1958年に日本で見られた扇型オーロラの実態を解明

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2019-05-21 情報・システム研究機構 国立極地研究所,人間文化研究機構 国文学研究資料館

国立極地研究所(所長:中村卓司)の片岡龍峰准教授は、気象大学校の藤田茂講師や国文学研究資料館(館長:ロバート キャンベル)の山本和明教授らと共に、1958年に日本各地で目撃されたオーロラに注目し、従来の分析には用いられてこなかった、当時の気象庁職員の扇形のオーロラスケッチ(図1)やオーロラの連続写真(動画1)と分光観測データを合わせて分析することで、大規模な扇形オーロラの実態(「色」「動き」「位置」「時間帯」)を解明しました。また、扇形のオーロラは、大規模な磁気嵐中に中緯度地域で発生するオーロラ形態の基本的な特徴の一つであることを提唱しました。

図1:1958年2月11日夜7時に気象庁地磁気観測所女満別出張所でスケッチされた図を座標変換したもの。中心が真北。仰角と方位角のグリッドは10度間隔。

動画1:女満別で撮影されたオーロラ連続写真を繋げた動画。写真は全天カメラで撮影されており、画像の上が北。

背景

江戸時代の1770年9月17日に発生した史上最大規模の磁気嵐では、赤を背景に白い筋が何本も扇のように広がるオーロラの絵画が残されています(図2左)。このオーロラの形態は、斜めに傾いた磁力線に沿って発光する細く背の高いオーロラの筋が等間隔に数多く出現し、観察者に覆い被さるように並んだ状態を北に見上げたときの形状だと片岡准教授は既に報告しています(参考資料1)。その約100年後に描かれた、フランスの天文学者・画家のトルーヴェロの扇形オーロラの絵画も有名です(図2右)。一緒に描かれていた星座から、扇形のオーロラは北の空全体に大きく広がっているものだという解釈が裏付けられます。


図2
左:1770年9月に京都から見えたオーロラを描いた絵図。松阪市所蔵の古典籍『星解』より。三重県松阪市提供。
右:1872年3月1日9時25分という説明が書かれているトルーヴェロの絵画。

しかし、そのようなオーロラが本当に出現するのか、たまたまそういう雰囲気が印象に残ったのか、巨大磁気嵐では必然的に出現するものなのか、白い筋は通常のオーロラの緑色と同じ発光なのか、など謎が多いものの、扇形というオーロラの形態に特に注目した研究は、これまでほとんどありませんでした。これは、巨大磁気嵐が100年に1度程度しか起こらないものであり、詳しく調べるための有力な手がかりが無いと考えられていたためです。そこで本研究では、まず扇形オーロラを検証するための手がかりの取得を試みました。

研究の内容

1958年2月11日、記録的な巨大磁気嵐が発生し、当時の新聞では、日本各地でオーロラが観測されたことが大きく取り上げられています。「この時も扇形のオーロラが見られたのではないか」との仮定に基づいた調査の結果、気象庁の地磁気観測施設としては最も緯度の高い女満別出張所での気象庁職員の手書きスケッチの中に、扇形に広がるオーロラを見出すことができました(図1)。

また、この夜、女満別出張所では日本で初めて、オーロラの分光観測と連続全天写真観測が行われており、片岡准教授らは、その連続写真のマイクロフィルムを気象庁から取り寄せてスキャナでデジタル化しました(図3、動画1)。また、新潟県佐渡市の気象庁相川測候所から見たオーロラの手描きスケッチと組み合わせることで、オーロラの発生状況を詳しく分析し、以下の事項を解明しました。

: 分光データ
扇形オーロラの白い筋に当たる部分は、主に酸素原子の緑色発光によるものであり、扇面にあたる背景は酸素原子の赤色発光である、という「色」の情報。

動き : 連続写真
扇形オーロラは磁気嵐が最も激しくなる時間帯、かつ発光強度が最も明るくなるタイミングで10分間ほど出現し、全体の形状を大きく変えずに西へ移動していた、という「動き」(動画1)。

位置 : 新潟と女満別のスケッチ
描かれたオーロラの仰角の違いから、扇形のオーロラは磁気緯度が約38度の磁力線に沿って高度約400kmまで伸びていた、という「位置」。

時間帯 : 『星解』の絵図、トルーヴェロの絵画、1958年の気象庁職員スケッチ
扇形オーロラが真夜中より前に発生する、という「時間帯」の共通性。

これらの「色」、「動き」、「位置」、「時間帯」といった独立な観測事実は全て、近年の磁気圏物理学で整合的に解釈しうるものであり、宇宙空間において真夜中前の激しいプラズマの流れが作る不安定構造の発達が可視化された結果だと解釈できます。このことから、扇形のオーロラは、大規模な磁気嵐では基本的な特徴だと考えられます。

図3:マイクロフィルム読み出し作業の様子

研究の意義

本研究は、過去の限られたデータを見直すことで、稀にしか起こらない巨大磁気嵐中の磁気圏や電離圏で発生するプラズマ現象の安定性や複雑さを理解するための重要なヒントが得られたと言えます。今後は、シミュレーションによる扇形オーロラの再現研究がなされ、巨大磁気嵐による現代インフラへの障害等の正確な予測に貢献することが期待されます。

また、本成果の対象となった1958年2月のオーロラは、日本で初めて写真で記録されたオーロラです。そのような古い記録を保存しておくことの意義が改めて示されたと言えます。

謝辞

本研究の実施にあたっては、気象庁地磁気観測所の大和田毅観測課長、澤田正弘研究官および気象大学校藤井郁子准教授にご協力いただきました。また、国文学研究資料館の「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」の支援を受けました。

発表論文

掲載誌: Journal of Space Weather and Space Climate
タイトル: Fan-shaped aurora as seen from Japan during a great magnetic storm on February 11, 1958
著者:
片岡龍峰(国立極地研究所 宙空圏研究グループ 准教授/総合研究大学院大学 複合科学研究科 極域科学専攻 准教授)
内野志織(国立極地研究所 宙空圏研究グループ 技術補佐員)
藤原康德(国立極地研究所 宙空圏研究グループ 特任研究員/総合研究大学院大学 複合科学研究科 極域科学専攻)
藤田茂(気象大学校 講師/国立極地研究所 宙空圏研究グループ 特任教授)
山本和明(国文学研究資料館 研究部 教授)
DOI:10.1051/swsc/2019013
URL:https://www.swsc-journal.org/articles/swsc/full_html/2019/01/swsc180063/swsc180063.html
論文公開日:2019年5月17日

参考資料

参考資料1:国立極地研究所・国文学研究資料館・総合研究大学院大学プレスリリース
「江戸時代のオーロラ絵図と日記から明らかになった史上最大の磁気嵐」
2017年9月20日掲載, https://www.nipr.ac.jp/info/notice/20170920.html

コラム1:片岡龍峰准教授コメント

「今回の詳細な分析対象になったデータは、日本で撮影された初めてのオーロラ写真であり、そういった近代的な観測データと、千年を超える長期間にわたる絵画記録との接点ともなる貴重な研究例ともいえます。本研究で新たな知見を見出せたのは、写真のマイクロフィルムが気象庁において保管されていたおかげでしたが、まずはそのような古いデータを保管しておくこと、そしてできればデジタル化して公開し、現代的な視点で見直すことの価値は非常に高いのではないでしょうか。

また、本研究のきっかけは、『星解』に描かれた扇形のオーロラ絵図の研究発表以後、市民から寄せられた声でした。『星解』の研究成果に関する新聞報道等への国内の反響は大きく、1958年に日本各地で見られた、あるいは実際に当時目撃した、その赤いオーロラについても詳しく調べてほしいと電子メールや手紙が寄せられており、研究をスタートさせ、進める上での励ましやヒントを与えてくれました。したがって、そもそもこの研究成果は、市民の力を借りて、専門的な学びを深められた例ともいえます。

扇形のオーロラは、なぜ『星解』やトルーヴェロなどの絵画に残されてきたのでしょうか。それは、オーロラが最も明るくなるタイミングに一時的に現れる形態であり、前後の時間と比べて構造も明るさも際立っているため、最も印象的な瞬間だったからかもしれません。実に、トルーヴェロの絵画の日時の書き方は細かく、1872年3月1日の09:25 PMと書いてあります。星座に照らし合わせて分単位で移動するオーロラの様子を詳細に写し取っていたからこそ、この絵画の時刻は、分単位で時刻を書く必然性があったのだろうと推測できます。

このように、古い資料を用いて現代的な科学研究を進めることは、その古い資料から現代に役立つ知恵を学ぶという恩恵を一方的に受けるのみならず、特に絵画資料や画家について新たな視点を与えるという貢献もありそうです。例えば、本研究成果は、『星解』のオーロラが実際に巨大なものであろうという裏付けを与えるものですが、だからこそ『星解』では本の見開き一杯に、あの扇形のオーロラの絵を描き残したのだろうか、という更なる気づきも与えてくれるのです」

コラム2:1958年のオーロラを描いた水彩画が見つかりました~町田市の風間繁さんが寄贈~

1958年当時、ニュースといえば南極観測船「宗谷」だったようです。第2次南極地域観測隊の隊員を乗せて南極に向かった「宗谷」は悪天候と分厚い氷に阻まれ昭和基地に辿り着けず、第2次越冬観測は断念かと日本中が気を揉んでいた1958年2月11日、記録的に大きな磁気嵐が発生したため、「宗谷」との通信が途絶えてしまいます。この日、第1次観測隊とともに昭和基地で越冬した三毛猫のタケシは隊員に抱えられて「宗谷」に戻りましたが、タロやジロを含むカラフト犬15頭は2月下旬になっても空輸できず、やむなく昭和基地に置き去りにされてしまいました。

高校生の頃に描いたオーロラの水彩画を手にする風間さん

この日の夜、「宗谷」の動向が気になりラジオを聞いていて、オーロラ出現のニュースに接した当時高校生の風間繁さんは、住んでいた新潟県でもオーロラが見えるかもしれないと思い外に出ました。風間さんは夜9時5分に海岸で目撃した赤いオーロラを、高校生活で使っていた水彩絵の具で丁寧に記録しました。

それから60年以上が経った2019年3月、風間さんは、『星解』等の研究成果(文献1)を新聞や雑誌で目にされたとのことで、自身の水彩画が研究の役に立つならばと原画を持って極地研を訪問されました(右写真)。片岡准教授が水彩画を確認したところ、なんと、仰角や方位角まで正確に記録されていました。また、夜9時にはオーロラは扇形ではなくなっていたはずで、その点も整合的です。そして、トルーヴェロの絵画と同様、記録している時刻が分単位でした。この絵は本研究を裏付ける新資料であり、1958年2月のオーロラを描いた絵画としては、現在のところ日本で唯一のものです。

この水彩画は今後、貴重図書として極地研の情報図書室に保管され、イベントでの展示も予定されています。

お問い合わせ先

研究内容について
国立極地研究所 宙空圏研究グループ准教授  片岡龍峰

報道について
国立極地研究所 広報室
国文学研究資料館 古典籍共同研究事業センター事務室

 

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