2024-07-04 東京大学
○発表のポイント:
◆ナノ・マイクロスケールでの弾性波の伝播特性の制御は、第4、第5世代移動通信、センシング、量子ネットワークなど、様々な応用に重要です。
◆遺伝的アルゴリズムを用いて、弾性波の伝播特性を制御するフォノニック結晶ナノ構造を自動設計し、所望の機能を実現する弾性構造を設計・作製し、効果を確認しました。
◆構造最適化の探索範囲が人間の直感を超えた複雑な形状にも広がることで、より高性能な弾性波伝搬制御構造を高速かつ自動で設計することが可能になり、スマホなどに用いられる表面弾性波素子などへの応用が期待されます。
遺伝的アルゴリズムを用いて自動設計した弾性波の制御構造
○概要:
フォノニック結晶(注1)と呼ばれる周期構造により、弾性波、すなわち結晶中の振動(フォノン)(注2)の伝播特性を制御することが可能です。しかし、通常のフォノニック結晶は、人間が想像しうる比較的単純な構造になりがちなため、所望の特性を得るための構造最適化の探索範囲が限られたものになります。
東京大学 生産技術研究所のディエゴ ミシェル 特任助教、野村 政宏 教授らは、遺伝的アルゴリズム(注3)と呼ばれる逆設計法(注4)を利用して、フォノニック結晶を自動的に設計する方法を開発しました。この方法では、最適化したい弾性波特性を決定しアルゴリズムに入力すると、その特性を最大化する構造パラメータを自動的に見つけ出します。このアルゴリズムは、人間が想像しうる範囲よりもはるかに広い範囲を探索して最適形状を見出すため、より高性能なフォノニック結晶構造を設計することができます。本研究では、その一例として、方向によって弾性波の伝搬のしやすさが異なるという、異方性をもった弾性波制御構造を設計することを目的とし、2次元フォノニックナノ構造を最適化しました。そして、実際にその設計に基づいてシリコン薄膜を用いて構造を製作し、設計通りの高い異方性を観測しました。
本設計手法は、高感度センシングや弾性波素子はもちろん、将来的には量子科学分野にも応用が期待できます。フォノニック結晶は、表面弾性波(注5)の伝搬制御にも効果的な構造であるため、特に、スマートフォンの表面弾性波素子への応用など、通信分野への応用が期待できます。
○発表内容:
〈研究の背景〉
ナノ・マイクロスケールでの弾性波の伝搬特性の制御は、第4、第5世代移動通信、センシング、量子ネットワークの構築など、様々な分野で重要な基盤となっています。特に、社会で重要なインフラとなっているスマートフォンには、表面弾性波素子が数多く搭載されています。近年、先端デバイスにおいて弾性波の伝播を高度に制御する構造として、フォノニック結晶が注目されています。これらのフォノニック結晶は、人工的なナノ構造が周期的に繰り返し形成されていることが特徴です。このような周期的な構造は、材料のフォノン特性を変化させます。従来、フォノニック結晶は、人間が容易に想像できる円や正方形などの単純な形状を用います。そして、それらを正方格子状や三角格子状に周期的に配列するという直観的な構造で、周期や構造の大きさなどの構造パラメータを最適化することで設計します。近年のコンピュータの高性能化と逆設計手法の進歩により、複雑な構造にまで探索範囲を広げることが可能になってきましたが、これまでに所望の弾性波伝搬制御構造を逆設計してフォノニック結晶を最適設計し、その有効性を実証した例はありません。
〈研究の内容〉
本研究では、弾性波の伝播のしやすさが方向によって異なる「異方性」を最大化することを目的とした、自動設計アルゴリズムの開発とその有効性の実証を行いました。まず、厚さ200ナノメートルのシリコン膜に周期的な孔を形成することで得られる2次元フォノニック結晶構造を設計しました。
図1は、その2次元フォノニック結晶構造とその単位構造(右上)を示しています。穴の大きさと形状を変えることで、弾性波の伝播特性が変化するため、強い異方性を実現するために、複数の構造パラメータの組み合わせを広く探索する必要があります。強い異方性、すなわち、一方向に弾性波を伝搬しやすく(図1のx方向)、それと直行する方向(図1のy方向)へは伝搬しにくい構造を実現するため、弾性波の伝播を禁止するバンドギャップと呼ばれる周波数帯域を広くする設計を行いました。このアルゴリズムを用いて異方性を最大化する構造を探索するよう指示します。このアルゴリズムは、適者生存と不適者淘汰のダーウィンの進化論を模倣しています。
図1.自動設計を行う対象としたシリコン2次元フォノニック結晶構造の概略図
弾性波をx方向に伝搬しやすく、y方向には伝搬しにくい構造を実現するために、最適な孔の構造(右上)を自動設計する。
図2. 遺伝的アルゴリズムによる構造最適化の手法の概要
フォノニック結晶の構造最適化は、ダーウィン進化を模倣した自動進化プロセスによって駆動される。ある世代において最も適合した個体は、次の世代に遺伝子を伝達し、適合しない個体は滅びる。この過程は2個体間の遺伝子の交配とランダムな突然変異によって行われる(右下)。本研究の場合、遺伝子はフォノニック結晶の構造であり、円孔の半径(r1, r2, r3)、円孔の中心位置、正方形の大きさを最適化した。
図2は遺伝的アルゴリズムの概要を示しています。フォノニック結晶の初期セットから出発し、交配とランダムに起こる突然変異を通じて、望ましい特性をより強く示す世代へと設計を進化させていきます。構造は、正方形におさまる空間的なオーバーラップを許可した3つの円孔の場合とし、最適化するパラメータは、図2の右下にあるように、円の半径および中心位置と正方形の一辺の長さとし、実用化されている表面弾性波素子のGHz周波数帯をターゲットとして設計しました。
図3(左)は、y方向のバンドギャップの大きさが進化の過程により増大する様子を示しています。図中の形状は、世代を経て見出された5つの個体の形状を示しています。この例では、400世代を経過したあたりで、非常に広いバンドギャップを持つフォノニック結晶構造が設計されました。図3(右)は、最適化されたフォノニック結晶構造におけるフォノン分散を示しています。フォノン分散とは、フォノンを周波数(縦軸)と伝搬する方向に沿って波長の逆数(横軸)でプロットしたものです。フォノン分散の方向は、図1に示すx方向とy方向に対応する2方向に分かれています。y方向では、最適化プロセスによって広い周波数帯域にわたるバンドギャップが得られ、本構造が強い異方性を持つことを示しています。そして、この設計に基づいて得られた構造をシリコン膜で製作し、その構造のフォノン分散をブリルアン散乱測定法(注6)で測定した結果、図4に示すように設計通りのフォノン分散が観測され、一方向にのみ大きなバンドギャップが形成されていることを確認しました。
これら一連の設計と測定により、開発した方法が所望の特性を最大化する構造を高速かつ自動で見出すことが可能であることを実証しました。
図3.(左)バンドギャップが進化により大きくなっていく様子。
(右)400世代後の最適化された構造におけるフォノン分散。
強い異方性をもつフォノニック結晶構造を設計するため、弾性波が伝搬できないバンドギャップの大きさを最大化させる設計を行った。遺伝的アルゴリズムにより、世代が進むにつれてバンドギャップが大きくなるという進化を遂げている。
図4. 計算結果と測定データの比較
作製したフォノニック結晶のx方向とy方向に沿ったフォノン分散の計算値(灰色の線)と実験値(カラーマップと丸印)の比較。実験結果は計算値とよく一致しており、開発した手法の有効性が実証された。
〈今後の展望〉
今回開発した遺伝的アルゴリズムを用いた設計方法は、従来の方法に比べて所望の性能を実現する最適構造の探索範囲を格段に広げることが可能で、より高性能なフォノニックデバイスが開発できることを実証しました。本設計手法は、様々な周波数帯における弾性波やフォノンを用いたデバイスの開発において活躍し、高感度センシングや弾性波素子はもちろん、将来的には量子科学分野にも応用が期待できます。特に、スマートフォンで多数用いられている表面弾性波素子にも応用が期待でき、通信分野への応用が期待できます。
○発表者:
東京大学 生産技術研究所
ディエゴ ミシェル 特任助教
ピロ マッテオ 研究当時:特任研究員
キム ビュンギ 研究当時:特任助教
アヌフリエフ ロマン 研究当時:特任准教授
野村 政宏 教授
○論文情報:
〈雑誌名〉ACS Nano
〈題名〉Tailoring Phonon Dispersion of Genetically Designed Nanophononic Metasurface
〈著者名〉M. Diego*, M. Pirro, B. Kim, R. Anufriev and M. Nomura*
〈DOI〉10.1021/acsnano.4c01954
○研究助成:
本研究は、科学技術振興機構「ムーンショット型研究開発事業(課題番号:JPMJMS2062)」、日本学術振興会 科学研究費助成事業「基盤研究(A)(課題番号:21H04635)、特別研究員奨励費(課題番号:23KF0203)、研究活動スタート支援(課題番号:23K19196)」などの支援により実施されました。
○用語解説:
(注1)フォノニック結晶
フォノン、つまり振動を制御するために設計された周期構造を持つ材料。
(注2)フォノン
弾性周期構造中の集団振動(または振動)。システム内のあらゆる振動は、異なるフォノンの和として記述できる。
(注3)遺伝的アルゴリズム
ダーウィンの自然選択を模倣した最適化プロセスで、交配とランダムな突然変異を通じて個体の集合を世代を超えて進化させ、最も適応した個体の選択を優先させる。
(注4)逆設計法
構造が徐々に進化して特定の望ましい特性や挙動に適合していく設計プロセス。
(注5)表面弾性波
物質の表面に沿って伝播する弾性波のこと。スマートフォンや電気フィルターから量子テクノロジーに至るまで、数多くのデバイスに利用されている。
(注6)ブリルアン散乱測定法
材料中に存在するフォノンによって、入射したレーザ光が散乱されたときに生じる光の周波数シフトを測定する分光法で、材料のフォノン分散に関する知見を得ることができる。
○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
教授 野村 政宏(のむら まさひろ)