乱れのない氷をつくる

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2020-02-04   日本原子力研究開発機構

発表者:

小松 一生(地殻化学実験施設 准教授)
町田 真一(総合科学研究機構 中性子科学センター 研究員)
則竹 史哉(山梨大学大学院総合研究部 助教)
服部 高典(日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター 主任研究員)
佐野 亜沙美(日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター 副主任研究員)
山根 崚(地殻化学実験施設 博士課程大学院生)
山下 恵史朗(地殻化学実験施設 博士課程大学院生)
鍵 裕之(地殻化学実験施設 教授)

発表のポイント:

  • 氷Icと同じ水分子フレームワークを持つ水素ハイドレート高圧相を低温下で脱圧することで、積層不整のない氷Icの合成に世界で初めて成功した。
  • 得られた氷Icはこれまでにない高温安定性を持つことが明らかとなった。
  • 今後、積層不整のない氷Icの物性に関する研究が飛躍的に進み、積層不整が氷の物性に与える影響についても解明されていくことが期待できる。

発表概要:

氷には、温度や圧力に応じて異なる結晶構造を持った数多くの多形(注1)が存在します。通常の氷は六方晶系の対称性を持っており、氷Ihと呼ばれます。一方、大気圧下で存在する多形として、水分子の積層の仕方が異なり、立方晶系の対称性を持つ氷Icが知られています。しかし、これまで合成された“氷Ic”(注2) には、全て例外なく積層不整(注3)があり、完全な氷Icの存在は確認されていませんでした。東京大学大学院理学系研究科小松一生准教授、鍵裕之教授らの研究グループは総合科学研究機構 中性子科学センター、山梨大学大学院総合研究部および日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター、との共同研究で、氷Icと同じ水分子フレームワークを持つ水素ハイドレート(注4)から水素を抜き取るという方法で、世界で初めて積層不整のない氷Icの合成に成功しました。本研究で用いた方法によって氷Icの単一の結晶相が得られるため、これまで謎に包まれていた氷Icの基礎物性の理解が飛躍的に進むとともに、積層不整を含む氷と比較することで、積層不整が氷の物性にあたえる影響についての理解が進むことが期待されます。

発表内容:

【研究背景】

通常の氷の結晶構造は、水分子の層がABAB…のように交互に積層していると表すことができ(図1a)、六方晶系の対称性を持っています。雪の結晶に見られる六花の形は、この対称性に由来しています。しかし、ある条件の下では、水分子の層が図1bのようにABCABC…と積層し立方晶系の対称性を持つことが、古くから知られていました(通常の六方晶系の氷を氷Ih (hは‘h’exagonalの意)、後者の立方晶系の氷を氷Ic (cは‘c’ubicの意)と呼びます)。“氷Ic”は、-90℃程度以下の温度で水蒸気から凝縮した場合や、ガスハイドレートが低温で分解した場合、あるいは数μm以下の狭い空間で結晶化した場合など、さまざまな条件で生じることから、宇宙空間から冷凍食品まで、比較的身近に存在する重要な物質と言えます。ところが、過去に合成されてきた“氷Ic”は、図1cに示したような積層不整した構造を持っていることが分かっており、積層不整を含まない真の氷Icの性質については、あまりよく分かっていません。この問題を克服するためには、積層不整のない氷Icを作ることが必要不可欠ですが、多くの研究者の努力にも関わらず実現されていませんでした。

図1.(a) 通常の氷(氷Ih), (b) 積層不整のない氷Ic, (c) 積層不整した氷の模式図。 水分子中の酸素を赤丸で、水分子どうしをつなぐ水素結合を赤線で示した。

【研究内容】

本研究グループは、氷Icと同じ水分子のフレームワークを持つ水素ハイドレートの高圧相(C2と呼ばれる)に着目しました。まず、高圧下で水素ハイドレートC2を合成したのちに、低温下で脱圧することで、水分子のフレームワークを保ったまま水素分子のみを取り去ることができれば、積層不整のない氷Icを合成できると考えました。水素ハイドレートC2の化学式はH2・H2Oで、水と水素が存在する状態で約2 GPa以上の圧力をかけることで合成することができます(図2)。本実験では、水素化マグネシウム(注5)を水素源として、水とともに高圧セル「Mito system」(注6)に封入し、一旦373 K(100℃)程度まで加熱することで、水と水素の混合流体を作りました。それらを、室温に戻したのちに3 GPa以上に加圧し、水素ハイドレートC2を得ました。その後、圧力を約3 GPaに維持しながら、100 Kまで冷却し、さらに100 Kで徐々に減圧しながら中性子回折パターン(注7)を測定していきました。中性子回折測定は、J-PARC物質・生命科学実験施設にある高圧ビームラインPLANETで行いました(図3)。減圧の過程で、0.5 GPaまでは水素ハイドレートの回折ピークが残っていたのですが、0.2 GPaまで下げたところで、それらはほぼ消失しました(図4)。これは、C2の結晶構造に乱れが生じ、アモルファス固体のように長距離の周期性を持たない原子配列に変化したことを意味します。さらに0 GPaまで完全に脱圧したのちに、温度を上げていくとC2に特徴的な面間隔(d値)よりも少し小さなd値に、氷Icのピークが出現してきました。得られた氷Icをさらに加熱すると、250 Kで氷Ihに変化していく様子が観察されました。通常、積層不整を持つ氷は、200 K以上の温度では数分のうちに、より安定な氷Ihに変化してしまうので、今回得られた積層不整のない氷Icはこれまでと比べてかなり高温(240 K)まで、他の構造に変化することなく安定に存在することがわかりました。

図2.(上)氷および水素ハイドレートの相図と本研究で経由した温度-圧力経路。(下)100 Kで減圧したときに出現する相の模式図。

図3.(a) Mito systemの概略。 (b) J-PARCの高圧ビームラインPLANETに設置したMito system(写真の中央部)。

図4.水素ハイドレートC2が氷Icに変化していく様子をとらえた中性子回折パターン。積層不整があると、氷Ihのピークが出現する位置にブロードなピークが見られる。しかし、上図160 Kから240 Kの中性子回折パターンには、そのようなピークは観察されず、得られた氷Icに積層不整がないことがわかる。(図中の*は高圧セルからの寄生散乱によるものであり、試料由来ではない。)

【研究の意義】

今回、積層不整のない氷Icを合成する方法がわかったことで、今後、氷Icのさまざまな性質が明らかになっていくと予想されます。例えば、熱容量を低温から高温にかけて精密に測定すれば、氷Ihに比べてどの程度不安定なのか、熱力学的な観点から議論することができます。また、積層不整を含む氷の熱伝導率は、積層不整を含まない氷に比べて小さいことが知られていますが、このような積層不整が与える物性への影響は、熱伝導率以外にはあまり詳しく調べられていません。積層不整のない氷Icの物性を調べることは、積層不整のある氷の物性を調べる上で、重要な基礎データとなります。積層不整した氷は、北極や南極の成層圏にある雲の中や宇宙空間、もしくは急速凍結した生体試料・冷凍食品などにも普遍的に存在しているため、本研究の成果は幅広い研究分野に重要な知見を与えるものとなります。

発表雑誌:

雑誌名:Nature Communications

論文タイトル:Ice Ic without stacking disorder by evacuating hydrogen from hydrogen hydrate

著者:Kazuki Komatsu, Shinichi Machida, Fumiya Noritake, Takanori Hattori, Asami Sano-Furukawa, Ryo Yamane, Keishiro Yamashita & Hiroyuki Kagi

DOI番号:10.1038/s41467-020-14346-5

アブストラクトURL:https://doi.org/10.1038/s41467-020-14346-5

用語解説:

(注1) 氷の多形

黒鉛とダイヤモンドのように、同じ化学組成を持ちながら異なる結晶構造を持つものを多形といいます。氷には2020年1月現在、少なくとも19種類もの多形が報告されており、その多形の種類の多さは、ほかの物質と比べても際立っています。

(注2) “氷Ic”

これまで多くの先行研究で氷Icと呼ばれてきたものは、多かれ少なかれ積層不整(注3)を持つ氷であり、厳密には立方晶系の対称性を有していません。そのため、現在では、そのような積層不整を持つ氷は氷Icと呼ぶべきではなく、積層不整(stacking disorder)を示すsdをつけて氷Isdと呼ぶべきという提案がなされています。また、積層不整を持つ氷に対し、「いわゆる氷Icと呼ばれてきたもの」という意味で、二重引用符をつけて“氷Ic”と表記されることもあります。一方、本研究ではじめて合成された積層不整のない氷Icには二重引用符をつける必要がありません。ここでは、本研究の発見が歴史的な転換点になるという意味合いを込めて、積層不整を持つ氷に対し、あえて“氷Ic”という表記を用いています。

(注3) 積層不整

ある単位構造を一つの層として、その層の積み重ねで全体の構造を表現するとき、単位構造層の積み重なり方が部分的に乱れる現象のこと。規則性の乱れた部分を積層欠陥といいます。積層不整は、金属やダイヤモンドなどの単純な構造を持つ物質から、雲母や粘土などの複雑な構造を持つ層状物質まで、一般的に見られる現象です。本研究では、積層不整の有無を中性子回折パターンから判断していますが、結晶中に存在する積層欠陥の頻度が極めて低い場合(100層に1層程度以下)では、中性子回折パターンから積層欠陥の有無を判別するのは困難です。したがって、厳密に言うと「積層不整のない氷Ic」ではなく、「積層不整の見られない氷Ic」と表記すべきかもしれませんが、ここではわかりやすさを重視して前者の表現を用いました。

(注4) 水素ハイドレート

水素分子が水分子に囲まれた結晶構造を持つ水和物の固体。水素ハイドレートにも温度圧力条件によって, sII, C0, C1, C2など、いくつかの多形が存在することが知られています(図2)。そのうち、本研究でも合成したC2は、水分子だけを見ると氷Icと同じ構造をしています。

(注5) 水素化マグネシウム

化学式MgH2で表される化合物で、水と以下の反応を起こすことで、水素が発生します。
MgH2 + 2H2O → Mg(OH)2 + 2H2
本研究では、実際には重水素化マグネシウム(MgD2)と重水(D2O)を用いています。これは軽水素(H)が中性子に対し強い非干渉性散乱を起こすためで、中性子回折実験では大きなバックグラウンド源となってしまうからです。

(注6) 高圧セル「Mito system」

本研究では、0-3 GPa, 100-400 Kまで、広範囲に温度圧力を変化させる必要があるため、「Mito system」と呼ばれる温度圧力可変装置を使用しました(図3(a))。本装置は2009年ごろから本研究グループによって独自に開発されてきたもので、試料付近をプレスの本体から断熱することで効率よく試料の温度を変化できることに最大の特徴があります。2012年に水戸市で開催された国際学会で初めて発表されたことからMito systemと呼ばれるようになりました。その後も改良が重ねられ、現在では、0-15 GPa, 35 – 400 Kまでの範囲の温度・圧力を自在に発生させることが可能になっています。

(注7) 中性子回折

中性子の原子による回折現象を利用した構造解析法。中性子は原子の中の原子核と相互作用するため、電子と相互作用するX線とは異なる情報が得られます。例えば、X線回折の場合、電子数の多い、すなわち原子番号の大きい元素ほど散乱強度が強くなるため、軽元素は見えにくくなります。特に共有結合の形成によって電子を失った水素からの散乱は極めて弱いため、物質中の水素原子の位置をX線回折で正確に決定することは困難です。一方、中性子回折では軽元素~重元素まで同程度の散乱強度を持つため、水素を含む物質の構造決定によく用いられています。また、同じ元素でも同位体や磁気構造によって散乱強度が異なることも中性子回折の特徴です。本研究では、J-PARCの物質・生命科学実験施設にある高圧ビームラインPLANETで中性子回折実験を行いました(図3)。

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