2024-04-12 東京大学
発表のポイント
- 金属有機構造体(MOF)において、電子のスピンがつくるハイパーオクタゴン格子の磁気的性質を初めて実験的に調べ、理論予測と類似するスピン状態の変化を観測しました。
- 量子スピン液体とよばれる量子状態を探索する物質を、従来研究されてきた単純な無機化合物からMOFに拡張しました。
- 分子自由度を生かした構造制御が可能なMOFを用いることによって、量子計算の舞台となる物質の開発が加速することが期待されます。
MOFの中のハイパーオクタゴン格子(左)と量子スピン液体のイメージ図(右)。
発表概要
東京大学物性研究所の石川孟助教、今城周作特任助教、武田晃助教らの研究グループは、金属有機構造体(MOF)(注1)において、電子のスピン(注2)がつくるハイパーオクタゴン格子(注3)が示す特異な磁気的性質を初めて実験的に観測しました。
近年、量子スピン液体(注4)とよばれる不思議な磁気状態の実現を目指した物質の開発が盛んに行われています。電子のスピンが、ハニカム格子の上に並んだ物質での実現が予想されており、二次元の構造をもつ無機化合物やその派生物質が盛んに研究されてきました。本研究では、ハイパーオクタゴン格子とよばれる三次元のハニカム格子をもつMOFという、既存の研究とは全く異なる新しい物質に着目し、実際に結晶を合成してその磁気的性質を実験的に明らかにしました。
ハニカム格子に現れる量子スピン液体は量子計算(注5)の舞台として提案されています。量子スピン液体となりうる物質の可能性を拡張した本研究は、量子計算を実現する物質の開発に新たな方向性を示す成果といえます。特に、MOFは分子自由度を用いた設計性が高い物質であるため、物質開発を加速することが期待されます。
本成果は、米国科学雑誌『Physical Review Letters』の4月11日付(米国東部夏時間)オンライン版に掲載されました。
発表内容
研究の背景
水は温度が変わると水蒸気や氷になります。これと同様に、物質の磁石としての性質を担うスピンも、温度や磁場などの環境が変わると状態が変わり、さまざまな磁気的性質を示します。一般に、極めて低い温度ではスピンの向きは固体のように整列します。一方、スピンの間にスピンの向きをそろえようとする力がはたらいているにも関わらず、低い温度までスピンの向きがそろわない状態は、固まらない液体のような状態とみることができます(図1左)。このような状態は量子スピン液体とよばれ、物質の新しい状態として物性物理学の研究者を魅了してきました。量子スピン液体を実現する最有力な理論モデルとして、キタエフが提案したハニカム格子のモデルがあります。このモデルを実現する物質を作ることを目指して、物理、化学の両分野を巻き込んだ世界的な研究が行われています。これまで、二次元的なハニカム格子をもつ単純な無機化合物が網羅的に研究され、さらに、その構成元素の一部を別の元素に交換し性質を調べる研究も盛んに行われています。一方で、物質のバリエーションが少ないことや、元素を置き換えるときに乱れが導入されるという問題点も指摘されており、新たな視点からの物質開発が望まれていました。
図1:(左)量子スピン液体のイメージ図。まわりのスピンが中央のスピンを青、赤、緑のように3方向の異なる向きにそろえようとすると、安定な向きが決まらずスピンがそろわない量子スピン液体が現れる。
(中央)MOFの中のハイパーオクタゴン格子。
(右)スピンをもつコバルトがシュウ酸分子によりつながれることで三次元格子がつくられている。
研究の内容
研究グループは、イオン伝導体として研究されていたMOFにおいて、金属イオンがハイパーオクタゴン格子とよばれる三次元的なハニカム格子を組むことに着目しました(図1中央)。このMOFでは、金属イオンがシュウ酸という有機分子によってつながれることで三次元的なネットワークを形成しています(図1右)。類似の状況は、2017年に東京大学物性研究所の山田昌彦、藤田浩之、押川正毅(関連情報)によって理論的に研究され、量子スピン液体の実現が提案されていましたが、これまで実験的な研究は行われてきませんでした。研究グループは、磁性を担う金属元素としてスピン軌道相互作用(注6)の効果がはたらくコバルトを選択し、実際にMOFの結晶を合成して、低い温度、強い磁場領域までの磁気的性質を調べました。
研究の結果、ハイパーオクタゴン格子をもつMOFでは温度や磁場を変化させるとさまざまなスピンの状態が現れることが明らかになりました(図2左)。特に、温度を下げる過程で、スピンの間に相互作用がはたらいているにも関わらず、スピンの整列がみられない特異な状態が現れることが明らかになりました(図2右)。興味深いことに、中間温度領域を境に、スピンのもつエントロピー(注7)がおよそ半分ずつ解放されるという、理論から期待される振る舞いが観測されました。このような興味深い磁気的性質が発現した要因として、シュウ酸分子によってつながれたコバルトのネットワークでは、結合方向ごとに異なった方向にスピンをそろえようとする相互作用が生じるためと考えられます。シュウ酸は灰汁や結石の原因となるため日常生活では忌避される存在ですが、新しいスピン状態の実現にとっては有用な有機分子であるといえます。今回の研究対象となったMOFでは、さらに温度を下げるとスピンが整列する様子も観測され、正確な意味での量子スピン液体は実現しませんでしたが、真の量子スピン液体を探すための指針となる成果です。
図2:(左)研究したMOFの温度磁場相図。温度や磁場によりさまざまな状態が現れる。
(右)MOFの低温での性質の変化。スピンがそろおうとして磁化率(青)が減るが、そろわない温度領域(ピンク、相図のI’)が現れ、エントロピーが温度に対して二段階で変化する。普通の三次元磁性体ではこのような中間の温度領域は現れない。
今後の展望
量子スピン液体の性質を利用して、量子計算を行うことができると提案されています。本成果は量子計算の舞台となる物質の開発に全く新しい方向性を示す成果と言えます。また、MOFでは有機分子の自由度を生かして、柔軟で合理的な物質開発が可能であるという、これまで研究されてきた無機物質にない特徴があります。MOFという新たな切り口の物質開発が進むことで、量子計算を実現する物質の開発が加速すると期待されます。
関連情報
「プレスリリース:キタエフスピン液体を実現する金属有機構造体の理論設計」(2017/7/31)
「物性研ニュース:重いアニオン遷移金属ハニカム格子をもつ超伝導物質の発見」(2023/6/2)
発表者
東京大学
物性研究所
石川 孟 助教
今城 周作 特任助教
武田 晃 助教
山下 穣 准教授
山浦 淳一 准教授
金道 浩一 教授
大学院新領域創成科学研究科(物性研究所)
懸川 誠史 修士課程
論文情報
雑誌 : Physical Review Letters
題名 : Jeff = 1/2 hyperoctagon lattice in cobalt oxalate metal-organic-framework
著者 : Hajime Ishikawa*, Shusaku Imajo, Hikaru Takeda, Masafumi Kakegawa, Minoru Yamashita, Jun-ichi Yamaura, and Koichi Kindo
DOI : 10.1103/PhysRevLett.132.156702
研究助成
本研究は、科研費「課題番号:JP22H04467, JP22K13996, JP23H01116」の支援により実施されました。
用語解説
- (注1)金属有機構造体(MOF):
- 金属イオンが有機分子によってつながったネットワーク構造を持つ物質。ガス吸蔵や触媒への応用が注目されている。
- (注2)スピン:
- 物質の磁石としての性質を担う電子の性質。
- (注3)ハイパーオクタゴン格子:
- 元素が3方向に120°の角度でつながった三次元的なネットワーク構造。三次元ハニカム格子ともよばれる。
- (注4)量子スピン液体:
- スピンの向きをそろえようとする力がはたらいているにも関わらず、非常に低い温度まで向きがそろわない状態。
- (注5)量子計算:
- 量子力学の原理を応用しておこなう計算。次世代のコンピュータに応用可能といわれている。
- (注6)スピン軌道相互作用:
- スピンの向きと物質の構造を結びつけるはたらきをもつ相対論効果。
- (注7)エントロピー:
- スピンがとることのできる状態の数を表す量。