2024-04-17 東京大学
発表のポイント
- いくつもの物質相が競い合う量子多重臨界現象を、典型的な4f原子からなる磁性絶縁体のモデルである、量子スピンジグザグ鎖において発見しました。
- リフシッツ点や多重臨界点は、物質相がせめぎあいながら形成されかかったぎりぎりの状態です。1970年代にメタ磁性体とヘリウム液体など、相互作用の競合するフラストレートした古典系を中心に活発に研究されましたが、その後、特に量子多重臨界点が見いだされた例は、実験と理論ともにまだわずかです。
- 量子多重臨界点で厳密解が簡便に求められるモデルを提示しました。これは数値デモ実験や量子シミュレーションのプラットフォームを提供することにつながります。
図1:量子リフシッツ多重臨界点を示す絶対零度の相図横軸のフラストレーション効果はジグザグ方向の相互作用の強さが一様であるほど強くなる。縦軸のΓ項は実際の物質では他の相互作用の5%程度以下だと考えられており、ネマティックシングレット非磁性相が実現していると期待される。
概要
東京大学大学院総合文化研究科の斉藤秀洋氏(大学院修士課程)と堀田知佐教授は、磁性体の量子モデルにおいて、磁気秩序相や磁気的に乱れた相同士が激しく競いあう量子リフシッツ多重臨界点(注1)の存在を、量子多体数値計算と厳密解によって明らかにしました。
最近、4f原子を含む磁性絶縁体で、通常の磁性体にはみられないような、磁性の消失した秩序状態や液体状態、電気的に中性な準粒子(注2)が実験で多数報告されています。このような従来の理論では捉えがたい性質を理解することは、基礎研究の重要な課題です。
今回明らかにした相図では、スピンの向きを特定の面間で量子的に揺らがせる相互作用と従来型の相互作用との協奏によって、3つの磁気相(強磁性、反強磁性、長周期反強磁性)(注3)、および2つの量子的に乱れた非磁性相が生じ、激しくせめぎあっています。特に量子非磁性相は、量子磁性体YbCuS2において報告されていた電気的に中性なギャップレス励起(注4)を理解するための鍵となる新しい量子相です。また、極限的なせめぎあいを示す量子臨界点が厳密解で記述できたことにより、理論上のデモ計算にも利用できる可能性がひろがりました。
本研究成果で、新たな物質相やその競合のメカニズムが明らかになることによって、今後、新しい磁性体の設計や合成、量子シミュレーション(注5)のプラットフォームの創成などにつながることが期待されます。
本研究成果は、2024年4月16日(米国東部標準時間)に国際科学誌「Physical Review Letters」のオンライン版に掲載され、Editor’s choiceに選ばれました。
発表内容
〈研究の背景〉
固体物質で実現する量子磁性絶縁体における新たな物質相やその発現機構の解明は、量子状態の理解を深化させる基礎学術の重要課題です。それに加え最近では、これらを記述するシンプルでかつ解ける理論モデルをつかって、過去に提唱された特異な準粒子(注2)や動的相転移、トポロジカル相転移などの現象を、量子シミュレータの実装実験で捉える研究が活発に行われています。
物質中の4d,5d,4f原子は非相対論的なスピン軌道相互作用が強いため、これらの原子を含む磁性絶縁体は従来型のハイゼンベルグ相互作用に加え、スピンの向きを特定の向きに量子的に揺らがせるΓ(ガンマ)項が存在することがわかってきました。しかしΓ項に対する認識は、キタエフ模型などにおいてスピン液体を不安定化させる二次的な相互作用である、というものにとどまっており、その本格的な役割は未解明でした。
今回、YbCuS2と呼ばれる4f量子磁性体が中性な準粒子励起を持つという実験結果に注目し、物質のミクロな構造をもとに、三角ユニットをもつジグザグ鎖構造のモデルを構成しました。そこで自然に得られたΓ項に着目し、モデル計算によりその役割を調べたところ、3つの磁気相と2つの量子的に乱れた非磁性相が激しく競い合い、相図上で1点でまじわる量子リフシッツ多重臨界点が生じることがわかりました(図1)。
一般に今回のジグザグ鎖のような三角ユニットからなる構造では、相互作用の三角関係に由来するフラストレーション(注6)によって、スピン配列した磁気的秩序の形成が妨げられ、シングレット相と呼ばれる非磁性状態が生じます。今回の計算では、Γ項がこのシングレット相内にネマティック性(注7)とよばれる、面内2方向に磁気モーメントが揺らぐ性質を付与することがわかりました(図2)。また、その励起をつかさどる準粒子は、実験で報告された非磁気的な中性の準粒子と考えられます。この準粒子が増えて凝縮すると、相互作用の値に応じて、多重臨界点のまわりで強磁性、反強磁性、長周期反強磁性という3つの激しい秩序が競合し(図2)、それぞれ相を形成します。
これまでに、臨界状態において厳密解の形を顕わに求めることができた例は、わずか一例程度です。そのため今後、このモデルを、臨界状態を利用した他の物理現象の検証や、デモ計算などにも利用することができると考えられます。
図2:スピン1/2ジグザグ鎖モデルの模式図と相図で実現される3つの磁気相とネマティックシングレット非磁性状態スピンはxy面内の2つの特定の軸に強い異方性を発現する。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院総合文化研究科
堀田 知佐 教授
斉藤 秀洋 修士課程
論文情報
雑誌:Physical Review Letters
題名:Exact matrix product states at the quantum Lifshitz tricritical point in a spin-1/2 zigzag-chain antiferromagnet with anisotropic Γ-term
著者:Hidehiro Saito,Chisa Hotta
DOI:10.1103/PhysRevLett.132.166701
URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.132.166701
研究助成
本研究は、「学術変革領域研究(A) (課題番号:JP21H05191)」、「基盤研究(C)(課題番号:JP21K03440)」の支援により実施されました。
用語説明
(注1) 量子リフシッツ多重臨界点
多重臨界点は、2つ以上の2次相転移線が交わる点であり、相図上で複数の相の結節点となっている。リフシッツ点は、相転移点で空間的に一様な秩序をもった相と、空間的に長周期構造をもつ秩序相、秩序のない乱れた相が一点で交わる点をさす。量子臨界点とは絶対零度で臨界点が生じること。
(注2)準粒子
物理学では、絶対零度で最もエネルギーが低い状態を起点に、励起した状態を準粒子が1つエネルギーが上の準位にたたきあげられたと記述する。電気的に中性な磁気的準粒子、非磁気的な分数粒子、量子計算や量子液体相で現れるエニオンなど、それぞれの状況に応じて現れる量子力学的な準粒子には、交換関係(統計性)に応じて名前がついている。
(注3)強磁性、反強磁性、長周期反強磁性
磁性の素であるスピンが特定の方向に周期的に整列する状態。強磁性は一様にそろった状態、反強磁性は交互に反対方向を向いた状態、長周期反強磁性はより長い周期でスピンが構造を持つ状態をいう。
(注4)ギャップレス励起
絶対零度で実現すると考えられている最低エネルギー状態から、なんらかの準粒子が生じて励起した状態を励起状態という。ギャップレス励起とは無限に小さいエネルギーで励起が起こること。
(注5)量子シミュレーション
理論モデルを、レーザー冷却で人工的に作られる冷却原子系など、実験パラメタが制御可能な系において疑似的に実現し、実験的にその挙動を調べること。少数のビットからなる量子状態の時間変化を実験で観測したり、状態空間の様子をとらえる実験などが進んでいる。
また量子コンピュータでもユニタリゲートを使い、様々な工夫で量子計算が実際に試されるようになっている。これらの総称を量子シミュレーションという。
(注6)フラストレーション
三角形ユニットにおける三角関係など、幾何学的に相互作用同士が競合することで、局所的に安定な配置が大域的に安定な配置とならない状態。
(注7)ネマティック性
棒状の分子の向きが一方向に揃った液晶状態に語源をもつ。磁性においては、磁石の向きをつかさどるスピンが量子力学的に揺らいで上下の区別がなくなりながらもその方位は結晶中で揃った状態を示すこと。今回の場合は、xy面内で2つの方向に揺らぎながら向きを失ったスピンの状態が得られている。