2025-01-31 東京大学
発表のポイント
- ナノレベルの結晶表面の電子顕微鏡観察により、二つの結晶相が双方向的に入れ替わる相転移現象を発見した。この現象は、表面が持つ大きなエネルギーによって駆動されている。
- 従来、氷の融解などの相転移は一方向的に進むとされてきた。今回、相転移の開始段階では二つの相がミリ秒スケールで平衡にあり、ここから確率的に転移が進むことが分かった。
- この成果により、結晶成長や相転移の制御技術が進展し、材料や医薬品の特性をより精密に設計できる可能性が広がる。
ナノ粒子をモデルとした結晶融解過程の検証
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の中村栄一特任教授らの研究グループは、群馬大学大学院理工学府の花屋実教授と共同で、原子分解能透過電子顕微鏡(AR-TEM)(注1)を用い、ナノサイズの酸化アルミニウム結晶が成長する過程をミリ秒から60秒の範囲で観察した。その結果、二次元投影の面積が数nm²の不定形結晶が約10 nm²の結晶に成長する際、η型とθ型という二つの結晶多形(注2)の間を高速で行き来する現象を発見した。注目すべきは、巨視的にはθ型が安定相であり、こちらに向かって一方向的に変化すると考えられていた点である。ナノサイズでは、表面エネルギー(注3)の影響で両相のエネルギー差が縮まり、このような平衡状態が生じることが明らかになった。この成果は、材料や医薬品、農薬の設計・製造における結晶多形制御の合理化に貢献すると期待される。
発表内容
物質が表面から溶ける現象は、氷が表面から溶けるように、理科の実験や日常生活でもよく知られている。これは表面のエネルギーが高く、分子運動が活発であるためと理解されてきた。しかし、表面が単に融解していくだけではなく、結晶のごく表面では融解と凝固を確率論的に繰り返している可能性も考えられる。この疑問に答えるための実験系や測定手法はこれまで存在しなかった。本研究グループは、高速高分解能電子顕微鏡(SMART-EM)法(注4)を用い、カーボンナノチューブ(CNT注5)表面に0.1ミクロン程度の大きさの水酸化アルミニウム(Al(OH)3)を析出させ、この上でナノサイズの酸化アルミニウム(Al2O3)結晶が成長する様子を、3ミリ秒から60秒という幅広い時間スケールでその場観察した。この「映像化学」手法により、原子レベルでの相転移が非決定論的かつ予測不能な動きを示すことを初めて明らかにした。この発見は、物質の相転移機構の解明に新たな光を当て、結晶の性質を精密に制御するための基盤を提供する重要な成果である。
黒鉛とダイヤモンドは、化学的・物理的性質が大きく異なるものの、いずれも炭素原子から構成されている。このように、同じ化学組成でありながら異なる結晶構造を持つ現象は、結晶多形現象として知られている。結晶多形は、有機物・無機物を問わず多くの物質に存在し、その制御は工業的にも重要である。しかし、結晶の生成やその動的な構造変化を原子・分子レベルで捉える手法がこれまで存在しなかったため、結晶化の過程で多形がどのように選択されるのか、また原子レベルで多形間がどのように相互変換するのかという根本的な疑問は未解決のままであった(図1)。この研究では、「単分子原子分解能時間分解電子顕微鏡(SMART-EM)イメージング法」と呼ばれる分子電子顕微鏡技術を携える中村教授らと、無機固体化学が専門の花屋教授が協力して今回の成果の発表に至った。
図1:本研究課題の概念図
結晶多形がどのように選ばれるのか(結晶化)、どのように相互変換しているのか(構造相転移)はこれまで未解明であった。
本研究では、表面積の大きな水分散性CNTの表面にAl(OH)3を析出させた試料を用い、SMART-EM観察を行った。その結果、表面から水分子が脱離し、直径数ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)程度のAl2O3粒子が生成する様子を撮影した(図2)。動画では、Al2O3粒子の構造が結晶核として安定化する前に、複数の結晶多形の間で可逆的に揺らいでいる様子が観察された(図3)。従来の結晶化理論では、このような構造ダイナミクスは想定されてこなかった。さらに、観察温度を変えると各構造の出現頻度が変化し、それに伴い核生成時に選択される多形の比率も変化することが確認された。これは、核生成における多形選択が決定論的な過程ではなく、確率論的な構造揺らぎに支配された非決定論的プロセスであることを示している。
図2:本研究手法の模式図
水分散性CNTの表面にAl(OH)3を析出させ、その後電子線照射により脱水反応を起こすことで、直径数ナノメートルのAl2O3ナノ粒子の生成プロセス観察を実現した。
図3:Al2O3ナノ粒子の構造揺らぎを捉えたAR-TEM像
Al2O3ナノ粒子が確率論的に融液状態と2つの秩序構造(ηとθ)との間で揺らぐ様子を捉えた電子顕微鏡動画。図中の数字は動画撮影開始からの経過時間。赤色の破線はAl2O3ナノ粒子の位置とサイズを示す。図中のスケールバーは1ナノメートル。
さらに、この構造揺らぎのメカニズムを解明するため、ミリ秒の高速撮影(300フレーム/秒)を行った。その結果、従来の巨視的観察で想定されていた結晶多形間の直接的な一方向的な変換ではなく、融解による結晶構造の無秩序化を経て、再結晶化により新たな多形が形成される機構を発見した(図4)。この機構は、ナノ粒子だけでなく、身近な材料の表面や欠陥近傍でも生じていると考えられる。従来のマクロスケールの平均化された情報に基づく機構研究では見逃されてきたダイナミクスの理解を深めることで、結晶多形の精密な制御が可能になると期待される。
図4:Al2O3ナノ粒子における構造揺らぎのミリ秒観察
θ構造は緑色、η構造は赤色で強調。26.7ミリ秒では大部分がθ構造を示していたナノ粒子が、融液を介してη構造へと徐々に再結晶する様子が捉えられている。
〇関連情報:
「プレスリリース①溶液をかき混ぜると結晶成長が速くなるのはなぜか?」(2022/12/21)
「プレスリリース②1分子1分子の乱雑さからエントロピー変化を定量する」(2024/05/31)
〇関連リンク:群馬大学
論文情報
- 雑誌名 Science論文タイトル
Non-deterministic dynamics in η-to-θ phase transition of alumina nanoparticles著者 Masaya Sakakibara, Minoru Hanaya, Takayuki Nakamuro*, Eiichi Nakamura*(*責任著者)DOI番号 10.1126/science.adr8891
研究助成
本研究は、科学研究費助成金「特別推進研究(課題番号:JP19H05459)」、「基盤研究(A)(課題番号:JP24H00447)」、「学術変革領域研究(A)(課題番号:JP23H04874)」、科学技術振興機構「さきがけ(課題番号:JPMJPR23Q6)」、公益財団法人風戸研究奨励会の支援により実施されました。
用語解説
注1 原子分解能透過電子顕微鏡(AR-TEM)
原子1つ1つを区別して観察可能な性能を持つ透過電子顕微鏡。透過電子顕微鏡は光より波長の短い電子線を用いる顕微鏡で、物質を透過してきた電子線により像を結ぶことによって物質の形状を視覚的に知ることができる。近年の収差補正技術の進歩とカメラの高速化により、有機材料の観察に適した低加速電圧を用いた電子顕微鏡においても原子分解能でのミリ秒高速撮影が可能になった。
注2 結晶多形
組成の同じ化学物質がとる複数の結晶構造。多形によって安定性や溶解性が異なり、医薬品では薬効に影響を与えることがある。
注3 表面エネルギー
物質の表面で働く分子間の力に関連するエネルギーを指す。物質の内部では、分子は周囲の分子と均等に相互作用しているが、表面では内部と同じ数の分子と相互作用できないため、エネルギー的に不安定な状態になる。この「不安定さ」が表面エネルギーとして現れ、物質の性質や反応性に大きな影響を与える。
注4 高速高分解能電子顕微鏡(SMART-EM)法
中村教授らの研究グループにより独自に開発された新しいイメージング分析手法で、カーボン材料を担体とすることで多様な物質を長時間安定して観察することが可能である。静止画に比べて情報量の豊富な映像を利用することで、化学現象を映像として撮影して解析する「映像化学」の確立が見込まれる。
注5 カーボンナノチューブ(CNT)
ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。飯島澄男教授(現名城大学)が1991年に発見した。炭素単層からなるグラフェンシートが直径1ナノメートルから数ナノメートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。CNTはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として注目されている。今回の研究で利用されたのは2006年に中村教授らの研究グループにより開発されたアミノ化カーボンナノホーンと呼ばれるもので、カーボンナノチューブの一種に化学処理を行うことで水への分散性を向上させている。