超短パルス強レーザー場で、超高分解能分光計測に成功!

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希ガス原子イオンのスピン軌道分裂を10-7の精度での計測

2021-09-16 東京大学

安藤 俊明(超高速強光子場科学研究センター 助教)
岩崎 純史(超高速強光子場科学研究センター 教授)
山内 薫(化学専攻 教授/超高速強光子場科学研究センター センター長)

発表のポイント

  • 独自に開発を進めてきた「強レーザー場超高分解能フーリエ変換(注1) (SURF)分光法(注2) による計測精度を高め、希ガス原子イオンのスピン軌道準位のエネルギー差を10-7の精度で決定した。
  • 従来の光吸収・発光過程を用いた分光手法とは異なり、超短パルスレーザー(注3)によってコヒーレントな波束(注4) を原子・分子系に生成し、それをポンプ・プローブ法(注5)によってモニターすることによって超高分解能を達成した。
  • 今回開発した手法によって、原子・分子系の微細なエネルギー準位分裂を高精度で決定できるため、複雑な多次元量子トンネル現象(注6)を解明することができるだけでなく、基礎物理定数(注7)の高精度決定に貢献することができる。

発表概要東京大学大学院理学系研究科の安藤助教、岩崎教授、山内教授らは、独自に開発した強レーザー場超高分解能フーリエ変換(strong-field ultrahigh resolution Fourier transform: SURF)分光法(注2)によって、希ガス原子イオンであるアルゴン(Ar)・クリプトン(Kr)の一価イオンのスピン軌道分裂エネルギーを10-7の精度で決定することに成功しました。

通常の高分解能分光では、光の吸収・発光過程を観測することによって、分子・原子のエネルギー準位を決定します。しかしながら、今回研究対象とした量子準位間では、光の吸収と放出が起こらないことから、従来の分光手法では、高精度でエネルギーを決定することは困難でした。

SURF分光では、原子・分子系のいくつかの固有状態の「重ね合わせの状態」を超短パルスレーザー光(ポンプパルス光)(注3)によって生成します。「重ね合わせの状態」は、波束(注4)と呼ばれるもので、もともとの固有状態どうしのエネルギー差に対応する周期で時間発展します。そのため、遅延時間の後、もう一つの超短パルスレーザー光(プローブパルス)を照射して、その波束の運動の時間発展をプローブすることができれば、そのシグナルの振動の周期から、固有状態のエネルギー差を決定することができます。

本研究では、ポンプパルスによってAr+ および Kr+ に波束を生成し、その波束の振動運動を 500 ps (1 ps = 10-12 s) の遅延時間の間観測し続け、そのデータのフーリエ変換を行うことによって、スピン軌道分裂のエネルギー幅を10-7の精度で決定しました。この精度はこれまでの高分解能分光計測によって得られていた値の精度よりも、Ar+の場合は6倍、Kr+の場合は50倍高いものでした。

SURF分光計測では、対象となる固有状態間の光学遷移を誘起する必要は無く、それらの固有状態の重ね合わせを生成します。そのため、対象となる原子・分子種の固有状態のエネルギー差に合わせて別々の光源を用意する必要がないため、SURF分光は、さまざまな原子・分子系に適用することができる汎用性を持っています。さらに、計測の分解能は、基本的には遅延時間を長くすればする程高くすることができるため、これまで観測が困難であった極めて小さな固有状態間のエネルギー差を高精度で決定することが可能であり、新しい超高分解能分光手法として、そのさまざまな現象への応用が期待されています。

本研究成果はPhysical Review A誌のEditors’ Suggestionに選ばれました。Editors’ Suggestionに選ばれた論文は、特に関心を持たれている重要な分野において、読者が読む価値のあるわかりやすく記述された論文として雑誌のトップページに掲載されました。

発表内容

従来の高分解能分光計測においては、狭帯域の励起光源の波長を掃引しながら信号強度の変化を取得することによって、固有状態間の遷移を起こさせ、その状態間のエネルギー差を高精度で決定します。一方、SURF分光では、従来の高分解能計測とは全く異なり、超短パルスレーザー光によって固有状態の重ね合わせ(波束)を生成し、その波束の時間発展を追跡することによって、固有状態間のエネルギー差を高精度で決定します。

近年、高強度超短パルスレーザー技術の発展にともない、超短パルスレーザー光を用いたポンプ・プローブ法による計測が行われるようになり、100 as (1 as = 10-18 s)―100 fs (1 fs = 10-15 s) の時間内で起こる超高速過程を実時間で計測できるようになりました。実際に、さまざまな分子種について、振動運動や解離過程などの超高速過程が超短パルスレーザー光のポンプ・プローブ計測によって実時間で計測されるようになりました。

しかし、超短パルスレーザーを用いた計測を超高分解能分光に応用できることについては、SURF 分光によるD2+ の振動回転準位の超高分解能計測の結果〔T. Ando, A. Iwasaki, and K. Yamanouchi, Phys. Rev. Lett. 120, 263002-1-5 (2018)〕が発表されるまで注目されることはありませんでした。

本研究では、希ガス原子イオン、Ar+、Kr+、Kr2+ のスピン軌道相互作用によって分裂した固有状態の重ね合わせと生成し、その重ね合わせの時間発展に伴う「希ガス原子イオン内の電子の周期的な運動」をポンプ・プローブ計測によって観測し、得られた時間領域の信号をフーリエ変換することによって、スピン軌道準位の分裂エネルギーを10-7の相対精度で決定しました。Ar+ のスピン軌道分裂エネルギーは1431.583 33(12) cm-1と求められました。この値の精度は、以前の分光計測によって得られていた値よりも6倍高いものです。また、84Kr+のスピン軌道分裂エネルギーは5370.296 42(50) cm–1と求められました。この値の精度は、以前の分光計測によって得られていた値の精度よりも50倍高いものです。

本研究のSURF分光計測では、まず、超短パルスレーザー光(ポンプ光)によって希ガス原子をトンネルイオン化過程によってイオン化します(図1)。

図1:SURF分光によるスピン軌道分裂エネルギーの計測(Rg は希ガス原子。)

このとき、トンネルイオン化はレーザーの電場方向に大きい広がりを持つ電子軌道から起こるため、2P(mL = 0)の状態が生成されます。この状態は2P1/22P3/2の重ね合わせの状態(波束)(注3)であり、2P(mL = 0)と2P(mL = ±1)の状態を往復します。この周期(τso)は2P1/22P3/2のエネルギー差(スピン軌道分裂エネルギー, ESO)の逆数に相当するものです。この時、遅延時間をおいて超短パルスレーザー光(プローブ光)を照射することによって、希ガスイオンをさらにトンネルイオン化し二価イオン Ar2+と Kr2+ を生成させます。このとき、2P(mL = ±1)の状態のイオン化確率は2P(mL = 0)の状態よりも高いため、希ガス二価イオンの収量が、τsoの周期で振動します。希ガス二価イオンのフーリエ変換を図2に示します。Arと84Krのどちらの場合も、鋭い一本のピークが観測され、このピークのエネルギー位置がスピン軌道分裂のエネルギー幅に相当します。得られたスピン軌道分裂エネルギーは、図2のピークを最小二乗法によるフィッティングを行うことによって求めたものです。

図2: (a) Ar2+の収量と(b) 84Kr2+の収量のフーリエ変換スペクトルとピークの拡大図。

本研究で用いた SURF 分光法はフーリエ変換分光の一つであり、掃引する遅延時間を延ばすことによって、容易に分解能を向上させるとともに、周波数精度を向上させることが出来ます。本研究では、遅延時間を500 psまで掃引しました。現在、遅延時間を20 nsまで掃引できるように装置開発を行い、10-9の相対精度の実現を目指しています。SURF分光では対象となる原子・分子種の固有状態のエネルギー差に合わせて、別々の光源を用意する必要が無いという利点があるため、さまざまな系への応用が期待されています。例えば、従来の分光手法では観測が困難であった、多次元量子トンネル現象によって分裂した状態間のエネルギー差の計測が可能となると期待されています。また、SURF法を用いれば基礎物理定数を従来よりも高い精度で決定できる可能性があります。

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 特別推進研究(課題番号: 15H05696)、基盤研究(A)(課題番号: 20H00371)、若手研究(課題番号: 19K15500)の支援を受けて行われました。

発表雑誌

雑誌名
Physical Review A論文タイトル
Spin-orbit splitting of Ar+, Kr+, andKr2+ determined by strong-field ultrahigh-resolution Fourier-transform spectroscopy著者
Toshiaki Ando, Alex Liu , Naoki Negishi , Atsushi Iwasaki , and Kaoru Yamanouchi*DOI番号
10.1103/PhysRevA.104.033516

論文URL

用語解説

注1 フーリエ変換分光
遅延時間を掃引して得られた信号をフーリエ変換することによってスペクトルを得る分光手法。スペクトルの分解能は遅延時間の掃引幅の逆数となるため、遅延時間の掃引幅を延ばすほど分解能が向上する。

注2 SURF分光
強レーザー場超高分解能フーリエ変換分光(Strong-field ultrahigh-resolution Fourier-transform spectroscopy)の略。高強度超短レーザーパルス(ポンプ光)を分子・原子に照射することによって波束を生成し、プローブ光によって解離またはイオン化を起こす。得られたイオン収量をフーリエ変換することによって、原子の電子スペクトル、分子の電子・振動・回転スペクトルを得る。計測精度はスペクトル分解能、S/N比、周波数の校正精度によって決まる。本計測の場合、分解能は0.06 cm-1, S/N比は約200であり、精度は10-4 cm-1程度であった。周波数の校正は周波数が既知の分子を用いて校正を行っている。周波数校正の相対精度の下限は10-9程度である。

注3 超短パルスレーザー, 数サイクルパルスレーザー
パルスの時間幅がフェムト秒~ピコ秒のレーザーを超短パルスレーザーと呼ぶ。その中でも、パルスの時間幅の中に、光の電場周期が数サイクルしかないレーザーパルスを数サイクルレーザーパルスと呼ぶ。本研究で用いたレーザーパルスは、光の電場周期が2.6 fs、パルス幅が5 fsの数サイクルレーザーパルスである。

注4 コヒーレントな波束, 波束
2つの定常状態の重ね合わせで表される状態のこと。異なる電子、振動、回転状態の重ね合わせで表される状態を、それぞれ電子波束、振動波束、回転波束と呼ぶ。量子波束の時間発展の速さは、それぞれの定常状態のエネルギーの差によって決まり、エネルギーの差が大きいほど、時間発展は速く進む。

注5 ポンプ・プローブ法
ポンプ光によって物質を励起し、遅延時間が経過したのちに、プローブ光を用いて観測を行う計測手法のこと。遅延時間を変えながら計測を行うことによって、励起された物質の時間変化を観測することができる。

注6 量子トンネル現象
分子に2つのエネルギーが近接した安定な構造があり、2つの構造の間にポテンシャル障壁がある場合、古典的には分子は2つの構造(A, B)を持つことができ、その2つの状態は区別できる。しかしながら、量子力学では、2つの状態A, Bの重ね合わせの状態
           Ψ+=c1ϕA+c2ϕB
           Ψ=c2ϕAc1ϕB
の2つが存在する。この状態において、波束が障壁をすり抜けて伝搬することを量子トンネル現象と呼ぶ。この2つの状態Ψ+, Ψのエネルギー差は非常に小さく、ポテンシャル障壁が大きい程エネルギー差は小さくなる。

注7 基礎物理定数
自然現象を記述するために必要となる定数。電気素量、プランク定数、リュードベリ定数などが挙げられる。基礎物理定数を高精度で決定することは、自然界の「ものさし」の精度を上げることになる。基礎物理定数はさまざまな実験によって求められ、その結果を比較・検討することによって精度をさらに上げるとともに、自然現象を記述するモデルの妥当性を確かめることが出来る。

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1701物理及び化学
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