2024-05-13 東京大学
発表のポイント
- 量子情報処理において貴重な資源とされている量子コヒーレンスが、触媒として働く補助系を用いると実はいくらでも増幅可能であることを理論的に証明した。
- 先行研究では、量子コヒーレンスに対する変換には厳しい制限が課されていることを示唆するものが多かった。しかし今回の研究により、量子コヒーレンスの変換に対しては制限がほとんど課されていないことが示された。
- 今回の結果は、近年急速に発展する量子計算・量子通信デバイスなどの設計に応用されることが期待される。
量子コヒーレンスの無制限増幅のイメージ
概要
東京大学大学院総合文化研究科の白石直人准教授と髙木隆司准教授による研究グループは、量子情報処理において貴重な資源とされている量子コヒーレンス(注1) に対し、量子リソース理論(注2)の枠組を用いて解析を行い、量子コヒーレンスは無制限の増幅が可能であることを理論的に示しました。
量子コンピュータなどの量子情報デバイスにおいて、量子特有のさまざまな長所 (注3)を得るには、量子コヒーレンスの存在が不可欠です。本研究では、エネルギー保存則というこの世界に普遍的に課された制限の下で、異なるエネルギーを持つ状態の間のコヒーレンスをどこまで操作できるのか、という問題に取り組みました。先行研究では、コヒーレンスに対する操作には制限が非常に多いことを示唆する結果が得られていました。これに対し本研究グループが理論解析を進めた結果、最初にわずかでも量子コヒーレンスが存在すれば任意の操作が可能であること、特に量子コヒーレンスをいくらでも増やすことが可能であることを理論的に明らかにしました。この研究成果は、量子情報技術への応用が期待されるとともに、量子であることの特徴の一つ である量子コヒーレンスについての予想外の性質を明らかにするものでもあります。
図1:量子コヒーレンスの変換プロトコルのイメージ(左)補助系がない場合には、量子コヒーレンスは弱まる一方であり、強めることは出来ない。(右)触媒系を用いると、弱いコヒーレンスの状態を、強いコヒーレンスの状態に変換できる。触媒系の状態は最初と最後で変化していない。なお、波線は相関を表しており、操作対象と触媒の間に微小な相関が存在することを許している。
発表内容
量子コンピュータなどの量子情報デバイスは、量子コヒーレンスを利用することで、量子特有のさまざまな長所を実現させています。しかし、量子コヒーレンスに対する操作には、一定の制限が存在します。例えば、我々の世界ではエネルギー保存則を満たすような操作(注4)しか出来ませんが、この「エネルギー保存則を満たす」という条件は、異なるエネルギーの状態の間の量子コヒーレンスに対して、厳しい制限を課します。具体的には、何も追加の助けを借りないのならば量子コヒーレンスは減っていく一方で、一度減ってしまった量子コヒーレンスは再び増やすことは出来ません。この意味で、量子コヒーレンスは「貴重な資源(注5)」です。
そこで、さまざまな「追加の補助」、特に「最初と最後で状態変化はしないが、着目している対象の状態変化を助ける補助系(以下「触媒系(注6)」と呼ぶ)」を用いることで、量子コヒーレンスに対する操作能力を上げようとする研究が活発になされていました。しかしこれまでの先行研究では、そのような補助を用いたとしても、補助がない場合と変わらない操作能力しか得られなさそうだという、否定的な結果が多く得られていました。
これに対し本研究チームが詳細に解析を行ったところ、触媒系の補助のもとでは、最初の状態がわずかでも量子コヒーレンスを持つのであれば、この状態を好きな状態に変換できることが分かりました。これは特に、「弱いコヒーレンスを持つ状態」から「強いコヒーレンスを持つ状態」に変換するという、一見すると不可能に見える操作が実現可能であることを示しています。先行研究における示唆とは反対に、実際にはほぼ全く制限なく量子コヒーレンスは自在に操作可能だということです。
併せて本研究チームは、最初の状態が必要な部分に全く量子コヒーレンスを持たないのであれば、量子コヒーレンスを持つ状態を作ることが出来ないことも示しました。これらの研究成果により、量子コヒーレンスは「わずかでも存在するか、それとも完全にゼロか」が物理的に有意味な境界であり、わずかでも量子コヒーレンスがあれば、触媒系を用いれば操作には何も制限がないことが明らかになりました。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻相関基礎科学系
白石 直人 准教授
髙木 隆司 准教授
論文情報
雑誌名:Physical Review Letters
題名:Arbitrary amplification of quantum coherence in asymptotic and catalytic transformation
著者名:Naoto Shiraishi and Ryuji Takagi
DOI:10.1103/PhysRevLett.132.180202
URL:https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevLett.132.180202
研究助成
本研究は、科研費「若手研究(課題番号:JP19K14615、研究代表者:白石直人)」、「研究活動スタート支援(課題番号:JP23K19028、研究代表者:髙木隆司)」、及び東京大学卓越研究員制度の支援により実施されました。
用語説明
(注1) 量子コヒーレンス
異なる量子状態の間の「量子重ね合わせ」の度合いのこと。
(注2) 量子リソース理論
量子情報理論の一分野。限られたクラスの量子操作を用いて、どの量子状態からどの量子状態への変換が可能か、を議論する。
(注3) 量子特有のさまざまな長所
例えば量子コンピュータであれば、従来のコンピュータよりも桁違いの高速化が実現できることが「長所」にあたる。
(注4) エネルギー保存則を満たすような操作
専門的には「コバリアントな操作」と呼ぶ。エネルギーの値が全体として変化しないので、エネルギーが異なる状態間の重ね合わせの度合いを増やすことができない。
(注5) 貴重な資源
量子リソース理論では、量子状態は「コストゼロで調達できる状態」と「調達にコストがかかる状態」とに分類される。後者に属する状態のことを、ここでは「貴重な資源」と呼んでいる。
(注6) 触媒系
自分自身の状態は最初と最後で何も変化しないが、操作対象の変換を助けてくれる系を、化学反応における触媒になぞらえて「触媒系」と呼んでいる。