2024-09-06 東京大学
発表のポイント
- 誤り耐性量子計算に不可欠な魔法状態の量を表す「魔法資源」と呼ばれる指標を、大規模かつ高速に定量化する手法を提案した。
- 定量評価を与える最適化問題に潜む数学的構造を活用することで、計算メモリを100万分の1程度に圧縮することに成功した。
- 本研究成果は、量子コンピュータの持つ計算能力を理解するための重要なステップであり、その限界や古典計算機との計算能力の違いの解明につながるものと期待される。
量子ゲートが持つ魔法資源の定量評価
概要
東京大学大学院情報理工学系研究科の浜口広樹大学院生、浜田航宇大学院生と、同大学大学院工学系研究科の吉岡信行助教らによる研究グループは、量子誤り訂正(注1)の機能を備えた量子演算に必要な「魔法資源」を定量評価する手法を大幅に効率化し、世界で最大級かつ最速の評価を行いました。誤り耐性のある万能量子計算(注2)を行うためには、魔法状態(注3)の存在が不可欠であるため、魔法資源の評価は、量子計算の実行に必要な時空間コストを見積もる上で非常に重要です。しかし、これまでの研究では、魔法資源の値を評価するための最適化問題のサイズが急速に増大してしまうため、非常に限られた大きさの量子回路しか評価できませんでした。
本研究では、魔法資源の評価という特別なタスクの最適化問題に潜む数学的構造を、計算プロセスにうまく組み込むことで、最適化問題の求解に必要な計算時間・メモリを大幅に圧縮することに成功しました。本提案手法は、量子回路の圧縮や小規模化への応用が期待され、コンパクトな量子計算の実現に寄与するものと考えられます。
本研究は、2024年9月5日(中央ヨーロッパ夏時間)に『Quantum』のオンライン版に掲載されました。
発表内容
【研究背景】
量子誤り訂正機能を持つ量子計算機によって複雑な演算を行うには、計算機の内部で自然に実現可能な操作だけでは不十分であり、補助的な外部入力として「魔法状態」と呼ばれる量子状態を準備する必要があります(図1)。ただし、魔法状態を高い精度で準備するためには大きなコストがかかるため、演算によって消費される魔法状態の数、すなわち「魔法資源」を定量的に理解し見積もることが望ましいとされています。このような定量指標として最もよく知られているのが、「Robustness of Magic」と呼ばれる指標ですが、従来の研究では、評価に必要な計算メモリが大きく、8量子ビットに相当する評価でさえ、地球上のいかなるスーパーコンピュータによっても格納できないデータ量が必要になると考えられていました。
図1:魔法状態の量子テレポーテーションの概念図
誤り耐性量子計算機においては、難しい演算と自然な演算が存在する。前者を行うためには、外部入力として魔法状態を準備した上で、もつれ操作、量子測定および測定結果に応じたフィードバック操作を行う、すなわち量子テレポーテーションを行う必要がある。
【研究内容】
本研究では、魔法資源を効率的かつ大規模に評価する手法を新たに開発し、上述の計算が通常のパソコンだけで実行可能となることを示しました。
魔法資源の値は、線形計画問題(注4)と呼ばれる、数理最適化問題を解くことで得られます。ここで最大の問題は、スタビライザー状態(注5)と呼ばれる量子状態の集合を全て考慮する必要があり、その大きさが量子ビットの数に対して超指数関数的に増大してしまう、という点にあります。研究グループは、実際の最適解が、著しく少ない数の状態から構成されていること(図2)、そしてそれらの状態は、ターゲットである魔法状態との「類似度」が極端に大きい/小さいことに着目しました。本研究では、類似度の値を活用することで、極めて小さな状態から構成される解の候補を逐次的に更新していき、最終的に最適解に到達できることを示しました。
提案手法によってあらゆる魔法資源の計算を実行した結果、逐次的な更新回数は多くの場合10回以下程度と、非常に効率よく最適解に到達できることがわかりました。問題が持つ強双対性(注6)と呼ばれる性質ゆえ、正しい答えが得られた場合とそうでない場合を確実に判別できる点も、大きな強みとして挙げられます。
図2:ランダムな2量子ビット状態に関する魔法資源評価における最適解の疎性
色のついたセルとグレースケールのセルはそれぞれ、最適解に活用された/されなかったものを表す。青矢印と赤矢印は、最適解に活用された状態の中で、それぞれ重みが正と負のものを表す。疎性は量子ビット数とともに顕著になり、8量子ビット系では1億分の1程度の状態が最適解に活用された。
【研究の意義、今後の展望】
本研究成果により、誤り耐性量子計算に必要な魔法資源を高速に定量評価できるようになりました。誤り耐性量子計算においては、非常に多くの量子ビットにまたがる演算が数多く必要となることを鑑みると、魔法資源の評価を通じて量子計算の実装に必要なコストを見積もることは、量子優位性(注7)の達成の早期化に貢献するものと期待されます。また、大規模なサイズにおける魔法資源の評価がさらに進めば、魔法資源を通じた量子多体物理現象の理解が一層深まるものと考えられます。
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院情報理工学系研究科
浜口 広樹 修士課程
浜田 航宇 修士課程
大学院工学系研究科 物理工学専攻
吉岡 信行 助教
論文情報
雑誌名:Quantum
題 名:Handbook for Quantifying Robustness of Magic
著者名:Hiroki Hamaguchi*, Kou Hamada*, Nobuyuki Yoshioka*
DOI:10.22331/q-2024-09-05-1461
研究助成
本研究は、JST 共創の場形成支援プログラム(課題番号:JPMJPF2221)、IBM Quantumによる助成により実施されました。
用語解説
(注1)量子誤り訂正
量子ビット(演算素子)に冗長性を組み込むことで、演算中に発生するエラーを取り除くこと。量子誤り訂正を実装した量子計算機を、誤り耐性量子計算機と呼ぶ。
(注2)万能量子計算
十分な演算回数によって任意の量子演算が可能であるとき、これを万能量子計算と呼ぶ。魔法状態を用いない場合には、実装できない演算が多数存在するため、万能量子計算ではない。
(注3)魔法状態
量子計算において、万能量子計算を実現するために必要な、特別な量子状態のこと。標準的な量子ゲートでは生成できない、非古典的な性質を持つ。
(注4)線形計画問題
線形関数を目的関数として最適化(最大化または最小化)し、線形の不等式または等式の制約条件を満たす解を求める数学的最適化問題のこと。主に資源配分や生産計画に用いられる。
(注5)スタビライザー状態
パウリ群の可換な部分群に属する演算子の同時固有状態のこと。量子誤り訂正をはじめとする量子情報理論のさまざまな分野で用いられている。
(注6)強双対性・強双対定理
数理最適化における重要な性質の一つで、主問題と双対問題(元の問題と相補的な問題のこと)の最適値が一致することを指す。本研究では、双対問題を扱うことが、解の質を系統的に向上させる計算手法につながった。
(注7)量子優位性
量子計算機による計算時間が、古典計算機よりも短くなること。
プレスリリース本文:PDFファイル
Quantum:https://quantum-journal.org/papers/q-2024-09-05-1461/