2024-06-12 理化学研究所,東京大学,科学技術振興機構
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性チームのミンシン・ウー 大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時)、近藤 浩太 上級研究員、大谷 義近 チームリーダー、東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻のタイシー・チェン 特任研究員(研究当時)、肥後 友也 特任准教授、中辻 知 教授、東京大学物性研究所 ナノスケール物性研究部門の一色 弘成 助教、量子物質研究グループの冨田 崇弘 特任助教(研究当時)らの国際共同研究グループは、反強磁性体[1]中の磁壁[2]をナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)のパルス電流によって高速駆動できることを実験的に示しました。
本研究成果は、反強磁性体を基盤材料とした超高速かつ低消費電力で駆動可能な磁気シフトレジスタ[3]の実現につながることが期待されます。
今回、国際共同研究グループは、反強磁性体にもかかわらず、強磁性体[1]のように磁化状態を電気的・光学的に検出することができるカイラル反強磁性体[4]を用いて、室温で磁壁の高速電流駆動を実証しました。磁壁は電流と磁化の相互作用によるスピン移行トルク[5](磁化を回転させる力)によって駆動し、強磁性体で同様のトルクで駆動した場合と比較すると、今回の反強磁性体では、約2桁高い移動度(単位電流密度当たりの移動速度)を有することを確認しました。さらに、反強磁性体の結晶方位依存性を調べることで、磁壁の高速駆動に適した磁壁構造を明らかにしました。
本研究は、英国科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(6月11日付:日本時間6月11日)に掲載されます。
反強磁性体の磁壁移動による磁気シフトレジスタ(磁区の向きで”0”と”1”を記録)
背景
磁壁は、電流を印加すると、電流と磁化の相互作用であるスピン移行トルクによって動かすことができます。このような磁壁の電流駆動現象[5]は、磁壁の位置で情報記録を行う磁気シフトレジスタの基本的な駆動原理となります。そのため、磁壁の移動速度はシフトレジスタの動作速度に、磁壁の駆動電流値は消費電力に反映されます。これまで、強磁性体やフェリ磁性体[1]を用いて、磁壁が高速電流駆動することが実証されてきましたが、反強磁性体においては報告がありませんでした。
近年、反強磁性体を用いることで、従来の強磁性体よりも、はるかに高速に磁壁駆動できることが理論予測され注)、その実験的実証が望まれていました。しかし、反強磁性体は、一般的に磁化状態を検出しにくいため、磁壁駆動などの磁化ダイナミクスの解明が困難でした。
そこで本研究では、近年注目されている磁性材料の一つであるカイラル反強磁性体(図1 Mn3SnおよびMn3Ge/Mn:マンガン、Sn:スズ、Ge:ゲルマニウム)に着目しました。この材料は、特殊なバンド構造を有するワイル磁性体[6]であり、反強磁性体にもかかわらず、強磁性体のように磁化状態を電気的・光学的に検出することができます。このような反強磁性体を用いて、磁壁の電流駆動ダイナミクスの実験的検証を行いました。
図1 カイラル反強磁性体Mn3Geの磁気構造
(a)カイラル反強磁性体Mn3Geの磁気構造。Mn原子が三角格子(カゴメ格子)上に並び、それぞれのスピンは120度ずつ傾きながら配置している(カイラル反強磁性秩序)。そのため、正味の磁化は非常に小さな反強磁性体となる。
(b)磁場によるMn3Geの磁化反転。この反強磁性体の磁化方向は、カゴメ格子上に配置された六つのスピンを一つのユニットとして考えた拡張磁気八極子の向き(緑矢印)として捉えることができる。
注)
- R. Cheng, and Q. Niu Phys Rev. B 89, 081105(R) (2014).
- O. Gomonay et al., Phys. Rev. Lett. 117, 017202 (2016).
- T. Shiino et al., Phys. Rev. Lett. 117, 087203 (2016).
- T. Nomoto, and R. Arita Phys Rev. Res. 2, 012045(R) (2020).
研究手法と成果
国際共同研究グループは、カイラル反強磁性体(Mn3SnおよびMn3Ge)単結晶を、集束イオンビームを用いてマイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)幅の細線に加工しました(図2a)。まず、反強磁性細線中に磁壁を導入(図2b上図)します。その状況で、反強磁性細線の長手方向にナノ秒のパルス電流を印加すると、磁壁の位置が移動することを磁気光学カー効果[7]による磁気イメージング法を用いて確認しました。
図2 反強磁性細線における磁壁の電流駆動
(a)カイラル反強磁性体の細線デバイス(走査電子顕微鏡写真)。(b)反強磁性細線における磁壁の電流駆動の様子。上から下にいくにつれて時間が経過している。
観測された磁壁の移動方向はパルス電流と逆方向となり、これまで強磁性体で報告されているスピン移行トルクによる駆動方向と同じであることが分かりました(図2)。さらに、磁壁の移動速度の電流密度依存性(図3a)を調べたところ、強磁性体と比べて、約2桁高い磁壁移動度[8](単位電流密度当たりの駆動速度[8]:図3aの勾配に対応)を示すことを明らかにしました(図3b)。これは、磁壁の電流駆動を基本原理とする磁気シフトレジスタにおいて、強磁性体の代わりにカイラル反強磁性体を用いることで、低消費電力で高速駆動を実現することが原理的に可能であることを示しています。
また、この反強磁性体は図1に示すカゴメ格子面(カゴメ面)内が磁気モーメントの向きやすい磁化容易面となっているため、拡張磁気八極子[9]は、カゴメ面内で回転します。そのため反強磁性細線を作製する際に切り出す結晶方位(単結晶中での原子の配列方向)を選択することで、異なる磁壁構造(ネール磁壁[2]とブロッホ磁壁[2])を用意できます(図3a)。この特長を活かして、磁壁移動速度の磁壁構造依存性を調べ、ネール磁壁がブロッホ磁壁よりも高速電流駆動することを明らかにしました(図3a、b)。
図3 磁壁移動速度の電流密度依存性と磁壁移動度の比較
(a)磁壁構造に依存した磁壁移動速度。濃い灰色の四角がカゴメ面を表しており、これが磁壁と直交するか平行になるかで、ネール磁壁かブロッホ磁壁かが決まる。ネール磁壁がブロッホ磁壁よりも移動速度が速い。(b)強磁性体とフェリ磁性体、カイラル反強磁性体の磁壁移動度の比較。カイラル反強磁性体の移動度が高い。
今後の期待
本研究成果により、従来の強磁性体やフェリ磁性体の代わりに反強磁性体を使うことで、1桁以上高速に駆動が可能な磁気シフトレジスタの実現への道が示されました。これは、現在JST未来社会創造事業で開発を進めているスピントロニクス光電融合デバイスの駆動原理となることが期待されます。今後、カイラル反強磁性体を、より薄膜化・微細化することで、より実デバイスに近い構造における高速磁壁駆動の実現およびそれを活用したデバイス実証が望まれています。
補足説明
1.反強磁性体、強磁性体、フェリ磁性体
強磁性体は、隣り合う磁気モーメントが平行配置で並び、全体として大きな磁化を持つ磁性体。フェリ磁性体は、逆方向かつ大きさの異なる磁気モーメントを持っている磁性体で、磁気モーメントの差分が磁化となる磁性体。反強磁性体は磁気モーメントが打ち消し合うことで、磁化がゼロとなる磁性体。
2.磁壁、ネール磁壁、ブロッホ磁壁
磁壁とは、異なる磁化方向を持つ磁区と磁区の境界領域を指す。この境界領域では、磁気モーメントが少しずつ回転している。磁気モーメントの回転方向が、磁壁面(境界面)に垂直な方向の磁壁をブロッホ磁壁と呼び、磁壁面の面内方向に回転する磁壁をネール磁壁と呼ぶ。
3.磁気シフトレジスタ
磁性体中の磁壁がシフトすることで情報を記録するメモリ。電流パルスを加えることで、磁壁がシフトしデータを書き込むことが可能である。このメモリは、半導体メモリなどの電荷を情報記憶に用いるメモリと異なり電源を切っても記憶が維持される不揮発性メモリである。
4.カイラル反強磁性体
磁気構造が空間的にらせん構造を取る磁性体であるカイラル磁性体では、特殊な輸送特性の発現などが注目を集めている。今回着目したMn3X(Mn:マンガン、X:スズ(Sn)、ゲルマニウム(Ge))は、マンガン原子が三角格子(カゴメ格子)上に並んでおり、それぞれのスピンが120度ずつ傾きながら配置したカイラル反強磁性体である。この磁性体では、スピン同士の磁化が打ち消し合い、正味の磁化は、強磁性体と比べて1,000分の1程度となる。しかし、運動量空間に特殊な電子状態を持つことから、反強磁性体にもかかわらず、強磁性体と同等程度に大きな外部応答を示すことが知られている。この特長を活用することで、反強磁性体の超高速磁化ダイナミクスの解明が可能になると期待されている。
5.スピン移行トルク、磁壁の電流駆動現象
鉄などの強磁性体に電流を流すと、強磁性体の磁化と伝導電子間の交換相互作用によって、電子スピンの方向に偏り(スピン偏極)が生じる。このような電流をスピン偏極電流という。このスピン偏極電流が、偏極方向が異なる磁化に注入されると、交換相互作用を介して、伝導電子スピンと磁化が平行になろうとする。その結果、磁化が回転する力(トルク)を受ける。この過程は、電子スピンから磁化へ角運動量が移行していることに対応するので、スピン移行トルクと呼ばれている。強磁性体中の磁壁([2]参照)は、スピン偏極方向と磁化が異なる角度を有する場所である。そのため、磁壁に電流を印加すると、磁壁部分ではスピン移行トルクによって磁化が回転し、磁壁移動(磁壁の電流駆動現象)が引き起こされる。
6.ワイル磁性体
結晶中の電子のバンド構造において、線形のエネルギー分散を有し、バンドの交差点が対となった特殊な物質をワイル半金属と呼ぶ。この交差点をワイル点といい、通常、結晶構造(空間反転対称性の破れ)に由来してワイル点が形成される。一方、磁性(時間反転対称性の破れ)によってワイル点が形成される材料を、ワイル磁性体という。このワイル磁性体では、ワイル点間に仮想磁場が発現しており、異常ホール効果や異常ネルンスト効果などの外部応答を誘起する起源となっている。そして、近年の研究から、磁場や電流によるワイル磁性体の磁気秩序の制御が報告されており、それによって、ワイル点間の仮想磁場の方向を制御することが可能となる。
7.磁気光学カー効果
磁化を持った磁性体に直線偏光(特定の方向に交流電場が振動する光)を入射させると、反射した光の偏光面がねじれる現象。磁性体の磁化に依存して偏光面のねじれる方向が変化することを利用して、磁化方向や磁壁の位置を観察することができる。
8.磁壁移動度、駆動速度
磁性体中の磁壁([2]参照)の位置は電流によって駆動する。駆動速度は印加したパルス電流のパルス幅と動いた距離から導くことができる。また、単位電流密度当たりの駆動速度を磁壁移動度と呼び、より高いほど、効率的に磁壁の位置を動かすことができることを示している。
9.拡張磁気八極子
一般的な磁石である強磁性体はN極とS極の二つの極を持つ。そして、強磁性体を構成する磁気モーメント(スピン)も二つの極を持ち、磁気双極子と呼ばれている。強磁性体ではこのスピンが平行に並ぶことで、全体として大きな磁化を持ち、磁場でスピンの方向を180度回転させると、磁化の方向は反転する。つまり、磁石の向きは、磁気双極子の方向を反映していることになる。一方、今回用いている反強磁性体Mn3Xでは、Mn原子のスピンが三角格子上に並んで、それぞれ120度ずつ傾きながら配置されている。そのため正味の磁化は非常に小さくなる。しかし、図1に示すように三角格子上のスピンを一つの塊として捉えると、規則性が見えてくる。磁場でそれぞれのスピンを180度反転させると、全体として磁化がなくても、図1bの左右の図を区別できる。このように複数のスピンで一つのユニットとして捉えた際に作られるスピンの組み合わせを拡張磁気多極子という。Mn3Xでは、カゴメ面上に配置する最近接の六つのMnスピンが八面体を形成し、そのスピン配置が、四つの磁気双極子から成る磁気八極子と同じ対称性を有することから、拡張磁気八極子と呼ばれている。今回の研究では、磁気八極子の向きが異なる境界領域を反強磁性磁壁と呼び、電流駆動現象の検証を行っている。
国際共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性研究チーム
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時)ミンシン・ウー(Mingxing Wu)
上級研究員 近藤 浩太(コンドウ・コウタ)
チームリーダー 大谷 義近(オオタニ・ヨシチカ)
(東京大学物性研究所 ナノスケール物性研究部門 教授)
東京大学物性研究所
量子物質研究グループ
特任助教(研究当時)冨田 崇弘(トミタ・タカヒロ)
ナノスケール物性研究部門
助教 一色 弘成(イッシキ・ヒロナリ)
東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻
特任研究員(研究当時)タイシー・チェン(Taishi Chen)
特任准教授 肥後 友也(ヒゴ・トモヤ)
教授 中辻 知(ナカツジ・サトル)
東京大学先端科学技術研究センター
講師(研究当時)野本 拓也(ノモト・タクヤ)
教授 有田 亮太郎(アリタ・リョウタロウ)
カリフォルニア大学(UCLA、米国)
教授 ヤロスラフ・チェルコフニャック(Yaroslav Tserkovnyak)
電気通信大学 大学院情報理工学研究科 情報・通信工学専攻
教授 仲谷 栄伸(ナカタニ・ヨシノブ)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業大規模プロジェクト型「スピントロニクス光電インターフェースの基盤技術の創成(研究代表者:中辻知)」(課題番号:JPMJMI20A1)、同戦略的創造研究推進事業CREST「電子構造のトポロジーを利用した機能性磁性材料の開発とデバイス創成(研究代表者:中辻知)」(課題番号:JPMJCR18T3)、同戦略的創造研究推進事業さきがけ「第一原理計算に基づくトポロジカル磁性材料探索(研究代表者:野本拓也)」(課題番号:JPMJPR20L7)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業挑戦的研究(萌芽)「反強磁性ドメインの形成と制御の理論研究(研究代表者:鈴木通人)」、同基盤研究(A)「マルチポロニクスの第一原理物質設計(研究代表者:有田亮太郎)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Mingxing Wu, Taishi Chen, Takuya Nomoto, Yaroslav Tserkovnyak, Hironari Isshiki, Yoshinobu Nakatani, Tomoya Higo, Takahiro Tomita, Kouta Kondou, Ryotaro Arita, Satoru Nakatsuji, Yoshichika Otani, “Current-driven fast magnetic octupole domain-wall motion in noncollinear antiferromagnets”, Nature Communications, 10.1038/s41467-024-48440-9
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性研究チーム
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時)ミンシン・ウー(Mingxing Wu)
上級研究員 近藤 浩太(コンドウ・コウタ)
チームリーダー 大谷 義近(オオタニ・ヨシチカ)
東京大学物性研究所
量子物質研究グループ
特任助教(研究当時)冨田 崇弘(トミタ・タカヒロ)
ナノスケール物性研究部門
助教 一色 弘成(イッシキ・ヒロナリ)
東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻
特任研究員(研究当時)タイシー・チェン(Taishi Chen)
特任准教授 肥後 友也(ヒゴ・トモヤ)
教授 中辻 知(ナカツジ・サトル)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学物性研究所 広報室
東京大学大学院理学系研究科 理学部 広報室
科学技術振興機構 広報課
JST事業に関する窓口
科学技術振興機構 未来創造研究開発推進部
幸本和明(コウモト・カズアキ)