2024-01-16 東京大学
発表のポイント
- 液体状態の急冷により得られる非晶質状態は、通常物質ごとに一つしか存在しないが、シリコン、水、シリカなどの物質においては複数の非晶質状態が存在することが知られている。しかし異なる非晶質状態間の転移(非晶質・非晶質転移)がどのような機構で起こるのかは未解明であった。
- 圧力印加で誘起されるシリコンの非晶質・非晶質転移について、分子シミュレーションによりその動的な過程を研究することで、拡散のない固体状態変換における熱力学と力学の役割を明らかにすることに成功した。
- 本研究成果は、固体状態における物質変換の微視的メカニズムに光を当てるとともに、新しい非晶質材料の設計や高圧下での非晶質物性が重要な鍵を握る地球科学分野の進展に貢献することが期待される。
低密度非晶質・高密度非晶質転移過程の典型的な構造スナップショット
発表概要
東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野の田中肇シニアプログラムアドバイザー(特任研究員/東京大学名誉教授)、ファンザオ協力研究員(研究当時)は、高度な機械学習ポテンシャルと局所構造解析(注1)を駆使し、急激な圧力変化によるシリコンの非晶質・非晶質転移(注2)に伴う構造の時間変化を分子動力学シミュレーションによって詳細に調査しました。
この研究により、常温で存在する3つの非晶質形態(低密度非晶質:LDA、高密度非晶質:HDA、超高密度非晶質:VHDA)が同定され、それらの相の構造を特徴づける構造秩序変数の特定に成功しました。さらに、これらの相間の転移や、より密度の高い結晶への転移の動的な経路とメカニズムを明らかにしました。
具体的には、LDAからHDAへの転移では、非球状の界面を持つHDAの核がLDAの中に形成され、時間とともに成長する核生成・成長型転移(注3)が観測されました(図1)。この過程は固体相転移特有の力学因子によって強く影響を受けていることが判明しました。一方で、急激な圧力減少時のHDAからLDAへの逆方向の転移は、構造秩序の揺らぎが持続的に発展するスピノーダル分解型転移(注4)に特徴的な過程を示すことが明らかになりました。また、さらなる圧力印加により、LDAはVHDAに転移するが、その中間状態としてHDAを経由することが明らかになりました。最終的に形成されたVHDA状態は本質的に不安定であり、さらに高密度の結晶に転移することが判明しました。
これらの発見により、非晶質・非晶質転移および結晶化を駆動する熱力学的および機械的因子の協奏の重要性が明らかにされ、拡散を伴わない固体状態での変換における構造要素の力学的不安定化の重要性が示されました。この研究の成果は、様々な物質の非晶質固体状態への圧力印加により非晶質・非晶質転移が誘起される条件や、転移の微視的メカニズムに光を当てるとともに、新しい非晶質機能材料や薬品の開発、高圧下での非晶質物性、固体間相転移が地球・惑星科学分野などに有用な基礎的知見を与えるものと期待されます。
図1:LDA-HDA転移過程の典型的な構造スナップショット
青と緑の球はそれぞれ低密度非晶質、高密度非晶質の構造的特徴を持った原子を表す。
本成果は2024年1月16日(英国時間)に「Nature Communications」のオンライン版で公開されました。
ー研究者からのひとことー
シリコンは身近な物質ですが、その非晶質状態が複数存在することはあまり知られていません。本研究では、圧力下で非晶質が構造を変える際、転移先の構造に近い形をうまく利用して構造変化していることが明らかになりました。地球科学において重要な物質であるシリカなど他の物質にも同様の機構が普遍的に存在するのではないかと期待しています。(田中肇シニアプログラムアドバイザー)
発表内容
炭素のグラファイトとダイヤモンドのように、単一組成の原子や分子から成る物質でも、複数の結晶形態を持つことがあります。この現象は結晶多形として知られており、非晶質状態でも異なる形態が存在し、これらの異なる非晶質の状態間の遷移は非晶質・非晶質転移と呼ばれています(参考文献1)。
これまで、水、シリコン、酸化物ガラス、カルコゲナイドガラス、金属ガラスなど、日常生活や産業で広く使用されるさまざまな材料において、実験的に非晶質多形が存在することが知られています。そのため、非晶質・非晶質転移の基本的な理解は、基礎物理だけでなく材料科学分野においても重要です。さらに、固体状態の非晶質・非晶質転移と液体状態における液体・液体転移との関係を理解することは、見かけ上乱雑で何の構造的特徴も持たないように見える液体・非晶質状態の本質的な理解につながると期待されます。
しかし、非晶質・非晶質転移の性質は、構造の秩序が低いことや平衡から離れた状態間の転移であることから、まだ謎に包まれています(参考文献1)。非晶質・非晶質転移が連続的な転移なのか、それとも結晶と液体のような熱力学的平衡状態間の相転移と同様に一次転移的な性質を持つのかについては、まだ議論が続いています。この論争は、非晶質・非晶質転移を記述できるよく定義された局所構造の秩序パラメータが欠如していることが一因であると考えられています。また、非晶質・非晶質転移が核生成・成長型やスピノーダル分解型のような一次転移に特有の転移様式を取るのか、力学的因子や熱拡散の消失など、固体特有の性質がどのように関与するのかといった問題も明らかにされていません。
特にシリコンは、常圧の結晶状態では半導体として極めて重要な原子であり、非晶質シリコンも工学分野で大きな応用の可能性を秘めています。このような常圧固体状態での半導体的な性質も、液体状態や高圧では失われ、金属的な性質を示すなど、非晶質・非晶質転移により物性の劇的な変化が期待されます。また、シリコンは局所的には低圧において正四面体構造を示すことが知られており、これが転移によりどのように変化するかも興味深い問題といえます。
非晶質・非晶質転移に関するこれらの問題にアプローチするためには、分子動力学シミュレーションが最も有望で強力なツールとなります。シリコンにおいては、これまで簡易型の原子間ポテンシャルを用いた研究が液体・液体転移に焦点を当てて行われてきましたが、高圧での物質挙動を正確に記述できないため、非晶質・非晶質転移の研究は遅れていました。そこで、研究グループは最近開発された機械学習ポテンシャルを活用して、圧力ジャンプにより誘起されるシリコンにおける非晶質・非晶質転移のダイナミクスについて詳細に研究しました。
同グループは、高度な機械学習と局所構造解析を駆使して、急激な圧力変化により引き起こされるシリコンにおける非晶質・非晶質転移の微視的なダイナミクスを研究しました。この結果、常温で3つの非晶質形態(低密度非晶質:LDA、高密度非晶質:HDA、超高密度非晶質:VHDA)が同定され、それぞれの相の構造を特徴づける構造秩序変数の特定に成功しました。これにより、これらの状態間の転移、さらにはより密度の高い結晶への転移の動的な経路とメカニズムを明らかにしました。LDAからHDAへの転移では、非球状の界面を持つHDAの核がLDAの中に形成され、時間とともに成長する核生成・成長型転移が観測され、界面のラフネスなどその過程が固体相転移特有の力学因子により強く影響を受けていることが明らかになりました。一方、急激な圧力減少時のHDAからLDAへの逆方向の転移は構造秩序の揺らぎが持続的に発展するスピノーダル分解型の転移過程を示すことが明らかになりました。また、さらなる圧力印加により、LDAはVHDAに転移しますが、両相間に直接的な遷移経路は存在せず、中間状態としてHDAを経由することが明らかになりました。また、最終的に形成されたVHDA状態は本質的に不安定であり、さらに高密度の結晶に転移することを見出しました。この結晶化過程で、最終的に安定な単純六方晶(sh結晶)(注5)の形成は、β-Sn結晶(注6)として知られる中間状態を含む2段階のプロセスを経ることが明らかになりました。また、これらの過程すべてで、非晶質状態の前駆的な構造秩序化が転移の引き金になっていることが明らかになり、変換に伴う熱力学的・力学的障壁を低減する上での重要な役割を果たしていることが示されました。
これらの発見により、非晶質・非晶質転移および結晶化を駆動する熱力学的および機械的因子の協奏の重要性が明らかにされ、拡散を伴わない固体状態での変換における構造要素の力学的不安定化の重要性が示されました。
この研究の成果は、多様な材料における構造変換を支配する基本原理をさらに解明し、これらの因子をどのように操作・制御できるかについて貴重な洞察を提供します。また、シリコンをはじめ新しい非晶質機能材料や非晶質状態の薬品の開発、さらには高圧下での非晶質物性、固体間相転移が重要な役割を演じる地球・惑星科学分野などに有用な基礎的な知見を与えるものと期待されます。
図2:HDA-VHDA転移過程の構造変化
青、緑、赤、黄、マゼンタの球は、それぞれ低密度アモルファス、高密度非晶質、超高密度非晶質、β-Sn、単純六方晶(sh)様の構造を持った原子を表す。わかりやすくするため、原子の大きさは構造タイプごとに調整されている。
参考文献
- H. Tanaka, Liquid–liquid transition and polyamorphism, J. Chem. Phys. 153, 130901 (2020).
発表者
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
ファン ザオ(研究当時:協力研究員)
田中 肇(シニアプログラムアドバイザー:特任研究員/東京大学 名誉教授)
論文情報
- 雑誌:Nature Communications(1月16日)
- 題名:Microscopic mechanisms of pressure-induced amorphous-amorphous transitions and crystallisation in silicon
- 著者:Zhao Fan and Hajime Tanaka*
*責任著者 - DOI:10.1038/s41467-023-44332-6
研究助成
本研究は、文部省科学研究費特別推進研究(課題番号:JP20H05619)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)局所構造解析
物質の微細な部分や局所的な領域の構造や秩序を調査する手法。通常、材料全体の平均的な性 質ではなく、局所的な原子配置やパターンを詳細に理解するために使用される。
(注2)非晶質・非晶質転移
物質が非晶質状態から別の非晶質状態へ転移する現象。非晶質状態は、結晶のような長距離秩序がなく、原子や分子が無秩序に配置された状態で、これに対して、非晶質・非晶質転移では、物質がその無秩序な構造を変化させ、異なる非晶質の形態に遷移する過程が起こる。非晶質・非晶質転移は、物質の外部条件の変化に伴って引き起こされることがある。例えば、圧力や温度の変化、物質にかかる外部の力などが影響を与え、非晶質状態の物質が別の非晶質状態に変化する。これらの転移はしばしば物質の性質や構造に大きな変化をもたらし、それに伴って物理的・化学的な性質が変わる。非晶質・非晶質転移の理解は、材料科学や物性物理学などの分野で重要であり、新しい材料の設計や応用の開発に役立つ基本的な知識を提供する。
(注3)核生成・成長型転移
核生成・成長型転移は、物質が一つの相から別の相に変化する際に見られる転移の一形態で、新しい相の核(中心)が最初に生成され、その後、その核が成長して変化が進行する。この転移は、新しい相の核が既存の相の中に生成され、時間とともに成長することで進行する。
(注4)スピノーダル分解型転移
不安定状態にある物質が、ある状態から別の状態に変化する際に、物質内部で微小な構造の揺らぎが持続的に成長し、最終的には転移が進行する特徴的なメカニズムを指す。
(注5)単純六方晶(sh結晶)
固体の結晶構造の一つで、ヘキサゴナルセルと呼ばれる単位胞を基本とする形状を持つ。この結晶構造は、各軸が直行し、2つの軸が60度で、一つの軸が垂直に配置された六方向性を示す。六方晶系は、ヘキサゴナルセルの対称性と構造を特徴とし、例えば炭素のダイヤモンドがこの結晶構造に該当する。
(注6)β-Sn結晶
スズ(Sn)の結晶構造の一つであり、この結晶構造は通常の結晶構造であるα-Snとは異なる。β-Sn結晶は、正方晶系の結晶構造を持ち、スズ原子が正方向きの格子点に配置されていることを特徴とする。
問合せ先
東京大学 名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)田中 肇(たなか はじめ)