X線レーザーを照射された原子は遅れて動き始める~放射線損傷のない精密X線構造解析の可能性を証明~

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2022-06-07 理化学研究所,筑波大学,高輝度光科学研究センター

理化学研究所(理研)放射光科学研究センターSACLAビームライン基盤グループビームライン開発チームの井上伊知郎研究員、矢橋牧名グループディレクター、筑波大学数理物質系エネルギー物質科学研究センターの西堀英治教授、高輝度光科学研究センターXFEL利用研究推進室先端光源利用研究グループ実験技術開発チームの犬伏雄一主幹研究員らの国際共同研究グループは、X線自由電子レーザー(XFEL)[1]施設「SACLA[2]」を用いて、X線を照射された原子はしばらくの間ほぼ停止していることを明らかにしました。

本研究成果は、放射線損傷[3]の影響がない精密X線構造解析を実現するための第一歩となるものです。

現在、「SPring-8[4]」をはじめとした放射光施設では、物質の構造を1ピコメートル(pm、1pmは1兆分の1メートル)程度の空間分解能で決定する「精密X線構造解析」が盛んに行われています。しかし、XFELを用いた精密構造解析は実現例がありませんでした。

今回、国際共同研究グループは、精密構造解析の標準試料である酸化アルミニウム(Al2O3)について、高強度X線を照射した際に起こる構造変化をフェムト秒(fs、1fsは1000兆分の1秒)オーダーの高い時間分解能で計測しました。実験の結果、X線の照射から約20fsの間、原子は1pm程度以下しか動かない、ほぼ停止した状態にあることが分かりました。この結果から、X線の時間幅(パルス幅)を20fs以下にすれば、試料を放射線損傷で壊すことなく精密X線構造解析ができることが明らかになりました。

本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』の掲載に先立ち、オンライン版(6月1日付)に掲載されました。

X線を照射してから遅れて起こる原子移動の図

X線を照射してから遅れて起こる原子移動

背景

20世紀後半に誕生したレーザーは、半世紀を経た今なお、科学技術に大きな変革をもたらし続けています。通常のレーザーが発振する波長の範囲は赤外線から紫外線に限られてきましたが、近年になって米国の「LCLS[5]」や日本の「SACLA」といったX線自由電子レーザー(XFEL)施設が完成しました。XFELは、波長がオングストローム(Å、1Åは100億分の1メートル)程度の電磁波であるX線の領域で初めて実現したレーザーです。

XFELの主な用途の一つが、タンパク質の構造解析です。XFELは100フェムト秒以下(fs、1fsは1000兆分の1秒)の非常に短い時間幅(パルス幅)を持っています。この時間幅のもとではX線照射中のタンパク質の著しい構造変化は起こらないことが、これまでの研究から明らかになっています。この特徴を利用することで、通常のX線光源では放射線損傷のために測定が難しい試料であっても、その構造を調べることができるようになりました。現在、XFELを用いたタンパク質の構造解析では、原子の位置を10ピコメートル(pm、1pmは1兆分の1メートル)程度の空間分解能で決定することができます。

一方で、「SPring-8」をはじめとした放射光施設では、物質の構造を1pm程度の空間分解能で可視化する「精密X線構造解析」が盛んに行われています。しかし、XFELを用いた精密構造解析は実現例がなく、XFELの高い強度のもとで精密な構造解析ができるかどうかは不明でした。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、XFELを用いて精密構造解析が可能か検証するために、「SACLA」で開発されたX線ポンプ・X線プローブ法注1-2)を用いた実験を行いました。試料は、精密X線構造解析で標準試料として用いられる酸化アルミニウム(Al2O3)の結晶を使用しました(図1左)。X線ポンプ・X線プローブ法では、時間差を制御した二つのXFELビームを用います。試料に最初に当たるXFELビームを、構造変化を引き起こす「ポンプ光」として、次に当たるXFELビームを試料の様子を調べる「プローブ光」として用います。ポンプ光とプローブ光の時間間隔を0.3~100fsまで変化させながら、プローブ光による試料からの回折強度を精密に測定しました(図1右)。

実験の概略図の画像

図1 実験の概略図

(左)ポンプ光とプローブ光の時間間隔を0.3~100fsまで変化させながら、プローブ光によるAl2O3結晶からの回折強度を精密に測定した。検出器の前にアルミニウム箔を置くことによって、ポンプ光が検出器に入射することを防いだ。(Al2O3結晶の図はVESTA3(K. Momma and F. Izumi, Acta. Cryst. 44, 1272 (2011)を用いて作製した)
(右)図の点線が回折ピークの位置を表している。


測定された回折強度を解析することで、ポンプ光照射後にAl原子およびO原子の位置が時間とともにどのように変化していくのかを捉えることに成功しました。その結果、X線を照射してから約20fsの間、原子はわずか1pm程度以下しか動いていない、つまりほぼ停止した状態にあることが分かりました(図2)。

XFELを照射後のAl2O3結晶原子位置の変化の図

図2 XFELを照射後のAl2O3結晶原子位置の変化

(左)矢印で示した原子の位置の時間変化を調べた。(Al2O3結晶の図はVESTA3(K. Momma and F. Izumi, Acta. Cryst. 44, 1272 (2011)を用いて作製した)
(右)ポンプ光照射後20fs程度は、原子は1pm(0.01Å)以下しか動かず、原子の位置がほとんど変わらないことが実験から分かった。青色の点線は、本来のAl原子とO原子の本来の位置を表している。


また、この実験結果と数値シミュレーションの結果から、原子の停止時間はX線照射後に電子全体が励起する時間によって決まることが分かりました。この電子の励起に要する時間は、物質に依らず20fs以上だったことから、X線の時間幅を20fs程度以下にすれば、試料が放射線損傷で壊れることなく精密X線構造解析ができることが明らかになりました。

注1)2021年3月20日プレスリリース「高強度X線が引き起こす特殊な融解現象
注2)2016年1月26日SPring-8プレスリリース「フェムト秒で起こるX線損傷過程の観測に成功新規タブで開きます

今後の期待

放射光施設での精密構造解析は、試料の化学結合の状態や電子状態を調べることができる非常に強力な手法です。しかし、試料によってはX線による放射線損傷のために、その構造を決定することが不可能でした。今回の実験結果により、X線の時間幅を20fs以下にすれば、放射線損傷の影響がない精密X線構造解析が可能になることが示されました。今後、放射線損傷のない精密構造解析がXFELを利用することで実現されることが期待できます。

補足説明

1.X線自由電子レーザー(XFEL)
X線領域におけるレーザー。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的に波長の制限はない。また、数フェムト秒(1フェムト秒は1000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free Electron Laserの略。

2.SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。SPring-8 Angstrom Compact free electron Laserの頭文字を取ってSACLAと命名され、2012年から共用運転が開始された。大きさが諸外国の同様の施設と比べて数分の1とコンパクトであるにもかかわらず、0.1ナノメートル(nm、100億分の1メートル)以下という世界最短波長のレーザーの生成能力を持つ。

3.放射線損傷
X線の持つエネルギーによって、X線と相互作用した分子が壊れること。X線との相互作用で分子が壊れる場合だけでなく、分子が壊れる過程で生じる電子や、壊れた分子から生成する反応性の高い分子が観察対象の分子と化学反応する場合もある。

4.SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設。理化学研究所が所有し、利用者支援等は高輝度光科学研究センターが行っている。「SPring-8」の名前はSuper Photon ring-8 GeVの略。放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

5.LCLS
米国スタンフォード線形加速器センター(現在のSLAC国立加速器研究所)で建設された世界で初めてのXFEL施設。Linac Coherent Light Sourceの頭文字をとってLCLSと呼ばれている。2009年から利用運転が開始された。

国際共同研究グループ

理化学研究所
放射光科学研究センター
利用システム開発研究部門
SACLAビームライン基盤グループ ビームライン開発チーム
研究員 井上 伊知郎(イノウエ・イチロウ)
SACLAビームライン基盤グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(ヤバシ・マキナ)
先端放射光施設開発研究部門
先端光源加速器研究開発グループ 先端ビームチーム
チームリーダー 原 徹(ハラ・トオル)

筑波大学 数理物質系 エネルギー物質科学研究センター
教授 西堀 英治(ニシボリ・エイジ)

高輝度光科学研究センター
XFEL利用研究推進室
先端光源利用研究グループ 実験技術開発チーム
主幹研究員 犬伏 雄一(イヌブシ・ユウイチ)

ドイツ電子シンクロトロン
教授 ビアタ・ジアジャ(Beata Ziaja)
研究員 ビクトール・トカチェンコ(Victor Tkachenko)
研究員 ウラジミール・リップ(Vladimir Lipp)

アダム・ミツキェヴィチ大学
助教 コンラッド・カプシア(Konrad Kapcia)

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金若手研究「2色発振X線自由電子レーザーを利用した非線形X線分光法の開発(研究代表者:井上伊知郎)」、同基盤研究(B)「ナノ集光X線自由電子レーザーを利用した構造解析法の開発(研究代表者:井上伊知郎)」、同国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))「国際規模の先端量子ビーム利用による次世代回折構造研究(研究代表者:西堀英治)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「ソフトクリスタルの放射光その場構造観測(研究代表者:西堀英治)」、同学術変革領域研究(A)「2.5次元構造の分析技術開発(研究代表者:松田一成)」、による支援を受けて行われました。

原論文情報

Ichiro Inoue, Victor Tkachenko, Konrad J. Kapcia, Vladimir Lipp, Beata Ziaja, Yuichi Inubushi, Makina Yabashi, and Eiji Nishibori., “Delayed onset and directionality of x-ray-induced atomic displacements observed on subatomic length scales”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.128.223203

発表者

理化学研究所
放射光科学研究センター SACLAビームライン基盤グループ ビームライン開発チーム
研究員 井上 伊知郎(イノウエ・イチロウ)
SACLA ビームライン基盤グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(ヤバシ・マキナ)

筑波大学数理物質系 エネルギー物質科学研究センター
教授 西堀 英治(ニシボリ・エイジ)

高輝度光科学研究センター XFEL利用研究推進室
先端光源利用研究グループ 実験技術開発チーム
主幹研究員 犬伏 雄一(イヌブシ・ユウイチ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
筑波大学 広報局
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課

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