絶縁体単層膜における未知の波紋の可視化に成功 ~量子スピン液体の痕跡?~

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2024-10-29 京都大学,東京大学,大阪大学,科学技術振興機構

概要

京都大学大学院理学研究科の幸坂祐生 教授、芥川聖 同修士課程学生(2023年3月卒業)、大間知秀祐 同修士課程学生(2024年3月卒業)、岩道悠希 同修士課程学生、小野孝浩 同修士課程学生(2022年3月卒業)、田中伊蕗 同修士課程学生(2023年3月卒業)、立石将太郎 同修士課程学生(2024年3月卒業)、村山陽奈子 同博士後期課程学生(2022年3月卒業、現九州大学助教)、末次祥大 同助教、寺嶋孝仁 同教授(現研究員)、浅場智也 同特定准教授、笠原裕一 同准教授(現九州大学教授)、松田祐司 同教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科の橋本顕一郎 准教授、芝内孝禎 同教授、大阪大学大学院基礎工学研究科の高橋雅大 博士後期課程学生、ニコラエフ・セルゲイ 同特任助教(常勤)、水島健 同准教授、藤本聡 同教授らの研究グループは、キタエフ量子スピン液体(注1)の有力候補物質として知られる三塩化ルテニウム(α-RuCl3)において、これまでにない新たな量子干渉模様を発見しました。

キタエフ量子スピン液体は、配置されたスピン(注2)が複雑に絡み合った量子もつれ(注3)と呼ばれる状態を持っています。この状態は、量子コンピューター(注4)への応用の可能性があるため、科学者たちの注目を集めています。しかし、量子スピン液体状態を実験的に検出することは極めて難しく、現在も世界中で活発に探索が進められています。今回、α-RuCl3単層膜で初めて発見されたこの干渉模様は、α-RuCl3に存在する特徴的な量子状態を反映しており、キタエフ量子スピン液体の手掛かりとなる可能性を秘めています。

本研究成果は、2024年10月25日に米国物理学会が発行する科学雑誌「Physical Review X」にオンライン掲載されました。

発表内容

1.背景
物質の状態は温度によって変化します。我々の身近にある水も、温度を下げるにつれて水から氷へと変化します。この状態変化は、水分子が無秩序に動き回る液体から、規則的に配列する固体への変化です。磁石においても同じようなことが起こります。磁石の中には「スピン」と呼ばれる微小な磁石のようなものがたくさんあります。温度が高いときには、このスピンの向きはバラバラですが、温度を下げるとスピンは同じ向きに配列します。これによって磁石全体としての性質が現れます。

量子スピン液体は、1973年にフィリップ・アンダーソンによって提案された量子状態です。絶対零度(注5)においてもスピンが規則的に配列せず液体のように動く状態です。その後、半世紀にわたる研究により、量子スピン液体は単なる無秩序状態ではなく、多数の量子もつれが存在する、本質的に新しい量子状態であることが理論的に明らかになっています。これまでの研究で、量子スピン液体にはいくつかの種類があることが明らかになっています。その一つが、キタエフ量子スピン液体です。キタエフ量子スピン液体においては、マヨラナ粒子(注6)や非可換エニオン(注7)と呼ばれる新粒子の存在も示唆されています。こうした性質を上手に制御すればノイズに強い量子コンピューターを作ることができると提案されていることもあり、キタエフ量子スピン液体は世界中で活発に研究されています。

理論的には興味深い性質が明らかになっている量子スピン液体ですが、秩序を持たないという特徴があるため、実験で量子スピン液体を検出することは大きな挑戦です。これまで用いられてきた実験手法では、試料全体を測定するため、測定結果の解釈はしばしば不純物の影響を受けてきました。そのため、局所的に電子状態を解明することが求められてきました。

2.研究手法・成果
研究グループでは、キタエフ量子スピン液体の候補物質α-RuCl3の単層膜を、走査型トンネル顕微鏡(注8)を用いて測定しました。走査型トンネル顕微鏡は、原子分解能で電子状態を可視化できる非常に強力な測定手法です。しかし、電気を流さない絶縁体であるα-RuCl3をそのままでは測ることができません。そこで研究グループは、パルスレーザー堆積法(注9)を用いて極限まで薄いα-RuCl3の膜の作製を試み、単層膜(膜厚約0.6ナノメートル)の作製に世界で初めて成功しました。パルスレーザー堆積法には、単層膜を作製する方法として現在主流の剥離法(注10)とは異なり、歪みがなく、物質本来の性質を調べることができる試料が得られる優れた利点があります。

得られた試料を測定した結果、欠陥(注11)の周囲に同心円状の振動(周期約1.4ナノメートル)が存在することを発見しました(図1)。

絶縁体単層膜における未知の波紋の可視化に成功 ~量子スピン液体の痕跡?~
(図1)三塩化ルテニウム(α-RuCl3)において発見された量子干渉模様。
走査型トンネル顕微鏡像。


欠陥の周囲には物質の性質を反映する特徴的な模様が現れることがあります。逆に、その模様を詳しく観察することで、物質の性質を知ることもできます。よく知られた例には、金属におけるフリーデル振動(注12)があります。しかし、今回の測定試料であるα-RuCl3は絶縁体であるため、観測された振動はフリーデル振動とは異なる現象です。さらに、詳しい測定と解析の結果、今回観測された振動模様は、他に知られている振動現象とも異なる新しい現象であることがわかりました。

振動模様自体は何か動き回ることができる粒子の存在を暗示します。そこで研究グループはキタエフ量子スピン液体において存在するマヨラナ粒子が動き回っていると仮定して理論計算を行いました。その結果、実験で観測された模様を再現することに成功しました。この結果は、フリーデル振動が金属の証であるように、観測された振動現象がキタエフ量子スピン液体を示す兆候である可能性を意味します。これは、試料全体を平均することがない、局所応答の直接観察を用いた量子スピン液体の新しい研究アプローチの方向性を示しています。

3.波及効果、今後の予定
本研究成果で得られた単層膜とその原子分解能直接観察は、2次元キタエフ量子スピン液体を実現し、その性質を解明するための基盤となります。キタエフ量子スピン液体を用いた量子コンピューターの実現には、2次元キタエフ量子スピン液体を作り出し、そこに生じる非可換エニオンの位置を自在に制御することが必要とされています。本研究成果は、そうした方向への将来的な発展の礎となります。

4.研究プロジェクトについて
本研究は、科学技術振興機構(JST) CREST(課題番号:JPMJCR19T5)、日本学術振興会(JSPS)科研費(JP20K03860, JP21H01039, JP22J20066, JP22H00105, JP22H01221, JP23H00089, JP23K17669)、新学術領域研究「量子液晶」(JP19H05824, JP22H04480)の支援を受けて行われました。

用語解説

(注1)キタエフ量子スピン液体:
2006年にロシア出身の物理学者アレクセイ・キタエフによって提唱された量子状態。量子スピン液体となることが厳密に示されていることが大きな特徴であり、そのため様々な性質が理論的に予言されている。

(注2)スピン:
電子が持つ量子力学的な性質の一つで、微小な磁石のようにふるまう。

(注3)量子もつれ:
2つ以上の粒子が離れていても、お互いに影響し合う特別な量子力学的状態。

(注4)量子コンピューター:
0と1のどちらかの状態を排他的に取る素子を用いて演算を行う従来方式のコンピューターに対し、0と1に対応する量子状態の重ね合わせによって情報を扱うコンピューターのこと。従来のコンピューターでは困難な問題の解決が期待されている。

(注5)絶対零度:
物質のエネルギーが最低の状態に対応する温度(-273.15℃)を指す。

(注6)マヨラナ粒子:
粒子と反粒子が同一である粒子。1937年にイタリアの物理学者エットーレ・マヨラナが理論的に存在を予言した。物質中における電子系の励起状態(エネルギーの高い状態)がマヨラナ粒子として記述できる場合があることが理論的に指摘されている。

(注7)非可換エニオン:
2次元空間でのみ存在する特殊な粒子で、交換の順番によって結果の状態が変わる性質を持つ。

(注8)走査型トンネル顕微鏡:
試料直上で金属探針を走査し、探針と試料の間に流れる量子力学的な電流(トンネル電流)を測定することで、試料表面の原子配列を直接観察できる極めて空間分解能の高い顕微鏡。小さな電流を測る測定手法であるため、測定試料は電気を流す金属である必要があり、一般には電気を流さない絶縁体を測ることは難しい。

(注9)パルスレーザー堆積法:
目的物質のターゲット材料に高強度短パルスレーザーを照射して気化させ、対向する基板上に堆積させることで薄膜試料を得る手法。堆積基板が低温でもエピタキシャル成長ができ、バルク単結晶に匹敵する高品質な薄膜結晶を成長できる。

(注10)剥離法:
テープなどを用いて層状物質の薄い層を剥離し、基板に転写させることで薄膜試料を得る方法。

(注11)欠陥:
物質中の原子の周期的な配列を乱すもの。本来とは異なる種類の原子が存在する不純物やあるべき原子が欠けている空孔など。

(注12)フリーデル振動:
金属中の欠陥周囲に生じる電子密度の振動。金属中に存在する自由に動き回ることができる電子によって引き起こされる。振動の波長は電子の運動量に関係しており、およそ数ナノメートル程度。フランスの物理学者ジャック・フリーデルにちなむ。

研究者のコメント

「水面に石を投げると波紋が広がります。逆に、波紋の存在によって水面の存在を知ることができます。本研究成果では、石の代わりとなる原子的な欠陥に着目して、その周りに生じる波紋を発見しました。波紋の存在は、水面に相当する「何か」がそこにあることを意味します。実験的に探索が難しかった量子スピン液体こそがその「何か」ではないかと我々は期待しています。今後も探求を続けていきます。」(幸坂祐生)

論文タイトルと著者

タイトル:Imaging Quantum Interference in a Monolayer Kitaev Quantum Spin Liquid Candidate
著  者:Y. Kohsaka, S. Akutagawa, S. Omachi, Y. Iwamichi, T. Ono, I. Tanaka, S. Tateishi, H. Murayama, S. Suetsugu, K. Hashimoto, T. Shibauchi, M. O. Takahashi, S. Nikolaev, T. Mizushima, S. Fujimoto, T. Terashima, T. Asaba, Y. Kasahara, Y. Matsuda
掲 載 誌:Physical Review X
DOI:10.1103/PhysRevX.14.041026

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新領域創成科学研究科 広報室

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