast of Prudhoe Land, northwestern Greenland from 1985 to 2018. Journal of Geophysical Research: Earth Surface 126, e2020JF006038 (2021).

Forsch, K. O. et al. Seasonal dispersal of fjord meltwaters as an important source of iron and manganese to coastal Antarctic phytoplankton. Biogeosciences 18, 6349-6375 (2021).

本研究のお問い合わせ先

国立研究開発法人海洋研究開発機構
地球環境部門 地球表層システム研究センター
特任研究員 干場 康博

国立大学法人東京大学
大気海洋研究所 海洋地球システム研究系
助教 漢那 直也

大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所
先端研究推進系 気水圏研究グループ
特任研究員 大橋 良彦

国立大学法人北海道大学
低温科学研究所 雪氷新領域部門
教授 杉山 慎

報道担当

国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋技術戦略部報道室
国立大学法人東京大学 大気海洋研究所 広報戦略室
大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所
国立大学法人北海道大学 社会共創部広報課

1702地球物理及び地球化学
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